<袴田事件>東京高裁が再審開始を決定 捜査側の証拠捏造の実態

青柳雄介
3月13日、東京高裁の再審決定を受け高裁を出る袴田ひで子さん

3月13日、東京高裁の再審決定を受け高裁を出る袴田ひで子さん

 

袴田巖さんの死刑判決は、捜査側に捏造された証拠によって確定したフェイクだった――。

死刑確定囚としては憲政史上5人目の、再審無罪確定が現実味を帯びてきた。東京高裁(大善文男裁判長)は3月13日、検察の主張を退け、袴田さんの再審(裁判のやり直し)を決めた。

死刑確定から再審無罪を勝ち取って生還したのは、免田事件の免田栄さん、財田川事件の谷口繁義さん、松山事件の斎藤幸夫さん、島田事件の赤堀政夫さんの4人。いずれも1980年代に再審無罪が確定している。確定死刑囚として36年ぶり、5人目となる再審無罪確定が確実な情勢なのが87歳となった袴田さんだ。

恐ろしいことに、無実でありながら死刑が執行されてしまった例が過去にあるとも指摘されている。敗戦後すぐの福岡事件の西武雄さんや、1992年に起きた飯塚事件の久間三千年さんなどである。とくに、久間さん有罪の根拠とされたDNA鑑定は不正確であるとして、すでにいくつもの問題点が指摘されている。それを隠すために当局が急いで死刑執行してしまったといわれているのだ。これはもはや取り返しがつかない。

これ以外にも、大小の冤罪事件はそれこそ枚挙にいとまがない。命はあっても人生の歯車が大きく狂ってしまう。私たちはそうした危険な社会に生を受け、日常を送っているのである。そしてそれは、私たちが作ってきた社会が生み出した仕組みなのだ。このことを強く認識しておくことがまず肝要である。

司法は袴田さんの無実に気づいていた
袴田事件の死刑が確定したのは、事件から14年後の1980年。それから袴田さんは、無実にもかかわらず処刑される恐怖に怯え精神を病んでしまった。普通の人間であれば、そうなるのが当然だろう。

あるとき、姉のひで子さんが東京拘置所に面会に行くと、面会室に飛び込んできた袴田さんは、慌てふためいてこう言ったという。

「昨日、隣の房の人が処刑された。みなさんお元気で、と言って消えてしまった……」

ひで子さんが当時を振り返る。

「毎月1回必ず、東京拘置所へ面会に行っていました。いつも巖は自分がいかに無実であるかをまくし立て、私は相槌を打つばかりでした。逆にこちらが励まされるような感じだったんです。でも、死刑が確定して少し経ったときの面会では、怯えたような顔をして、訴えるように一気に言い、あとは声になりませんでした。相当なショックを受けているようで、かける言葉が見つかりませんでした」

その後、拘置所から頻繁に送られてきていた手紙が途絶えるようになる。

「私は袴田巖ではなく神。姉なんかいない。帰ってもらってくれ」

こう言い放って、面会を拒むようになったのもそのころだった。拘禁症といわれる症状が出てきていた。捏造された証拠で死刑が確定し、その瞬間から、宿痾(しゅくあ)のように袴田さんの精神は蝕まれていった。

確定死刑囚になってしまったからには、ごく近い未来、不本意ながらにも生命は国家権力によって断ち切られてしまう。刑事訴訟法第475条第2項は、死刑確定から6カ月以内に執行しなければならないと規定している。昨年7月26日には、秋葉原通り魔事件の加藤智大死刑囚が処刑された。彼は、死刑確定から7年5カ月経ってからの執行だった。

また、この10年間において、死刑を執行された者の、刑確定から死刑が執行されるまでの平均期間は、約7年9カ月である。袴田さんは、1980年の死刑確定からすでに43年間も死刑囚のまま執行されずにいる。その間の苦悩たるや……。

これは何を意味するのか。歴代の法相も法務省も検察も、袴田さんが犯人でないことに気づいているのである。無実の人間を、さすがに処刑することはできない。だからといって、いまさら「無実でした」と汚点を認め、引き返す勇気もない。なので、再審請求審にいちゃもんを唱え続け、できるだけ引き延ばして時間稼ぎをし、袴田さんが亡くなるのを待っていたのだ。

昨年7月、古川禎久法務大臣は死刑制度について会見でこう発言した。

「死刑は、人の生命を絶つ極めて重大な刑罰ですから、その執行に際しては、慎重な態度で臨む必要があるものと考えています。それと同時に、法治国家においては、確定した裁判の執行が厳正に行なわれなければならないということもまた、これは言うまでもないことです。特に、死刑の判決は、極めて凶悪かつ重大な罪を犯した者に対し、裁判所が慎重な審理を尽くしたうえで言い渡すものですから、法務大臣としては、裁判所の判断を尊重しつつ、法の定めるところに従って、慎重かつ厳正に対処すべきものと考えています」

