【連載】週刊 鳥越俊太郎のイチオシ速報!!

戦える国、日本に/司馬 遼太郎が恐れたこと「坂の上の雲」を読みながら考える

鳥越俊太郎

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6月16日(金曜日)、参院本会議でこれからの日本を考える上で重要な法律2本が可決された。

一つは、防衛費増額の財源を確保する特別措置法(防衛財源確保法)と

二つ目は「LGBTQ法」(性的少数者への理解増進法)だ。

私は、この「防衛財源確保法」は先に閣議決定された「敵基地攻撃能力」を含む「安保三文書」の改正(改悪だが・・)と併せて考える必要がある、と考える。

今回の「防衛財源確保法」は2023年~27年に防衛費43兆円を確保するというもので、日本はこれで一気に軍事大国に姿を変える。

この二つの大きな出来事は実は今日本で動き出した恐ろしい「うねり」を象徴する出来事だと思う。

それは日本の国が戦争をする(戦う)ための金(ゼニ)と法律を身につけたことを意味するのだが、日本の新聞、テレビのメディアは上部の出来事は報じるが、日本が急角度に変化しつつあることには全く触れない。だから日本の国民はその急角度の変化の重大な意味について全く気がつかない。

その間に日本の社会の保守化が進み、日本維新の会や国民民主党は最後になれば、自民と公明党勢力と平仄を併せ戦争の道に乗り出していくに違いない。

恐ろしいことだ。

皆さんは聞いた事はあるでしょうか?

日本の歴史、それも明治維新からの154年間、前半の77年間は日清、日露日中、太平洋と4つの戦争を繰り返し、戦争が常態化した国だった。

これに対し1941年(昭和21年)からの77年間、日本は戦争とは無縁だった。もちろんアメリカが行った朝鮮戦争やトナム戦争、イラク戦争などに基地を提供したりしていたので完全に無縁とは言えないが、日本の国としては戦争は行ってはいない。国民は 戦争とは無縁だと思ってきたはずだ。

それを急角度に変えて戦争の出来る国に変えようとする。確かに国会で、政府内部で自民党や公明党が手を組んでやってるように見える。

この動きは岸田政権になってから急速に進んだ。
岸田政権が掲げる「新しい資本主義」とは、今私たちの眼にクローズアップしてきた軍事大国で、時期あらば敵国に先制攻撃をして戦争の火蓋を切ってしまいかねない、そんな国なのか?

がしかし、その真犯人は誰なんだ?
岸田文雄なのか?
いやいや、あの柔な男だけでできるようなことではないはずだ。

それにしてもどうして日本のメディアは知らん振りなんだ
戦争をやっていちばん損をする、犠牲者は国民なのに誰もその道に気がついていない。いや知らない振りなのか?

てなことを呟いる私は丁度書斎の整理をしているところで、本棚にどーんと構えている「司馬遼太郎全集」の一冊を手に取った。

「坂の上の雲」(一、二、三)。
改めて読み直してみた。明治維新前に、伊予松山藩藩士として生まれ、後に満州の地で日本軍の騎兵隊を率いロシア軍のコサック騎兵隊を破ったことで知られる秋山好古。そして9歳下で海軍に入り、日本海大海戦を戦った秋山真之。この秋山兄弟を主人公に日清、日露の戦争を描いている。

少し話は変わるが、私は昭和15年、1940年生まれで戦後一年目、昭和21年4月に小学校に入学した。戦後の第一期生です。空襲のサイレンが鳴るとお遊戯中の幼稚園から逃げ帰り、自宅の土間に掘ってあった防空壕に飛び込んでいた。微かながら戦争体験のある最後の世代なのです。

「日本はなぜこんな戦争 をしたのか」
小学校の子供の頃からそんな思いを抱き続けてきた。戦争が 産み落とした日本人の、一つの典型、その一人だった。

久留米大学附設高校から京都大学文学部に入り、専攻は日本史。卒論は「条約改正問題」。当時の意識としては明治時代の自由民権運動から国粋主義に転向して行ったのは何故なんだろう?そんなぼんやりした思いだった。

卒業して入社したのが毎日新聞社。社会部の記者となり、走り回っていたが、心の中を支配し続けていたのが、
「日本人、いや人間は何故戦争をするのだろうか?」
この気持ち只一点だった。

太平洋戦争後日本は戦争に手を染めてこなかったが、大戦後朝鮮戦争とベトナム戦争、イラク戦争、アフガニスタン戦争と途切れなく世界のどこかで戦争をし続けてきたアメリカという国。

アメリカを知りたいという思いもあり、アメリカの田舎町の新聞社で1年間働いてきたこともある。そ時の経験は

『アメリカ記者修業』(中公文庫)に克明に綴った。

このWebマガジンの読者を一人増やした方に『アメリカ記者修業』(中公文庫)を一冊進呈したい。本は手元にまだ10冊、こういうこともあると思って残していたものである。

ここで話は冒頭に戻るが、私が暇に任かせて読んでいた「司馬遼太郎全集」の「坂の上雲」(一)の末尾に

「第二部あとがき」が7頁ほどある。
最初に読んだ時はあまり強い印象は残っていなかった。今回読み直してみて、やはり戦後に書かれたのだ。強い言葉が「あとがき」に残っていた。
あとがきの末尾である。
一部紹介してみたい。
いやここは必ず紹介しなければならないところなんだろう

