【連載】鑑定漂流ーDNA型鑑定独占は冤罪の罠ー(梶山天)

第38回 暗雲が立ち込める弁護団、待望の再鑑定の行方は?

梶山天
次々起こる難問を諦めずにクリアしていく佐藤博史主任弁護士

次々起こる難問を諦めずにクリアしていく佐藤博史主任弁護士

 

一難去ったらまた一難。佐藤博史主任弁護士を中心とする足利事件の弁護団が再審請求を行い、それを宇都宮地裁が棄却した。またしてもどん底に突き落とされたのだが、一筋の光を見出していた。池本壽美子裁判長によって棄却理由書に記された「検査対象試料の来歴に関する裏付けのない押田報告書にあっては、その証拠価値は極めて乏しい」という一文だった。

押田報告書とは、1997年10月28日に「弁護側が女児の着衣に付いた体液と菅家さんのDNA型が一致しない疑いがあるため再鑑定を請求したい」として提出した上告趣意書の補充書として提出されたものである。

その中身は、日本大学法医学教室の押田茂實教授と中国人の鉄堅・同大学講師が「科警研(科学警察研究所)の鑑定では菅家利和さんのMCT118型は16-26型とされていたが、本当は18-29型の可能性が高い」ことを明らかにしたものだった。これは菅家さんからの手紙に自分の毛髪を入れてもらいMCT118型検査キットで鑑定したものだった。

6年前の91年にすでに第1回日本DNA多型研究会で、当時、信州大に異動してきたばかりの本田克也助手が、科警研が行ったポリアクリルアミドゲル型判定方法の欠陥を指摘し、MCT118型に誤りが必然的に生じることを発表していた。当然このことは、科警研も佐藤弁護士や押田教授も知っていたはずだ。押田鑑定は本田研究を踏まえると、実施する前から結果は期待できるが、それを法廷の場に持ち込み、真相を明らかにしようとする人は、それまで誰もいなかった。突破口を見出したいという執念の行為には頭が下がる。

すでに科警研は、本田助手らの研究発表を受け、93年に何と123塩基ラダーマーカーを使った鑑定結果の正しい型への読み替え表を科警研内部雑誌に発表していた。それは「笠井賢太郎、坂井活子、吉田日南子、水野なつ子、関口和正、佐藤元、瀬田季茂:MCT118 座位の PCR 増幅産物のゲル電気泳動による分離と DNA マーカーによる型判定に関する検討—123塩基ラダーとシータス・アレリックラダーとの比較—.科警研報告,46, 121-128 (1993)」という論文である。

まさに足利事件対策として作成された机上論文ともいうべきもので、生実験データの提示はないまま数値が記載されただけのMCT型の読み替え表が掲載されていたのだ。それによると、123塩基ラダーで16-26とされたものは、アレリックラダーを用いた正しい判定では18-29も含まれているとするものだった。まったく巧妙なデータ表の作成である。表はデータを打ち込むだけで作れるから、このような実験が本当に行われたのか、行われたとしてもその解釈は正しいのかは、論文からはまったく読み取れない代物である。いずれにしてもこれによって科警研の鑑定の誤りを糊塗する意図があったことは間違いなく、裁判にも証拠として提出された。まったく巧妙な手口としか言いようがない。

これらの後出し証拠も功を奏したのか、2000年7月18日、最高裁小法廷はこの押田鑑定の証拠価値を認めず、上告が棄却され菅家さんの無期懲役が確定した。この内容を不服として異議を申し立てたが、再度却下されたため弁護団は02年2月25日、宇都宮地裁に、押田鑑定などを新証拠として再審請求するも、08年2月、池本裁判長は「科警研のDNA鑑定は信用できる」としてDNA再鑑定を認めなかったのだ。

弁護団が再審請求するが、宇都宮地裁は棄却する。それでも池本壽美子裁判長が指摘した言葉に一筋の光を見出した。

弁護団が再審請求するが、宇都宮地裁は棄却する。それでも池本壽美子裁判長が指摘した言葉に一筋の光を見出した。

 

池本裁判長は「弁護側が提出した鑑定に用いた毛髪が本当に菅家さんのものであることの証明がないので、新証拠としての証拠価値がない」と指摘していたのだ。だとすれば、毛髪が本人のものであると証明できれば、再鑑定の道が開ける。菅家さんには兄がいる。兄弟鑑定で証明できるのではないか?

方針がきまり、指摘された問題をクリアするために、弁護団は菅家さんの兄である秀典さんの協力を得た。血液を採取し、押田教授と鉄講師の2人で先の独自鑑定で使用した残りの菅家さんの毛髪1本を、最新のSTR法によって鑑定。常染色体にあるSTR15部位のうち、共有するDNA型が比較的多く性染色体であるY染色体のSTR16部位が全て一致して目的を達成した。毛髪が菅家さん本人と立証できたのだ。再鑑定の扉がだんだん開きかけてきた。

そうはいっても、弁護側には一つ懸念材料があった。この時点で、すでに18年以上たった肌着遺留精液のDNA鑑定が本当にできるのか、という根本的な問題だった。押田教授らが鑑定で使った菅家さんや秀典さんの毛髪と血液は鮮度があるうえ、残った試料も超低温保管庫にある。

それに比べ、肝心の被害者の松田真実ちゃんの肌着は、DNA鑑定が前提とされていたわけではなく、そもそも当時まだ誰もDNA鑑定がどんな鑑定なのか、理解していなかったので、最初から杜撰きわまりない取り扱いや保管方法だったのだ。

