第7回 脆弱だった検察側の客観的証拠
メディア批評&事件検証第6回の絶望裁判は、ISF独立言論フォーラム副編集長の私がどうしてこの「今市事件」の取材にどっぷりとはまったのか、そのきっかけを描いた。今回は、一審の法廷で脆弱(ぜいじゃく)だった検察側の客観的証拠に迫ってみた。
勝又拓哉受刑者(40)が栃木県警に初めて逮捕されたのは、2014年1月29日午後。同県鹿沼市西沢町の自宅東側の駐車場で、自家用車の中に販売する目的で偽ブランド品を所持していたとして商標法違反の現行犯逮捕だった。その夜には、同県下都賀郡壬生町の母親も今市署で同じ容疑で逮捕された。母親が数年前から骨髄異形成症候群という難病で周に2、3回輸血をするなど治療費の負担もあり、違法な偽ブランド品販売に手を出し、勝又受刑者が手伝っていたという。
同県警は、吉田有希ちゃんの遺体を発見後、解剖医の説明も受けずに自分たちの勘というものなのか、女児へ興味を持ち、日ごろから刃物を持ち歩く男性の犯人像を描いて該当する人物として彼をマークしていた。2018年3月に「週刊金曜日」を刊行している金曜日から出版した私の著書『孤高の法医学者が暴いた足利事件の真実』でも紹介しているが、栃木県警は基本的に捜査の基礎が出来ていない。今市事件も同県警と警察庁科警研がしでかした女児殺害の冤罪「足利事件」の反省は全くなく、相も変わらずだ。
足利事件の時は、冤罪の餌食になった菅家利和さんが住んでいた借家などの家宅捜索で約240点のビデオとレーザーディスク17点を押収した。そのうち7割は中古のポルノビデオだったが、全て「巨乳モノ」でロリータ系は全くなかった。栃木県警はここで菅家さんが幼女に全く興味がないことに気づかなければいけない。捜査会議で「菅家さんが犯人ではないのでは」と捜査用語である消極意見を述べた捜査員はいなかったのか。気づかないから、冤罪を生む結果になる。何のために家宅捜索したのやら、活用しないなら捜索の意味がない。
今市事件での捜査本部の商標法違反は、別件逮捕で、女児殺害自供を得るための手っ取り早い手段だった。再逮捕をするなど時間をかけて取り調べするシナリオが県警側から宇都宮地検に相談され、できていたのだ。勝又受刑者と母親は、この商標法違反容疑について最初から全面的に認めており、何もわざわざ再逮捕する必要はない。捜査本部が勝又受刑者を殺人容疑で逮捕したのは約4カ月後の同年6月3日である。見え見えの別件逮捕が違法捜査だと一審の裁判官がわからないのも首をかしげたくなる。
さらにだ。検察側の起訴状の根幹は女児の殺害は性行為をして顔を見られたからの口封じの殺害というものだ。しかし、その女児の遺体を解剖した筑波大学法医学教室の本田克也元教授は性犯罪も考え、遺体の下半身、特に膣の中まで入念に検査をしたが性犯罪はないことを確認したのだ。そのうえで、胸に執拗に刃物で刺した行為や顔や首に無数にある爪による傷跡などから犯人は女性ではないかと見たという。これが女児の頭に付着した布製粘着テープのDNA型鑑定の隠ぺいを見破ることにつながったのだ。
勝又受刑者が初めて有希ちゃん殺害を自供したとされるのは商標法違反の罪で起訴された2月18日の午前中の検察官の取り調べ中だったと検察側は主張した。裁判員裁判の法廷では、取り調べ中に録音・録画された映像80時間のうち、わずか7時間13分が再生された。この録音・録画は取り調べの全てを撮っていたのではなく、一部だけで、殺害を初めて認めたとされる肝心の18日朝のその場面は撮っていなかったという。
自供しているというのに、凶器であるナイフや女児の頭から見つかった布製粘着テープの片われ、また女児が下校中に身に着けていた衣類や運動靴、黄色いベレー帽、赤色のランドセルなど遺留品は何一つ見つかっていない。しかも調書では、自分がランドセルをハサミで切ったとある。
おいおい、どう想像しても理解に苦しむ。革製のランドセルをどうやってハサミで切れるのか。供述によると、遺体発見現場で殺害したとなっているが、それが本当ならランドセルをハサミで切る時間はない。解剖による胃の中の給食の残り具合から遺体発見現場までの距離を考えると、とても無理だ。さらに検察側が供述を裏付けるために出してきた客観的証拠は、判決文で指摘されたようにどれも犯人と決めつけられるような決定的なものはなかったと言えよう。
例えば、犯人特定能力が指紋と比べて格段に上がったDNA型鑑定の試料は、被害者の頭に付着していた。女児の顔の鼻あたりをふさいでいたとみられる布製粘着テープ(幅約5㌢×長さ約5・5㌢)の破片1片だ。粘着面に犯人のDNAが付着する可能性が極めて高い重要な証拠だった。
一審の法廷で検察側の説明によると、同県警の科捜研は3回にわたって鑑定を行い、女児以外の少なくとも2人に由来するDNAを検出した。ところが、被害者以外に検出されたDNAは、鑑定に携わった科捜研の仁平裕久、圓城寺仁両人の細胞が汚染した(コンタミネーション)だったという。宇都宮地裁はいとも簡単にその鑑定結果に矛盾はないと認定したため、DNA型鑑定による犯人追及は難しいと蚊帳の外に置かれて葬られてしまった。
この粘着テープは鼻あたりから頭まで巻き付けられており、どうして科捜研の2人のDNAが検出されて、粘着テープに触った可能性が極めて高い犯人のDNAが検出されないのか、不思議に思わないのか。余りにも短絡過ぎる。DNA鑑定導入など国内における歴史を振り返れば、捜査機関よりも大学の法医学者らの研究がいかにすぐれていたか、足利事件など冤罪事件の歴史を紐解いていけば、こんなずさんな鑑定結果の認定はできないはずだ。
一審裁判では被害者の他に科捜研の2人の汚染しか検出されていないことを裏付ける決め手となった解析データ(エレクトロフェログラム)さえも裁判に提出させないで何を確認して証拠採用しなかったのか。裁判官としての資質も疑いたくなる。
しかも足利事件の警察庁科学警察研究所のDNA型鑑定による冤罪をだれよりも早い段階から自分の研究で突きとめ、警鐘を促し、東京高裁の嘱託による「世紀のDNA型再鑑定」で被告の無罪を証明した筑波大学法医学教室の本田克也元教授がこの今市事件の裁判員裁判に弁護側証人として出廷していたのだ。類い稀なる検査能力と技術を持ち合わせて欧州の雑誌社が論文を載せるなど海外でも知られている人物だ。
偶然にも今市事件の被害者である吉田有希ちゃんの解剖の嘱託を受け執刀した解剖医でもある。国内でまだわずか1部位の染色体のDNA型鑑定を警察庁の科警研が実施しているころに、本田元教授は一度に数カ所の部位を鑑定できる欧米で主流になっていたY染色体のDNA型鑑定で、北海道で起きた殺人事件でも圧倒的な実力の差を科警研の技官に見せつけた法医学者でもある。
独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。