【連載】鑑定漂流ーDNA型鑑定独占は冤罪の罠ー(梶山天)
迫田幸二容疑者のDNA型が一致した毛根。

第35回 筑波大に戻ってもある他県警の難事件解決作のDNA型鑑定依頼

梶山天

どんな時にでもブレない心のよりどころにしていた師匠の若杉長英教授を心筋梗塞で失った大阪大学医学部の本田克也助教授はその後、2001年に母校である筑波大学(茨城県つくば市)法医学教室の教授として返り咲くことになった。

その本田氏は、大阪大学時代には、警察・検察の切り札として多くの難事件の解決に貢献した。筑波大学に異動してからもDNA型鑑定依頼は続くが、足利事件や袴田事件など特に弁護側の鑑定人として推薦され、結果として冤罪を証明したことから、彼を弁護側に立つ法医学者と見る傾向が出てきたが、すばりそう考えるのは間違いだ。

そもそも、科学としての法医学に検察側も弁護側もあるはずはない。なぜなら、科学というのは真実を明らかにするための武器であるからだ。これは科学的な機器や検査方法のみならず、それを鑑定する人間の実力を総動員しての、真実を明らかにする技術を導くものでもあるのだ。だから、いくら最新の科学技術を使っても、それを使いこなせない人間が鑑定すれば誤った結果を導いてしまう。

つまり、DNA鑑定それ自体で科学的なのではなく、その技術を使いこなす人間の能力によって、科学的な方法が科学的にも非科学的にもなるということを忘れてはいけない。それが如実に表れているのが日本の警察庁の科学警察研究所(科警研)であり、都道府県警の科学捜査研究所(科捜研)の鑑定なのだ。

既に本田氏は、筑波大学に教授として戻って来ているので、本田教授と呼ぼう。彼は大阪大学時代には年間200体を超える司法解剖と、さらに年間800体を超える行政解剖(大阪府と東京都)を行ってきた、解剖のエキスパートでもある。またそれ以外に大阪府警や兵庫県警、沖縄県警などから依頼されたDNA鑑定など多くの実績を残してきた。その中で、著名な事件を二つ挙げておきたい。

その一つは、02年に発生した尼崎市女性殺害事件であり、もう一つは05年に発生した大阪市住吉区強盗殺人事件である。

これらの事件は、大阪大学から筑波大学に本田教授が異動してからもなお、兵庫県警や大阪府警が本田氏に鑑定を依頼し、見事にDNA鑑定を成功させて犯人逮捕に貢献したものだ。本田教授がいかに全国レベルで警察・検察に貢献してきたかがわかる。しかし、これは本田教授自身は警察のために行っているのではなく、警察の科捜研が鑑定できないから相談を受けるのであって、警察、弁護団とか関係は一切ないのだ。尼崎市の事件は、アパレル店員殺害事件として知られた、兵庫県を轟かせた難事件である。

02年8月下旬、兵庫県尼崎市食満(けま)2丁目のアパレル店員の利田美幸さん(当時18歳)が自宅で首を絞められ殺害されているのを一緒に住む祖母の草苅トシエさん(同68歳)が発見した。兵庫県警尼崎北署の捜査本部によると、ベルトで首を絞められていた痕跡があり、死因は窒息死で他殺と断定。着衣は乱れ、争ったような跡があり、捜査を進めているが未解決だった。

犯人は乱暴する目的で接近し、美幸さんが抵抗したため殺害に及んだと思われる。顔には打撲傷があり、殴られたあととみられ、そのほか左手には抵抗したような引っかき傷があった。

美幸さんが倒れていた布団に付着していた血痕が科捜研のDNA鑑定の結果、親類で建築業の迫田幸二容疑者(同53歳)のものと一致したことが判明し、調べたが容疑をあくまで否認し続けた。この事件を担当していた兵庫県警、来田豊刑事は頭を抱えてしまった。誰かいい鑑定人はいないだろうかと、大阪府警の刑事部に相談したところ、 「大阪大学の本田助教授はDNA鑑定技術が国際レベルである」という話をうかがって早速、依頼にいったのである。

ところがだ。科捜研が鑑定に使った血痕は、すでに全量消費で残っていなかった。ただ一つ、残っていたのは兵庫県警の鑑識が死体検分のときに、被害者の陰部周囲に付着していたのを見つけた、たった1本の陰毛だった。