川の中から発見され、たっぷりと川の水を吸い込んだ肌着は、栃木県警科学捜査研究所(科捜研)の福島康敏技官がなんと、ヒーターを使い37度の熱で2日間かけて乾かした。それなのに控訴審の法廷で福島技官は「2、3日自然乾燥させた」と平気で嘘の証言をした。その後科捜研には、低温保管装置を備えていたものの肌着を段ボール箱に入れてロッカーで保管した。犯人の血液型を特定するために用いられた後は、足利署に返却された。

低温保管装置のないところで、DNAの劣化対策もとられることなく常温で保管された。1

年3カ月後、科警研で鑑定を行うために、肌着はいったん東京に運ばれた。

鑑定後は再び捜査本部に戻され、前と同じように常温のロッカーに保管された。

菅家さんが逮捕された後は検察庁に送られたがそこでも、そして宇都宮地裁や東京高裁の証拠保管庫でも、常温で保管か続いたのだ。

弁護団は何度も、カビなどの細菌によるDNAの破壊・変質を防ぐために肌着を超低温保管するよう求めたが叶わなかった。それが実現したのは、再審請求の期間中である04年7月12日に宇都宮地裁(飯渕進裁判長)がやっと自治医科大学法医学教室に委託を行ってからであり、事件発生から14年も経ていた。

肌着に遺留するDNA試料は、汚染(コンタミ)どころか、劣化が進み低分子化(古いDNAに生じうるDNAの分解)がさらに進んでいることは間違いないことが、弁護団を不安にさせた。警察庁は92年4月14日に「DNA型鑑定の運用に関する指針」で、「試料の保存に当たっては、混同、露出等を防止するために凍結破損しない容器に個別に収納し、超低温槽(マイナス80度)で冷凍保存するなど試料の変質防止等に努める」ことを全国の警察に通達していた。

それなのに「まるで試料を劣化させて、再鑑定を不能にするかのように時を浪費させたとしか思えない」と弁護人たちは唖然とした。なんとしても再鑑定を阻止したい理由があるのではないか、とも考えられた。もしかしたら「全量消費」という決まり文句とは裏腹に、実際は抽出DNAの残りは科警研に残っているはずであるから、すでに再審の鑑定で菅家さんとは一致しないことを知っていた可能性も捨てきれない。もし一致していたのなら、有罪証拠の確定となるため、堂々と再鑑定させればいいはずである。肌着の重要性を理解しながら対応しなかった検察や裁判所に対しても、弁護団は改めて強い怒りを感じた。

実際のところは分からないが、肌着の精液斑を確認するためにSMテスト試薬によって、その後DNAの破壊が促進された可能性もある。しかし、試料の劣化や汚染を強調することによって、検察側は再鑑定が無意味であるという暗示を掛けたかった可能性もある。いずれにしてもよほどの技術を持っていなければ鑑定は難しい。白羽の矢を立てるべき鑑定人としての人物をめぐり、弁護団の中で何度も議論が行われた。

再鑑定の鑑定人を打診され、「できない」と断った日本大学の押田茂實教授

再鑑定の鑑定人を打診され、「できない」と断った日本大学の押田茂實教授

 

弁護団はまず、劣化が進んだ試料を用いて当時科警研が行ったMCT118法を再現することが可能かどうか、押田教授に打診した。可能ならば、再鑑定の扉も開くかもしれない。期待が集まる。意外なことに、佐藤弁護士らが秘かに期待したものとは違う返事が押田教授の口から洩れた。「キットが使えない以上、検査はできない」。その言葉に、弁護団は重いため息をついた。押田教授らが菅家さんの毛髪から鑑定した97年当時には、MCT118の検査キットが販売されていたが、科警研が使用しなくなった08年にはすでに販売を停止し、MCT118検査による再鑑定が困難にされてしまっていたのである。

「やっとここまでたどり着いたと思ったのに……」。ショックは計り知れなかった。

押田教授が言うように、どういうわけかこの時期にはMCT118法の検査キットが販売停止となった、と。このキットの最大のお得意様は科警研や科捜研なので、このキットは彼らのバックアップがあって初めて市場に出ることができる。彼らが使用しないと宣言すれば、撤収は避けられない。科警研とメーカーには太いパイプがあり、お得意先である科警研の意向を踏まえた商品を開発し販売してきたのだ。だから科警研が使わないと言えば即、販売停止になる。科警研がメーカーの商品販売に無関係であるとは言えない。確かにこの時代は国内でわずか1部位を検査するCT118鑑定は既に時代遅れになっていたし、一度に16部位を検査できるSTRキットによる方法が主流になってきていたのだから、MCT118法の鑑定の検証ができない。したがって足利事件の再鑑定を阻止するため、検証不能にさせるという裏の意図がなかったとも言い難いのである。

しかし、弁護団はこの状況に屈するわけにはいかなかった。すでにDNA鑑定に対して一石を投じることに成功しているのだ。何か他の方法はないか。活路を探して模索してみたが、これ以上どうにもならないのではないか、との声も次第に出るようになった。

– – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – –

●八木啓代さんを囲んでのトーク茶話会のご案内

ISF主催公開シンポジウム:東アジアの危機と日本・沖縄の平和

※ISF会員登録およびご支援のお願いのチラシ作成しました。ダウンロードはこちらまで。
ISF会員登録のご案内

「独立言論フォーラム(ISF)ご支援のお願い」

梶山天 梶山天

独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。

ご支援ください。

ISFは市民による独立メディアです。広告に頼らずにすべて市民からの寄付金によって運営されています。皆さまからのご支援をよろしくお願いします!

Most Popular

Recommend

Recommend Movie

columnist

執筆者

一覧へ