ロシアの権力構造からみたウクライナ戦争:緒戦でのFSBの大失態がすべてのはじまり
国際ロシア連邦保安局(FSB)は、ウラジーミル・プーチン大統領が勤務していたソ連・国家保安委員会(KGB)解体後の後継機関の一つである。そのプーチン氏がFSB長官に就任したのは、1998年7月であった。
1999年3月には、ロシアの安全保障上の最高機関、安全保障会議の書記にもなる。1999年8月、首相にまで昇りつめ、同年12月31日には、大統領代行の座に就く。
この激動期にあって、彼は2000年2月7日、「ロシア連邦軍、その他の部隊、軍事組織、団体(部隊内の治安機関)におけるFSBの部署(部門)に関する規則(以下、「規則」)の承認について」という「大統領令」に署名する。この承認された「規則」によって、「軍」内部におけるFSBの権限が拡充されたのである。
ソ連時代から権力を支えてきた「チェーカー」、いまのFSBの「軍」への支配力強化という変化こそ、ウクライナ戦争を考えるうえでももっとも重要な視角である、と私は考えている。
「チェーカー」による支配
残念ながら、このプーチン大統領代行による重要決定を知らない人が多すぎるのではないか。あるいは、「軍」内部にFSB、すなわち「チェーカー」の支配が及んでいることを知らない者がほとんどなのではないか。
そもそも、ソ連時代およびその後継のロシアに至るまで、「チェーカー」支配が継続している事実を知らない「似非専門家」ばかりではないか。いまの欧米や日本の報道を見ていると、こんな杞憂を抱かざるを得ない。
こうしたお粗末な状況のもとで、現在の「チェーカー」、FSBの視点からウクライナ戦争を分析するという視角に欠けた分析ばかりが目につく。
すでに、拙稿「『裁かれるは善人のみ』というロシアの現実」で指摘したように、ソ連の後継国ロシア連邦の権力構造は、ソ連時代からの「チェーカー」支配の延長線上にある。それにもかかわらず、「チェーカー」の視点からではなく、「軍」だけの視点からウクライナ戦争を論じても、それはまったく無意味ではないか。私はそう思っている。そこで、軍を内部から監視し、むしろ一部で指令しているとも言えるFSBの視点からウクライナ戦争を論じてみることにしたい。
「チェーカー」とは
まず、「チェーカー」について復習しよう。「チェーカー」とは、1917年12月、人民コミッサールソヴィエトが反ボリシェヴィキのストライキやサボタージュに対抗するために創設した「反革命・サボタージュとの闘争に関する人民コミッサールソヴィエト付属全ロシア非常委員会」(その後何度も名称変更するのだが、「チェーカー」と総称された。一種の秘密組織であり、日本で言えば、特別高等警察[特高]のようなものであった)を端緒としている。
これは、「ヴェーチェーカー」(VChK)と呼ばれるもので、「チェーカー」と総称されるようになる大元だ。
ボリス・パステルナーク著『ドクトル・ジヴァゴ』では、「再び市中ではガイダの叛乱前[1918年5月末、ロシア領内で捕虜になったチェコスロヴァキア軍団の武装解除に際して叛乱、そのリーダーがラドラ・ガイダ大尉。1919年1月から7月までコルチャークのシベリア軍を指揮]のように不満の声があがり、この不満のあらわれに対してまたしてもチェーカーの取り締まりが猛威を振るっている」と記している。
このチェーカーこそ、KGBとして有名になる機関の前身であり、ソ連という国家の安全保障を考えるうえできわめて重要な組織なのである。「革命の懲罰の剣」の役割を担って誕生した機関だが、やがてスターリンという独裁者の権力基盤となるのだ。
拙著『ロシア革命100年の教訓』のなかで、つぎのように書いておいた。
「こうした企業レベルでの大きな変化に対して、VChKは手をこまねいていたわけではない。同機関のなかには、スパイ闘争・軍管理のための特別部のほか、鉄道・水輸送およびその活動監視への敵対要素との闘争のための輸送部、経済における経済スパイ、妨害行為、破壊行為との闘争のための経済管理部、外国での諜報実施のための外国部、反ソヴィエト的党・グループ・組織との闘争のための、同じく、知識人や芸術家の監視のための秘密部があった(Кокурин, Петров, 2003, pp. 9-10)。
さらに、『その後、国家安全保障のソヴィエト機関の活動ないし関心のこれらの方向性は変わることなく残され(名称が変更されただけ)、定期的な改革に際してもなんらかのかたち(部、管理部ないし総局)でつねに自らの形態のままであった』という(同, p. 10)。
つまり、VChKはその後、国家政治総局(GPU, 1922年)、統一国家政治総局(OGPU, 1923年)、内務人民委員部(NKVD, 1934年)、国家保安人民委員部(NKGB, 1941年)、国家保安省(MGB, 1943年)、国家保安委員会(KGB, 1954年)のように変化するが、『経済における経済スパイ、妨害行為、破壊行為との闘争のための経済管理部』のような下部組織をもち、企業内での工作を継続してきたのである」。
