2017年11月、自宅でくつろぐダニエル・エルズバーグ氏

「私は自分の人生を、核戦争を起こさないという目的に捧げてきた」ダニエル・エルズバーグ氏追悼 ”I have committed my life to preventing nuclear war.” Remembering Daniel Ellsberg, 1931 – 2023

乗松聡子
2017年11月、自宅でくつろぐダニエル・エルズバーグ氏

2017年11月、自宅でくつろぐダニエル・エルズバーグ氏

 

1971年、ランド研究所在籍中にベトナム戦争についての政府内部文書「ペンタゴン・ペーパーズ」を新聞にリークし、米国のベトナム撤退の一因を作ったことで知られる、「内部告発者」の代表的存在であるダニエル・エルズバーグ氏が16日、膵臓がんのため亡くなった。享年92歳。妻のパトリシアさんと3人の子どもたちに囲まれて、最後は痛みもなく静かに亡くなられたということだ。

米国の調査報道サイト『コンソーシアム・ニュース』による短い追悼文がエルズバーグ氏の功績を最も簡潔に表しているだろう:

★★★

ダニエル・エルズバーグは、膵臓がんとの闘いの末、ホスピスケアを受けながら金曜日、92歳で亡くなった。

エルズバーグは、彼の世代で、いやあるいは米国史上で最も偉大な内部告発者と見なされていた。  ベトナム戦争に関する政府の極秘調査結果をマスコミにリークした彼の決断は、確かに米国の歴史上最も勇気ある行為の一つであった。

ニクソン政権の司法省がペンタゴン・ペーパーズの出版を中止するよう報道機関に命じた決定は、政府による事前抑制の使用を禁じる画期的な最高裁判決につながった。

当時のリチャード・ニクソン大統領は、それにもかかわらず、エルズバーグをスパイ防止法の下で起訴させた。  エルズバーグは、検察の重大な不正行為が明らかになった後、自由を手に入れたのである。

晩年、エルズバーグは不正に対して声を上げ続け、エドワード・スノーデンやチェルシー・マニングといった新世代の内部告発者を支援した。

また、ウィキリークスの発行人であるジュリアン・アサンジが、自身のスパイ防止法違反事件と闘う際には、大胆不敵な擁護者でもあった。

ダンはコンソーシアム・ニュースの友人であり、私たちの役員を務め、CNライブ!のウェブキャストに何度も出演してくれました。私たちは、彼の家族と多くの友人に哀悼の意を表します。

★★★

サンフランシスコ近郊に住むダニエルさんと妻のパトリシアさんには2008年にお会いする機会があり、公私にわたり助言をいただくお付き合いをさせていただいた。感謝の気持ちで一杯である。

今年になって、死期が近いと聞いたときお見舞いに行きたかったが、コロナなどの感染の心配もあるため訪問者は受け付けていないということで諦めた。
ダニエルさんには2016年10月、大統領選直前にインタビューする機会があった。『週間金曜日』に載せてもらったインタビュー記事はここで読める。

ダニエル・エルズバーグインタビュー「現在はキューバ危機以来の核戦争の危機」
Daniel Ellsberg Interview in Shukan Kinyobi (Nov. 25)

核問題を論じる会議があったサンタ・バーバラのカフェでパンケーキの朝食を一緒にとりながら話を聞いたのだが、「私は自分の人生を、核戦争を起こさないという目的に捧げてきた」という言葉がとても印象的であった。「日本こそが米国に核先制不使用を求めるべきだ。安倍首相がどう言おうとも、日本の市民が立ち上がって行動すべきだ」と言っていた。

2016年10月のインタビューより

2016年10月のインタビューより

 

その後2017年、新著 Doomsday Machine 出版(日本語版は2020年世界滅亡マシン 核戦争計画者の告白』宮前ゆかり&新井雅子翻訳で岩波書店から出ている)にあたり再度インタビューした内容は、『沖縄は孤立していない 世界から沖縄への声、声、声』(2018年、金曜日刊)に収めてある。ダニエルさんは辺野古新基地に反対声明を出した103人の世界の声の一人でもあった。

ダニエルさんは甘党だったのかと思う。初めて会ったときも自宅近くのカフェで「ここのホットチョコレートが美味しいんだ」と、ご馳走してくれたのを覚えている。家族がダニエルさんの死を伝えるツイッターで、医師の指示で5年間塩のない食事療法を続けていたが最後の日々はそれもやめ、「ホットチョコレート、クロワッサン、ケーキ、ポピーシードベーグル、ロックス」などを食べる喜びを味わっていたということだ。冒頭に「ホットチョコレート」があったことに「やはり」と思った。

核問題会議の懇親会で得意の手品を披露する(2016年10月、サンタ・バーバラにて)

核問題会議の懇親会で得意の手品を披露する
(2016年10月、サンタ・バーバラにて)

 

ダニエルさんの反核反戦の遺志を受け継ぐ一人でありたいと思います。
心よりご冥福をお祈りします。Rest In Peace.

@PeacePhilosophy Satoko Oka Norimatsu

当サイトのダニエル・エルズバーグさん関連投稿
ダニエル・エルズバーグインタビュー「現在はキューバ危機以来の核戦争の危機」 Daniel Ellsberg Interview in Shukan Kinyobi (Nov. 25)

ダニエル・エルズバーグが2009年のヒロシマの記念日に捧げた回顧録「ヒロシマの日-64年間、居眠り運転をしてきた米国」

「ペンタゴン・ペーパー」で知られるダニエル・エルズバーグ氏によるワシントン・ポスト紙への寄稿:アメリカを脱出したスノーデン氏は正しかった

他にも多数あります。ここをクリックしてください。

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※この記事はカナダ・バンクーバー在住のジャーナリスト・乗松聡子さんが運営するPeacePhilosophyCentreの記事(「私は自分の人生を、核戦争を起こさないという目的に捧げてきた」ダニエル・エルズバーグ氏追悼 ”I have committed my life to preventing nuclear war.” Remembering Daniel Ellsberg, 1931 – 2023)からの転載です。

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乗松聡子 乗松聡子

東京出身、1997年以来カナダ・バンクーバー在住。戦争記憶・歴史的正義・脱植 民地化・反レイシズム等の分野で執筆・講演・教育活動をする「ピース・フィロ ソフィーセンター」(peacephilosophy.com)主宰。「アジア太平洋ジャーナル :ジャパンフォーカス」(apjjf.com)エディター、「平和のための博物館国際ネッ トワーク」(museumsforpeace.org)共同代表。編著書は『沖縄は孤立していない  世界から沖縄への声、声、声』(金曜日、2018年)、Resistant Islands: Okinawa Confronts Japan and the United States (Rowman & Littlefield, 2012/2018)など。

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