【連載】モハンティ三智江の第3の眼

第1回 書評『風よあらしよ』(村山由佳著、集英社、2020年)

モハンティ三智江

一方、相棒の大杉栄だが、幸徳秋水(1871-1911)が大逆事件による冤罪で処刑されたあと、社会主義運動を一手に担うカリスマ指導者となりながら、吃音癖(特にカ行)があったとの事実は、若い頃読んだ評論にもあったはずだが、記憶の外に葬られていたせいか、改めて驚かされた。目がぎょろりと印象的な「眼の男」であった事実は覚えていて、いわば外見的にも女が放っておかないようないい男だったわけだ。

それ以上に驚かされるのは、明治から大正の往時は、アナキストといえば、反天皇の政権転覆を目論む危険分子として、四六時中巡査の尾行がつき、雑誌も発禁に次ぐ発禁、集会を催せば一網打尽に検索され、言論の自由がまったくなかったことだ。大杉はしょっちゅう連行されていき、野枝が仲間の分も含めて差し入れに署に駆けつけるのは日常茶飯だった。

そんな中、尾行を巻いて船で上海経由の渡欧、メーデー参加でフランスの獄中に繋がれ、強制送還の憂き目にあったりするが、行動第一を地で行く活動家らしく、さすが只者じゃないと感服させられる。旅券を中国籍に偽造してまでベルリンで催される国際アナキスト大会に出席すべく画策(1923年1月末から2月初旬に開催予定だった同大会はフランスの同士からの招待にもかかわらず、結局出席叶わなかった)、挙句に国外逃亡とは、並外れたダイナミックさだ。

野枝は郷里の母に「畳の上では死なれんとよ」とかねてから覚悟の程を漏らしていたが、不吉な予告通り、1923年9月16日、関東大震災から半月経った、いまだ混乱のさなかにある戒厳令下憲兵に連行され、夫や幼い甥とともに惨殺される(「甘粕事件」については末尾注3参照)。

別室で夫が扼殺された後、気丈にも官憲の犬と楯突く野枝は殴る蹴るの暴行を受け、あばらを折られた反動で乳が噴き上げ、血の匂いと混じるラストは圧巻、女性作家でなければ書けない生々しさで、赤裸々な最期には声を呑む。弱冠28歳の若さ、だった。

*17歳で辻潤と結婚、19歳でアメリカの女性アナキスト、エマ・ゴールドマン(帝政ロシアからのユダヤ移民)に傾倒し「婦人解放の悲劇」を翻訳し、20歳で「青踏」主幹、21歳で大杉栄と事実婚、7年後夫とともに革命に殉死と、早熟に駆け抜けた生涯であった。なお、野枝の墓は夫共々、静岡市葵区沓谷一丁目の市営沓谷霊園にある。

*奇しくも、独立言論フォーラム(ISF)にこの書評を書き下ろさせていただく機会を得たのは、ISFの起ち上げ動機とも絡むシンクロニシティがあり、もし伊藤野枝や大杉栄が生きていて、真の言論の自由を標榜するメディアが創立(2021年10月、インターネットメディアは2022年4月)されたのを知ったなら、どんな思いがしただろうと感慨深かった。

野枝の時代に比べると、言論の自由ははるかに認められ、電子メディアにまで及んでいるが、各国とも水面下での弾圧は止まず、真の意味での言論の自由が確立されたわけではない。特にコロナ禍、ウクライナ紛争と不安定な情勢下、大手メディアはいうまでもなく、ソーシャルネットワークですら思うような発言はできず、枠を越すと、動画まで削除処分を食らう現状だ。

一見平和で自由が謳歌されているかのような現代の日本社会だが、伊藤野枝や大杉栄の時代、発禁に次ぐ発禁、高価な印刷代がふいになる資金枯渇もものとせず、借金にかけずり回ってでも刊行し続けようとする不退転の決意、自由言論への強い希求、並外れた熱情があったことを思えば、信条問わず平和と人権擁護目的に起ち上げられたISFは、報道の真実が覆い隠されがちな現代にあって、希望の星、とはいえまいか。ジャーナリズムの良心、開かれたネットメディアの先駆者たれと、自身も物書きの端くれである私は、心から祈らずにはおれない。

※以下、銀座新聞ニュースの連載記事(インド発コロナ観戦記=現帰国記)に、ISF動画(在印邦人とイベルメクチンの奇跡/モハンティ三智江Vs木村朗編集長)並びにISF紹介記事をアップさせていただいたので、併せてご照覧頂きたい。

わが国の水際対策撤廃と海外渡航自由化を、ISFで私説展開(119) | 銀座新聞ニュース
https://ginzanews.net/?page_id=61822

▽本文注釈
※注1.アナキズムとは、国家権力や宗教など一切の政治的権威・権力を否定し、自由な諸個人の合意のもとに、個人の自由が重視される社会を運営していくことを理想とする思想。

※注2.1911年に創刊された新しい女の雑誌『青踏』はたびたびの発禁処分で経営難に陥っていた。1915年に平塚らいてうから雑誌を譲り受けた野枝は、文芸誌からより女権解放の色彩が強い女性評論誌へと編集方針を転換したものの、1916年2月号で永久休刊、ちなみに、野枝の唱えた結婚制度の否定は、50年早い、戦後のウーマンリブを先取りした提唱だった。

※注3.甘粕事件(1923年9月16日)の首謀者は、東京憲兵隊大尉、麹町分隊長・甘粕正彦(1891-1945)とされたが(単独犯行として処理され禁錮10年)、後年の調査で憲兵隊上層部、憲兵司令官・小泉六一ないしは、陸軍上層部の戒厳司令官・福田雅太郎大将から指示が下されたことが推認された。菰包みの惨殺死体が憲兵隊本部裏の古井戸に投げ込まれ隠蔽された事件が明るみに出たのは、大杉栄、伊藤野枝とともに殺戮された6歳の甥、橘宗一が米国籍だったことから、アメリカ大使館から抗議が入り、狼狽した時の政府(第2次山本内閣)が閣議で取り上げ、大問題になったことによる。53年後に発見された死因鑑定書によると、大杉栄と伊藤野枝の胸部には肋骨が何本も折られた損傷があり、激しい暴行が加えられた事実が発覚、軍法会議法廷で甘粕被告が証言した「苦しまずに逝った」との陳述と明らかに食い違う。

 

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モハンティ三智江 モハンティ三智江

作家・エッセイスト、俳人。1987年インド移住、現地男性と結婚後ホテルオープン、文筆業の傍ら宿経営。著書には「お気をつけてよい旅を!」、「車の荒木鬼」、「インド人にはご用心!」、「涅槃ホテル」等。

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