【連載】ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会 メールマガジン
ノーモア沖縄戦

メールマガジン第46号:鈍感の壁

ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会

「鈍感の壁」-先月、私の地元山梨県で当会の発足人でもあるジャーナリストで映画監督の三上智恵さんの講演会を開催した時に、三上さんが強調された言葉です。

沖縄の基地問題に関心のある人たちの「沖縄は大変ですね」という言葉の「大変」の中に自分たちが入っていない、実は自分たちの足元に火が付いているのにそれを感じない「鈍感の壁」。

それは、講演会を主催した私自身にとっても他人事ではない言葉でした。

私が初めて辺野古の活動に参加させてもらったのは2014年12月のこと。その前月に三上監督の「標的の村」を見て、自分が沖縄の基地問題を知っているつもりで何も知らなかったことを痛感し、そして、ずっと基地問題の加害者だったことに気づかされ、とにかく現地へ行かなければと一人で辺野古へ向かいました。

縁あってカヌーでの海上阻止行動に参加させていただくようになったのですが、年に何度も行くことのできない私にとって、それだけでは自分の罪悪感を薄めるだけの行動になってしまうのではという思いもあり、知人たちと市民グループを立ち上げて、映画の上映会や講演会などを開催し、山梨で沖縄の現状を伝える活動もするようになりました。

三上監督の「標的の島 風かたか」や「沖縄スパイ戦史」の上映会も開催していたので、宮古島や石垣島の自衛隊基地建設の問題や、軍隊の本質についても理解していたつもりでした。

でも、琉球弧の軍事要塞化に対する本当の意味での危機感を持っていなかったことを、去年12月に沖縄へ行った際に思い知らされたのです。

コロナの影響で動けなかったので2年ぶりの沖縄でした。

できるだけ多くのことを見聞きしたいを思い、去年は辺野古だけでなく久しぶりに宮古島も訪れ、自衛隊基地への抗議活動にも参加させていただいたのですが、その帰路の飛行機の中で「南西諸島に攻撃拠点 米軍、台湾有事で展開 住民巻き添えの可能性 日米共同作戦の計画原案」というニュースが飛び込んできたのです。

その沖縄タイムスの記事を読んで、弾薬庫を抱えた自衛隊基地の異様さ、市内の街並みや人々の様子、島の海岸線や海が脳裏に浮かび、その記事の意味することがまざまざとイメージできてしまい、その時ようやく背筋が凍りつくような危機感を感じたのです。

5年前に宮古島へ行った時には自衛隊基地は着工前で、その建設予定地などを案内していただいたのですが、その後、辺野古へは行っても宮古島までは足を伸ばすことがなく、基地建設の様子をネットで見ながらずっと申し訳なさを感じていました。

しかし、自衛隊基地の存在が意味する危機感は全く共有できていなかったのです。

そんな自分自身に失望を覚えましたが、なぜそうだったのかと考えてみると、宮古島へ行く前に訪れた「ひめゆり平和祈念資料館」での自分の感覚に思い至りました。

「さすがにこんな酷いことはもう起こらないだろう」という前提で資料館の展示を見ていた自分に気づいたのです。

いくら政府が劣化したとしても、さすがにあの沖縄戦のような惨事を起こすことはないだろうと思い込み、「鈍感の壁」を作ってしまっていたのだと思います。

そして、今年に入って当会が立ち上がったのですが、「辺野古新基地建設中止」でも「全ての軍事基地撤去」でもなく、「再び沖縄を戦場にしない!」という悲痛なメッセージを沖縄から発信せざるを得ない状況を作ってしまったことに痛みを覚えました。

ようやく理解できた危機感を山梨でも伝えようと、2月から4月にかけて4回、昨年12月に参加した辺野古の抗議行動や宮古島の状況をスライドで報告する会を開催し、当会の賛同人を募ると共に7月の三上智恵さんの講演会の告知をしてきました。

私自身、まだまだ琉球弧の軍事化についての詳しい知識や情報を持っていませんでしたので、その取材を続けてきた三上さんのお話を聞きたいと思っていたのです。

そして7月の講演会では100名を超える方に来ていただくことができました。

人口4万人程度の小さな市ですから、100人という数字は決して少ないものではありません。

こういった講演会に参加される方は基本的に沖縄の基地問題に関心のある方や知識のある方が多いのですが、講演会の後に、自分の中の「鈍感の壁」を壊さなければ!という声が届き、また、今までこの問題を知らなかったという人もわずかながら参加してくれ、そして講演会後に当会の用紙を手に賛同人を集めてくださった方もいました。

小さな動きかもしれませんが、誰かが行動することで人が動くことをあらためて実感しています。

最初に書いたように、私が沖縄の抗議行動の現場へ行くようになったきっかけは基地問題についての贖罪の意識からです。

でも、辺野古へ通っているうちに様々なことに気づかされ、沖縄の抱える様々な問題は「沖縄の問題」ではなく、戦争、平和、差別、人権、環境問題など、私たちがどんな未来を選択していくのかということを突きつけられているのだと思うようになりました。

それに気づけたのは、私のような個人でも参加できる抗議行動の場を沖縄の人たちが作ってくれたおかげだと思っています。

そうせざるを得ない状況を作り続けてしまったのは自分たち「ホンド」の人間の無関心だという罪悪感は今でもありますので、こういう言い方をすることにためらいはありますし、次の言葉を口にする資格があるのかという後めたさもあります。

それは「希望」という言葉です。

先日、名護市議の東恩納さんがあるネット番組で語った言葉が印象に残っています。

「辺野古が止まれば日本が変わる」

辺野古の抗議活動の現場に行くと、本当に様々なバックグラウンドを持った方に出会います。ほとんどが個人の思いで活動に参加していて、活動のために移住された方も少なくありません。

そういった個人が動くことでもし社会が変えられれば、それは未来の希望につながると思うのです。

辺野古の現場や南西諸島の状況を見ればそんな甘いことは言っていられないという気持ちにもなりますが、最後に、環境活動家で社会運動家のジェーン・グドールの本の一節を紹介させていただきたいと思います。

「希望の教室」というインタビュー形式の本で、インタビュアーが環境活動家のグレタ・トゥーンベリさんのダボス会議での発言「あなたたち(大人)の希望はほしくありません。希望をいだいてほしくもありません。そうではなくパニックになってほしいのです。自分たちの家が火事になっていると思って」という、希望を抱くよりも不安を持って欲しいという考えに対してジェーンさんがどう思うか尋ねます。

それに対してジェーンさんは、「今現実に起こっていることに対しては、不安や怒りで応じなければならないわ。だって私たちの家は本当に火事になっているんですもの。だけど火を消せるっていう希望がなければ、あきらめてしまうでしょう。希望か、不安か、怒りか、っていう問題じゃない。全部が必要なのよ」。

このジェーン・グドールの言葉を胸に、今後も辺野古の活動に参加させていただきながら、当会の活動を広めていく努力を続けていきたいと思っています。

文責:中島和也(ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会 呼びかけ人)

 

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