第8回 「年老いた独裁者が始めた、血迷った戦争に、若者が駆り出されている」?
国際前章では、ナチスドイツがウクライナ民族主義者組織と一体になってソ連を侵略したとき、2,600万人ものソ連人が犠牲になったが、いま再び、このウクライナ民族主義者組織が「ネオナチの武装集団」として復活し、ウクライナの主要な軍事力になっていることを紹介しました。
ところがアメリカは、 「ウクライナ大統領ゼレンスキーはユダヤ人だから、ネオナチを政権に引き込むことはない、それはロシアの宣伝だ」と反論していますし、ゼレンスキー自身も似たようなことを発言しています。大手メディアも、これを利用してロシアとプーチンの「悪魔化」に余念がありません。
そこで、 「いったいゼレンスキーとは誰か?」ということが大いに気になるのですが、そして私も、一刻も早くそれについて書きたいのですが、差し迫った雑事に追われて、なかなかその時間がとれません。またオンラインで署名を呼びかけたSさんに対する考察も、まだ終わっていません。
というわけで、今回もSさんの呼びかけ文の残りを検討することにします。
さて先述のSさんは、呼びかけ文の段落(4)で次のように書いていました。
(4)一方、ロシア兵士の多くは数年前までまだ子どもだったような若者たちです。彼らを批判する人も多くいますが、ロシア兵士が脱走したり命令に背けば死刑になり得るということを考慮しなければなりません。彼らは誤った情報を政府から与えられ、年老いた独裁者が始めた血迷った戦争に駆り出されています。若いロシア兵士たちも自国の政府に裏切られていると言っても過言ではありません。
ここでSさんは「彼らは誤った情報を政府から与えられ、年老いた独裁者が始めた血迷った戦争に駆り出されています」と書いています。
しかしSさんは何を称して「誤った情報」と言っているのでしょうか。彼女は誰を指して「年老いた独裁者」と言っているのでしょうか。
プーチン大統領は、ウクライナにロシア軍を派遣する直前に、ロシア国民に向けて情熱的で、かつ極めて長い講演を行いましたが、彼女はこの講演をきちんと読んでいるのでしょうか。
これを読めば、「若いロシア兵士たちも、自国の政府に裏切られている」と感じるどころか、むしろ前章で述べた独ソ戦(たとえば「レニングラード包囲戦」)を思い浮かべながら、プーチン講演を聴いていたのではないでしょうか。
ロシア人はこの独ソ戦を「大祖国戦争」と呼び、毎年必ず戦勝記念日を大々的に祝っています。2,600万人もの戦死者を出しながらも310万のヒトラー軍を打ち砕き、そのことがナチスドイツ世界制覇をくい止めたのだから当然のことでしょう。
それに引き換えアメリカ軍は、ドイツに残されていた約90万人のドイツ軍と戦って勝利したに過ぎません。しかも単独では戦う力がなく、何と恥ずべきことに、シチリア島上陸では犯罪組織マフィアの手を借りざるを得なかったのです。
と偉そうにここまで書いてきましたが、実を言うと私がプーチン演説を読んだのは、私が敬愛する物理化学者・藤永茂先生のブログ「私の闇の奥」が、この演説に触れていたからです。先生のブログ(2022/03/02)には次のように書かれていました。
プーチン大統領のウクライナ侵攻で世界は大騒ぎですが、私は事態の進展を眺めながら、しきりにレニングラードの戦いとスターリングラードの戦いに思いを馳せています。
レニングラード(今はサンクトペテルブルク)の戦いは1941年9月8日から1944年1月27日まで、スターリングラード(今はヴォルゴグラード)の戦いは1942年6月28日から1943年2月2日まで続き、最終的にはロシア軍がヒットラーのナチスドイツ軍を破りました。
世界の戦争の歴史上、最も凄惨を極めた二つの市街戦であったと言えます。そして、これがナチスドイツの"終わりの始まり"であったのです。私はウクライナ戦争にイギリス=アメリカ帝国の"終わりの始まり"を見ます。
このあと藤永先生は、 「共産主義国ソビエト連邦を嫌悪した米国はあらゆる圧力をかけて、結局、1991年の年末にソ連の解体と、ロシアという国の、今でいうレジーム・チェンジに成功した」と述べ、さらに、 「プーチンがロシア共和国の大統領になったのは2000年ですが、新しい世紀の最初の20年間にこの国は確実な歩みで国力を回復してきた」とロシアの現状を説明しています。
確かにソ連が解体されたあとのロシアは、極端な貧富の格差が現れ、平均寿命も1994年には、男性は57.6歳、女性
は71.2歳にまで落ち込むという酷さでした。
社会主義国家ソ連は貧困だった、とよく言われますが、教育も医療も無料でしたから、国民は資本主義国家ロシアよりも豊かで健康的な生活を送っていたとも言えるのです。しかし、プーチンが大統領になってからは、藤永先生の