だが、長きにわたり袴田さんの執行はできなかった。今回、東京高裁の再審開始決定に対し、検察側が最高裁への特別抗告を断念したのは、後述するように、完膚なきまでに叩きのめされた東京高裁の「決定」に特別抗告する理由がついに見出せなかったからである。白旗を上げたのだ。

袴田さん犯人説は最初から脆弱だった
 話は前後するが、ここで事件の概要を振り返っておく。いまから57年前。1966年6月30日のこと。静岡県清水市(現在の静岡市清水区)のみそ製造会社専務宅が放火され、焼け跡から一家4人の惨殺遺体が見つかった。

事件から4日後の7月4日。重要参考人として任意の事情聴取を受けたのは、みそ会社の住み込み従業員で元プロボクサーの袴田巖さん(当時30歳)だった。彼の犯人説にはさしたる根拠はなく、柔道三段の専務と格闘して刺し殺せるのは「ボクサー崩れの袴田しかいない」という希薄な論拠だった。まるで出来損ないの3文小説のようだが、それから半世紀が過ぎてもそれがまかり通っているのである。

このとき静岡県警は「血染めのパジャマ」を押収し、犯行時の着衣と発表。ところが実際は、血染めどころか、肉眼では判別できないほどのわずかな「点」がついていただけだった。

袴田さんに結びつく直接証拠は何もなく、取調べから公判まで、彼はほぼ一貫して容疑を否認していた。しかし、連日平均12時間、最長で16時間余りの拷問のような取調べの末、勾留期限の3日前に「自白」させられた。だがそれは、初公判以来、再び強い否認へと転じている。

しかし1968年、静岡地裁は死刑判決を下す。このとき死刑の判決文を書いた熊本典道裁判官は2007年に、「本当は無罪の心証を持っていた。他の裁判官2人を説得できず仕方なく死刑の判決文を書いた」と、カミングアウトした。死刑という重大な結論を導き出すのに多数決というのもおかしな話である。少なくとも全員一致が必要なのではないか。

1審での死刑判決に先立つ1967年8月には、なぜか、みそ樽の中から犯行着衣とされた「5点の衣類」が発見されている。犯行着衣は「血染めのパジャマ」ではなかったのか。5点の衣類は、今回の東京高裁の決定で「捜査側の捏造」と指摘されているもの。つまり、肉眼では判別できないほどの血しかついていないパジャマでは証拠能力が低いと踏んだ捜査側が捏造した証拠なのである。

また、そのうちのズボンは、袴田さんには履けないほど小さいものだった。履けないズボンで、どのように犯行を行なったのか。検察は「袴田さんが太った」と苦しい言い訳をした。

ズボンの内側に履くステテコに、ズボンより大量の血痕がついていたのもおかしい。裁判所の認定は、「犯行の途中でズボンを脱ぎ、犯行を続けた」というものだった。検察や裁判所の言い分は、ドリフのコントにもならないようなお粗末さだった。

「5点の衣類」が発見され、検察は起訴状の犯行着衣をパジャマからそれらに変更した。が、本来であればこの時点で公訴を取り下げるべきだったのだ。

袴田さん無罪の証拠はまだまだある。袴田さんの犯行後の逃走経路と認定されているのが、専務宅の裏木戸だ。裏木戸には当時「かんぬき」がかかっており通り抜けることができない状態になっていた。

凶器とされたのは刃渡り12センチのクリ小刀。静岡県沼津市の刃物店で購入したと袴田さんは「自白」させられている。しかし当時、この店では13.5センチのクリ小刀しか扱っていなかった。店にない小刀を購入することはできず、証拠能力はないに等しい。しかも、4人に40カ所以上の傷をつけ殺したにしては、刃こぼれがまったくないのも不自然だ。

さらに、この刃物店主の妻は袴田さんを、「店に来たことがあり、顔を覚えている」と公判で証言しているものの、実際には見たこともなかった。これは、彼女が検察に、そのように証言するように「指導」されていたことがわかっている。

いかがだろう。これでも袴田さんに死刑を課していいものだろうか。

裁判所も認定した「証拠捏造」だが、東京高裁を経て最高裁で死刑が確定してしまった。1980年のことだ。日弁連や弁護団の支援を受け、翌年、袴田さんの再審請求が行なわれた。これは最高裁で棄却されたが、2008年の第2次再審請求で静岡地裁(村山浩昭裁判長)が、「耐え難いほど正義に反する」と、再審開始と袴田さんの釈放を決めた(2014年)。こうして袴田さんは、死刑囚でありながら唯一、娑婆で暮らしているのである。

