【連載】福島第一原発事故とは何であったのか(小出裕章)

[コラム]小出裕章(元京都大学原子炉実験所助教) 戦争は静かに日常生活に入ってくる

小出裕章

 フクシマ事故の責任の所在

 フクシマ事故から一二年になる。いまだに熔け落ちた炉心の所在さえ不明のままであり、毎日数千人の下請け労働者が放射能と格闘を続けている。それでも、放射能汚染水は容赦なく増え続け、今では一〇〇〇基を超えるタンクに、一三〇万トンを超える放射能汚染水がたまってしまっている。その水の中には、未だにストロンチウム90、ヨウ素129などの放射能が国の規制濃度を超えて存在しているし、何よりもどんな手段を使っても捕捉できないトリチウムが法令の基準をはるかに超えた濃度で存在している。国と東京電力はそれを単に希釈して海に流そうとしている。しかし、国と東京電力の計画が思惑通りに完璧に実行できたとしても、トリチウムを含む汚染水を流し終えるまでには五〇年かかる。私は死んでいる。原子力規制委員会の委員たち、経産省、環境省の官僚たち、東電の関係者たちも皆死んでいる。フクシマの被害者たち、漁民たちもその多くが死んでいる。

 事故当日発令された「原子力緊急事態宣言」は今現在も解除できないまま続いているし、そのもとで多くの人々が被曝を強いられながら生活している。

 これほどの事故を起こした責任はいったい誰にあるのか? もちろん直接的な責任は、福島第一原子力発電所の所有者であり、運転者だった東京電力にある。しかし、一月十八日、東京高裁は一審に続いて、東電の会長以下被告全員に無罪を言い渡した。政府の地震調査研究推進本部が津波の到来を予測していたが、それは信用に足らず、対策をとらなくても仕方なかったというのであった。政府の専門委員会を信用しないと言うなら、原子力規制委員会だって、経産省の各種の委員会だって信用できないことになる。でも、判決は初めから決まっていたのである。国の決定に逆らえば、自らの出世ができなくなる。まさに小役人である。ただし、裁判所などもともとそんなもので、社会自体が変わってから、それを追いかけて裁判所も変わるのである。

 国も東電も、大きな津波は「想定外」だったと言い訳してきた。でも、想定外のできごとに耐えられないような原発なら、もともと許可してはいけない。それなのに、どんな事態でも安全だとお墨付きを与えたのは、原子力委員会(原子力安全委員会、そして原子力規制委員会)という国の委員会である。天災は予測できない。人災は予測できなかった時に事故となる。予測できたかどうかなど些末な問題で、そもそも原発のような超危険な機械は作ってはいけないし、それを強引に推し進めてきた国にこそ、最大の責任がある。

 ロシアによるウクライナへの武力攻撃

 昨年二月二十四日、ロシアが国境を超えてウクライナに攻撃を仕掛けた。日本を含めた西側世界では、「ロシアが悪い」「プーチンが悪い」の一色になり、「悪い奴が攻めてきたら困る」から「軍備を強化しよう」「軍事同盟を強化しよう」の大合唱となった。

 ロシアは、今現在ドニエプル川東岸にあるザポリージャ原発を占領している。そこは、一〇〇万キロワットの原子炉を六基抱えるヨーロッパ最大の原発である。東京電力福島第一原子力発電所の事故では1、2、3号機の三基の原子炉が熔け落ちたが、その三基の合計の電気出力は二〇三万キロワットであった。そして、その炉心の中には広島原爆に換算して七九〇〇発分のセシウム137が含まれていた。そのわずか二%が大気中に放出され、さらにそのうちの二〇%が日本の国土に降った。つまり炉心に含まれていたセシウム137の〇・四%が降っただけだったのに、東北地方・関東地方の広大な大地が放射線管理区域の基準を超えて汚染された。

 もしザポリージャ原発が破壊され炉心に存在している放射能の大部分が放出されるようなことになれば、地球規模の放射能汚染となる。そうなれば、親ロシア系住民が多く住むウクライナ東部と、さらにその東部にあるロシアは壊滅的な汚染を受ける。そのため、ロシアが軍の命令としてザポリージャ原発を破壊することはないと私は思ってきたし、今でも思っている。

 しかし、戦争とは何が起きても不思議でない。もし、原発を通常のミサイルで攻撃し、破壊すれば、原発は超巨大な原爆に姿を変え、敵国を破壊する。原発を抱えながら戦争はできない。もし、「悪い奴が攻めてくる」ことを心配するのであれば、何よりもまず原発をなくさなければならない。

 原子力への回帰と軍拡

 フクシマ事故によって、原発の持つ巨大な危険が事実として明らかになった。そのため、原子力=核の旗を強力に振って来たアベさんすら原発の推進を言えなくなった。そして、「今後は原子力への依存を減らす」「新規増設は考えない」「原発の寿命は原則四〇年、例外で六〇年」と表明して、自身の延命を図った。しかし、岸田政権になり、その方針を転換し、再び原子力に回帰した。「原子力を最大限活用する」ことになり、「来夏以降最大で十七基の原発を再稼働」「原発の寿命制限を撤廃」「次世代型の革新炉の開発・建設」するという。

 その一方で、岸田政権は、新しい国家安全保障戦略を閣議決定し、中国を仮想敵国とした米国の安全保障に従属し、防衛費はこれまでの二倍に増やすと表明した。なぜ二倍なのか、二倍に増やして具体的に何をするのかなど、まったく具体策もないまま、その財源は「今を生きるわれわれの責任だ」として増税するのだと言う。国会では何の議論もしていないその方針を持って、岸田さんは米国のバイデン大統領と会談、「真の友人だ」と言われ、にこにこ笑って日本に帰ってきた。