これから分かるように、「チェーカー」は早くから軍内部にも入り込み、その活動を監視してきた。この監視体制は、1938年になってボリショイ劇場で開催されたVChK(ヴェーチェーカー)20周年祭の祝典で演説したアナスタス・ミコヤン人民委員会副議長(副首相)が「わが国ではすべての勤労者が内務人民委員部の職員になった」と述べた時点で完成をみたと言えるだろう。
これが意味しているのは、「チェーカー」が軍、企業、学校、病院、劇場など、ありとあらゆる組織のなかに入り込み、すべての勤労者を監視下に置いたということである。
この「チェーカー」支配はソ連崩壊後、KGB解体によって弱体化した。だが、KGBを部分的に引き継いだFSBの勢力拡大がプーチン氏によってはかられた結果、いまのロシアはFSBという「チェーカー」による支配が再び軍や官公庁、国営企業、銀行、大学などに着実に広がっているのである。
海外に介入するFSB
最初に紹介した2000年2月の「大統領令」で承認された「規則」の第3項目で、「軍隊内の治安維持機関の任務」が定められている。
「ロシア連邦軍、その他の軍隊、軍事組織、団体において、他の国家機関と協力して、組織犯罪、汚職、密輸、武器・弾薬・爆発物・毒物・麻薬・向精神薬・情報を密かに入手するための特殊技術手段、ロシア連邦の憲法秩序の暴力的な変更、権力の強制的な奪取または保持を求める非合法武装組織、犯罪集団、個人および公的団体との闘争を組織し実行に移すこと」という任務が加わったことで、「他の国家機関と協力」しながら反政府活動を防止・撲滅するために、FSBが海外においても活動するようになる(KGB解体後、海外活動は主に対外諜報局が担ってきた)。
2004年になると、KGB第3総局の機能を担ってきた軍事諜報部(UVKR)がFSBの第3局、すなわち軍事諜報局に移行した。同年には、大統領直轄の政府通信情報連邦庁の主要部隊や国境警備隊もFSBに編入された。
2017年12月のインタビューで、アレクサンドル・ボルトニコフFSB長官が語ったところでは、FSBは当時、48州の56の国境警備隊を含む104カ国の205の特殊機関や法執行機関と公式なコンタクトを持っていた。もちろん、FSBはウクライナでも活発に暗躍していた。
もう一つ、この「規則」には、「軍隊内の治安維持機関の権利」として、第5項目の最後に、「部隊内の治安維持組織は、連邦法によって連邦治安維持組織に与えられたその他の権利も享受する」と定められていた。このため、軍隊内のFSBは独自に戦闘機や戦車まで保有することが可能となっている。
FSBの大失態
ここまでの説明からわかるように、ウクライナ戦争を「軍」からのみ論じるのは間違っている。戦争に重要な役割を果たしているFSBの視点が不可欠なのだ。しかも、そのFSBは、ウクライナ戦争の緒戦において大失態を演じた。これが戦争の緒戦におけるもっとも重要な出来事であったにもかかわらず、多くの人々はそれを知らない。日本のマスメディアがあまりにも低水準であるからにほからならない。もちろん、登場する「専門家」が「似非」であるからだ。
説明しよう。ウクライナの銀行家デニス・キレエフ氏によって、ロシア軍の作戦がウクライナ側に事前に漏れていたのだ。プーチン大統領の当初の目論見を打ち砕いたのは、ウクライナのスパイ、キレエフ氏の情報であり、それを信じて対応したキリロ・ブダノフ少将の功績であったことがわかっている。
2023年1月18日付「ウォール・ストリート・ジャーナル」によれば、2月、ロシアによる侵攻が間近に迫ると、何百万人ものウクライナ人が西側から海外に避難し始めた。2月18日、キレエフ氏は妻と息子1人と毎年恒例のフランス・アルプスへのスキー旅行に出かけるため、ウクライナを離れる予定だったが、その前夜、遅く家に着いたキレエフ氏は、「私は行かない」と妻に告げた。
「5日後の2月23日午後、キレエフ氏はブダノフ将軍に新たな情報を手渡した。ロシアのプーチン大統領が、早朝に侵攻命令を出したというのだ」と、記事は伝えている。
プーチン大統領が公式にウクライナへの侵攻作戦、すなわち「特別軍事作戦」を明らかにしたのは、2月24日午前6時(モスクワ時間)に放映したテレビ演説のなかであり、「特別軍事作戦を実施する決定を下した」ときだった。しかし、実際の侵攻命令は前日の朝に出ていたことになる。しかも、キーウ近郊への攻撃が計画されているとの情報がもたらされたのである。
キレエフ情報の値千金
2023年1月31日付の「ワシントン・ポスト」によれば、ロシア側の攻撃は24日午前4時(ウクライナ時間か)に始まると、キレエフ氏らは考えていたという。
このとき、他のほとんどのウクライナ政府・軍関係者は、ロシアの侵攻が国土の東部に限定されると予想していたというから、この情報はきわめて貴重なものであった。それを信じて、準備を進めたブダノフ将軍も高く評価されるべきだということになる。
