ロシアからの新たな脅威? NATOこそが現実の脅威だ(4)
国際米国がEUにおける自己の影響力を維持するのは、英国とそれより新しいEU加盟諸国との「特別な関係」を通じてだけのことではない。米国はまた、EUの金融システムにおいて大きな利害を持つ。
ロンドンの金融市場は現在、EUの5億の人口全体への市場にアクセスを持つためにシティを用いる米国の諸銀行に席巻されている。2011年までにEUにおける米国の海外直接投資(FDI)の株は、2兆1000億ドルという巨額に達した(注1)。米国はまた、国際通貨基金(IMF)や世界銀行といった主要な金融機関の支配を通じて、グローバルな経済政策の大半をコントロールしている。
おそらく、そのジグソーパズルの最後のピースは、環大西洋貿易投資パートナーシップ(TTIP)であろう。これはEUと米国によって現在交渉されている新たな自由貿易協定である(注=2016年末に、EU委員会は米国との交渉が妥結なく終了したと発表)。それは欧州側に残る規制のほとんどを損ない、環境、健康、安全、および何十年ものあいだ闘われてきた労働組合の法律を損なうだろう。
それはさらに、健康、教育、社会的支援といった新たな市場を民間セクターへと解放することにもなりそうだ。EUと北米の経済を、8億5000万人が住むひとつの巨大な大西洋市場へと統合することにより、それは大西洋の両側にいる世界最大規模の多国籍企業の勢力を固め、EU各国の経済に対する米国の支配的立場を増大させることになる。
加えて、そのような巨大市場への管理、そして太平洋側でそれに相当するTPP(環太平洋パートナーシップ協定)は、米国が世界の他の国々に対して「市場標準(market standard)を設定する」ことを可能にする臨界質量(the critical mass)を生み出す恐れがあるだろう(注=2016年2月に12ヵ国がTPP協定に署名したが、17年1月に米国が離脱宣言。日本など11ヵ国が同年11月、新たにTPP11協定について大筋合意し翌月に発効)。
この「市場標準の設定」のひとつの主要部分は、国営および半国営、及び中国やBRICS(ブラジル・ロシア・インド・中国・南アフリカ)の幾つかの諸国の―成長における主要な要素であった、助成と戦略的指導といった諸形態を非合法にすることになるだろう)。
その「市場標準」の論争の大半は「投資家対国家の紛争解決」(ISDS)をめぐるものだ。これは企業が、彼らの利害を阻む可能性のあるいかなる貿易障壁をも除外するために、自社の顧問弁護士をたくさん送り込む法廷へとそれぞれの諸国を連れ出す方法を提供することになるものだ。EU(特にフランスとドイツ)は、その協定に金融サービスが含まれることを要求した。
米国は、シティや英国王室への依存を通じた自らの非規制貿易を守るため、これに反対している。米国はISDSを含めるよう望み、健康と教育を含む公共サービス向け市場への対等なアクセスを欲しがっている。フランスとドイツはISDSに反対している。
EUは農産物の米国市場へのアクセスを望み、米国の農業助成金の終了を欲している。反対に米国はGM(遺伝子組換え)食品のためのEUへのアクセスを欲する。これらの交渉の結果が何であれ、米国はTTIPから欧州諸国に対する増大した影響力を強めそうだ。
コーカサスと中央アジアを狙う
これまで我々は、米国の圧倒的な軍事的優位性がどのようにNATOにおける意思決定プロセスへのその支配を許すのか、そして米国の太平洋主義者たちの戦略的目的がどのようにNATO同盟の目的となっているかを見てきた。
それと同様のプロセスがEUにおいても生じており、米国の影響力を通じた英国政府および他の同盟諸国が、欧州大陸での米国の権力に対する主要な軍事的挑戦を阻止してきた。
