原発回帰と安保政策の転換について

はじめに

岸田政権はロシアのウクライナ侵攻及びそれに伴う火力発電の燃料費の値上がりを契機として、矢継ぎ早に原発回帰と安保政策の転換に舵を切りました。これは、二〇一一年三月十一日に起きた福島原発事故を教訓に長期的には原発に依存しないという国民的合意を完全に無視しています。そして、我が国は、先の戦争を教訓に専守防衛が国是であることも完全に無視しています。

現政権がこのような選択をしてしまったのは、原発の本質に対する無理解、防衛問題に対する無理解、憲法に対する無理解に起因していると思います。

 

原発の本質に対する無理解

原発の本質はシンプルです。まず、原発は人が管理し続けなければならないということです。そして管理することに失敗した場合の被害は例えようもなく甚大であるということです。昨年、東京電力の旧経営陣に対して一三兆円余の損害賠償を命じた東京地裁は「原発事故は我が国の崩壊に繋がりかねない」と認定しました。

原発の技術は根本的に他の技術と異なるのです。地震の際に、火力発電所では火を止めれば安全になります。たとえ火を消すことに失敗しても燃料が燃え尽きれば安全になります。他の技術のほとんどがそうなのです。他方、原発は地震の際に「止める」「冷やす」「閉じ込める」という安全三原則を守らなければなりません。

核分裂反応を止めただけでは安全になりません。止めた後においても、電気と水で原子炉を冷やし続けてこれを管理し続けない限り必ず過酷事故になるのです。大部分の技術が運転の停止という単純な操作によって、事故の拡大要因の大部分が除去されるのに対し、原発は、継続して管理し続けなければ過酷事故になるというところに原発特有の危険性があるのです。原発は私たちの常識が通用しない技術なのです。被害の大きさは想像を絶するほど甚大で我が国を滅ぼしかねないのです。福島原発事故の教訓として、私たちが決して忘れてはならないことは、停電しただけで我が国が存亡の危機に瀕したということ、そして、もう二度と起きることがないであろう幾多の奇跡によって、その危機を免れたということです。

原発の再稼働によって電気代が安くなるというのは嘘です。そもそも原発にはコスト論は通用しないのです。東京電力は年間売上約五兆円にも及ぶ巨大企業です。その利益は売上額の約五パーセントで年間二五〇〇億円程度です。福島原発事故の経済的損失は、二五兆円に迫っています。一つの事故で巨大企業の一〇〇年分の利益が吹き飛んでしまうのです。ましてや、福島第一原発の吉田昌郎所長が覚悟した「東日本壊滅」となれば、東京電力だけでなくすべての大企業の一〇〇年分の利益が吹き飛んでしまうのです。原発事故が起きた場合の損害は天文学的数字になります。天然ガスの値上がりと原発の稼働はそもそも天秤にかける問題ではないのです。

 

防衛問題に対する無理解

原発問題はエネルギー問題でも、環境問題でもありますが、根本的には国防問題なのです。短期間に国を滅ぼし得るものは、戦争と原発事故しかありません。福島原発事故当時、吉田所長だけでなく、菅直人総理も、原子力委員会委員長も「東日本壊滅」を覚悟したのです。菅総理はその際には外国の介入の可能性も考えたのです。

我が国の国土は全世界の陸地面積の約〇・三パーセントにしかすぎませんが、そこに世界の全原発の約一〇パーセントの原発が、海岸沿いに林立しています。そして、世界の地震の一〇分の一以上の地震が我が国で起きるのです。我が国に地震の空白地帯はありません。原発差止訴訟の本質は「原発敷地に限っては強い地震は来ませんから安心してください」という、電力会社の言い分を信用するかしないかということにあります。原発訴訟の本質はたったこれだけの話なのです。

原発の本質が国防問題であることは、ロシアのウクライナ侵攻を機にますます明らかになりました。多くの日本人は原子炉に砲弾が当たらない限り過酷事故にはならないと思っていますが、砲弾が電気系統に当たって原子炉を冷やし続けることができなくなると、過酷事故になるのです。ロシアのウクライナ侵攻を機に、我が国が防衛問題について真剣に考えるべきであるということについては、私もまったく異論はありません。

しかし、戦争を契機として天然ガスなどが値上がりしたという事実よりもはるかに重要なことは、ロシアがザポリージャ原発を攻撃目標としたという事実です。ザポリージャ原発はヨーロッパ最大の原発です(因みに世界第一は新潟県の柏崎刈羽原発で、日本海を隔てて北朝鮮などと向かい合っています)。ザポリージャ原発の過酷事故による被害の大きさは「ヨーロッパ壊滅」とも言われています。「ヨーロッパ壊滅」と「天然ガスなどの値上がり」とは、ものの軽重においてまったく異次元の事柄です。