被害者の体に付着していたたった1本の陰毛。

被害者の体に付着していたたった1本の陰毛。

 

迫田幸二容疑者のDNA型が一致した毛根。

迫田幸二容疑者のDNA型が一致した毛根。

 

刑事の執念の捜査である。その陰毛1本からDNAを抽出し、容疑者と一致するかどうかという、神業的な鑑定が求められた。その話を来田刑事からうかがったとき、本田教授は「やってみましょう」と快諾したのだ。

しかし、鑑定とは、試料が陰毛1本と限定されており、一度失敗したらそれで鑑定はおしまいだ。したがって入念な予備実験が必要となる。しかし本田教授は、大阪大学時代に北海道の「晴山事件」のDNA型鑑定で犯人を立証したドイツのフンボルト大学ベルリンのルッツ・ローワー氏を中心としたグループとともに開発した最新のY-STR法なら可能性があるのでは、と思ったのである。

しかも晴山事件の時は4部位の検査だったが、今回は新たに2部位増えて6部位と精度がさらに上がったのだ。とはいうものの今回は一本の毛である。鑑定は至難であることが予想された。そこでそれに加えて、この鑑定のために本田教授は新たなPCR増幅法の開発を行った。それは微量金属元素、バナジウムを添加することにより、PCR反応を増強させる、という方法である。

本田教授は言う。「科警研や科捜研は鑑定の裏付けのために捏造してでも研究論文を書く。かつてMCT118の型判定の誤差を修正するために、データを示すことなく型判定対照表を捏造し足利事件鑑定の誤りを訂正しようとしたことがそれである。しかし私は科学者であるから、鑑定のために研究するのではなく、研究の発展のために鑑定する。科学者たるもの、研究が生命であるから鑑定で得た成果は研究にフィードバックさせ、その成果をさらなる鑑定に生かす、というのが法医学的でなければならない」と。

ところでPCR反応はそれ自体、DNA増幅方法であるが、古く劣化し、微量となったDNAに対してはやや反応が不良で、増幅不能や不規則バンドを発生しうる。これを改善する方法はないか、と過去の研究資料や文献を探してみたが、そういったものは見つかっていなかった。そこで論理的に考えてみた。そして思いついたのは、PCR反応の触媒として使えるものはあるのではないか、ということである。

触媒の多くは金属元素であるが、PCRに用いる試薬であるリメラーゼはイエローストーン国立公園の温泉中に生息するThermus aquaticus YT1という好熱性真正細菌から単離されたことが知られている。とすれば火山水に含まれている成分がもしかしたら有効であるかもしれない。そこで温泉水に含まれるいくつかの元素に当たってみたところ、微量バナジウムのみがPCR反応を増強し、得に高分子領域の増幅に有効であることを見出した。本田教授はこれをV-PCRと命名した。これとY-STRの検査を併せて鑑定を行えば、成功するかもしれないと考えたのだ。

ところが当時はまだワークショップの成果を踏まえた販売される予定のY-STRの市販キットY-filerは発売されていなかったので、検出方法は「法医Y染色体鑑定ワークショップ」で決めたマニュアルにしたがって丁寧に行った。鑑定結果は見事なものであった。検出された型をワークショップで作り上げたYHRD (YSTR Haplotype Reference Database)という国際的なデータベースを検索することによると、型検出に成功したY-STR型の6部位のマッチングでは、世界286地域の3万4558人のうち1人もいないという結果が出た。これは決定的であった。科捜研の鑑定では到底ここまでの鑑定は不可能であった。

迫田幸二容疑者の犯行を裏付けるY-STR検査結果

迫田幸二容疑者の犯行を裏付けるY-STR検査結果

 

来田刑事は、この鑑定をもって06年2月8日に迫田容疑者を逮捕、その後に検察に起訴させて08年3月に一審の神戸地裁は懲役5年の有罪判決を言い渡した。この事件は弁護側が控訴を繰り返し、ついには最高裁まで争ったが、「本田鑑定人のV−PCRの手法は科学的に信頼できる」という判決で決着したのである。この事件について兵庫県警の来田刑事は本田鑑定人を神の如くに尊敬し、今なお交流が続いていることを付言しておきたい。

もう一つの事件である05年1月に発生した大阪市住吉区強盗殺人事件についても簡単に紹介しておこう。これは大阪市住吉区のマンションでスーパー店員、児玉喜久江さん(当時48歳)が殺害され、現金約50万円が奪われた強盗殺人事件である。

