ゼレンスキー政権のちぐはぐな経済政策
国際いまのウクライナ経済の現状分析
それでも、ウクライナの経済をめぐって、いくつかの参考になる報告書を読むことはできる。そのなかでとくに目を引いたのは、2022年12月に公表されたLuke Cooper, Market economics in an all-out-war?: Assessing economic and political risks to the Ukrainian war effortである。ここでの考察では、ルーク・クーパー氏によるこの報告書を参考にしながら、ウクライナ経済について論じてみよう。
経済の危機的状況
ウクライナ国内はまさに戦争状態にある以上、経済も危機的様相を呈している。クーパー氏は2022年12月1日付の報告書において、①深刻な経済不況、②財政危機、③建物やインフラへの被害、④失業率が非常に高く、とくに国内避難民の間で高い、⑤インフレと低賃金水準による生活費危機、⑥不均等なセクターと地理的な影響との関係――といった論点をあげている。
ここでは、これらの論点のうち、ウクライナ経済の動向を展望するうえで大きな影響力を持つとみられるⒶ労働市場、Ⓑ財政政策、Ⓒ民営化について少しだけ掘り下げてみよう。
ウクライナの労働市場
労働市場を含む多くの統計報告が停止しているなかで、Simeon DjankovとOleksiy Blinovは2022年11月にUkraine’s wages and job loss trends during the warという報告を公表している。それによると、2022年の戦争開始以降、正規雇用労働者の13%が職を失ったと推定されている。戦争が始まって以来、名目賃金は10月末までに3%という緩やかな伸びを記録しているが、実質賃金は1〜10月で11%下落し、10月1カ月で18%にまで下落が加速しているという。
2022年12月のウクライナ中央銀行(NBU)の報告書では、「ILOの手法によれば、失業率は30%以上と思われ、徐々に低下すると思われる。定期的な停電が始まる前から、労働需要はまだ安定していない。NBUの調査によると、ほとんどの企業は来年中に従業員数を変更する予定はない。しかし、3分の1の企業はさらに解雇を増やすと予想している。停電が長引けば、この予測はさらに悪くなる可能性がある」と書かれている。
この解雇の増加予想の背後には、ウクライナ政府が戒厳令下で行った信じられない愚策がある。それは、戒厳令のもとで2022年3月15日に制定されたウクライナ法「戒厳令における労使関係の組織について」(法律№ 2136-IX)である。これによって、ウクライナ労働法(Labor Code)の規範の代わりに、雇用者側に圧倒的に有益な法律第2136号の特別条項が利用可能となったのである。
たとえば、①従業員の同意なしに別の仕事に移動させること(第3条)、②2カ月以内に予告なく重要な労働条件を変更する可能性 (第3条)、③病欠、有給・無給休暇中の解雇、労働組合の同意なしでの解雇(第5条)、④労働時間の上限を週60時間とし、時間外労働の制限を撤廃し、休日及び不就労日を廃止すること(第6条)、⑤妊娠中の女性の夜勤、幼い子供を持つ母親の夜勤と時間外労働の解禁(第8条、第9条)、⑥敵対行為またはその他の不可抗力の結果として違反が発生した場合、使用者は支払い遅延に対する責任を免除される(第10条)、⑦使用者による労働協約の特定条項の一方的な停止(第11条)――といったことができるようになった。
とくに、第5条によって、雇用主は解雇に対する保護の保証を無視して、労働者を解雇できるようになった。重要な労働条件の変更に同意できない場合、2カ月の予告期間を満たさずに解雇することも可能となった。労働組合の力は弱体化し、「雇用者独裁」に抵抗するだけの権限が失われてしまう。
さらに、法律5371号が制定され、ウクライナの労働者の70%(中小企業で働く人々)が国内労働法の保護から排除されることにった。団体交渉に参加する権利を奪うことも認められてしまったのだ。この「簡素化された体制」は、250人未満の企業の労働者が、任意解雇、強制残業、労働組合結成の権利からの保護をすべて失うことを意味していた。
加えて、法律 5161 号は、英国式の「ゼロ時間」契約の使用を合法化した。この「ゼロ時間」契約は雇用主が個人に対して労働時間を保証しない契約のことを指す。雇用主は、仕事が発生したときに個人に仕事を提供し、個人は提供された仕事を受け入れるか、その場で仕事のオファーを受けないと決定することができる。
つまり、「これらの改革は、2021年6月の国際労働機関(ILO)と欧州連合(EU)の共同報告書の勧告に反し、 ILO条約132.3 135.34 15835、さらには工業企業の労働時間を1日8時間、週48時間に制限した1919年の設立趣意書にさえ違反している」と、クーパー氏は指摘している。そして、「要するに、ヨーロッパの国々が労働者に対する社会的保護を大幅に強化する方向に向かうなか、ウクライナは全く異なる方向に進んでいるようである」と皮肉交じりに述べている。これが、ウクライナの労働市場の現状なのだ。
財政政策
