【連載】鑑定漂流ーDNA型鑑定独占は冤罪の罠ー(梶山天)

第26回 足利事件の大失態、そこから学んだ最高裁調査官のその後

梶山天

事件の弁護団の秘策は、佐藤博史主任弁護人の予想通り、当たった。警察庁の科学警察研究所(科警研)技官2人が鑑定して出した犯人のDNA型「18-30型」に対して、日本大学医学部法医学教室の押田茂實教授による菅家利和さんの毛髪の型は「18-29型」と異なっていた。1997年10月、弁護団は押田鑑定を添付した書面を最高裁に提出。再鑑定を求めた。

足利事件弁護団の依頼で菅家さんの髪の毛をDNA型鑑定結果をむ詳しく精査せず、最高裁での再鑑定開始の芽を摘んだ最高裁の後藤眞理子調査官。

足利事件弁護団の依頼で菅家さんの髪の毛をDNA型鑑定結果をむ詳しく精査せず、最高裁での再鑑定開始の芽を摘んだ最高裁の後藤眞理子調査官。

 

ところが、最高裁から何の連絡も来ない。最高裁判決の10日ほど前だった。弁護団の一人が押田鑑定について何も動こうとしない裁判所の姿勢に業を煮やして、最高裁判事のもとで事前調査を行い、裁判官に助言する後藤眞理子調査官(当時)らと面会し「今、再鑑定をやらないと、裁判所は10年後に恥をかきますよ。それでもいいのですか」などと詰め寄った。

後藤調査官は「はあっー」と今さら何を言っているの、と言わんばかりの返事を繰り返すだけだったという。ここから見えてくる後藤調査官像は、はなから弁護士を相手にしていない、聴く耳を持たない人物に見える。弁護士の放った言葉がその後、吉と出るか凶と出るか。裁判所の対応が気になるところだ。実に興味深い。

結局、最高裁(亀山継夫裁判長)は、菅家さんが無期懲役を不服として上告してから3年2カ月後の2000年7月17日に再鑑定を認めるどころか、上告を棄却してしまった。弁護団は最高裁に異議申し立てをするが、同月26日に棄却され無期懲役が確定した。DNA型鑑定の証拠能力を最高裁として初めて認めたのだ。菅家さんは10月30日に千葉刑務所に収監された。

ここでちょっと時間を早送りする。ところがだ。「今、再鑑定をやらないと、裁判所は10年後に恥をかきますよ」。最高裁判決前に弁護団の一人が後藤調査官に面会して、投げかけた言葉は、その後現実になる。誤判による「冤罪」へと突進する。

10年3月26日の宇都宮地裁での再審判決で菅家さんに無罪が言い渡された。直後に地裁の佐藤正信裁判長と左右の陪席裁判官が菅家さんに深々と頭を下げ、謝罪したのだ。この当事者でもない人の謝罪の儀式は間違っている。謝罪をするなら菅家さん本人が望む一審から菅家さんの叫びを無視した裁判官、調査官、検事、警察官、報道の全員に法廷で謝罪させなければ、すでに亡くなっている両親や兄、親類の痛みは浮かばれない。時間をかえせ、人生をかえせと叫ぶ人の気持ちがわからないのか。

ここでひとまず最高裁に戻ってみる。漫画で人気のある「イチケイのカラス」のモデルでもある木谷明元裁判官は、上告審について「佐藤弁護士が提出した押田鑑定によって科警研のDNA型鑑定の誤りに気づく契機があった。しかし、最高裁は弁護団が提出した押田鑑定に一顧も与えず平然と上告を棄却してしまった」と指摘する。

この後藤調査官は当時、全く押田鑑定が判決に大きく左右するものだとは理解してなかったようだ。今更なんだが、これは大きな間違いで、問題だ。提出された押田鑑定書をきちんと目を通して調査したならば、再鑑定をしかるべき時にやらないと大変な事態になることに気づくはずだ。冤罪は少なくともここで晴れるはずだった。だって、科警研の鑑定した型と押田鑑定は型が違っているのだから、どっちが本当なのか、と素人でも気づく。それとも押田鑑定を裁判長たちは見てないのか? そんなことがあろうはずがない。しかし、後藤調査官は間違いなく、上に再鑑定をするよう要請したとは思えない。

湖東眞理子・最高裁調査官が「いわゆるMCT118DNA型鑑定の証拠としての許容性」と題して書いた論文。

湖東眞理子・最高裁調査官が「いわゆるMCT118DNA型鑑定の証拠としての許容性」と題して書いた論文。

 

というのも、後藤調査官は最高裁が上告棄却時に足利事件のDNA型鑑定について「いわゆるMCT118DNA型鑑定の証拠としての許容性」などの論文を書いている。押田教授は「彼女らは冤罪を作ったのだから、いまだに残っている論文は直ぐにでも取り消すべきだ」と指摘する。

私も拝見したが、本当に調査官だったのか、疑いたかったほどこの事件捜査の本質を見抜いていないお粗末な論文だった。自信満々で、決まりきったことは、よくまとめてはいるものの、目先のものだけの調査に終わっているからこんな論文になるんだろう。

たとえ、どんなにその道に通じている科警研の室長であれ、しょせん人間のすることだということを忘れてはいけない。控訴審で向山明孝技官とともに鑑定を行った坂井活子技官の証言をきちんと精査すれば、上告を棄却する前に、押田鑑定について、本人に会いに行き調査をしたら、最高裁は再鑑定に動いて、菅家さんの汚名は晴れたかもしれない。そして犯人が別にいるとしてみすみす事件を時効にすることを防げた可能性もないわけではないのだ。それだけ最高裁の後藤調査官の責任は大きかったといえよう。

