国際情勢の変容と日本の進路(前)
安保・基地問題米国による対日占領支配が終わって70年余、日本はいまも米国に深く従属し、その世界戦略に組み入れられている。米軍は、陸も海も空も、日本の国土を世界各地に出撃する訓練場として自由に使用している。米軍戦闘機が住宅地に燃料タンクなどを投下する事件が2021年11月にもあった。多くの住民が米軍訓練の危険と隣り合わせに、おびえながら暮らしている。
しかし日本政府は抗議しない。それどころか国民の税金を米軍につぎ込んでいる。最近は米軍と自衛隊の共同訓練が増えた。米軍司令官が指揮して、日米両軍が一体で戦争する態勢づくりが進んでいる。
一方で、国際情勢は大きく変わった。最近は変化のテンポが速い。
米国はベトナム戦争、イラク戦争、アフガニスタン戦争など多くの戦争をしてきたが、いずれも多大の犠牲を払いながら、成果はなく撤退せざるをえなかった。欧州の同盟国を含めて、米国に従う国は少なくなった。
米国が各地の紛争にかかわっている間に、中国は新自由主義の経済を取り入れて急速に発展した。2020年代にも国民総生産(GDP)で米国を追い越すとみられている。そうなると、国際情勢の大転換につながるだろう。ただこれにはまだ不確定要素がある。
大きく変容する国際社会のなかで、日本はいかなる進路を選択するのか。この選択に、この国の前途がかかっていることは疑いない。これまで米国に従属してきた日本は、引き続きこの道を進むのかどうか。その選択を誤るなら、次の世代はもちろん、遠い将来の世代にも、危険と負担を押しつけることになる。
本稿では、国際情勢がどのように変化しているかを検討して、日本はいかなる道を進むべきかを考える。
1.「世界の憲兵」はどこで何をしているか
変容する国際情勢の特徴の一つは、アフガニスタンで20年以上にわたり戦争を続けてきた米軍が、後始末もせずに撤退したことに示されている。最新鋭の兵器で武装した米軍は、イスラム武装組織のタリバンとの戦争で、米軍機の無差別爆撃などにより多くの住民を犠牲にしてきた。しかし成果なく撤退せざるを得なかった。
・「対テロ戦争」はどうなったか
米国は2001年の9・11同時テロの首謀者をかくまっているとして、戦争を始め、米国史上もっとも長い戦争を強いられることになった。かつてのベトナム戦争がそうであったように、強大な軍事力をもつ大国が民族自決権を踏みにじって他国を侵略しても、最後に敗退せざるをえないというこれまでの歴史で示された教訓があらためて証明された。
アフガニスタン戦争は、米国が「世界の憲兵」として20世紀末から中東などで続けてきた戦争の継続でもあった。イラクが1990年に隣国クウエートに侵略して始まった湾岸戦争では、大量の軍隊をサウジアラビアに送った。1989年11月のベルリンの壁崩壊に始まるソ連・東欧の激動とほぼ同じ時期だった。「社会主義」を名乗っていたソ連・東欧の崩壊は、「共産主義の侵略から自由世界を守る」という軍事同盟や米軍駐留の理由を喪失させ、米国は新たな理由を必要としていた。
米国は2003年にはイラクが大量破壊兵器を隠しているとして、同国に対して戦争を始めた。ねらいは大量の原油埋蔵量をもつ中東の支配権を握ることにあった。けれどもイラクに大量破壊兵器は、最初からなかったのである。
・女性、子どもたちが犠牲に
アフガニスタンで敗退した米国が、いま中東で最も敵対しているのはイランである。米国はトランプ政権下でソレイマニ・イラン革命軍司令官殺害やペルシャ湾でのイラン船舶爆破で無法ぶりを示したが、バイデン政権もイラン制裁をひきつぎ、「イランが核兵器を開発している」として引き続き敵対している。軍産複合体に支配される米国は、いつも敵対国を必要としている。イランは国連安保理常任理事国・ドイツ、EUと2015年に核兵器を開発・保有しないことで合意しており、これを実行する外交的努力が必要である。
