【連載】モハンティ三智江の第3の眼

第5回 森山良子コンサートで反戦歌「さとうきび畑」に感動、平和の大切さを噛み締める

モハンティ三智江

「さとうきび畑」(末尾の注釈1参照)という歌をご存じだろうか。私が初めてこの歌を聞いたのはラジオのニッポン放送、「オールナイトニッポン・ミュージック10(テン)」(月~木、22時~24時)でだった。月曜日のパーソナリティである森山良子の持ち歌で、番組内でリクエストに応えて流されたのだ。澄み切った高音の美声で情感こめて美しく歌い上げられる同曲に深い感銘を受けた。

以後、何度か耳にする機会があり、その過程で森山良子本人の口から、この歌にこめられた反戦の祈りを知った。たださとうきび畑の美しい情景を描いただけの歌と思い込んでいた私は、沖縄戦(1945年3月26日~6月23日、末尾の注釈2参照)で亡くなった父への少女の切ない思いがこめられた歌と知って驚いた。最近、ラジオで森山良子本人の口から、さとうきび畑の下に今なお眠る無数の遺骨の存在を知った私は、愕然とした(沖縄戦での日本側の戦没者は推計20万人、うち民間人は9万4千人、対する連合軍の死者は2万人余)。

「さとうきび畑」をいつか生で聞きたいと焦がれていた私にとって、絶好の機会が訪れた。インド在住ながら、7年前から石川県金沢市に日本のベースを持ち、コロナ下1年以上母国にとどまっていた私に、耳寄りな情報が舞い込んだのである。
4月16日、金沢駅前の石川県立音楽堂で森山良子 with OEK(オーケストラ・アンサンブル金沢、末尾の注釈3参照)と題されたコンサートが開催されるというのである。地元のオーケストラ楽団の伴奏で森山良子が美声を披露すると知って迷わずチケット購入、当日駆けつけた。

森山良子 with OEKコンサートが開催された石川県立音楽堂。金沢駅東口に位置する公設のコンサートホール(1560席)で、オーケストラ・アンサンブル金沢の本拠地となっている。地上5階地下2階のモダンなビルには邦楽ホール(691席)や、交流ホール(地下1階)もある。

 

グラウンドフロアからエスカレーターで上階に上がると、コンサートホールが開ける。S席(4500円)はさらに2フロア上がった最上階の最後部、俯瞰する舞台を遠望する形たが、音響効果が素晴らしく、充分楽しめた。

 

華麗な緋色のイブニングドレスをまとったベテラン歌姫の貫禄と、圧巻の歌唱力にはうならされた。なんと言っても、待ち焦がれた彼女の18番ソング「さとうきび畑」を生で聞けたのが、大感動ものだった。

石川県立音楽堂内のチケットブース。電話予約して3日後、現金引換えの引き上げに。S席は最安値の4500円、アイドルのコンサートでないので、生歌が聞ければ充分と、S席にしたが、森山良子の華麗な真紅のイブニングドレスを間近で仰げなかったのは、ちょっと残念だった。

 

冒頭で少し触れたように、沖縄戦ゆかりの反戦歌として名高いこの歌は、作詞作曲が寺島尚彦(1930-2004)で、1964年寺島が歌手の石井好子の伴奏で本土復帰前の沖縄を訪問した際、摩文仁(まぶに)の丘(沖縄戦跡国定公園東部、糸満市摩文仁地区にある黎明の塔など多数の慰霊碑がある沖縄平和記念公園)を観光して着想した作品と言われる。

第二次世界大戦末期の沖縄戦で戦死した人々が今なお眠る、夏のさとうきび畑に流れる風の音、「ざわわ」がリフレインされ、父を奪われた主人公の少女の悲しみを募らせる(歌詞はこちら→https://www.uta-net.com/song/19206/
全11連から成る、通しで歌うと11分近い長さのため、カット版で歌われることが多いが(ちあきなおみや上條恒彦、沖縄出身の夏川りみほか多数の歌手がカバー)、2001年には森山良子が「特別完全版」として11連全ての詩を歌ってシングルリリースした(収録時間は10分19秒。カップリングの「涙そうそう」については末尾の注釈4参照)。2002年には見事、同曲で第44回日本レコード大賞の最優秀歌唱賞に輝いた。

