【特集】砂川闘争の過去と現在

砂川最高裁判決の黒い霧に挑む国賠訴訟(上)

吉田敏浩

・最高裁への跳躍上告をうながすアメリカ大使

東京地裁判決の翌日、3月31日早朝、マッカーサー大使は密かに藤山愛一郎外相(当時)と会い、最高裁への跳躍上告をうながした。跳躍上告とは、通常の手続きである東京高裁への控訴をせずに、最高裁に直接上告する異例の措置だ。アメリカ政府は一日も早く「伊達判決」をくつがえしたかったのであろう。内政干渉にもあたるこの事実を、大使はワシントンの国務長官宛て「極秘」電報で報告している。

「今朝8時に藤山と会い、米軍の駐留と基地を日本国憲法違反とした東京地裁判決について話し合った。私は、日本政府が迅速な行動をとり、東京地裁判決を正すことの重要性を強調した。…略…私は、もし自分の理解が正しいなら、日本政府が直接最高裁に上告することが、非常に重要だと個人的には感じている。…略…藤山は全面的に同意すると述べた。…略…藤山は、今朝9時に開かれる閣議でこの上告を承認するように促したいと語った」(新原昭治氏・布川玲子氏訳/『砂川事件と田中最高裁長官』布川玲子・新原昭治編著、日本評論社、2013年)

外国の一大使が密かに、駐在先の独立国の外務大臣に対して、その国の裁判所で下された判決内容に不満があるから、それを覆すために迅速な異例の跳躍上告を促す。それは露骨な内政干渉、主権侵害にほかならない。驚くべき行為だ。

当時の岸信介政権はすぐに対応して、4月3日、マッカーサー大使の望みどおりに跳躍上告を決めた。その情報はいち早く大使に、岸首相の側近である福田赳夫・自民党幹事長(当時)から知らされた。その日の国務長官宛て「極秘」電報に、大使がこう記している。

「自民党の福田幹事長は、内閣と自民党が今朝、政府は日本における米軍基地と米軍駐留に関する東京地裁判決を最高裁に直接上告することに決定した、と私に語った」(同前)

さらに、同日の国務長官宛て「極秘」電報でも関連情報を報告している。

「外務省当局者がわれわれに語ったところによると、法務省は近く最高裁に提出予定の上告趣意書を準備中だという。…略…政府幹部は伊達判決が覆されることを確信しており、案件の迅速な処理に向けて圧力をかけようとしている」(同前)。

アメリカ政府の意向を受けた日本政府が、最高裁での「迅速な処理」に向け、強い政治的影響力を行使したことがうかがえる。行政から司法への何らかの「圧力」があったのではないか。それは三権分立という民主主義の原則を侵すものだ。

・最高裁長官とアメリカ大使の密談

そして、マッカーサー大使は当時の田中最高裁長官にまで密かに接触し、最高裁での審理について感触を得ようとしていた。1959年4月24日、大使館発国務長官宛て「極秘」電報に、こう記している。

「内密の話し合いで田中最高裁長官は大使に、本件には優先権が与えられているが、日本の手続きでは審理が始まったあと判決に到達するまでに、少なくとも数ヵ月かかると語った」(同前)

最高裁で優先的に審理され、日米両政府が望む逆転判決が得られるかどうか。その鍵を握るのは田中長官だが、その当人がアメリカ大使に内密に、「本件には優先権が与えられている」と内部情報を告げていたのである。

これら一連の秘密電報は、日米密約問題に詳しい国際問題研究者の新原昭治氏が2008年にアメリカ国立公文書館で発見した。また、1959年8月3日の大使館から国務長官宛て「極秘」書簡では、大使館のレンハート首席公使と田中長官の密談についても報告されている。

