原爆神話の呪縛からの解放を求めて(上):オバマ広島訪問の波紋と残された課題
核・原発問題2016年5月27日に現職の米大統領として戦後初めて行われたバラク・オバマ氏の広島訪問は大きな波紋を呼んだ。
まず異例だったのが、訪問前から日本側は様々なルートを使って、事前に「謝罪の必要なし」との根回しを行っていたことである。
これはオバマ大統領の広島訪問に反対する米国世論への配慮であったとはいえ、少なからぬ被爆者の「謝罪して欲しい」との心情を傷つけたのも事実である。
特に、外務省の動きは、2009年11月に大統領になってまもないオバマ氏が広島を訪問する意向を示したことに対して「時期尚早」として断ったという経緯もあって大きな疑問が残る。
この問題をめぐっては、「私は謝罪があれば歓迎するが、謝罪は何も変えないと思っている。しかし、“原爆投下はどうあっても間違いだ“と言うことは謝罪より重要で、未来を変えると考える」とのピーター・カズニック氏(アメリカン大教授)の言葉が注目される。
カズニック氏は、その一方で、「原爆投下の判断に触れないことでオバマ氏は国内の批判を交わせるかもしれない。しかし、同時に、真にノーベル平和賞に値する歴史的な機会を逃すことになるだろう」とオバマ氏の曖昧な姿勢を批判している。
このカズニック氏と、原爆投下を正当化する米国内の「神話」と闘っているオリバー・ストーン氏(映画監督)は、「米国は今の段階では、最低でも原爆投下の是非について“議論の余地がある”と認めるべきだと考えている。…オバマ氏は広島へ行って、“原爆投下は軍事的には必要がなかった”と言うべきだと思う。そして、投下を謝罪した上で、平和に関与していくと言えば、オバマ氏の訪問はすばらしいと思う」としたうえで、現職大統領であるいまの立場からそのことを表明することは困難であろう、と語っている。
実際にオバマ氏訪問を広島で見守ったカズニック氏は、オバマ大統領の初の被爆地訪問自体は一定評価する一方で、冒頭で「71年前、空から死が降ってきて世界が変わった」と表現した演説内容については、「嘘だ。死は、米国の原爆投下によるものだった」と厳しく批判した。
私自身は、オバマ大統領の二面性や「アメリカ例外主義」の問題性を指摘するこの二人の立場・見解に大いに共感する。だが、原爆投下の是非と軍事的必要性の有無を関連付ける、こうした「議論の枠組み」そのものに大きな違和感がある。原爆投下と真珠湾攻撃を対比させて、双方が相殺できるかのような議論も同様である。
そうした違和感は、原爆(核兵器)を「絶対悪」とみるか、「必要悪」とみるかという違いからである。私は、原爆(核兵器)は非人道的かつ究極的な「悪魔の兵器」であり、それを開発・保有することも、ましてや平時に威嚇の道具として用い、戦時に使用することは道徳的に絶対に許されることではないと考える。
ナチス・ドイツの「幻の原爆(核兵器)」に怯えて核兵器開発(マンハッタン計画)に着手したことや、ナチス・ドイツの核兵器開発断念が分かったのちにも原爆開発を続けて完成させたことも誤りである。
さらに、それを降伏直前である日本に対して事前警告もせず、「無条件降伏」を盾にして降伏する余裕も与えずに立て続けに広島と長崎に2発の原爆を連続して投下して非戦闘員を大量虐殺したことは重大な戦争犯罪であったことは明白である。
日本側でいえば、1944年7月のサイパン島陥落で軍事的敗北が決定的になったのちも、「国体護持」(天皇制の維持)に固執して、1945年3月の東京大空襲、5月のドイツ降伏、6月の沖縄戦敗北、7月のポツダム宣言という降伏するチャンスを何度も逃して、結果的に原爆投下を招いてしまった責任は重大である。この意味で、原爆投下は一種の日米合作、つまり米国側の「無条件降伏」と日本側の「国体護持」が重なり合って生じた出来事であったといえよう。
また、今回のオバマ大統領の広島訪問に対して、中国、韓国などアジア諸国の一部から、「日本にはオバマ大統領の広島訪問を受ける資格はない」、「太平洋戦争を起こした“加害者”である日本を“被害者”に変えてしまう」という反発や懸念の声が上がったことにも注目を向けるべきである。
このことは、原爆投下を戦争全体の中に位置づけ、アジアで唯一の帝国主義国となった日本の加害責任を前提として語らなければアジア諸国の人々の理解は得られないことを示している。日本側もアジア太平洋戦争が日本帝国主義による植民地支配と侵略で始まったという自国の加害責任と真摯に向き合い、被害国・被害者に対して誠実な謝罪と補償を早期に行うことが必要である。
オバマ大統領の広島訪問は、原爆投下の誤りを率直に認めて核抑止論の否定の上に立った核廃絶への明確なビジョンを提示することはなかった。原爆投下の是非の決着や被爆者へ直接謝罪はむろんのこと、朝鮮人・韓国人犠牲者への追悼やもう一つの被爆地である長崎訪問など残された課題は重く大きい。
(琉球新報(2016年8月4日)への寄稿文を転載)
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独立言論フォーラム・代表理事、ISF編集長。1954年北九州市小倉生まれ。元鹿児島大学教員、東アジア共同体・沖縄(琉球)研究会共同代表。九州大学博士課程在学中に旧ユーゴスラヴィアのベオグラード大学に留学。主な著作は、共著『誰がこの国を動かしているのか』『核の戦後史』『もう一つの日米戦後史』、共編著『20人の識者がみた「小沢事件」の真実』『昭和・平成 戦後政治の謀略史」『沖縄自立と東アジア共同体』『終わらない占領』『終わらない占領との決別』他。