【特集】福島原発事故と放射能被害

平和友の会連載「世相裏表」安斎育郎:2023年9月号原稿 案の定の結果を招いた「処理水問題」

安斎育郎

●伝言館声明を再読する
現在私が館長を務める福島県楢葉町の「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマ伝言館」は、2021年4月、汚染水の海洋放出の方針について「福島原発事故の汚染水海洋放出について━“科学性と経済性の土俵”に乗せられるな」という声明を出しました。そこには「政府が勝手にしつらえた“科学性と経済性の土俵”に乗るのは、危険だ。土俵の外で提起されているタンク増設案や固形化処理案は考慮の外だ。今回の問題は“科学”や“経済”の問題であるよりは、“民主主義”の問題だ」と指摘されています。そして、「検討過程に水産・漁業関係者やその推薦に基づく科学者の参加さえ許さず、国際原子力機関(IAEA)方式で計算してみせて一方的にその結論を押しつける。ここには“民主的合意形成”に向けての微塵の意思さえ感じられない」と政府のやり方を厳しく指弾し、「政府は、廃炉を進める上で解決しなければならない汚染水問題に“科学性”と“経済性”を標榜して海洋投棄への道を開き、逸早くアメリカと IAEAの賛同表明を得て既成事実化しようとしている。私たちはこうした非民主的な原子力行政のあり方を断固として拒否する」としています。

●経産省方式の問題点
「海に捨てる」と決めてかかってIAEA(国際原子力機関)方式で計算すれば、計算過程のパラメータの取り方によって結果は動くものの、安斎育郎が再計算したとしても何千倍も危険だと出るような性質のものではありません。
政府のやり方には2つの根本的な問題があります。

第1に、放射能の影響の問題は、被曝線量の多寡による医学的影響の問題だけでなく、心理的影響や社会的影響が大きいことはこれまで山ほど経験している筈なのに、これを軽視したという点です。「放射能を海に捨てる」と聞いたら、「それによる海産物の放射能汚染に伴う日本国民の被曝はどれくらいか」という科学志向の受け止め方だけでなく、被曝線量の多寡にかかわらず「日本の海産物は食べない」という心理的反応が広く見られることはよく知られています。「風評被害」もその一環です。こうした心理的反応は被曝線量の多寡という科学の次元の問題ではないので、「実際に測定してみたら放射能濃度は十分低かったです」と言ってみても効果は限定的です。福島原発事故後、福島の農産物・水産物は売れなくなり、時間がたって放射能濃度が下がっても「福島産」というだけで買いたたかれ、安値の取引が続きました。何も放射能汚染があった福島県産を買わなくても、他県産のものを買えばいいという消費者行動を非合理的だと責める訳にはいかないでしょう。しかも、韓国や中国が、福島県産どころか、日本産の水産物の輸入に制限を加えるといった社会的な影響があることもとっくに予想されていたことです。8月24日に実際に捨て始めてから、「科学的には影響がないのに日本産を排除するのは非合理的だ」といってみても、国家政策を変えさせることはそう容易ではありません。

第2は、なぜ経産省の身内だけで捨て方を決めて結果だけを押し付けるような「はじめ結論ありき」みたいな無配慮のことをしたのかという根本問題です。私はこの連載でも、「処理水をセメントと砂利と砂を混ぜてコンクリートにすれば、トリチウムのベータ線は封じ込めることができるし、放射性廃棄物中間貯蔵施設の遮蔽として有効に活用できる」ことを紹介しました。つまり「海に捨てない方法」はあるのですが、経産省の伝統的な身内主義の結果、考慮されませんでした。こうした非民主性は放置しない方がいいでしょう。勝手にとんでもないことを決めて、科学の土俵とやらに国民を引きずり込んで、「科学的には安全。これを信じないのは不合理だ」とも言わんばかりのある種の脅迫的な姿勢は受け入れられません。「伝言館声明」が「科学の土俵に乗せられるな」と言ったのは、そういう意味においてです。

今から51年前、私は日本学術会議で日本の原発行政を点検する6項目の基準を提起し、それが原因で「反国家的イデオローグ」と見なされるようになりましたが、❶対米従属ではなく、開発の自主性が保たれているか、❷安全性よりも経済性が優先されていないか、❸軍事利用への歯止めは十分か、❹地域の内発的な開発計画を阻害しないか、❺労働者と住民の安全性は保たれるか、❻民主的原子力行政が保障されているか、という基準でした。その最後の基準を依然として侵犯し続けている一例が、今度の処理水海洋放出問題です。

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安斎育郎 安斎育郎

1940年、東京生まれ。1944~49年、福島県で疎開生活。東大工学部原子力工学科第1期生。工学博士。東京大学医学部助手、東京医科大学客員助教授を経て、1986年、立命館大学経済学部教授、88年国際関係学部教授。1995年、同大学国際平和ミュージアム館長。2008年より、立命館大学国際平和ミュージアム・終身名誉館長。現在、立命館大学名誉教授。専門は放射線防護学、平和学。2011年、定年とともに、「安斎科学・平和事務所」(Anzai Science & Peace Office, ASAP)を立ち上げ、以来、2022年4月までに福島原発事故について99回の調査・相談・学習活動。International Network of Museums for Peace(平和のための博物館国相ネットワーク)のジェネラル・コ^ディ ネータを務めた後、現在は、名誉ジェネラル・コーディネータ。日本の「平和のための博物館市民ネットワーク」代表。日本平和学会・理事。ノーモアヒロシマ・ナガサキ記憶遺産を継承する会・副代表。2021年3月11日、福島県双葉郡浪江町の古刹・宝鏡寺境内に第30世住職・早川篤雄氏と連名で「原発悔恨・伝言の碑」を建立するとともに、隣接して、平和博物館「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマ伝言館」を開設。マジックを趣味とし、東大時代は奇術愛好会第3代会長。「国境なき手品師団」(Magicians without Borders)名誉会員。Japan Skeptics(超自然現象を科学的・批判的に究明する会)会長を務め、現在名誉会員。NHK『だます心だまされる心」(全8回)、『日曜美術館』(だまし絵)、日本テレビ『世界一受けたい授業』などに出演。2003年、ベトナム政府より「文化情報事業功労者記章」受章。2011年、「第22回久保医療文化賞」、韓国ノグンリ国際平和財団「第4回人権賞」、2013年、日本平和学会「第4回平和賞」、2021年、ウィーン・ユネスコ・クラブ「地球市民賞」などを受賞。著書は『人はなぜ騙されるのか』(朝日新聞)、『だます心だまされる心』(岩波書店)、『からだのなかの放射能』(合同出版)、『語りつごうヒロシマ・ナガサキ』(新日本出版、全5巻)など100数十点あるが、最近著に『核なき時代を生きる君たちへ━核不拡散条約50年と核兵器禁止条約』(2021年3月1日)、『私の反原発人生と「福島プロジェクト」の足跡』(2021年3月11日)、『戦争と科学者─知的探求心と非人道性の葛藤』(2022年4月1日、いずれも、かもがわ出版)など。

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