第8回 原発事故体験を語り継ごう
核・原発問題・原発事故の教訓―知られざる核戦争体験の総括
この3月11日で東電原発事故から12年となります。
汚染された故郷に留まった人も避難した人も、事故により健康、生活、イノチ、社会的つながり等全ての分野にわたって計り知れない苦痛を余儀なくさせられました。
皆々様の郷土を愛しながら身を守ることにご奮闘なされたことに敬意を表し、心からお疲れ様と申し上げます。
政治が住民を守ったか?私は「知られざる核戦争」と称して、政府が如何に住民を保護する義務を放棄したかを語ってきました。
「知られざる核戦争」とは、政府及び原子力ムラが、被曝の被害を如何に小さく見せるか、被曝を如何に許容させるか、現実に高汚染地帯に如何に住み続けさせるか、等の住民に対して行う情報分野の核戦争です。誰でも知っている超巨大破壊の熱核戦争の裏バージョンです。
私たちは「知られざる核戦争」体験者として、住民が与えられた現実的・法的苦痛を率直に記録し、今後の教訓としなければなりません。
岸田政権が大軍拡と共に打ち出した原爆回帰政策は、危険極まりないものです。
12年前の原発事故を、原発を維持して放射線被曝を軽視する国際原子力ロビーの「功利主義」目線だけで、過去のものにしようとしています。
此処でも「知られざる核戦争」は大いに凶暴さを増しています。
・知られざる核戦争―①チェルノブイリ法成立までの流れ
福島原発事故は二つの相反する路線のせめぎ合いの中で発生しました。
科学的に正直に被曝の被害を防護に反映させようとする流れと、如何に被曝を市民に受け入れさせるかに務める路線です。
商業的原子力発電は核兵器生産のインフラを維持するために提案され、世界的規模で展開されました。「核不拡散条約」で加盟国に推進を義務づけさせています。
此処に「知られざる核戦争」を仕掛け無ければならない大きな理由が国際原子力ロビーにはあるのです。
国際原子力ロビーとは、国際原子力機関(IAEA)、国際放射線防護委員会(ICRP)、原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)等の組織を中心としている核推進組織集団です。
ICRPは発足以来、放射線被曝を如何に民衆に受け入れさせるかという哲学(功利主義)を深めてきましたが、反面、反核の声に押されて取り締まり基準線量を下げて行く側面もありました。1985年には一般市民に対しては「年間1mSv」の基準を提起し、福島原発事故までの世界基準となりました。3.11でこれも実質的に破られようとしています。
1986年にチェルノブイリ原発事故が発生し、5年後にはチェルノブイリ法ができました。チェルノブイリ法は市民の「憲法で保障された基本的人権を保障する」として放射線被曝からの防護を謳っています。
1943年出生、長野県松本育ち。祖国復帰運動に感銘を受け「教育研究の基盤整備で協力できるかもしれない」と琉球大学に職を求めた(1974年)。専門は物性物理学。連れ合いの沖本八重美は広島原爆の「胎内被爆者」であり、「一人一人が大切にされる社会」を目指して生涯奮闘したが、「NO MORE被爆者」が原点。沖本の生き様に共鳴し2003年以来「原爆症認定集団訴訟」支援等の放射線被曝分野の調査研究に当る。著書に「放射線被曝の隠蔽と科学」(緑風出版、2021)等。