戦争中だから、軍事費が必要な半面、税収は増えない。ゆえに、ウクライナは税・歳出・債務上の課題に直面している。クーパー氏によれば、2023 年の教育予算は 17.2%、青年・スポーツ予算は 55.4%、文化予算は 47%削減される。
他方で、ウクライナ政府は増税よりも減税を追求することを選んだ(ウクライナでは、所得税18%のフラット・タックス・システムが採用され、自営業者の場合は5%にすぎない)。
教育分野をはじめ、多くの企業や機関が自営業者との契約でスタッフを雇用している。これらの労働者は、国際的にみても超法規的な課税率と引き換えに、労働者の権利と雇用の安定を犠牲にするよう求められていることになる(前述したように、労働者の権利が様々な形で侵害されている)。
ウクライナでは、2014年8月より、個人所得に対して一時的に1.5%の軍事税が導入された。国の軍隊を改善する手段として導入されたものだが、2022年の戒厳令期間にさらに1.5%の軍事税が追加され、3%になった。この税率は一律であり、所得による変動はない。
これに対して、クーパー氏は、「ウクライナが軍事費の大幅増を優先するのは当然だが、現在の税制は国内の財政収入源を最大化するのに適していないように思われる」と指摘している。
めまぐるしい税制変更
戦争が始まった当初、当局はすべての輸入品に対する付加価値税、関税、物品税を取り払い、燃料に対する付加価値税(VAT)を引き下げるなどの税制変更をした。こうして、一部で所得税(18%)と付加価値税(20%)に代わって、売上高の2%を納付する簡易課税制度が導入された。
その後、2022年7月1日から輸入優遇措置が解除され、VATと関税が返還された。ただし、国税庁によると、2022年11月までに売上税2%に切り替えた企業は約5万1000社にすぎず、その大半は個人事業主である。この税制変更によって、国家予算は最大で100億UAHを受け取らなかったという。
2023年に予想される政府収入のうち圧倒的に多いのはVATで、5963億フリヴニャ(162億ドル)をもたらすと予想されている。政府収入の3分の1は税金、融資、補助金で賄われ、さらに3分の1は緊急資金で、残りの赤字はウクライナ国立銀行で賄われる予定だが、ウクライナの税率が非常に低いことを考えると、戦費調達と社会的セーフティネットの保護のために、富裕層や資産に対する課税、法人税の引き上げ(現在18%、つまり国際的に見て低い)なども検討されるべきであると、クーパー氏は述べている。
すでに、IMFや世界銀行は新興国における定額税率を批判している。とくに、世界銀行は、2022年の報告書Innovations in Tax Compliance; Building Trust, Navigating Politics and Tailoring Reformにおいて、「さまざまな経済活動やその他の活動に対する税金、手数料、その他の賦課金が、しばしば定額で徴収され、もっとも裕福でない人々に不釣り合いな負担を課している」と指摘している。
ところが、ウクライナはこうした方向性とは真逆の方向に舵を切りつつある。2022年8月、ウクライナ政府は「10-10-10」プログラムを公表した。主要な税率である付加価値税(現在20%)、個人の所得(同18%)と企業の利益(同18%)を10%に引き下げることが盛り込まれていたのである。2023年1月の時点で、この改革は正式決定していない。IMFなどがこの改革に反対しているからだ。
不可思議に思えるのは、海外からの財政支援があればこそ、「10-10-10」という低税率は可能かもしれない。この低税率を目当てに外国資本の国内誘致を推進できるかもしれないが、戦争が終結していない段階で、主権国家自体が自らの活動を賄う税をそもそも徴収すらしないということが許されるのだろうか。
民営化という愚策
戦時下でありながら、民営化を進めるウクライナ政府に対して、クーパー氏は「経済環境が非常に不安定であるため、現在の状況は、政府資産を民間部門に売却してその価値を最大化するには不向きであり、公共の利益を守るために購入に課される条件を減らすことは問題であるように思われる」と書いている。
理解できないのは、2022年7月28日、議会が、法律第7451号草案を採択し、民営化プロセスを大幅に単純化することにした点である。戒厳令下における民営化プロセスを迅速化し、適応させることを目的としているらしいのだが、経済が不安定で、ドル経済化の進展でフリヴニャの価値も変動するなかで、民営化を急ぐ理由がまったくわからない。
2022年9月に新法に基づく小規模な民営化が開始された後、国家予算は月平均約4億7000万フリヴニャを受け取った。同年、国家は小規模民営化オークションから合計で17億フリヴニャを得たとされる。
さらに、2023年1月と2月の14日間で、国家予算は国有財産の民営化から6億4500万フリヴニャを受け取ったという。停戦が成立し、経済が安定化して民営化するほうが復興資金を得るためにも望ましいはずだが、ウクライナ政府は、民営化の収益は国家予算の赤字を補塡し、主に防衛目的に使用されると説明するのみだ。