「共通の友人宅での会話の中で、田中耕太郎裁判長は、在日米大使館首席公使に対し砂川事件の判決は、おそらく12月であろうと今考えていると語った。弁護団は、裁判所の結審を遅らせるべくあらゆる可能な法的手段を試みているが、裁判長は、争点を事実問題ではなく法的問題に閉じ込める決心を固めていると語った。…略…裁判長は、結審後の評議は、実質的な全員一致を生み出し、世論を“揺さぶる”素になる少数意見を回避するようなやり方で運ばれることを願っていると付言した」(同前)

なんと田中長官は米国の外交官相手に、裁判の進め方や判決を導き出す方針などをあからさまに語っていたのである。

この文書の存在は、日米密約問題を調査するジャーナリストの末浪靖司氏が、2011年にアメリカ国立公文書館で入手した砂川事件裁判の関連文書から明らかになった。田中長官とアメリカ大使館関係者が1959年7月に接触していた事実を示唆する、同大使館から国務長官宛て航空書簡を、安全保障上の理由で閲覧禁止にするとの通告書が含まれていたのだ。その書簡番号と日付を記した通告書をもとに、布川玲子・元山梨学院大学教授が2013年1月、同公文書館に情報自由法にもとづき開示請求をして文書を入手したのだった。

さらに末浪氏が11年にアメリカ国立公文書館で発見した文書にも、マッカーサー大使と田中長官の再度の密談が記されていた。それは1959年11月5日発送の大使館から国務長官宛て「極秘」書簡である。マッカーサー大使がこう報告している。

「田中最高裁長官との最近の非公式の会談の中で砂川事件について短時間話し合った。長官は、時期はまだ決まっていないが、最高裁が来年の初めまでには判決を出せるようにしたいと言った。…略…田中最高裁長官は、下級審の判決が支持されると思っているという様子は見せなかった。反対に、彼は、それは覆されるだろうが、重要なのは15人のうちのできるだけ多くの裁判官が憲法問題に関わって裁定することだと考えているという印象だった。こうした憲法問題に(下級審の)伊達判事が口出しするのはまったく誤っていたのだ、と彼は述べた」(末浪氏訳/『対米従属の正体』末浪靖司著、高文研、2012年)

驚くべきことに、時の最高裁長官がアメリカ大使と密かに会って、判決を出すおよその時期と、「伊達判決」はくつがえされるだろうとの見通しを伝えていたのである。「伊達判決」への敵意をむきだしにし、裁判長である自らの意向を示してもいた。「できるだけ多くの裁判官が憲法問題に関わって裁定すること」が重要とは、つまり「伊達判決」をくつがえす際、裁判官の多くが駐留米軍は違憲ではないと判断することを重視しているわけだ。

しかし、米軍基地への許可なき立ち入りという刑特法違反が問われた砂川事件において、アメリカ政府は法的な被害者の立場にある。また、駐留米軍が合憲か違憲かも裁判の争点となっていた。だからアメリカ政府を代表する駐日大使は、裁判の一方の当事者にあたる。そのような立場の人物に、最高裁長官ともあろう者が内部情報を漏らすとは、極めて由々しき事態だ。
しかも、こうした田中長官の一連の言動は、裁判官が厳守しなければならない裁判所法75条「評議の秘密」に違反している。司法のトップに立つ長官みずから、法に背いて判決の見通しなど評議の秘密を漏らしていたのだ。憲法37条が保障する裁判の公平性と76条の司法の独立性を損なう行為である。これでは公平な裁判になるはずがない。

「このような事実は、アメリカ政府公文書が秘密指定解除され公開されて、初めてわかったことです。もしも1959年当時に明らかになっていたら、当然大問題となり、裁判官忌避はもちろん、田中長官は弾劾裁判にもかけられて罷免されていたはずです。それほど深刻な問題なのです」と、砂川国賠訴訟の弁護団代表である武内更一弁護士は指摘する。

(つづく)

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吉田敏浩 吉田敏浩

1957年生まれ。ジャーナリスト。著書に『「日米合同委員会」の研究』『追跡!謎の日米合同委員会』『横田空域』『密約・日米地位協定と米兵犯罪』『日米戦争同盟』『日米安保と砂川判決の黒い霧』など。

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