〈海峡両岸論〉アイデンティティ危機進むニッポン アジア鏡の「大国」自画像が崩壊
国際「失われた30年」に歯止めがかからない日本で政治、経済、社会のあらゆる領域で「大国」の指標が下落している。明治維新から155年、日本は中国、朝鮮半島など近隣諸国(人)を「写し鏡」に「脱亜入欧」と富国強兵による近代化建設を進めたが敗戦で自滅。1980年代に世界第2位の「経済大国」の地位を獲得したものの、GDPで中国に抜かれ間もなくインドにも抜かれる。「大国」の実相が失われる一方で、「大国願望」にすがる意識は高まる。いま日本(人)は、「大国」自画像をめぐる「アイデンティティ・クライシス(危機)」の中をさまよっている。(写真=パブロ・ピカソ作「自画像」1972年7月3日作)
「中国観光客=爆買い」の固定観念
アイデンティティ危機が如実に表れたのは、中国が日本への団体旅行を解禁する決定(23年8月10日)についての報道だった。中国人の訪日外国人客全体に占める割合は、新型コロナウイルス禍前(2019年)には、約3割にも上った。観光業界は中国団体旅行の復活によって、観光客消費額が2千億円押し上げると試算。メディアも「中国人観光客はもっと増えてほしい」と歓迎する観光地の声を伝えた。
その一方、人手不足による受け入れ体制の不全や、訪問客急増に伴う地域住民の生活や自然環境の悪化を意味する「オーバーツーリズム」を警戒する報道も増えている。とりわけ中国人観光客の「爆買い」再現を、「期待と蔑み」の相半ばする視線から伝える報道も目立った。
中国人観光客を「爆買い」と表現[i]するのは、どんな心理が作用しているのだろう。中国人観光客が大型観光バスで店に乗り付け、化粧品や電気製品、ブランド品を争って買う姿を見て、多くのメディアは「遅れた中国(人)」や「成り金」を蔑む一方、「優れたニッポン製品」という大国意識をくすぐる心理作用が働いていたのではないか。
「中国人お断り」と言うか?
「中国人お断り」と言わんばかりの記事[ii]も出た。ある全国紙は「上質な観光大国」を目指すため、インバウンドで脱中国を進め、欧米などの富裕層を増やすべきと提唱する記事を掲載した。「欧米白人」を上質と持ち上げる視線は裏返せば、中国人やアジア人を「下劣」とみなす差別意識が透ける。
「脱中国」の理由として、この記事は中国人観光客の「お行儀の悪さ」を挙げ、「まだ海外旅行の初心者も多く、京都など有名観光地に集中してしまいパンク状態を招いた」と、「オーバーツーリズム」に苦言を呈する地元との摩擦を挙げている。
さらに「日本が上質な観光大国をめざすなら『今後集客すべきなのは欧米からの客。日本の観光を、単純にコロナ前の姿に戻してはいけない』」と提言する星野佳路・星野リゾート代表のコメントを付けて、自己主張の拠り所にするのである。
欧米観光客を「優良」とみなすのは一時代前の幻影にすぎない。欧米のバックパッカーの若者が、夜中に路上で酒を飲んで大騒ぎするのはよく知られている。欧米観光客が増えている背景の一つは、円安の進行による「安い日本」だ。
一方、北京,上海など大都市の「金持ち観光客」は、お行儀がよい高額消費の「優良顧客」だ。帰属から人を判断する偏見が平気で大新聞の記事を飾る。中国が豊かになり、中国人の旅行も団体から個人へ移行し、買い物よりも体験型に変化[iii]している。そんな変化に気付きながらも中国人観光客を「爆買い」イメージで語るのは、メディアの固定観念からだろう。
(写真 「富国強兵」を呼びかける保険会社のポスター)
中国、朝鮮を鏡に自画像描く
日清戦争の10年前の1885年、「時事新報」に掲載された「脱亜論」は、「不幸なるは近隣に国あり」として、「遅れた朝鮮清国のごとき国に隣接するは日本の不幸」と書いた。日本(人)は、歴史的思想的に共通基盤があり風貌も近似した中国と朝鮮半島を「写し鏡」に「自画像」を描いてきた。
近代化とは遅れたアジアを脱し、欧米列強に伍する「世界の一流国」実現を意味した。日清、日露戦争に勝利して「大国化」の目標は実現したが、その後中国大陸とアジア一帯を侵略・植民地化し、米国と戦って自滅した。(写真 「富国強兵」を呼びかける保険会社のポスター)