どうやら新自由主義に基づく誤った政策をウクライナで推進しようとする勢力とウクライナ政府が「結託」しているようにみえる。2022年3月下旬、ウクライナ人がモスクワの侵略者に対する勝利の可能性と必然性についての信念を固め、組織した「Ukraine After The Victory」なる連合体がUkraine After The Victoryといった論文をまとめ、それがウクライナ政権幹部と「共謀関係」にあるのではないかと懸念される。
戦時だからこそ、こうした熱烈な新自由主義的政策が受けいれられやすいのかもしれない。しかし、それではウクライナ経済の復興は決して成功しないだろう。外国資本に企業も労働力も安く売り渡すだけにみえる政策の果てにあるのは、ウクライナ全体の「植民地化」のような悲惨な事態だ。
見えない復興
ウクライナ戦争が終結していない以上、戦争による破壊によってウクライナの損害は拡大の一途をたどるばかりである。2022年12月の段階で、世界銀行の副総裁は「ウクライナの再建には少なくとも5000億ユーロ(5400億ドル)が必要である」と述べたが、その金額もますます増加するだろう。物理的なインフラを再建するための初期のコスト見積もりは、1380億ドルから7500億ドルにおよんでおり、ウクライナで一攫千金をもくろむ動きも広がっている。
他方で、拙稿「ゼレンスキー政権の腐敗の実態」で紹介したように、戦時下においてさえ、腐敗が横行しているウクライナに海外から湯水のように支援を注ぎ込んでも、その資金が効果的に復興に使われる保証はない。加えて、ここで論じたように、いまのウクライナ政府の経済政策は間違っている。こんな政権を相手に、多額の資金を支援することに私は反対する。
援助するのであれば、ウクライナ政権に主導権を渡すのではなく、支援国全体の総意に基づく指導にウクライナ側が従うというシステムを構築すべきだろう。何しろ、ウクライナは過去に何度もIMFの指導に抵抗してきた過去がある。
今でも、IMFの政策を無視した経済政策が取られているのが現実だ。もちろん、IMFの政策が絶対的に正しいとは言えないが、少なくともウクライナ政権の傍若無人な今の経済政策そのものを停止・修正することが支援の最低条件だろう。その意味で、3月にもIMFがウクライナに対して160億ドル相当の新たな金融支援プログラムを承認する可能性があると伝えられている点が大いに気にかかる。
さらに、岸田文雄首相は2月20日、ウクライナに55億ドル規模の追加支援をすると発言した。外務省は、私がここで指摘したようなウクライナの「ちぐはぐな経済政策」について知っているのだろうか。あるいは、拙稿「汚職まみれのウクライナ」で紹介したように、腐敗の蔓延するウクライナに支援しても大丈夫なのか。
岸田首相には日本国民にきちんと説明する義務がある。国会議員は私がここで書いたことくらいはしっかり勉強して、国民の血税を溝に捨てかねない安易なウクライナ支援について追及しなければならない。
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1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士。評論家。一連のウクライナ関連書籍によって2024年度「岡倉天心記念賞」を受賞。 著書:(2024年6月に社会評論社から『帝国主義アメリカの野望:リベラルデモクラシーの仮面を剥ぐ』を刊行) 【ウクライナ】 『ウクライナ戦争をどうみるか』(花伝社、2023)、『復讐としてのウクライナ戦争』(社会評論社、2022)『ウクライナ3.0』(同、2022)、『ウクライナ2.0』(同、2015)、『ウクライナ・ゲート』(同、2014) 【ロシア】 『プーチン3.0』(社会評論社、2022)、『プーチン露大統領とその仲間たち』(同、2016)、『プーチン2.0』(東洋書店、2012)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店、2009)、『ネオ KGB 帝国:ロシアの闇に迫る』(東洋書店、2008)、『ロシア経済の真実』(東洋経済新報社、2005)、『現代ロシアの経済構造』(慶應義塾大学出版会、2004)、『ロシアの軍需産業』(岩波新書、2003)などがある。 【エネルギー】 『核なき世界論』(東洋書店、2010)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局、2007)などがある。 【権力】 『なぜ「官僚」は腐敗するのか』(潮出版社、2018)、『官僚の世界史:腐敗の構造』(社会評論社、2016)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた:官僚支配の民主主義』(ポプラ社、2016)、Anti-Corruption Policies(Maruzen Planet、2013)などがある。 【サイバー空間】 『サイバー空間における覇権争奪:個人・国家・産業・法規制のゆくえ』(社会評論社、2019)がある。 【地政学】 『知られざる地政学』〈上下巻〉(社会評論社、2023)がある。