このとき村山裁判長も捜査側の証拠捏造に言及していた。しかし、検察がこの決定を不服とし、高裁へ即時抗告すると、東京高裁(大島隆明裁判長)は2018年6月、静岡地裁の再審決定を取り消したのだ。弁護団は最高裁へ特別抗告。2020年12月、最高裁(林道晴裁判長)は、「審理が尽くされていない」「東京高裁の取り消し決定は著しく正義に反する」として東京高裁へ差し戻し、審理のやり直しを命じた。そして今回出された結論が「再審開始」と「検察の抗告棄却」だった。当たり前の結論だ。

この差し戻し審での要諦は、事件の1年2カ月後に見つかった前出の重要証拠「5点の衣類」が犯行時の着衣といえるのかどうか、という点だ。それらの衣類に着いた血痕は赤みが残っていたことから、「1年以上みそ漬けにされていたと確定判決が認定した事実に合理的な疑いを生じさせる」と大善文男裁判長は判断。さらに、「事件から相当期間経過した後に第3者が隠匿した可能性が否定できず、事実上、捜査機関の者による可能性が極めて高い」と証拠捏造に言及し、再審開始を認めた静岡地裁決定を支持した。

決定書を受け取った姉・ひで子さんは涙ながらにこう語った。

「皆さま、ありがとうございます。再審開始になりました。本当にうれしいです。私はね、57年間戦っているんですよ。本当にこの日が来るのを心待ちにしておりました。これでやっと肩の荷が下りたという感じです」

同じ頃、袴田さんは支援者の車で天竜川沿いをドライブ中に、支援者から「今日、とってもいいことがあったの」と聞いた。その後、袴田さんは、「(今日は)まあ勝つ日だと思うがね。最後の結果がこれから出るんだね」と口にした。

その言葉通り、3月20日、検察は最高裁への特別抗告を断念した。これ以上の抵抗は不可能だったのである。

東京高検の山元裕史次席検事は「特別抗告の申し立て理由があるとの判断に至らず、抗告しないことにしました」とのコメントを発表した。事実上の敗北宣言である。

これで、年内に静岡地裁で再審公判が開かれることが確実となり、無罪確定も間違いない。茨の道を乗り越えた袴田さん今回の東京高裁の決定は、

〈以上に検討したとおり、原審(14年3月の静岡地裁の再審開始決定)において提出された前記みそ漬け実験報告書等の新証拠は、「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」に該当する。したがって、前記みそ漬け実験報告書等について、刑法435条6号にいう「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」であると認めた原決定の判断には誤りはなく、本件再審を開始するとした原決定も、その結論において是認できる。そして、原審は、本件再審開始決定に際して、A(袴田さん)に対する死刑及び拘置の執行を停止する旨の決定をしたが、同決定についても、Aが無罪になる可能性、本件再審開始決定に至る経緯、Aの年齢や心身の状況等に照らして、相当として支持できる。〉

とし、結論として、検察側の〈本件即時抗告の趣意は理由がない〉と結んでいる。これは無罪確定と同義語である。

事件から57年、獄中48年。釈放からは9年の歳月を経て、ようやく当たり前のことが現実に近づいた。このことを姉・ひで子さんは袴田さんに、「もう大丈夫。安心しな」と伝えた。袴田さんは無言だった。

袴田巖さんの細胞は“正義”でできている。袴田さんが自らを「私は神である」と言う所以であり、だからこそ、人々の支えを得て正義の実現のため、高い山の頂に立つことができ、荒れる海を小舟で渡り切ることができたのだ。

死刑冤罪事件では、1980年代から雪冤がなかった状況の中での画期的な出来事といえる。外国のメディアからの注目度も高く、すでに50以上の媒体で報道された。このうねりを、不完全で不備の多い再審法改正へと波及させようという流れが始まっている。無実の人間が濡れ衣を着せられたまま埋もれていくことを阻止するために。

袴田さんは“殺人犯”の汚名を着せられ、日々、死刑執行の恐怖と、半世紀にもおよぶ独房生活に耐え続けながら、生きることを諦めなかった。強いられた死が襲ってきても抗ってきた。無実を強く訴えることで、現実の死刑執行に二の足を踏ませてきた。袴田さんは当初から、生き抜く道を選んだのだ。それが、どんなに強靭な精神力が必要な選択であったことか。どんなに困難な茨の道であったことか。

1日1日の積み重ねの先にしか未来はない。その道程の結果が、再審無罪確定まであと半歩のところまでたどり着いた現在なのである。いま必要なのは、一刻も早く再審無罪判決を確定させ、袴田さんに少しでも長い楽しい余生を送ってもらうことである。

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青柳雄介 青柳雄介

雑誌記者を経てフリーのジャーナリスト。事件を中心に社会・福祉・司法ほか、さまざまな分野を取材。袴田巖氏の密着取材も続けている。

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