1945年の敗戦時、多くの日本人は「欧米に負けたのであり中国に敗北したわけではない」と思い込んだはずだ。敗戦直後から始まる「冷戦」は、旧ソ連、中国、北朝鮮など社会主義諸国を敵視することによって、アジア侵略・植民地化の加害責任を直視して反省する契機を失った。
日本政府が、アジア侵略・植民地支配への反省と謝罪を公式に表明した「村山談話」[iv]発表(1995年)まで半世紀もかかったのは「世界の非常識」と言うべきだろう。広島・長崎の原爆投下に始まる「日本の8月」は「被害者体験共有月間」になった。
日本がポツダム宣言を受諾した8月15日の「終戦の日」の政府主催式典では、1993年に細川護熙首相がアジア諸国への「哀悼の意」を表明、94年には村山富市首相が「深い反省」との表現で、加害責任への反省を明言した。しかしその後、安倍晋三首相は2013年式辞でアジアへの加害責任に言及せず、それ以後菅義偉、岸田文雄両首相を含め計11回連続で言及していない。安倍政権以来の日本政権の歴史認識の大後退を明快に説明している。
下落する経済・社会指標
冒頭に書いた「大国指標」の下落を具体的にみてみよう。日本(人)は世界第2位の経済大国の地位を2010年に中国に奪われたが、アジア認識はほぼそのまま維持してきた。それは中国の団体旅行解禁に関するメディア報道でも分かる。「失われた30年」の中、1人当たり国内総生産(GDP)は、アジアのシンガポール、香港に抜かれ世界第24位。ドル高円安の進行によって既に韓国、台湾にも抜かれた。
賃金はこの30年全く上昇せず、労働生産性は主要先進国(G7)で最下位。所得格差は拡大・固定化し「階級化」が進む。世界経済フォーラムによると、2023年の日本のジェンダーギャップ(性差)指数は、146カ国中125位と前年から9ランクダウンし、2006年の公表開始以来最低だった。質の高い論文ランキングでも1位の中国はもちろん、イランにも抜かれ13位に転落した。
これだけデータを並べれば、日本がもはや「大国」「先進国」の名に値しない「衰退途上国」ないし「中進国」に転落したことは一目瞭然だろう。日本だけではない。5月に開かれたG7(主要先進国)広島サミットは「斜陽クラブ化」したG7に代わって、インド、ブラジルなど新興・途上国を意味する「グローバルサウス」が、存在感と発言力を強める多極化世界秩序[v]の現実が浮き彫りになった。
「大国願望」満たした安倍政治
衰退が顕著になったのは、7年8か月にわたる最長政権を誇る安倍晋三政権時代と重なる。安倍は選挙のたびに「世界の中心で輝くニッポンを取り戻す」というスローガンを叫び続けた。要するに、大国にふさわしい日本を取り戻そうという号令だった。
片山杜秀・慶応大教授は、安倍時代の特徴として、「日本の国際的な地位低下への不安と、日本の強い存在感への希求」にあったと分析し、「日本の国はまだまだ強い」と思いたい民衆の願望を満たしたとみる。(「『保守』の現在地 『国体護持』から『中今』へ」(中央公論2023年7月号)
こうしてみると「大国からの転落を示す」現実と、「大国であり続けたい」願望との乖離と相克が、日本(人)で進む「アイデンティティ危機」の実相と分かるだろう。それは国内政治では、対アジア観をめぐる対立の背景にもなっている。
現実と願望の乖離を埋める上で、中国脅威論や嫌中・嫌韓論、ヘイトスピーチは必要な「心理的装置」と言える。福島原発の核汚染水の海洋放出(8月24日)に中国が強く反対し、日本産水産物の輸入の一時停止などの対抗措置を決定した。
それとともに、中国から日本への苦情や嫌がらせ電話が、東京電力だけで6000件超に上り、中国の日本人学校には石や卵が投げ込まれた。「反日」機運の高まりの背景について全国紙[vi]は、「不動産の不況が深まり、若者の失業も2割を超えており、中国の人々に不安が広がっている。共産党への不満をそらすため、習近平政権が『日本たたき』に頼る」と書く。
