日本で報じられない「時代の変化」 米国覇権は終わる 日本は泥舟から脱出せよ

小西隆裕(こにしたかひろ)

岸田文雄首相の地元・広島でのG7サミットから1カ月半。このサミットを主宰した当の本人は、その「大成功」を謳い、内閣支持率は一時、50%を超えるまでの上昇を見せた。

だが、それが虚勢にすぎなかったのは、その後の世界の動きが示しているのではないか。現実は、日本がしがみつく覇権国家・米国の歴史的位置を冷厳に現しているのである。

浮き彫りになっていた米覇権の衰退

広島でのG7は、何といっても「核」の問題で注目された。被爆地に米国をはじめ核保有国の首脳が集まり、「被爆の実態」を目の当たりにしながら、「核廃絶」について語り合う。そこに何らかの結果が出される、という淡い期待も寄せられていた。

だが、その期待は予想通り裏切られた。というより、会議で採択された文書「広島ビジョン」は、核軍縮どころか中ロや北朝鮮の核の危険性を訴え、それに対抗する「核抑止力の強化」を宣言するものになった。この世界、とりわけ“御当地”日本に対する「核武装への勧め」が、人々の共感ならぬ怒りとともに、呆れまで引き起こしたのは、あまりにも当然ではなかっただろうか。

実際、日本を除く世界の大半で、このG7広島サミットを前にして関心を引いていたのは、核の問題というより米覇権の弱体化だった。すなわち、もはや米国の意思で動き左右されるような国際会議はG7サミットしかなく、それも、そこで示された意志によって世界を動かし変えることなどとてもできなくなっている。それがサミットを前に改めて浮き彫りになり、話題になっていたのである。

この間のウクライナ戦争と関連して、米国によって出されたロシア非難・制裁決議が時を経るに従い、国連やG20などの諸国際会議で賛同を得られず、否決されてきた事実が、それらの根拠になっていた。

狙われた「大逆転」

今回のG7サミットに対する米国の意気込みは普通ではなかった。もちろん、広島における中ロに対抗する「核抑止力強化」宣言、それが日本の核武装化を狙ったものとして、重要な目玉の1つだったのは、これまで本誌で解説してきたとおりだ。

しかし、米国にはより大きな狙いがあった。それは、インド・ブラジル・インドネシア・ベトナムなどグローバルサウスの主要国首脳をサミットへ招待したこと、そして何より、そこへゼレンスキー・ウクライナ大統領参加のサプライズを準備したことに示されている。

米欧による、旧植民地諸国である国々への接近は、昨年来のものだ。「グローバルサウス」なる造語を用意して、アジア・アフリカ・ラテンアメリカなどへのアプローチが積極的に図られた。岸田首相の中東・アフリカなどへの行脚は、明らかにそれを補完するものだった。

なぜグローバルサウスへの接近だったのか。その動機がウクライナ戦争にあったのは、はっきりしている。この戦争にあって、旧植民地・新興独立諸国は、おおむねロシア側についた。それは、帝国主義諸国・米欧にとっては、かなり深刻なショックだったのではないだろうか。それにより、米欧によるロシア非難・ロシア制裁など、ロシアに対する攻撃が大きく後退するようになった。

国際会議でのロシア攻撃の議決ができなくなっただけではない。より決定的だったのは、国際決済機構からのロシアの排除など、ロシアを世界経済から締め出す「制裁」が、逆に米欧側の物価高騰などの経済危機として跳ね返ってきたことだ。そこにこそ、グローバルサウスの国々がロシアの側につき、世界経済地図がロシア側有利に書き換えられたという現実があった。

ウクライナ戦争における自らの劣勢を優勢に転じ、「米対中ロ新冷戦」を米国側、「民主主義陣営」の側に有利に推し進めるようにする「大逆転」。米国は、そのための鍵をグローバルサウスの取り込みに求め、広島サミットにそれを託したところに、今回の事態展開の真相があったのではないか。

ゼレンスキー参加の「サプライズ」は、その切羽詰まった「企図」を満天下にさらけ出すものだった。結果はどうなったか。「大逆転」という米国の狙いは達成されたのか。

G7以降の世界政治の進展は、とても「大成功」といえるものにはなっていない。それどころか、真逆の結果になっているのではないだろうか。

何よりもサミット終了直後、この会議に特別招待されたグローバルサウスの国々の反応が、そのことを端的に示していた。「ウクライナとロシアの戦争のためにG7に来たのではない」というルラ・ブラジル大統領の言葉はそのことを雄弁に物語っていた。さらに「ゼレンスキー氏の存在に支配されたG7」(インド有力紙)、「世界で重要性を失うG7」(インドネシア紙)、「ベトナムはどちらか一方を選ぶのではなく、正義と平等を選択する」(ベトナム政府系紙)等々の各国メディアも、そろってG7への不信と反発を表明した。

なぜこうなったのか。そこに広島サミットが失敗に終わった根本的要因があると思う。一言でいえば、米英をはじめG7諸国の相も変わらない帝国主義的態度そのものにあったのではないか。世界各地の国際会議でそれぞれ議長を務めるグローバルサウス主要国の首脳を呼んでおいて、そこにゼレンスキー大統領を予告なしで突如登場させることで、グローバルサウスのロシア非難・ウクライナ支持を取り付け、これら諸国の自陣営への取り込みを図る姿勢自体に、G7帝国主義諸国の旧植民地・新興独立諸国に対する立場・態度の本質が、あまりにも如実に示されていたということだ。

G7とグローバルサウス諸国との間には、古い帝国主義と植民地の関係が色濃く残っているのだろう。それは、日本と韓国などアジア諸国との関係同様、一度もそれを総括したことなく続いている。