第二次世界大戦末期、米英連合軍が上陸した沖縄諸島は最激戦地区(特に首里)と化し、両軍が敵味方に分かれて壮絶な殺し合い、兵士のみならず民間人が犠牲になり、集団自決を強いられたりした悲惨な歴史を持つ。
戦後78年が経つ今も、数え切れないほど多くの戦死者がさとうきび畑の下に眠っていると言われる。
1972年本土返還間近の沖縄を再訪した寺島は、作詞中に66回繰り返される風の音「ざわわ」を考想したという。

歌の主人公は、ひとりの少女で、沖縄戦で無惨に果てた父の顔を知らずに育った。成長して、亡くなった父を探し求めるかのように、広いさとうきび畑をさまよい、父はなぜ鉄の雨に打たれて死ななければならなかったのか、ざわわと通り抜ける風の音に耳を澄ませながら、静かに悲しみを訴える。
見渡す限りうねるみどりの波に溺れそうになりながら、顔も知らぬ父への思いを重ね合わせ、風の音にだぶるように悲しみの波が押し寄せる中、お父さんどこと今は亡き父の姿を追い求める少女の切なさがひしひしと胸を打つ。

75歳という年齢を感じさせず若々しい森山良子が、情感こめてたっぷりした声量で美しく歌い上げる「さとうきび畑」は、圧巻であった。戦争で父を亡くした少女の悲しみが切々と伝わってきて、平和の尊さを改めて思い知らされた。

*注釈
※1.「さとうきび畑」について(以下注釈はすべてウィキペディアより一部抜粋)

そもそもは、1967年石井好子門下生の田代美代子がコンサートで初演したのが始まりで、1969年に森山良子がレコーディング、アルバムに収録されたものだが、森山本人は当初、この歌に込められた深い意味を知らなかったという。
1970年代には、同曲の反戦歌としてのメッセージ性の高さや、1972年の沖縄返還への関心の高まりから、歌声喫茶でよく歌われるようになった。
2005年の第56回NHK紅白歌合戦では、森山良子は白組の一員として出場していた息子・森山直太朗と共にこの曲を歌った。
以後、学校音楽教育の教材としても、さまざまな形で取り上げられ、2003年には、同曲をモチーフにしたドラマ「さとうきび畑の唄」(TBS)が放映された

※2.沖縄戦について

沖縄戦、または沖縄の戦いは、第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)、沖縄諸島に上陸した米軍と英軍を主体とする連合国軍と日本軍との間で行われた戦いの総称である。連合軍側の作戦名はアイスバーグ作戦(Operation Iceberg、氷山作戦)。琉球語では、Ucinaaikusa (ウチナー〈沖縄〉いくさ〈戦、軍〉)ともいう。詳細は以下、ウィキペディア参照。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E6%88%A6

※3.OEKについて

オーケストラ・アンサンブル金沢(Orchestra Ensemble Kanazawa)は、石川県金沢市に本拠を置く日本のオーケストラで、1988年石川県と金沢市が中心となり設立、2001年より石川県立音楽堂をベースに定期演奏会を行なっている。室内管弦楽団としては多目の団員三十数名を擁し、二管編成管弦楽曲を主なレパートリーとする。日本オーケストラ連盟正会員。

※4.「涙(なだ)そうそう」について

2001年完全版として森山良子がリリースした「さとうきび畑」のB面は「涙(なだ)そうそう」で、沖縄弁で涙がぽろぽろこぼれ落ちるという意味、作詞は森山本人(作曲はBEGIN)、1971年に早世した兄への思いをこめて作られたものだ。

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モハンティ三智江 モハンティ三智江

作家・エッセイスト、俳人。1987年インド移住、現地男性と結婚後ホテルオープン、文筆業の傍ら宿経営。著書には「お気をつけてよい旅を!」、「車の荒木鬼」、「インド人にはご用心!」、「涅槃ホテル」等。

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