実際に後藤調査官らがそっぽを向いた押田鑑定こそが正確な鑑定で、科警研の鑑定が間違いだったことが09年1月23日から始まった「世紀の再鑑定」で証明されたのだから。

人は、追い詰められたら何でもする。科警研の鑑定は当初、栃木県警科学捜査研究所(科捜研)の福島康敏技官が渡良瀬川に浸かっていた半袖肌着を警察庁の向山技官に鑑定依頼を2度も行ったが、断られた経緯がある。ISF独立言論フォーラム副編集長の梶山天は、この時向山技官はMCT118型鑑定が実施できる鑑定でないことをわかっていたのではないかと想像してしまう。

これまでに裁判に出された鑑定写真を見るに、バンドが歪んでいることに専門家なら気づくはずだ。足利事件でMCT118法の欠陥をいち早く気づいて1992年12月に「日本DNA多型研究会第1回学術集会」で信州大学の本田克也助手(当時)らグループが発表したのも、もとはと言えばバンドのゆがみを上司の福島弘文教授から「鑑定の失敗だ」と何度も指摘され、やり直しを繰り返すうちに欠陥があるのではないかという発想になったというのだ。

警察庁は、1980年代後半に科警研の笠井賢太郎技官を米国・ユタ大学のハワード・ヒューズ医学研究所に派遣。その研究室が独自に開発したDNA型鑑定方法の一つをお土産として学んで帰国し、その運用を89年から始めた。それがMCT118法と呼ばれる鑑定方法だった。

ただし、この鑑定法は、世界中でおなじみのSTR型鑑定のような15部位のほかに男女の区別までわかるアメロゲニンも判定できる鑑定法と違い、わずか1部位しか検査できず、しかも世界がこの鑑定法を使ったかというと、ほとんど無用の長物状態だったのが事実だ。とんでもない鑑定法を持ち帰ったというわけだ。

それから足利事件が起きた。当時の警察庁の国松孝次刑事局長の肝いりで91年から警察庁は92年度から4カ年計画で全国の警察にDNA型鑑定を導入すると決め、92年度予算の概算要求に鑑定機器費用1億1600万円を盛り込んだ。しかし、大蔵省の反応は鈍かった。警察庁としては、予算獲得のためのアドバルーンを上げるプレッシャーもあっただろう。そのプレッシャーが科警研のまだ実用化にはほど遠い欠陥を抱えた鑑定を使わせたのではないだろうか、と思わずにはいられない。

控訴審で足利事件の鑑定に携わった坂井技官は、法廷で押田教授らのDNA型鑑定実習で一通りのことを学んだ佐藤博史弁護士の質問に対し、鑑定を裏付ける電気泳動の写真のネガを保存せずに処分していることや、旧マーカーの123ラダーマーカーでは、基準である塩基組織が異なっているのに、それによる誤差が生じることに気づかずに鑑定を行ったと決定的なミスを証言しているのだ。

この証言にDNA型鑑定を全く勉強していない裁判官たちは大変なことを証言したことに気づいていないのだから「裁判官不在」としか思えない。

菅家さんを91年12月2日未明に逮捕し、栃木県警が直ぐに発表すると「スゴ腕DNA型鑑定」「否認突き崩した科学の力」など何の根拠もなく鑑定の精度の検証すらもしていない報道が独り歩きし始めた。そうした科学絶賛報道は国松刑事局長が直談判する復活折衝を後押しした。後の同月26日付の新聞各社の夕刊は、92年度予算の復活折衝で旧大蔵省がDNA型鑑定機器費用1億1600万円をみとめると報じた。

後藤調査官は、MCT118型鑑定の欠陥をいち早く発見して冤罪を警告した当時信州大学の本田助手にこの鑑定の欠陥が与える影響などを聞いたのか? もう一つ知っておかなければいけないことがある。それは、日本DNA多型学会内に設置されたDNA鑑定検討委員会(委員長・勝又義直名古屋大学医学部教授)が97年12月5日に発表した「DNA鑑定についての指針」を発表した。

発表された指針は、法医学や法学、科警研、弁護士などの分野で活躍する13人の委員が96年から1年以上かけて検討した結果だ。その中のメンバーに控訴審から弁護団に入った佐藤弁護士もいた。しかしその内容は、少なくとも2カ所以上の独立した機関でできるもので、検査の再現性の保証を中心とした当初案「DNA鑑定についての勧告案」とは違い、期待を大きく裏切るもので、捜査機関の都合のいいように抽象的な規定にとどまり冤罪防止策は外された。会議のたびに科警研が反対意見を唱え、会議をボイコットするなどして委員たちが根負けしてしまったのだ。この真相を最高裁の調査官なら知っておかなければいけない。どうだったのか。

後藤調査官の批判ばかりになってしまったが、素晴らしい裁判官であることを認識した。足利事件の失敗に苦しんだと思われる。その失敗から何が誤判につながったのかしっかりと学んだからこそ有無を言わさない判決文を示した。03年5月22日午後に滋賀県愛知郡湖東町(現東近江市)の湖東記念病院の病室で人工呼吸器なしでは生命維持ができない入院患者(72)が心肺停止状態になっているのが発見された「呼吸器事件」で、翌年に看護助手の西山美香さんが滋賀県警に逮捕された。7回の裁判で有罪を宣告され、17年12月に西山さんの自白の信用性を否定し、逆転再審開始を言い渡した大阪高裁の裁判長こそなんと後藤裁判長だったのだ。思わず拍手する自分がいた。裁判官の中には、冤罪を懲りずに繰り返す裁判官もいる。後藤裁判長が納得がいくまで追求しての判断だと思うと、うれしかった。

 

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梶山天 梶山天

独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。

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