第4回 インドでパンデミックを乗り越えて花開いたわが息子、Rapper Big Deal
国際インドで35年暮らした私には、現地人夫(2019年逝去)との間に設けた日印ハーフの一人息子がいる。南のIT都市バンガロール(現ベンガルール)にベースを置く彼の職業はミュージシャンで、インドでは5指に入る人気ラッパー、Rapper Big Dealという芸名のスターなのである。
二親の家系にはミュージシャンはおらず、突然変異というか、ハーフの子供は優秀?との説に従うごとく、父母のいいとこ取りの優性遺伝を受け継いだらしいわが子に、トンビが鷹を産んだとはこのことかと、稀有な才能に驚かされる私だ。
作詞作曲もこなすシンガーソングライターでもあり、英語や現地語で綴る作詞には特に定評があり、息子自身が言うには、詩才は母の私から受け継いだとのこと。そう言われてみると、私も若い頃詩を書いていたし、寄宿舎時代、ノートにせっせと詩を綴っていたわが子に通じるところがあるかもしれない。私はもの書き、息子は音楽とジャンルは違えども、同じ芸術肌で、母の血筋を受け継いだと本人から言われれば、満更でもない。
しかし、三文小説を書いている私と違って、息子は音楽で食っており、ファンもたくさんついているから、親をはるかに凌駕している。また3歳から英語を学び、英語一本の寄宿舎でさらに磨きをかけたため、英語力はネイティブ並みで、当初英語のみでラップを発表していたときは、インドのエミネムと絶賛されたものだ。そんな我が子が誇らしくもあり、時にそのスター性に恐れ多さを感じつつ、もう私の息子という域を飛び越えて、遠くに行ってしまったと一抹の寂しさを覚えることもある。
若い頃、芸能界通でゴシップ好きだった私だが、まさか息子が芸能界に入ろうとは夢にも思わなかった。それもインドの、エンタテイメント業界である。
Rapper Big Dealは数々のラップ動画を発表しているが、中でも超人気の4ミリオン近い視聴者数を誇るベスト作品に、「Are You Indian?」がある。
https://youtu.be/SrE615BLB20
これは、ノースイーストと言われるインド北東7州に対する内陸部の差別問題を扱った社会的なメッセージのラップソングである。
私自身も、「インドの中の異国、北東民のデモ騒動」というタイトルで息子が同作を発表する以前に、この問題についてブログ(インドで作家業)で書いたことがある。https://blog.goo.ne.jp/michiemohanty/e/0682d97ca2996ab77f1472cd1a941032
同じインド国民でありながら、顔立ちが極端に異なることから、北東州民はメインのインド人たちから継子扱いされているのである。内陸部のインド人は目がぎょろりと大きく、凹凸の際立ったバタ臭い造型、肌も浅黒いが、北東州民はよりアジア系の扁平な顔立ち、目も細く、鼻も低いし、肌も白めで、チンとかチンキ(中国人の蔑称)と蔑まれる由縁だ。バンガロールはじめの都会には北東州からの移民が多いのだが、上記ブログにも書いたように、過去首都デリーでは暴力事件にまで発展し、死者が出たこともあった。
息子がこの差別問題を取りあげたのは、彼自身、外見が異なることで、子供時代からいじめを受けてきたせいである。肌は白めで、目はギョロ目が一般的なインド人に比べると小さく、鼻も低い、どちらかと言うと母のルックスを受け継いだジャパニーズフェイス、異端視扱いされ、格好のいじめの対象になったのだった。
そんなことからよく北東州民と間違えられ、自然に共感が育ったものと思われる。「Are You Indian?」の動画には、同じインド人でありながら、顔立ちが極端に異なる2組のグループが登場する。両組がテーブルで対面に向かい合い、目の細さや鼻の低さを嘲笑する内陸部民にじっと屈辱に耐えていた北東州民が後半、毅然と反撃に出る設定となっている。
こうした差別問題はどこの国にもあるらしく、同動画は、インドのみならず、アジア各国や世界に広まり、大ブレイク、グローバルに受け入れられたのだった。
親の欲目を抜きにしても、国内差別を糾弾するメッセージラップは強いアピール力があり、誇らしい気持ちにさせられたものだ。
そんなキャリアの絶頂にあったさなか、パンデミックが勃発、2020年3月息子を同伴しての、福井県の観光促進動画撮影のための帰国予定がキャンセルとなり、全土封鎖に突入、以後息子は2年間音楽活動停止を余儀なくされる。彼はちょうど、西の商都ムンバイ(旧ボンベイ)に引っ越したばかりで、ヒンディー映画の本拠地の娯楽ハブとしても名高いこの大都会でさらにキャリアに磨きをかけ、全土制覇を目指す予定だったが、しょっぱなからその夢を挫かれた。
ムンバイは、インド全土中最悪の感染者数を出し、息子は友人とシェアしていたアパートメントを引き払って、郷里の東インド・オディシャ州プリーに避難帰省、以後2022年3月まで母の私と同居、隔離生活に甘んじることになるのである。
常にちやほやされ注目される環境から一転して、大勢のファンとの繋がりを絶たれた息子は精神的にもタフな時期を強いられ、私の勧めでヨガの個人レッスンを始め、心身のバランスを取り戻そうとしたハードな試練期間でもあった。
幸いにも、インドの感染状況は、私が命からがら帰国した2022年3月時点でほぼ終息、ライブショーなど音楽の仕事も徐々に増え、以前の拠点・バンガロールに戻った息子は、本格復帰に努める。そして2023年1月13日、郷里オディシャ州都ブバネシュワールでのホッケーワールドカップの開会式に際して、華麗なパフォーマンスを繰り広げ、マスクフリーの6万人の大観衆から拍手大喝采を浴びたのである。https://youtu.be/OvG4NTCxGHY
残念ながら、日本滞在中の私は現地鑑賞は叶わなかったが、動画で観て感無量であった。2年の隔離生活、音楽活動停止を耐え抜いた果てに一気に花開いたという感じで、本物のスターになった息子に誇らしさを覚え、感極まって涙ぐんだものだ。その一方で、みんなのスターになり、さらに遠くなったわが子に一抹の寂しさも禁じえなかった。母の特権でもう私物化できない、巷に知れ渡る公人なのである。親をはるかに飛び越えて大きな成功をものにした息子に、畏怖とともに感嘆、これからどこまで羽ばたくか、願わくはグローバルになってもらいたい、日本デビューも果たしてほしいと、陰ながらの声援とともに遠目に静かに見守る日本人母の私である。
作家・エッセイスト、俳人。1987年インド移住、現地男性と結婚後ホテルオープン、文筆業の傍ら宿経営。著書には「お気をつけてよい旅を!」、「車の荒木鬼」、「インド人にはご用心!」、「涅槃ホテル」等。