シリアでは、米国はいまも「過激派掃討作戦」と称して、住民を犠牲にしながら大規模な空爆作戦を続けている。アラビア半島のイエメンでは、米軍はサウジアラビアが率いる有志連合とともに爆撃を繰り返し、アラブ首長国連邦(UAE)などに最新鋭航空機や弾薬を供給するなど、女性、子供を含む住民多数を死傷させている。
2.核兵器禁止の胎動と核大国の抵抗
核兵器の禁止と廃絶を求める国際世論が大きく発展している。国連本部で2017年7月7日に採択された核兵器禁止条約が21年1月に発効した。批准国の増加により、国際条約として政治力を発揮するようになってきた。
同条約には2021年末までに128か国が賛成、59か国が批准した。国連総会でも4年連続で決議が採択されている。2022年には調印国による会議が開かれる。広島、長崎で核兵器の恐ろしさを体験した被爆者が世界に訴えてきたことが、国際政治の場で実を結びつつある。
核兵器禁止条約が発効したことにより、核保有国は国際条約の違反者になった。米ロ中英仏の核保有五大国は、その政治的経済的地位を利用して各国に批准しないよう圧力を加えているが、核兵器に固執する諸国、とりわけ唯一の被爆国でありながら米国に追随し調印を拒否する日本政府はどうするのか、きびしく問われている。
・中国が急速に核保有大国に
かつて米国とソ連は冷戦下で核兵器の開発と保有を激しく競いあい、核弾頭をつけた大陸間弾道弾(ICBM)により地球が一触即発の危機にあるといわれた。ソ連の崩壊によりその危機は消えたが、SHIPRI(ストックホルム国際平和研究所)年鑑2020年版によれば、ソ連の核兵器を引き継いだロシアは6500発、米国は6185発をそれぞれ保有している。冷戦下に核兵器保有を競っていた両国はそれを冷戦が終わった今も続けているのである。
くわえて核兵器をめぐる新たな動きとして、中国が核兵器保有とともに核戦力を急速に強化し、米国、ロシアにつぐ核兵器大国になろうとしている。米紙ウォール・ストリート・ジャーナル2021年7月28日付は、米科学者連盟の調査として、新疆ウイグル自治区のハミ市近くには110のサイロが作られ、また甘粛省北西部玉門付近には120のミサイル・サイロが設置され、中国はすでに350発の核兵器を保有していると報じた。
英紙フィナンシャル・タイムズ2021年8月17日付は、中国が音速の5倍以上の速さで飛ぶハイパーソニック兵器で米国のミサイル防衛(MD)をかいくぐる新型核兵器・大陸間弾道ミサイル(MD)の開発に成功したと報じた。
一方で、中国紙によれば、米国は2021年12月、三度目の超音速ミサイル弾道発射実験に失敗したという(文匯報(ぶん わい ほう)2021年12月19日付)。米紙ニューヨーク・タイムスによれば、米ロ間では戦略兵器制限交渉があるが、米中間にはなく、中国は米側からの協議の提案を拒否しているという。
米国防総省が2021年11月5日、議会に提出した報告書は、中国は20230年までに1000発の核弾頭をもつ可能性があり、固形燃料使用の大陸間弾道ミサイル(ICBM)の地下格納庫を少なくとも三つ建設し始めたと明らかにした。中国の人民日報社発行「環球時報」は「中国の核兵器庫の状況は最高の国家機密の一つ」だが、米国は中国が西北部で進めている弾道ミサイル発射サイロを絶えず衛星から撮影していると述べ、米側情報を否定しない。
中国は1964年に最初の核実験に成功した当時は、核兵器禁止の先頭にたつと政府声明と声明した。しかし、いま中国の政府もメディアも、その事実にはいっさいふれない。