15年前、EUはその共通安全保障・防衛政策(CSDP)のための野心的計画を持ち、最初は6万人強の緊急対応部隊という目標を設定した。これはひそかに断念され、それに代わって1,500人の戦闘部隊のいくつかのグループとなり、そのうちの2つは交代制で派遣に利用できるものであった。
現在、2つの戦闘部隊は1つに削減された。それぞれの段階でこれらの提案は、NATOおよび欧州における米国のヘゲモニーへの脅威と見なされ、米英陣営から反対された。
新たな合意では、EUの介入はNATOが介入しないことを選択した場合にのみ起こり、NATOに最初の拒否権を与えるというものである。これはさしあたり、EUの支配より優位なNATO支配を確保している。
旧ユーゴスラビアが分割・鎮圧され、ウクライナが今なお争われている中で、NATOの新たな突進先は、コーカサス(ロシア南西部)と中央アジアである。特に中央アジアは、ブレジンスキーによって「ユーラシアのバルカン諸国」と描写された。
この地域は黒海の東沿岸から中国までの広大な地域に渡り、カスピ海およびその非常に重要な石油とガスの埋蔵地を含む。これまでの歴史上、この地域は帝国同士の衝突の中心であった。
19世紀においてその地域は、帝政ロシアと大英帝国による「グレート・ゲーム」の中心であった。今日、それはロシアと中国、米国(さらにより小さな規模ではトルコ、イラン、パキスタン、インドも)が勢力を広げ、影響力を得るため競合するソ連崩壊後の「ブラックホール」である。
とりわけ米国の戦略は、南コーカサスと中央アジアの諸国の大半を引き入れて、ロシアと中国、イランの大連合の阻止を求めている。ブレジンスキーは、中央アジアが次の主要戦場であると明確に見なしていた。
米政権は、猛烈に親米派であったミヘイル・サアカシュヴィリを支持してエドワルド・シュワルナゼ政権を辞任させた、2003年のジョージアでの「バラ革命」に深く関与していた(現在、サアカシュヴィリは横領と腐敗の罪でジョージア当局より指名手配されている)(注2)。
ジョージアは将来的にNATO加盟国になるとの約束を与えられており、さらにNATOはアゼルバイジャンとカザフスタンのメンバーシップの検討も始めた。アゼルバイジャンは「中立’政策」を採っているものの親欧米的であるとみなされているが、この問題に関しては沈黙しており、さらにカザフスタン(ベラルーシとアルメニアと同様に)はNATOには加盟しないと述べている。
一方でNATOはアルメニア、アゼルバイジャン、モルドバとの軍事協力の強化計画を作成したが、それには、合同軍事演習、NATO軍との「相互運用性」の増大、さらにはミサイル防衛を中心とする集団安全保障モデルとされた「スマート・ディフェンス」作戦への参加が含まれる(注3)。
アラン・マッキノンはグラスゴー大学で医学士の学位を取り、同時に政治活動に参加し、そこで身につけた反帝国主義、平和的共存という理念に生涯を捧げた。結婚後、夫婦でタンザニアでの医療活動に従事。帰国後は平和運動の指導的役割を担いながらリバプール大学で熱帯医学を学び、その後は「国境なき医師団」の一員として再びアフリカに向かい、シエラレオネで医療活動にあたった。その際の経験から、現代の帝国主義、軍拡競争とアジア・アフリカへのNATOの拡大といった課題についてさらに理解を深める。 1990年代の湾岸戦争では、「スコットランド核軍縮キャンペーン」の議長として抗議運動を取りまとめ、2011年の「9.11事件」を契機とした「対テロ戦争」に反対し、「戦争ではなく正義を求めるスコット連合」を結成。英国の政党や労働組合、宗教団体、平和運動グループの代表を集め、アフガニスタンとイラクに対する米英の戦争に抗議活動を続けた。また、スコットランドへの潜水艦発射型大陸間弾道核ミサイル「トライデント」の配備に反対し、先頭に立って闘った。晩年はがんで片足を失いながらも、最後まで平和実現のための歩みを止めることはなかった。