─────

【「坂の上の雲(一)第二部あとがきの末尾】抜粋

要するにロシアはみずからにまけたところが多く、日本はそのすぐれた計画性と敵軍のそのような事情のために勝利をひろいつづけたというのが、日露戦争であろう。
戦後の日本は、この冷厳な相対関係を国民に教えようとせず、国民もそれを知ろうとはしなかった。
むしろ勝利を絶対化し、日本軍の神秘的つよさを信仰するようになり、その部分において民族的に痴呆化した。日露戦争を境として日本人の国民的理性が大きく後退して狂躁の昭和期に入る。やがて国家と国民が狂いだして太平洋戦争をやってのけて敗北するのは、日露戦争後わずか40年のちのことである。敗戦が国民に理性をあたえ、勝利が国民を狂気にするとすれば、長い民族の歴史から見れば、戦争の勝敗などというものはまことに不可思議なものである。

─────

日本はあの戦争で原子爆弾を2発くらったのにも関わらず、またゾロ戦争の準備を始める日本政府の動きを司馬遼太郎さんならどう評価するんだろうか。

今週水曜日毎日新聞を拾い読みしていたら
『司馬さんが恐れたこと』
と題する毎日新聞記者のコラムが載っていた。
このコラムは
「今日も惑いて 日が暮れる」
と題する吉井理記学芸部記者のものだ。

吉井記者が先ず問題にしたのが「保守」誌の月間「WiLL」3月号

「司馬遼太郎生誕百年『坂の上の雲』に学ぶ。戦える日本」

私はこの手の雑誌は読まないので分からないが、吉井記者の紹介では

「さて前出の記事だ。司馬さんの『坂の上の雲』が描く明治の日本と比べ現在は「中国の脅威への危機感に乏しい」「現代の若者に愛国心やナショナリズムを説いてもピンとこない」などと嘆き、司馬作品に学び『戦える日本』を目指そう、という趣旨である。」

吉井記者はこれに対し
「いやはや。司馬さんが最も恐れたのが、これだった」
と嘆く。

実はこの話は吉井記者が 先日元NHKプロデューサーの北山章之助さん(86)と久しぶりに会ってやはり、保守月刊誌のことを書いておこうと思ったからだという。

実は 北山さんは現役時代、当時のNHK会長らの指示で二度にわたって「坂の上の雲」の映像化の許しを司馬さんに求め、いずれも拒否されたそうだ。
二度目の断りは92年6月。
こんな手紙が届いたそうだ。

「その後、考えました。やはりやめることにします」
「これは文章でこそ表現可能で、他の芸術に”翻訳”される事は不可能だ。(というより危険である)と思い、小生の死後もそのようなことがないようにと遺言を書くつもりでした。」

「山伏が、刃物の上を素足でわたるような気持ちで書いたのです」

「日本人というのは,すばらしい民族ですが、おそろしい民族(いっせいに傾斜すれば)でもあります」

確かに以前より相当右傾化した日本人には司馬さんが描く日露戦争のくだりも描きようによっては相当ヒットするだろうな。司馬さんは文章とは異なる映像の単純さを警戒していたんだろう。

北山プロデューサーも「ともすれば安易なナショナリズムと言いますか、日本人の愛国心を刺激して、作品の趣旨が伝わらないのではないか、と思ったのでしょう」と振り返っている。

このコラムの最後を吉井記者はこう締めくくっている。

【4月の本欄で書いたが、最晩年の対談(月刊「現代」96年1月号)で日本が改憲して軍備を持つことを批判した司馬さんである。自作が「戦える日本」の「教科書」にされることを何と思うか。作家の胸中を思うと、悲しく、腹立たしくなるのだ】(東京学芸部)

司馬遼太郎さんが生きていたら、「敵基地攻撃能力」を閣議決定し、戦後77年間日本人が守り続けてきた「専守防衛」を破棄した日本政府。さらに今後5年間で43兆円の「防衛財源確保」の法律を決めた。財源確保のために所得税や復特別所得税、たばこ税などからむしり取るなど莫大な防衛費生み出そうとい岸田政権を見ていたら、何と言うだろうか??
問題は岸田政権だけではないはずだ。

戦争ができる国へと大きく舵を切った岸田文夫首相。これを支える多くの有権者、日本人に何を言いたいのだろうか?

(2023/6/19日)記述

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鳥越俊太郎 鳥越俊太郎

1940年3月13日生まれ。福岡県出身。京都大学卒業後、毎日新聞社に入社。大阪本社社会部、東京本社社会部、テヘラン特派員、『サンデー毎日』編集長を経て、同社を退職。1989年より活動の場をテレビに移し、「ザ・スクープ」キャスターやコメンテーターとして活躍。山あり谷ありの取材生活を経て辿りついた肩書は“ニュースの職人”。2005年、大腸がん4期発覚。その後も肺や肝臓への転移が見つかり、4度の手術を受ける。以来、がん患者やその家族を対象とした講演活動を積極的に行っている。2010年よりスポーツジムにも通うなど、新境地を開拓中。

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