大阪市住吉区の被害者のジャージーから見つかった1本の毛根のない毛髪

大阪市住吉区の被害者のジャージーから見つかった1本の毛根のない毛髪

 

大阪府警の鑑識が捜査したところ、被害者のジャージーに、毛根のない毛髪が付着しているのを発見した。毛根のない毛髪からの鑑定は科捜研ではできないとされていたため、この鑑定は大変に困難であった。またそれだけでなく、この事件ではもう一つ問題があった。府警によると、容疑者はギャンブルなどで約1200万円の借金があり、一昨年夏以降は定職に就かず、 同年末に堺市の自宅を出て行方不明になっていたため、毛が誰のものかを証明するための対照試料がなかったのだ。

小谷晴宣容疑者宅の家宅捜索で押収した電動ひげそり器のなかにあった髭の粉

小谷晴宣容疑者宅の家宅捜索で押収した電動ひげそり器のなかにあった髭の粉

 

そこで、大阪府警は、容疑者の自宅を捜索し、電動ひげそり器を発見し、その中に入っている髭の粉を使って照合できないか、と模索していたのである。これができるのは、「神の手」を持つ鑑定人しかないのではないか、と大阪府警は考えざるをえなかった。「そういう人物は?」として思い当たったのはかつて、大阪府警科捜研の顧問をしており、当時は筑波大学教授に異動していた本田教授だった。そこで茨城県の筑波大学に出向いて、鑑定を依頼したのである。

本田教授は、先の鑑定で成功した実績があったので、「可能性がある限りやってみましょう。しかし結果は出るかどうかはわかりませんが」とていねいに説明したうえで、鑑定を引き受けることにした。それから数ヶ月後「結果は完全に一致しました」と大阪府警に報告した。

それを受けて08年1月に大阪府警は、被害者児玉さんの元上司で職業不詳の小谷晴宣容疑者(当時57)の全国指名手配を行った。

筑波大学の本田克也教授のDNA型鑑定によって全国に指名手配された小谷晴宣容疑者の指名手配書

筑波大学の本田克也教授のDNA型鑑定によって全国に指名手配された小谷晴宣容疑者の指名手配書

 

この指名手配をかけた半年後の7月9日、府警捜査員が小谷容疑者を東京都江戸川区の公園で見つけたという。容疑者は「借金があり、金に困っていた」と容疑を認めたという。

これでもわかるように、全国の警察・検察から鑑定力のすさまじさは全国に鳴り響いていたのである。それがなぜ、急に、足利事件以降、検察が自らの失策を暴かれるや否や、自らを反省することなく、逆に自分たちの手落ちを暴いた鑑定人憎しとばかりに逆ギレしたあげく、その腹いせに「本田教授は検察の敵」としてこれまでの恩を仇で返すような仕打ちをしてしまうようになったのか。そのようなことができる日本の検察庁や警察庁とはいったい何なのか。捜査機関として腐りきっている現実は見逃せない。

例えばだ。その後も大阪府警は何度か筑波大学を訪ねて、難事件の鑑定を依頼しようとした。ところがだ。全て検察庁に反対され、未解決に終わった事件は多数あったのである。ある事件などは、大阪府警の刑事が資料を新幹線で持って行く途中に電話があり「本部から引き返すように言われてしまいました。申し訳ありません」と言われたこともあった。

また筑波大学でも、茨城県警嘱託の司法解剖を多い年では300体こなし、また難事件のDNA鑑定にも協力しながら、足利事件依頼は、検察庁の命令で筑波大学には検察庁が関与する事件の相談は一切しないように、と言われたという。結果として他県に鑑定を依頼することになり、これにより茨城県警の捜査能力がどれほど落ちてしまったかははかりしれないものがあると言うべきである。

正義を貫くはずの捜査機関が、自分たちに都合の悪い鑑定人には頼まない、言うこと聞いてくれる鑑定人とだけ仲良くする、という体制にこそ現在の捜査と裁判の宿痾ともいうべき業病があることは明らかである。そしてその背後には科学者としての魂を警察庁に売り渡した、出世欲にまみれた偽証法医学者の先導があったことは言うまでもない。

こんな捜査姿勢でいいのだろうか。選挙で選ばれる国会議員たちは何をしているのか。闘え。国民の声に耳を傾けてほしい。

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梶山天 梶山天

独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。

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