この帝国主義と植民地の関係は、今日におけるG7とグローバルサウスの関係にあって、どのように現れるか。それが一度の総括も経ることのなかった限り、かつてと同じ関係を本質的に克服することはできないだろう。

一つは、旧植民地・新興独立諸国を帝国主義諸国の首脳会議に呼んでやったのだ、有り難く思えという意識である。もう一つは、だから、グローバルサウスの国々は、会議に出させてもらったことを栄誉とし、サミットで提起されたことを喜んで受け入れ、ついてこいという感覚だ。加えてもう一つ、G7が押し立てる「ゼレンスキー効果」に対し、その「圧倒的効力」への過信があったのではないか。

こうして見た時、そこに貫かれているのは、「帝国主義である自分への過信」であり、「旧植民地・新興諸国への蔑視」だ。この「過信」と「蔑視」が抜きがたく見られたのが広島サミットだったのだ。これでは、グローバルサウスの国々を米欧側に引き寄せるというサミット初期の目的を達成できないのは、あまりにも当然ではないだろうか。

そのうえで問題にすべきは、この過信と蔑視がどこから生まれてきたのかということだ。

広島サミットの歴史的位置

なぜG7の国々は、今回のサミットにあたり、自分たちをグローバルサウスの国々の上に置いて過信し、また彼らを下に置いて蔑視することしかできなかったのか。

端的にいえば、彼らが現時代を正しくとらえられていなかったからだと思う。彼らにとって、今の世界も依然として強者が世界を支配し動かす覇権の時代だ。だからこそ彼らは、自らの覇権回復戦略として「米対中ロ新冷戦」を引き起こし、「民主主義陣営」と「専制主義陣営」の2つに世界を分断しながら、ウクライナ戦争にあたっては、ロシアを非難・制裁して潰そうと躍起になっている。先述したようにグローバルサウスへ接近を図っているのも、そのための多数派工作にほかならない。

だが、この「工作」は、広島サミットで失敗したように、今後もうまくいかないだろう。米欧の「過信」と「蔑視」は、覇権時代にしがみついているところから生まれている。言い換えれば、時代はもはや覇権強国が世界を支配し左右する時代ではないということだ。

広島に招待されたグローバルサウス諸国のサミットへの評価が、そのことを雄弁に物語っている。もはや彼らは、今を覇権の時代だとは認めていない。

そうした各国の反応を見ながら、外交評論家で内閣官房参与の宮家邦彦氏は、「グローバルサウスといってもねえ、彼らに理念がありますか。1つにまとまっていますか」「理念を提起し、世界をリードできるのはG7しかありません」と語っていた。

この言を聞きながら思うのは、理念やリードにも時代があるということだ。米覇権時代の理念やリードは、覇権国家・米国の理念やリードが支配的だった。しかし、それはもはや受け入れられなくなっている。ほとんどの国際会議で米国が出した決議が通らなくなっているのが何よりの証左だ。

逆に、グローバルサウスに理念もリードもないかといえば、そうではない。主権国家の意思と国益を第一にし、互いに尊重する理念が支配的になりつつある。ASEANなどに見られるように、互いに助け導き合いながら世界発展の流れをリードする風潮が生まれてきている。もちろん、それはいまだ明確な形はなしていないかもしれない。しかし、確実に、一つの流れを成してきているように見える。これは、自由と民主主義、「法の支配」など「普遍的価値観」を掲げ、それを国の意思や国益の上に置き、各国家の上に君臨してきた米国による覇権の時代の終焉を意味しているのではないだろうか。

このことは、これまで述べてきたような、米国の意思が通らなくなっていることにだけ現れているのではない。各国の議会で米国式二大政党制が破綻・崩壊し、従来の二大政党の多くが人心・民心を失い、代わって自国第一・国民第一の新党・新勢力が大きく伸長し、政権をとるケースが多くなっている。

これを「極右」の台頭・右傾化など、一時的で偶然的な現象と見ていては、時代の進展を正しくとらえることは決してできないと思う。時代は、明らかに大きく転換している。

繰り返すが、米覇権の時代は、確実に終焉の時を迎えている。G7広島サミットは、この時代の転換を逆戻しし、ウクライナ戦争、ひいては「米対中ロ新冷戦」で傾いた米覇権崩壊の趨勢を「大逆転」し建て直すことを目的としていた。

だが、米覇権の時代にあくまでしがみつくG7の失敗は、致命的だったのではないか。グローバルサウスを味方につけることに失敗したウクライナ戦争の未来も、「米対中ロ新冷戦」の展望も、米欧の側には限りなく暗く閉ざされている。それを後世の歴史から見た時、今回の広島サミットとは、米覇権時代の最終局面を開くものだったといえるのではないだろうか。

まだ誌面に少し余裕があるので、この米覇権の終焉が、覇権そのものの終焉になるかどうかも見ておこうと思う。これについてよく言われるのは、米一極覇権から米中ロなど覇権多極化への転換だ。それは、人間社会に覇権のない社会などあり得ないという考え方に基づいている。しかし、人間の歴史には原始共同体など、覇権のない時代があった。というより、それが人類歴史の大部分だった。そうした見地からすれば、完全な脱覇権という全く新しい人間の歴史を考える方が正しいし、楽しいことだと思う。

そして、中国やロシアが米国の覇権と同様な覇権の運営を考えているとも考えにくい。彼らは、この脱覇権の時代にあって、全く新しい国のあり方を考えているのかもしれない。

(月刊「紙の爆弾」2023年8月号より)

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小西隆裕(こにしたかひろ) 小西隆裕(こにしたかひろ)

東大医学部共闘会議議長・共産同赤軍派。1970年、朝鮮へ。「ようこそ、よど号日本人村」(http://www.yodogo-nihonjinmura.com/)で情報発信中。

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