21世紀の国家安全保障のために原発は邪魔である!
核・原発問題【2】原発は「自然災害を呼び込む」時限式核地雷である
福島原発災害は、10年前の「3・11」東日本大震災によって引き起こされた。原発は“水で冷やす”必要から河川や海辺に設置されてきたが、東京電力の福島原発は、まさに激震と津波で破壊された。その苦い経験から、原発の耐震性や、津波への対策は、福島原発災害が起きて以降は、当然ながら重大な争点になっている。日本は世界有数の“地震大国”なのだから、地震が少ない欧米で開発された技術をそのまま使うわけには行かないわけで、格段の地震対策が講じられてしかるべきだったが、産官学の原発マフィアは手抜きをしてこの国を滅亡の一歩手前まで追い込んだのである。
しかし日本を襲う自然災害は、もちろん地震だけではない。「地震・台風・火事・おやじ」という諺は、当世の原発にも当てはまるリスクのランキングだといえる。地震とならんで怖いのは台風なのだ。津波が起きなくても巨大な台風による高潮で原発周辺に被害が及ぶことは大いにありうるし、山崩れで送電線が破断する恐れもある。そして巨大台風や海水面上昇のリスクは、年々歳々、痛感できるほど急速に、高まり続けている。日本の原発は大半が老朽施設だが、それが海辺に建ったまま、海面上昇や激甚台風に今後も晒されるわけで、その意味では、原発はまさに「自然災害を呼び込む」時限式の核地雷だといってよい。
さて脅威ランキングの「火事」と「おやじ」だが、「火事」は山火事で、これはすでに世界各地で多発しているが、今後は日本でも多発すると考えるべきである。そして「おやじ」だが、これは暴発的に無差別テロを行うような「おやじ」である。こういう「おやじ」は今のところ、地下鉄や新幹線のなかで無差別殺人を行ったり放火に及んだりしているが、絶望のあまり捨て鉢になった「無敵の人」。かつては「ルンペン・プロレタリアート」などの呼ばれた階級の人々が自発的に行うこうした犯罪は、絶望社会ニッポンで今後ますますエスカレートしていくであろうから、原発もその標的になると考えておいたほうがよい。原発に人為的に襲いかかるのは、当世では、外国からのゲリラだけではない。絶望社会の「国内で生み出されたテロリスト」である、捨て鉢の、ふつうの「おやじ」も原発を狙ってかかるであろう。
【3】「潜在敵国」を言挙げするくせに「潜在敵国」の目前に、重要施設を置くマヌケ
日本の政府や声高な“宣伝屋”は、近代国家の創業以来、百数十年間にわたってずっと、ロシアや中国を「潜在敵」とみなし、この基調のうえに、西洋列強の典型である英国や米国、あるいは冷戦時代になって北朝鮮をも、「潜在敵」に加えてきた。そして実際、これらの国々と戦争をしてきた。(朝鮮戦争のときは、平和憲法のおかげで軍隊を派兵せずに済んだが、機雷掃海や兵器輸送や、日本本土での軍需物資生産などで、事実上の“宗主国”だった米国を支援した)。
現行憲法は前文で平和主義の真髄を高らかに謳っている。なのに政府もメディアも、ロシアや中国や南北朝鮮を、あたかも敵国のように言い募って国民の不安と憎悪を煽り続けている。こうした憎悪宣伝は、憲法の理念に従えば「犯罪」であるから、本来なら規制されて当然なのであるが、野放しにされている。
日本は戦争に負けて連合軍(事実上は米軍)に占領されていた。今から70年前(冷戦時代まっさかりの1951年)の9月8日にサンフランシスコで、米国とその“子分”諸国の代表者たちと、日本の全権代表(吉田茂首相)が集って「(国際社会と)日本との講和条約」。いわゆる「サンフランシスコ講和条約」が結ばれ、翌年4月28日にこれが発効して連合軍による対日占領が終了し、日本は“再独立”(=主権回復)を成し遂げた。ところが「サンフランシスコ講和条約」を結んだその数時間後に、吉田茂はサンフランシスコ市内の米軍将校クラブの密室でただひとり、米国との単独「安全保障」条約を結んだので、日本は“再独立”した瞬間に、この日米安保条約も発効して、米国の軍事的“子分”としての宿命に縛られることとなり、その後、日米安保条約は日本国憲法よりも上位にあることを最高裁までが認めて現在に至っている。
東アジアにおける米国の潜在敵は、ロシアと中国である。米国が最も恐れるシナリオは、朝鮮戦争当時のようにロシアと中国が結託することであろう。朝鮮戦争の「休戦」によって北緯38度線をさかいに分断されたままである南北朝鮮が、国家統一を成し遂げれば、“統一朝鮮”は中国なりロシアと緩やかな連合関係を作って、韓国も“米国の子分”の地位から離反するであろう。そんな地政学的な思惑から、米国としては南北朝鮮は分断された状態が好都合だし、世界に冠たる“米国の忠実な子分”であるニッポンも、南北朝鮮の統一には反対の立場なのだ。“統一朝鮮”が誕生すれば、いまは北朝鮮が持つ核兵器が、日本を脅かす可能性はますます高まるという懸念もある。