キレエフ氏は、もう一つ重要な情報をブダノフ将軍にもたらした。それは、ロシア側の攻撃拠点の場所である。アントノフ空港が狙われているというのだ。WSJには、つぎのように書かれている。
「24日午前8時、ロシアの攻撃ヘリコプターが低空飛行でキエフの北数キロにあるアントノフ空港に部隊を着陸させた。クレムリンはこの空港を徴用し、首都攻撃のための部隊と装備を空輸する計画だったのである。」
ブダノフ将軍によれば、キレエフ氏の事前情報により、ウクライナはロシアの襲撃に対抗するために部隊を移動させる貴重な数時間を得た。ロシア軍との激しい戦闘の後、空港は侵略軍によって使用できないほどの損害を受けたが、ロシアの奇襲作戦は失敗した。
もしこの計画が実現していれば、アントノフ空港にロシア軍が大量に押し寄せて、ここから首都キーウ制圧が実行されていたかもしれないのだ。その意味で、キレエフ氏の功績はきわめて大きい。
殺害されたキレエフ氏
逆に、ロシアからみると、キレエフ氏からロシア側の作戦が漏れたことはウクライナ戦争に関わる情報を担うFSBの大失態であったことになる。
その2週間後、ロシア軍は多くの犠牲者と予想外の抵抗に直面し、プーチン大統領はFSB第5局(作戦情報・国際関係局)のセルゲイ・ベセーダ局長とアナトリー・ボリュフ副局長を自宅軟禁し、悪い情報と資金の不正使用に関する調査を開始したとされる(さらに、4月上旬、ベセーダ氏はレフォルトヴォ予備収容所に移されたとの情報もある)。
第5局には、2004 年以降、対外情報機能を担う諜報部門(DOI)があり、当初、旧ソ連諸国をロシアの勢力圏に収めるための組織として創設されたという。つまり、第5局はウクライナ戦争の緒戦において、ロシア軍のキーウ急襲を手引きする最重要任務を負いながら、失敗したことになる。
この作戦のために用意された多額の資金も消えたとされており、プーチン大統領のベセーダ局長への恨みは深い。もちろん、キレエフ氏への憎悪はすさまじかったはずだが、彼を殺害したのはウクライナ保安局(SBU)員であった(つまり、SBU内にはロシアのスパイがうじゃうじゃいたということか)。
他方で、ロシア内務省はこうしたFSBの内部情報を暴露したアンドレイ・ソルダートフ氏を指名手配した。さらに、2022年3月17日、ロシア軍に関する「捏造」で同氏に対する刑事裁判が容疑者不在のまま開かれた。
ロシアの支配構造を理解していれば、ロシア軍の苦戦の背後に、この緒戦でのFSBの大失態があったことに気付くだろう。しかし、何も知らない「似非専門家」はこんな大事な解説さえできないでいる。だれが真っ当な専門家・研究者であるかに気付かない愚かなマスメディアはここで説明した内容を伝えようとしていない。多くの日本国民は騙されている。
1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士。評論家。一連のウクライナ関連書籍によって2024年度「岡倉天心記念賞」を受賞。 著書:(2024年6月に社会評論社から『帝国主義アメリカの野望:リベラルデモクラシーの仮面を剥ぐ』を刊行) 【ウクライナ】 『ウクライナ戦争をどうみるか』(花伝社、2023)、『復讐としてのウクライナ戦争』(社会評論社、2022)『ウクライナ3.0』(同、2022)、『ウクライナ2.0』(同、2015)、『ウクライナ・ゲート』(同、2014) 【ロシア】 『プーチン3.0』(社会評論社、2022)、『プーチン露大統領とその仲間たち』(同、2016)、『プーチン2.0』(東洋書店、2012)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店、2009)、『ネオ KGB 帝国:ロシアの闇に迫る』(東洋書店、2008)、『ロシア経済の真実』(東洋経済新報社、2005)、『現代ロシアの経済構造』(慶應義塾大学出版会、2004)、『ロシアの軍需産業』(岩波新書、2003)などがある。 【エネルギー】 『核なき世界論』(東洋書店、2010)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局、2007)などがある。 【権力】 『なぜ「官僚」は腐敗するのか』(潮出版社、2018)、『官僚の世界史:腐敗の構造』(社会評論社、2016)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた:官僚支配の民主主義』(ポプラ社、2016)、Anti-Corruption Policies(Maruzen Planet、2013)などがある。 【サイバー空間】 『サイバー空間における覇権争奪:個人・国家・産業・法規制のゆくえ』(社会評論社、2019)がある。 【地政学】 『知られざる地政学』〈上下巻〉(社会評論社、2023)がある。