 岸田さんが選んだ軍拡と原子力の推進の二つの政策は、前節で記したように根本的に矛盾する。岸田さんは「聞く力」を標語としてきたが、彼の「聞く力」は原子力マフィアと財界、それに経産省などの官僚にしか向いていない。そして、原子力マフィア、財界は、如何にカネを儲けるかにしか関心がない。原子力マフィアは原発を建設・運転する時に大儲けをし、フクシマ事故のような破局的な事故を起こしても誰も責任を問われない。そのうえ、事故後は「除染」と称して大儲けをし、今は、福島の復興を詐称して、大型箱モノ施設を次々と建設してまた大儲けをしている。

 その陰で、本来は復興させるべき住民たちは故郷を追われ、そして、放射能汚染地で毎日被曝しながらの生活を強いられ、さらに一度は避難した住民たちに対しては住宅の支援を撤廃し、汚染地への帰還を促している。

 フクシマ事故の「復興」が大切だと声高に叫ばれているが、「復興」とは原子力マフィアが箱モノを造ってカネ儲けすることではない。もともとそこに住んでいた住民たちの生活を回復させることこそが「復興」でなければならない。しかし、今の政権がやっていることは正反対の「復興」である。

 戦争を防ぐ道

 私は第二次世界戦争後に、この国で生まれた。そのため、自分のことを「戦後世代」と呼んできた。しかし、それが誤りだったことに気づき、数年前から自分こそ戦前世代なのだと思うようになった。アベさんはすでに死んでしまったが、彼は一貫して日本を戦争ができる国にしようとしてきた。彼は特定秘密保護法制定、集団的自衛権を認めた戦争法制定、共謀罪創設、そしてさらに憲法改悪まで進めようとしていた。

 そのアベさんは旧統一教会との強いつながりを持っていたがゆえに、統一教会被害者によって殺された。そして、スガさんがアベ政治を継承するとして首相になった。彼は、学問が戦争に協力したことを反省して作られた学術会議の人事に介入し、戦争に批判的な学者を会員として認めないという暴挙に出た。そして、今、「聞く力」を標語とした岸田さんが政権をとった。その彼は、国家安全保障戦略、国家防衛戦略、防衛力整備計画のいわゆる「三文書」を改訂し、集団的自衛権を認めたアベさんの政策を進め、敵基地攻撃能力すら合憲だと言い出した。

 第二次世界戦争で負けた日本は、翌一九四六年、日本国憲法を定めた。憲法前文には、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意した」と記され、九条には「国権の発動たる戦争」を放棄し、その目的を達するため、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない」と記されている。

 しかし、一九五二年四月二十八日、サンフランシスコ講和条約が発効したその日、日米安全保障条約も発効した。本来なら、独立国に戻ったはずの日本では、憲法が生きるはずであったが、日本は米軍に頼って安全を求める国になった。それ以降、朝鮮戦争中には警察予備隊が設立され、それが自衛隊という組織になった。悪い奴が攻めてきたら困るから、せめて自分の国は自分で守る、専守防衛だと言われた。その自衛隊は今や世界第九位の軍隊となり、アベさんの下で「同盟国」である米国と一緒の集団的自衛権もあるとされた。その上、岸田さんは自国が攻撃される前に敵基地を攻撃することが必要だと言い出した。

 歴史は一歩ずつ進む。多くの日本人は、戦争など望まないだろう。戦争とは自由意思を奪われた兵士が、上官の命令で敵国の兵士を殺す。そうしなければ、軍隊という組織は成り立たない。殺される敵国の兵士も、自分と同じように自由意思を奪われ上官の命令で動く。また、こちら側の兵士にも向こう側の兵士にも、その周りには多数の非戦闘員がいて、日々の生活を営んでいる。人間の幸せとは日々の生活がささやかなものであっても、それが穏やかに続いていくことであろう。それは自分の国の人も敵国の人も同じである。しかし、ひとたび戦争になれば、すべての人がそれを忘れ、「敵国」をやっつけることだけに誘導される。

 日本人だけではなく、どこの国の庶民も戦争など望みはしない。でも、ある日、戦争はやってくる。しかし、それは突然に来るのではない。戦争は、一人ひとりの人間の日常生活の中に、静かに深く忍び込んでくる。日本というこの国では、その危機感がまったくない。

 岸田さんが言う「今を生きるわれわれの責任」で軍備を強化しようとは、私はさらさら思わない。今必要なことは、軍備を強化することではなく、戦争そのものをなくすことである。「今を生きるわれわれの責任」というのであれば、何よりも戦争を防ぐことこそ、私の責任だと思う。「戦前世代」になることを拒否し、責任を果たしたいと思う。

(「季節2023春」より)転載

小出裕章 小出裕章

1949年生まれで、京都大学原子炉実験所助教を2015年に定年退職。その後、信州松本市に移住。主著書は、『原発のウソ』(扶桑社新書)、『原発はいらない』『この国は原発事故から何を学んだのか』『原発ゼロ』(いずれも幻冬舎ルネッサンス新書)、『騙されたあなたにも責任がある』『脱原発の真実』(幻冬舎)、『原発と戦争を推し進める愚かな国、日本』(毎日新聞出版)、『原発事故は終わっていない』(毎日新聞出版)など多数。

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