第1回 書評『風よあらしよ』(村山由佳著、集英社、2020年)
映画・書籍の紹介・批評・革命に殉ずる伊藤野枝の壮烈な生きざま
直木賞作家、村山由佳の書いた伊藤野枝の伝記小説を読んた。『小説すばる』(集英社刊)に2018年7月号から2020年2月号まで連載された作品を加筆修正した史実に基づくフィクションだ。
同書は序・終章と中20章から成る651ページにも及ぶ長編小説で、歳による弱視で活字を辿るのが難儀になっている私に果たして、読み通せるだろうかとの懸念もなくはなかったが、超面白く、長さはまったく気にならなかった。
私自身が若い頃から興味を持っていた伊藤野枝(1895-1923)や大杉栄(1885-1923)の苛烈な生きざまがテーマになっていたこともあったかもしれない。作者の村山由佳といえば、「天使の卵」(1993年、集英社)はじめの恋愛小説シリーズで有名で、昔1、2冊読んだくらいでとんとご無沙汰していたが、年月を経て熟成した筆力には驚かされた。甘ったるい恋愛小説ばかりでなく、このようにかちっとした伝記も書けるのだと知って、舌を巻いた。
もっとも、同著は、恋愛小説、革命冒険譚としても読めるから、本領発揮、面目躍如たるところもあったかしれない。聞くところによると、著者は伊藤野枝について書いてみないかと編集者から勧められ、なぜ私が伊藤野枝をと問い返すと、似ているからと返されたとのことだ。
伝記だから、当時の時代背景、社会情勢や政情、風俗なども書き込まれなければならないわけだが、資料を綿密に読み込んだのだろう(巻末に主な参考文献42冊付記)、卒がなく、巧みな表現力には唸らされた。社会主義者の思想、アナキスト(無政府主義者、末尾注1参照)の何たるかについても、地の文や、同士の会話などで難解を極力避けてわかりやすく説明されている。
野枝(少女時代は本名のノエ)の視点が中心だが、母や叔母などの身内、前夫の辻潤(1884-1944、翻訳家・思想家)、辻の母、雑誌『青踏』主宰者・平塚らいてう(1886-1971)、大杉栄、大杉の内妻・堀保子(1883-1924)、大杉の愛人・神近市子(1888-1981)、アナキストの同士・村木源次郎(1890-1925)等々、終盤では惨殺の主犯である甘粕正彦(1891-1945)大尉が主人公の章もあり、多角的な視点から、伊藤野枝という人物像が浮き彫りになる。
福岡県糸島郡今宿村生まれの貧困家庭に育った野枝が向学心に燃えて、東京の富裕な叔父(実業家の代準介)を頼って上京し上野高等女学校に進学、卒業後の強制結婚から8日目に出奔し平塚らいてう率いる女性による女性のための文芸誌「青踏」の編集に関わり、詩や散文を発表、後年らいてうから雑誌を譲り受け(末尾注2参照)、その過程で大杉栄と運命的に出会う。野枝は、女学校時代の英語教師だった辻潤と結婚し、二児を設けていた。
かたや、大杉も堀保子(社会主義者・堺利彦の義妹)を妻に持つ既婚者、後に東京日日新聞の婦人記者・神近市子(日陰茶屋事件=1916年で大杉栄を刺し2年服役、後年衆議院議員を5期務める)をも巻き込んだ四角関係に発展していく。
結局、大杉が提唱する自由恋愛の実現は、あわや市子に刺殺されそうになり(経済面は市子1人の肩にかかっていた)、失敗に終わるが、野枝に革命の同士を見出した彼は最終的に彼女を選び、五児をなす。
伊藤野枝の外見並びに性格描写が興味深い。色が黒くて小柄、南国の彫りの深さを宿し、目はくりくりっと動いて可愛らしいが、美人ではなく、性格はずぼら、育児は授乳くらいで、同居の同士に任せて執筆、ただし、料理は仲間の分もこなし、男どもに喜ばれたとある。洗面器を鍋代わり、鏡の裏をまな板代わりに使ったとの逸話にはさすがに呆れるが、反面野枝のこだわらないおおらかさ、野育ちの奔放さが魅力だ。
大杉栄との生活は、家賃が払えず転々と家移り、質屋通いで、身につけるものも衿が垢じみた着たきり雀と、貧窮を極めるが、窮状から浮かび上がってくるのは、野枝の楽天・鷹揚さ、格好など構わず髪振り乱してのがさつさ、同性からは反感を呼ぶが(親交のあった作家・野上弥生子=1885-1985は野枝を社会主義にかぶれた百姓娘と痛烈に批判)、男には好かれる、といった肖像だ。が、男性から見ると、ぷりぷりっとした浅黒い体という描写にあるように、セックスアピール抜群だったらしい。
大杉栄と暮らし始めてからはほぼ毎年出産、乳飲み子を抱えながら、夫の運動を支え、合間に夫の出す雑誌(月刊『労働運動』)に執筆といった生活だが、家事で身動きが取れず、青鞜時代のようにフル活動はままならない。
デモや洋行に際しても、夫に随行できず、もっぱら家を守り、同士を支え、一派が連行されると、署に差し入れに駆けつけたりと、内助の功に徹しつつ、授乳の合間を見て寄稿の毎日だ。
とにかく、パワフルだ。年中大きなおなかで、これだけのことをこなすのは、並大抵の女ではできない。「青踏」の創始者、平塚らいてうとは、外見・性格とも対照的だ。
片や富裕な家庭の日本女子大学校卒のお嬢様、野枝は貧しく粗野な 田舎娘、品位ある洗練さと野生丸出しの野暮ったさ、しかし、らいてうは女学校時代「女海賊になりたい」とうそぶいた野枝を買い、編集員に抜擢、女子大時代らいてう自身も「海賊組」と名付けたグループを作っていたのだ。
男尊女卑で女性の人権が認められていなかった時代に気炎をあげた勇気あるひと握りの女たちは、今の時代の自由であるはずの女たちよりずっと、比べ物にならぬほどドラマチックかつ熱情的だ。
お嬢様育ちのらいてうさえ、妻子ある男性との情死未遂事件や、編集部員・尾竹紅吉(富本一枝、1893-1966)との同性愛、5歳年下の画家志望の青年との事実婚、野枝に至っては、郷里での強制結婚からの出奔、女学校時代の教師(辻潤)との同棲・結婚、離別後大杉栄と事実婚と、良妻賢母が美徳とされた社会から大きく外れている。
作家・エッセイスト、俳人。1987年インド移住、現地男性と結婚後ホテルオープン、文筆業の傍ら宿経営。著書には「お気をつけてよい旅を!」、「車の荒木鬼」、「インド人にはご用心!」、「涅槃ホテル」等。