国防と称して敵基地攻撃能力の必要性を説く自称保守政治家たちが、同時に原発の再稼働や新増設を唱えています。これらの自称保守政治家たちは、彼らの主張に強く反対し平和を叫ぶ人たちを、現実を見ていない「お花畑」だと揶揄しますが、現実を見ていないのはむしろ自称保守政治家の方です。彼らは、仮想敵国やテロリストが我が国の原発を攻撃目標とすることはないというテロリストたちに対する強い信頼を持っているようです。原発の問題を脇に置いてする防衛論議も、防災論議も常に空理空論なのです。原発は我が国に向けられた核兵器です。これを除去するのに外交交渉も戦略も膨大な防衛費もいりません。豊かな国土を守り、次の世代に受け継いでいくという本当の保守の精神があれば容易に踏み出せる道です。五十数基もの原発が海岸沿いに林立していることで我が国は開戦と同時に敗戦となります。敗戦が確実となる戦争はあらゆる努力をして絶対に回避しなければならないのです。

 

憲法に対する無理解

我が国の憲法九条は専守防衛を定めています。自称保守政治家は「平和憲法で国が守れると思っている人の頭の中はお花畑だ」と揶揄します。私も平和憲法を仮想敵国に示したところで、平和が保たれるとは思っていません。

そもそも憲法の名宛人は我が国の政府や国会なのですから、政府や国会は憲法の精神に反することをしてはならないのです。岸田総理を含む自称保守政治家たちは、憲法九条を理解しているとは思えません。憲法九条は、我が国の武力による威嚇を禁じ、そして、その威嚇によって戦争が始まることを抑止しようとするものです。また、第二次世界大戦後も自国を除く世界各地で戦争をしてきた米国に協力して、同盟国の米国軍を守るのだという口実で我が国が戦争を始めることも憲法九条は禁じているのです。

政治家に求められるのは何よりもリアリティーです。原発に強い地震が襲う恐怖、原発がテロリストに狙われる恐怖、狭い国土に多くの原発を抱えたままでの戦争行為の無謀さ、米国が正義とはいえない戦争を繰り返している国であること、米国は地球の裏側の遠い国であることなどの事実を踏まえたうえでの冷徹な判断が、いま、求められているのです。

我が国には解決しなければならない問題が山積してします。これらの問題が我々の努力によってすべて解決したとしましょう。しかし、その日の翌日に原発事故が起きれば、あるいは戦争が起きれば、それまでのすべての努力は水泡に帰します。

歴代の総理大臣が中国などを意識して「我が国は法治国家である」とか「民主主義と法の支配を共通の基本的価値とする」と発言することがしばしばあります。法治主義とは、「国会において議論を尽くして法を定め、内閣がすべきこと、すべきでないことを決める」ことです。現政権が国会に諮らずに重要事項を内閣で決めることは明らかに法治主義に反し、中国のような専制主義に近づきます。

法の支配とは「たとえそれが国会で定められた法律であったとしても、国民の人権の尊重や平和主義という憲法が定めた法秩序に反するものは許してはならない」ということです。法の支配は「人権の尊重や平和主義が最高の価値であるという憲法が定めた法秩序を裁判所の手で守りなさい」という憲法の裁判官に対する命令だと私は考えています。

 

まとめ

私は原発訴訟を担当したことで、我が国の憲法の素晴らしさを再確認しました。日本国憲法が定める根本原理は、基本的人権の尊重、平和主義、国民主権です。国会は、これらを最大の価値として法律を制定しなければなりませんし、裁判所はこれらを最大の価値として法律が制定されているか、原子力行政が運用されているかを確認しなければなりません。

日本国憲法の定める平和主義の理念が一九四五年の敗戦による深い反省のもとに成り立っていることを忘れてはなりません。「原子力緊急事態宣言」は福島原発事故から一二年経った現在でも解除されていないのです。このような状況下での原発回帰は福島原発事故がまるでなかったかのような振る舞いであり決して許してはなりません。基本的人権の中でも生命を守り生活を維持するという人格権を、経済的自由権よりも優位にあるとしている日本国憲法の基本理念が脱原発運動を支えているのです。

事の是非を判断するのに必要なものは単なる知識や学問ではありません。膨大な情報の中から物事の本質を探求し、それを見つけ出すことです。本質が見つからないままだと情報量の多い方、権威のある方または現状維持に傾きます。それは裁判においても同じことが言えます。裁判とは膨大な主張や証拠の中から物事の本質を探求し、それを見つけ出し、論理に従って判断し、決断することです。原発は国策です。だから国も電力会社も「原発は安い」「原発がないと電気が不足する」「原発は地球温暖化防止に有用だ」「原発は岩盤の上に建っている」などなど、平然と公然と大量の嘘を流します。そのために、多くの人が惑わされてしまいますが、物事の本質を見極めた後に見える景色はまったく違ったものになるはずです。

脱原発の先駆的な科学者であった水戸巌氏は「原発の危険性を理解するのに必要なものは知識ではない。必要なのは論理です。極端な言い方をするならば、論理を持たない余計な知識は正しい理解を妨げることさえある」「専門家に任せるな。問題は知識ではなく論理である」と述べています。原発問題に限らない正鵠を射たメッセージだと思います。

 

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