先に述べたように、原発は、平和な時代にしか使えないモノであり、戦時には“固定核地雷”になる。そういうシロモノを、ロシアや北朝鮮の目前の日本海であるとか、中国の目前である九州の西岸に置いておきながら、ロシアや中国や北朝鮮を「仮想敵国」と見なして国民の恐怖と憎悪を煽るのは、マヌケな自殺行為に等しい。本当にこうした近隣諸国が安全保障上の脅威なのであれば、原発「固定核地雷」なんぞ持つべきではないし、たとえ持つとしても、これら「仮想敵国」から一番とおい場所にひっそりと隠して置かねばならぬハズなのだ。
ついでにいえば、かつて米国はフィリピンのルソン島に、アジア最大のスービック海軍基地とクラーク空軍基地を構え、太平洋戦争やヴェトナム戦争では最前線の重要出撃拠点になってきた。だが1991年にピナトゥボ火山が噴火して使用不能となり、米軍は両基地を放棄した。そんなわけで沖縄に米軍基地を残した日本の(米国の世界軍事戦略にとっての)重要性が格段に増したわけだったが、海底火山の噴火はともかくとしても、沖縄は激甚台風の通路となっており、米軍基地としての運用性が危機に瀕しつつある。
「ヘノコ」という言葉は日本では「男根」を意味する方言なのだが、1995年沖縄駐留米兵たちが小学生少女を拉致したうえで行った集団強姦暴行犯罪がきっかけとなり、2004年に沖縄国際大学に米軍ヘリコプターが墜落した事故が火に油をそそぐことにもなった米軍海兵隊「普天間飛行場」の移設先として、日本政府は「辺野古」への強行移設にこだわり続けている。日本政府がアメリカさまのメンツを勃てるために「ちんぽこ」フェティシズムに邁進しているわけだが、沖縄自体が、いまや空軍や海軍の基地としては“使えない”場所になりつつあるのだ。
もうひとつ、ついでながら。いまや世界の半導体受注生産で5割を超えるシェアを占めるまでになった台湾のTSMC社(台湾積体電路製造)は、祖国・台湾(=中華民国)が大陸中国(=中華人民共和国)からの圧迫その他による経営環境悪化をうけて、外国に生産拠点を移す検討をすすめており、その有力な候補として日本での新工場建設を検討している。
ところがマヌケなことに、TSMC社の工場移設先は“中共”中国の目と鼻の先にある九州なのだそうだ。日本政府は、尖閣諸島をめぐる領土紛争や台湾防衛などで“中共”中国と戦闘を交えることも覚悟している、と明言しながら、米国政府の言いなりに安倍晋三その他の自民党“親中派”の台湾詣でを盛んに行って“中共”を牽制している。そんな見栄を切りながら、一方では“中共”にとって絶好の“標的”であるTSMC社の世界戦略拠点を九州に誘致しようとしているのだ。日本の政府と財界は、本当はTSMC社を“蟻地獄”に引きずり込んで潰すつもりなのではないか……と勘ぐりたくもなる。企業の安全保障を考えるなら、九州誘致なんて禁じ手ではないか。カナダか米国にでも移転すればよいのである。
【4】老朽原発を動かし続けて先進技術と産業革新の芽を摘む自殺行為
1970年代に日本の自動車が、排気ガス規制の難関を技術革新で乗り越えて、一気に世界シェアを拡げることができたのは、米国マスキー法のような過激なほどの環境保護法制のおかげであった。市場競争というのは、高い規制を設けて、他に先んじてその規制をクリアした商品なり企業が、市場を独占するのである。
脱石油エネルギーについても、これと同じことがいえる。脱石油エネルギーへの大転換のきっかけは、1973年の第四次中東戦争がもたらした「石油ショック」であったが、中東イスラム産油国の反米気運の高まりがこの趨勢を強力に後押しして「石油まもなく枯渇」論が声高に唱えられて、この虚偽宣伝に乗って米国で「頁岩石油」採掘産業が盛んになったのが2000ゼロ年代のこと。その米国産シェールオイル産業が絶好調のさなかに福島原発災害が起きて、「脱化石燃料」をスローガンにしたエネルギー技術革新レースは決定的に加速された。
欧米および中国などの技術先進国が「脱石油」エネルギー革命に力を注いでいるのは、環境保護という大義名分以上に、社会と産業の全体で“無限の市場”を生みだしうる有望な利権だからである。たとえば紙や金属の貨幣ならそれを維持するのにエネルギー注入は不要だが、ビットコインを実用化するとなると世界中のコンピューターを動かす必要があるので、天文学的な量の電力が必要となる。米国などで主要なIT企業が発電技術革新に巨額投資しているのは、そうした事情があるからで、いまだにFAX頼みの日本の企業や官庁には想像もつかぬ経済革命を、連中は見込んでいる。
日本は半世紀前につくった老朽原発の運転維持に汲々としている。まるで歌舞伎や日光江戸村のサル芝居だ。必要なのは原発を捨ててクリーンエネルギー開発の分野に全力を投じることなのだが、それが出来なかったのだ。経済の安全保障をぶちこわして、亡国への自殺路線をボンヤリと歩み続けてきた日本に、おそらく未来はない。
(季刊「NO NUKES voice No.30」より〔現在は誌名を「季節」に改題〕)
筑波大学で喧嘩を学び、新聞記者や雑誌編集者を経て翻訳・ジャーナリズムに携わる。著書『もうひとつの憲法読本―新たな自由民権のために』等多数。