「日本たたきによって政権批判をかわす」という、いつものワンパターン解説。嫌がらせ電話が2日程度で収まったのは、「共産党への不満が収まった」ためなのだろうか?日本メディアは、「中国人は理性とモラルのない輩」と描くのだが、右翼活動家とそれを黙認する政府・自治体による、在日コリアンや朝鮮人学校への醜悪なヘイト行為などすっかり忘れたようだ。
願望維持のための「嫌中・嫌韓」
日本(人)にとって「アジア」とは、日本を含む「地理的概念」ではなく、多くの文脈で経済・文化的な概念であり、「後進性」の象徴でもあった。だから中国が日本を追い抜き、韓国が日本を追い上げる現実は、大国願望を阻む邪魔な存在なのだ。
現実を認めれば、「アジアの後進性」を鏡に「大国」としての自画像が崩壊する。メディアを覆う嫌中・嫌韓論は、自画像の崩壊を少しでも緩和するする「ショックアブソーバー」(衝撃緩衝材)の役割も果たしている。
嫌中・嫌韓論の裏返しとして、リベラル勢力を含め世論で「親台湾」情緒が高まる。自民党副総裁として台湾を初訪問した麻生太郎氏は2023年8月台北で、台湾有事を念頭に「戦う覚悟」を求める発言をした。「親台湾」世論に乗じたのだと思う。
では日本に「戦う覚悟」はあるのか。官民ともに「覚悟などない」というのが筆者の持論だ。ある世論調査世論調査では「自衛隊が米軍とともに中国軍と戦う」に、反対が74.2%と、賛成を大幅に上回った。
身の丈自覚し、アジア蔑視から脱却を多くの日本人にとり、台湾の存在は強大な中国を抑止するための「カード」であろう。日本社会を覆い尽くす「嫌中」「中国脅威」の裏返しであり、台湾は、「ヒーラー中国」の存在あっての「モノ種」と言える。これは米国も同じであり、米中衝突の危険を避けるため、有事でもウクライナ戦争同様、米軍を投入しないはずだ。
日本人がアイデンティティ危機を自覚し、「衰退途上国」にある現実を認めるにはまだ時間がかかるだろう。それでも、日本(人)が自分の「身の丈」を自覚した時、明治維新以来頑なに守ってきたアジア蔑視から脱却し、日本がアジアの一員として国際政治・経済・社会に参画する新時代誕生の契機になる。アイデンティティ危機はその助走と受け止めたい。(了)
(本稿は、東洋経済Onlineに寄稿した拙稿「脱亜入欧」が崩れ日本アイデンティティが揺らぐ 中国人団体観光客再来で揺れる日本の自画像[vii]を大幅に加筆・修正した
[i] 「爆買い」復活か、2000億円押し上げ効果も 中国の訪日団体旅行解禁で – 産経ニュース (sankei.com)
[ii] インバウンド戦略は2つの「脱」 人数至上主義の転換を – 日本経済新聞 (nikkei.com)
[iii] 「爆買い」再来は? 買い物中心の中国団体旅行に変化も 経済回復に遅れ|経済|全国海外|京都新聞 ON BUSINESS (kyoto-np.co.jp)。
[v] 5月の広島サミットは「G7」の斜陽化を決定づける 世界の多極化はもはや止められない | 外交・国際政治 | 東洋経済オンライン (toyokeizai.net)
[vi] 中国、反日に一定の法則 「処理水」への対応に手がかり – 日本経済新聞 (nikkei.com)
[vii] 「脱亜入欧」が崩れ日本アイデンティティが揺らぐ 中国人団体観光客再来で揺れる日本の自画像 | 中国・台湾 | 東洋経済オンライン (toyokeizai.net)
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岡田充の海峡両岸論 第154号 2023・9・16発行 からの転載です。
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共同通信客員論説委員。1972年共同通信社入社、香港、モスクワ、台北各支局長、編集委員などを経て、拓殖大客員教授、桜美林大非常勤講師などを歴任。専門は東アジア国際政治。著書に「中国と台湾 対立と共存の両岸関係」「尖閣諸島問題 領土ナショナリズムの魔力」「米中冷戦の落とし穴」など。「21世紀中国総研」で「海峡両岸論」http://www.21ccs.jp/ryougan_okada/index.html を連載中。