巻頭言
安保・基地問題時あたかも「台湾有事」、戦争前夜のような雰囲気が醸し出されている。
誰が意識的に醸し出しているのか。
中国は経済的に急発展しており、軍事力も強化してきている。
中国機が台湾の防空識別圏内に何度も侵入していることも事実である。
しかし、防空識別圏は国や地域が防空のために独自に設定している空域であり、台湾の防空識別圏には中国本土上空も含まれている。したがって、台湾の防空識別圏内に中国が侵入しても、それが直ちに脅威なのではない。
また、北京冬季五輪・パラリンピックを控える中国は、とくに政治的な問題を抱えたくない時期である。
では、誰が意識的に戦争有事を煽っているのか。
それは戦争有事を煽ることで利益を得る人々であり、端的に言えば軍産複合体が力を有する米国である。同時に失政により経済を始め国力が衰退してきている日本において、強い日本を演出したいがために強がりを言う政権の指導者たちである。
かつて紀元前400年ごろに既存の大勢力スパルタと台頭する新興国アテネとの間でペロポネソス戦争が勃発した。新興勢力が台頭すると、既存の勢力の不安が増大してしばしば戦争となることを「ツキディデスの罠」と呼ぶが、まさに現在の米中間の力の接近が「ツキディデスの罠」をもたらし、米国に不安を与えているのである。
米国は新疆での人権問題を理由として、北京五輪を「外交的ボイコット」することを決めた。その決定にイギリスとオーストラリアが追随した。日本も閣僚級の派遣を止めた。中国は表面上は憤慨しているが、実際には痛くも痒くもない。コロナのこともあるし、中国は外交的使節団を招待もしていないので、来ないことは一向にかまわないのだ。アスリートさえ来てくれれば良いのである。
私は国内の人気取りに流されて、価値観の違いをことさらに強調して、政治的な対立を煽ることは間違っていると思う。オリンピックはスポーツの祭典であり、例え政治的に対立の状況があったとしても、政治指導者たちはオリンピックの期間中は休戦をしてスポーツを楽しむくらいの度量を見せるべきである。
また、米国の上下両院の議員団が軍の航空機で昨年3度台湾を訪問している。蔡英文総統との面談も行われている。米国は「一つの中国」、即ち台湾は中国の一部であることを認めて米中の国交が正常化したのであるが、中国の制止を振り切っての台湾訪問は、台湾の独立派を鼓舞し、「一つの中国」を蔑ろにする行為のように映る。
このような米国の振る舞いに呼応するかのように、安倍元首相は台湾で開かれたシンポジウムにオンラインで参加して、「台湾有事は日本有事であり、日米同盟の有事である。この点を習近平主席は断じて見誤るべきではない」と発言した。
見誤るべきではないのはむしろ日本のほうである。「台湾有事」、即ち何らかの原因で中国本土と台湾が武力衝突することになり、日本が台湾を軍事的に支援する姿勢を取ったときには、宮古島などの自衛隊のミサイル基地が真っ先に中国のミサイルの標的となる危険性が大で、圧倒的なミサイルの保有量の差で、沖縄を中心に日本は大きな被害を免れないであろう。
さらに「台湾有事」に米国が台湾を軍事的に支援するならば、中国は間違いなく嘉手納基地をミサイル攻撃して、米軍機が飛び立てなくするに違いない。あるいは宮古島に米軍のミサイルが配備されていれば、ここも中国の標的になることは明らかである。即ち、「日米同盟有事」の結果、米国本土はさほど被害を被らない可能性が高いが、米国以上に日本が大きな被害を受けることになるのである。
思い出していただきたい。菅義偉首相が辞任後の自民党総裁選で、高市早苗候補などが盛んに敵基地攻撃能力の必要性を訴えておられたことを。彼らは中国を敵とみなして敵基地攻撃論を振りかざしていた。そして、岸田首相は敵基地攻撃能力の保有を含めて検討をして、必要な防衛力を強化すると述べている。戦争を行った反省から、二度と国権の発動たる戦争を行わず、武力による威嚇をしないと誓った私どもが、敵にやられる前に攻撃する能力を持とうという話である。
では敵を攻撃したらどうなるのか。日米安保があるから、日本はアメリカに守られているので無事だと高を括っているのか。敵基地を攻撃していくつかのミサイル基地を撃破することができたとしても、中国は2000以上ミサイルを有していると言われており、まず沖縄など南西諸島にミサイルが撃ち込まれ、続いて原発施設が狙われたら、狭い日本の国土に日本人が住み続けることが出来なくなることは容易に想像がつく。
このような「台湾有事」の際や敵基地攻撃後に起こりうるシナリオを、安倍元首相や政権の指導者のみなさんは想像を逞しくしてどこまで真剣に議論しているのだろうか。どうも真面目に考えているようには思えないのだ。
いや、当然考えているよ、と答えるかもしれない。それが事実だとしたら、戦闘が行われるのはせいぜい沖縄くらいで、沖縄がやられても本土が戦火に見舞われることはない、とでも思っているのではないだろうか。多分、そのような認識なのだ。
その発想こそ、日本の指導者たちは今でも沖縄を日本の植民地のように見なしていることを端的に示している。
沖縄はかつて「琉球王国」として平和を謳歌していたが、薩摩の征討によって独立性が奪われ、19世紀末の「琉球処分」によって、日本に帰属させられた。いわゆる植民地である。そして太平洋戦争末期においても、本土を守るために沖縄は捨て石にさせられたのである。その後沖縄は日本に「復帰」したが、復帰後50年経つ今でも、米軍基地の7割が沖縄に集中している現状は、沖縄は本土とは違うとの認識を政府が有していることを如実に表している。その延長線上に、「台湾有事」のときにおいてさえ、日本政府は沖縄だけ戦場になっても構わないと思っているように聞こえるのだ。とんでもないことである。
第93代内閣総理大臣。現在は東アジア共同体研究所理事長。政治家引退後、友愛の思想を広めるため、由紀夫から友紀夫に改名。近著に『出る杭の世直し白書』(共著、ビジネス社)などがある。