こうして最近の国際情勢は米ロ両核大国の核軍拡競争に中国が加わることにより複雑さを増している。核兵器廃絶を求める運動は、核保有国を国際世論で包囲し政治的に追いつめてゆく新たな課題に直面している。
・地球温暖化防止へ米中の責任
地球上で生きるものに、核戦争の危険とともに、差し迫って現実に危機をもたらしているのは、二酸化炭素(CO2)による地球温暖化の気候変動である。気候変動は年々ひどくなり、頻発する水害、台風、竜巻などの大災害により多数の生命が失われている。
世界のCO2排出量のうち28%は中国で、米国の15%と合わせて43%になる。この二つの大国が温暖化防止にいかに重大な責任を負っているかがわかる。
中国は近年、風力、太陽光による発電に力をいれており、再生可能エネルギーは890ギガワット、世界の32%を占める。ただこの数字はここ数年、経済規模が拡大するなかで基本的に変わっていない。
経済が発展した国々は2030年まで二酸化炭素排出量を半減させ、2020年までにゼロにするとしている。しかし、2021年11月に英グラスゴーで開催されたCOP2では、中国代表がパリ協定と現在の努力の間には差があることを認めたものの、米中両国とも二酸化炭素排出をいつまでにゼロにするかを言明しなかった。気候変動の問題は、米中をはじめとする大国の政治のあり方を世界の人々に突きつけている。
3.軍事同盟は存在理由を失う
第二次世界大戦後、最大最強の軍事大国となった米国は、世界の多くの国々と軍事同盟を結び、軍事基地を設け、米軍を各国に送り込んできた。ソ連や中国の侵略から同盟国を守るということを、その理由にしたが、実際は米国の世界戦略に各国を動員するためだった。
・多くの軍事同盟が消えたが
米国は第二次世界大戦後、NATO(北大西洋条約機構)、中央条約機構(METO)、東南アジア条約機構(SEATO)、日米安保条約、米比相互防衛条約、米台相互防衛条約、米韓相互防衛条約、アンザス条約機構(ANZUS)などの軍事同盟の網を地球上に張りめぐらした。いまではその多くが崩壊し、いま残っているのは、NATO、日米安保条約、米韓相互防衛条約、ANZUSである。
一方、ソ連主導でつくられた中ソ同盟は、中ソ対立により1950年代末には崩壊し、ワルシャワ条約機構も、ソ連・東欧崩壊により消滅した。
1970年代には、ソ連、中国が互いに対立するとともに、米国に敵対しなくなり、軍事同盟の存在理由は消滅した。日米軍事同盟は、対ソ、対中戦略のためから、米軍が地球的規模で出撃し、自衛隊にそれを補完させる軍事同盟に変質し、さらに強化された。
1972年にニクソン米大統領が中国、ソ連を相次いで訪問したのは、その象徴的事件だった。訪中、訪ソの目的は中国、ソ連の出方をさぐり、ゆきづまっていたベトナム侵略戦争に集中することだった。しかし、米軍は結局ベトナムから追い出された。
当時、日米安保条約下で在日米軍基地はベトナムへの出撃基地として重要な役割をはたしていた。しかし、中国の周恩来首相はニクソンに対して日米安保条約支持を言明した。中国のこのような態度は、それから半世紀後のいまも基本的に変わっていない。
1939年 京都市生まれ。大阪外国語大学(現・大阪大学)卒業。著書:「対米従属の正体」「機密解禁文書にみる日米同盟」(以上、高文研)、「日米指揮権密約の研究」(創元社)など。共著:「検証・法治国家崩壊」(創元社)。米国立公文書館、ルーズベルト図書館、国家安全保障公文書館で日米関係を研究。現在、日本平和学会会員、日本平和委員会常任理事、非核の政府を求める会専門委員。日本中国友好協会参与。