言葉にあるように、「20年間にこの国は確実な歩みで国力を回復してきた」のです。その結果、ア メリカは第2次大戦後に「世界唯一の覇権国家」となったはずだったのに、それを脅かす勢力が再び登場したのでした。
この状況を藤永先生は「この状況に向けられたアメリカ帝国の敵意と憎悪は昔と変わらない凄まじさで継続されて、遂に現在のウクライナ戦争に至りました」と述べています。つまり現在のウクライナ危機は、アメリカ1国が世界を配しようとする「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」 、マッキンダーの「ハートランド理論」をロシアに適用したものだったということです。
ところで、107頁で藤永先生が「1991年の年末のソ連解体は、ア メリカによって仕組まれたレジーム・チェンジ(政権転覆)」 、すなわち今で言う「カラー革命」だったと言っていることに注目してください。
その証拠に、エリツ ィン大統領による資本主義化は、アメリカの財界・金融界がロシアを食いものにするためのものであり、ロシアに一握りの新興財閥(オリガルヒ)と民衆大多数の貧困化を誕生させたに過ぎなかったからです。
次の記事はそのことを示しています。
*Boris Yeltsin had entourage of ‘hundreds’ of CIA agents who instructed him how to run Russia, claims former parliamentary speaker
「ボリス・エリツィンは何百人ものCIAの工作員に取り囲まれていた。エリツィンは彼らのいいなりだった」
http://tmmethod.blog.fc2.com/blog-entry-603.html( 『翻訳NEWS』2021/06/27)
それはともかく、藤永先生はプーチン演説について、さらに次のように述べています。
2022年2月24日の朝まだき、プーチン大統領はロシア国民に宛てて長い講演を行い、ウクライナに対して"特別の軍事作戦"を決意するに至った理由を詳しく説明して、ロシア軍の侵攻が始まりました。
その時刻から1日ほどの間は総語数3,350に及ぶこの長い演説の全文の英語翻訳を色々の所で読むことができました。
読んだすぐ後に、私はその内容の重要な部分をこのブログに取り上げようと心に決めましたが、次の日には、全文の翻訳記事にはもうアクセスが出来なくなりました。
例えば「Putin’s speech, February 24, 2022」 とでも入力して、 探してみてください。
見出せるものは、講演内容の細切れの引用文に何がしかの"コメント"または"注釈"がついたものばかりです。
西側支配権力はプーチンの語ったことの全容を世界の人々に読ませたくないのです。
そして藤永先生は、ブログ「プーチンの一分(いちぶん)」の最後を次のように結んでいます。
今回のウクライナ戦争については、私ははっきりとプーチンの言い分に与します。誰がどう非難しようと私の考えは変わりません。過去十数年、私は、私なりに、世界を凝視し続けてきました。
ハイチ、 キュ ーバ、 コンゴ、 リビア、 シリア、 エリトリア、 ホンジュラス、 ボリビア、 ベネズエラ、 …。現在、 我々の眼前に展開している悲劇的事態は、 結局のところ、 英帝国/米帝国と繋がる植民地時代の終焉を告げる晩鐘です。この忌むべき時代の決定的な「終わりの始まり」です。
プーチンがアスペルガー障害者であるかどうかなどどうでも良い事です。今からロシアという国は、気の毒にも、ひどいことになるかも知れません。
しかし彼らにはレニングラード (現サンクトペテルブルク)の戦い、 スターリングラード (現ヴォルゴグラード)の戦いの記憶があります。ナチズムを打倒した輝かしい記憶があります。
長い時間がかかるかも知れませんが、ロシアは必ず最後の勝利を収めるでしょう。(2022/03/02)
このように見てくると、オンライン署名を呼びかけたSさんが、次のように書いていたことが、いかに的外れであるかがよく分かるのではないでしょうか。
「彼らロシア兵士は誤った情報を政府から与えられ、年老いた独裁者が始めた血迷った戦争に駆り出されています。若いロシア兵士たちも、自国の政府に裏切られていると言っても過言ではありません」。
なぜなら、先述のとおり、2022年2月24日の朝、プーチン大統領はロシア国民に宛てて長い講演をおこない、ウクライナに対して"特別の軍事作戦"を決意するに至った理由を詳しく説明して、ロシア軍の進攻が始まっているからです。
これをロシア兵士どころかロシア国民の多くが視聴したはずです。しかも、それを読んだ現在97歳の高名な物理化学者である藤永先生にさえ、 「今回のウクライナ戦争については、私ははっきりとプーチンの言い分に与します」「誰がどう非難しようと私の考えは変わりません」と言わしめるほどの内容をもっていたのです。
そのすべてをここに紹介するわけにはいきませんので、 私が読んで、いちばん印象に残ったところだけを紹介したいと思います。あとは皆さんが自分の眼で読み、藤永先生を感嘆せしめたところがどこだったのかを、自分の眼で確認していただきたいと思います。
何と驚いたことに、大手メデ ィアとして日頃からFake News(偽情報)を垂れ流しているNHKが、どういうわけか今度ばかりは、演説全文の翻訳を掲載していたからです。 NHKの中にも首にされることを覚悟に、この掲載に踏み切った人物がいたのではないかと推測されます(実を言うと、この翻訳全文が存在することを知ったのも、 藤永先生のブログのおかげでした)。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220304/k10013513641000.html
それはともかく、プーチン演説で紹介して解説したいところは多々あるのですが、これまでの叙述の関連で一カ所だけ選ぶとすれば、 私にとっては次の箇所になります(傍線は寺島)。
私たちは、1940年から1941年初頭にかけて、ソビエト連邦がなんとか戦争を止めようとしていたこと、少なくとも戦争が始まるのを遅らせようとしていたことを歴史的によく知っている。
そのために、文字通りギリギリまで潜在的な侵略者を挑発しないよう努め、避けられない攻撃を撃退するための準備に必要な、最も必須で明白な行動を実行に移さない、あるいは先延ばしにした。
最後の最後で講じた措置は、すでに壊滅的なまでに時宜を逸したものだった。その結果、1941年6月22日、宣戦布告なしに我が国を攻撃したナチスドイツの侵攻に、十分対応する準備ができていなかった。
敵をくい止め、そのあと潰すことはできたが、その代償はとてつもなく大きかった。
大祖国戦争を前に、 侵略者に取り入ろうとしたことは、 国民に大きな犠牲を強いる過ちであった。最初の数か月の戦闘で、 私たちは、 戦略的に重要な広大な領土と数百万人の人々を失った。私たちは同じ失敗を二度は繰り返さないし、その権利もない。
右記の演説でプーチン大統領は次のように言っています。
「最後の最後で講じた措置は、すでに壊滅的なまでに時宜を逸したものだった」。
「大祖国戦争を前に侵略者に取り入ろうとしたことは、国民に大きな犠牲を強いる過ちであった」。
ここでプーチン大統領が言っている「最後の最後で講じた措置」「大祖国戦争を前に侵略者に取り入ろうとしたこと」とは何を指しているのでしょうか。
それは、1939年8月23日にナチスドイツとソビエト連邦の間に締結された条約、いわゆる「独ソ不可侵条約」を指すのではないか、と私には思われます。
天敵と言われたアドルフ・ヒトラーとヨシフ・スターリンが手を結んだことは、世界中に衝撃を与えましたが、最も大きな打撃を受けたのは、地下抵抗運動の先頭に立っていた各国の共産党だったと言われています。
なぜなら、捕まれば拷問か死刑であることが分かっていながら、ヒトラーと命を賭けて闘っていたのは各地の社会主義者・共産主義者でしたから、このスターリンの動きは、彼らにとってはまさに裏切り行為だったからです。
(日本でも、ヒトラーと手を組んだ天皇制政府に対して、筆をもって闘っていた作家・小林多喜二が拷問で殺されたことは、よく知られた事実です。反戦を掲げた川柳歌人・鶴彬(つるあきら)も、度重なる拷問を受け、留置場での赤痢によって拘留中に世を去りました。29歳)。
しかしプーチン大統領は、この「独ソ不可侵条約」を、「すでに壊滅的なまでに時宜を逸したものだった」「大祖国戦争を前に侵略者に取り入ろうとしたことは、国民に大きな犠牲を強いる過ちであった」と言っているのです。
なぜなら、この1939年にこの条約を結んだ結果、「1941年6月22日、宣戦布告なしに我が国を攻撃したナチスドイツの侵攻に、十分対応する準備ができていなかった」と、プーチン大統領は言っているからです。
そして今、ウクライナ危機を前にして、「私たちは同じ失敗を二度は繰り返さないし、その権利もない」というのが、国民を前にしたプーチン大統領の訴えでした。なぜなら、この失敗のため、「最初の数か月の戦闘で、戦略的に重要な広大な領土と数百万人の人々を失った」から、です。
国際教育総合文化研究所所長、元岐阜大学教授