際限なき「軍事同盟」拡大路線 米国ネオコンが仕切る日本・NATOパートナー宣言

木下寿国

NATOという「軍事同盟」
 リトアニアのビリニュスで開かれたNATO(北大西洋条約機構)首脳会議で7月12日、岸田文雄首相はこう述べた。

「基本的価値と戦略的価値を共有するパートナーは、その絆をさらに深めていくべきだ」

日本はNATOと基本的な価値を共有するパートナーだと公言したのだ。

両者は一体いつから、そのような関係になったというのか。日本は曲がりなりにも平和憲法を掲げ、建前上は軍隊を持たない国だ。一方、NATOは加盟国に武力攻撃があれば、全加盟国に対する攻撃とみなして集団的自衛権を行使する、れっきとした“軍事同盟”なのだ。それが、基本的価値を共有する関係だとは――。

実は、岸田首相の発言には伏線があった。安倍晋三元首相が2007年に日本の首相として初めてベルギー・ブリュッセルのNATO本部を訪れた際、「日本とNATOはパートナーです。日本とNATOは自由、民主主義、人権、法の支配といった基本的価値を共有しています」と述べていたのだ。そして今日、「日・NATO国別適合パートナーシップ計画(ITPP)」の合意にまで至ったというわけだ。

そこでは「協力の戦略的目標」として「実務的協力の促進と相互運用性の強化」「平時から危機に至る全段階における強靭性の強化」などが挙げられている。

もっとも「実務的協力」といっても、いわゆるデスクワークのようなものでは全くない。念頭にあるのは、NATO加盟国間演習への空幕長のオブザーバー参加や日米共同統合演習「キーン・ソード」へのNATOオブザーバー参加など、厳然たる軍事的相互協力にほかならない。いずれは、このような「実務的協力」の先に、自衛隊による実際の国際紛争への出動が狙われているのだろう。日本は、いまや名実ともに世界的規模での軍事同盟国家に変貌しつつあるかのようだ。

だが、そのNATOの背後にいるのが米国であることを見逃すわけにはいかない。NATOは決して、全く自主的に行動しているわけではない。バイデン米大統領の自伝的著書『約束してくれないか、父さん』(早川書房)に目を通してみると、米国の同盟国がいかにその指導に服しているかがよくわかる。たとえば、こんな具合だ。

ロシアがウクライナのクリミアを併合した翌2015年のミュンヘン安保会議。バイデンは、ヨーロッパのビッグ4(英・独・仏・伊)の首脳のうちベテランのメルケル独首相を標的に定め、圧力をかけた。自らのプーチン露大統領への「断固たる」姿勢を彼女に理解させようとしたのだ。

午前中の会議でメルケルが、ウクライナ軍への強力な兵器供給を考えていないことを知ったときには「がっかりした」。それでも、その直後には、ウクライナのポロシェンコ大統領とメルケルとの内輪の会議に臨み、彼女がプーチンへの「逃げ道」を用意しようとしていることに待ったをかけた。そして同日午後、会議のスピーチに立つと、バイデンは「できるかぎりの表現で、ウクライナに武器を供給することが私たちの道徳的義務だとNATO同盟国に伝わるようにした」。結果、「その場のすべての政治家たちから拍手を受け」「自分の役割は成し遂げた」と満足するのだ。

米国はこのように陰に陽に、主要国に対し、自らに従うよう常に圧力をかけ続けているのだろう。今年5月のG7広島サミットで発表された首脳共同コミュニケは、ウクライナにおける速やかな停戦には一言も触れていなかった。逆に「揺るぎないウクライナへの支持を再確認」するなどとして、戦闘継続を煽りさえしているのである。

ここでも米国は強力な指導力を発揮したのだろう。

米国ネオコンの本性
 バイデンを強硬手段に駆り立てているものこそ、ネオコンの思想と見てよい。自由と民主主義のためなら武力行使も辞さないというのが、ネオコンの考え方とされる。

元外務省欧亜局長の東郷和彦氏は「この思想はアメリカの共和党・民主党という党派対立を越えて広く共有されている」ものだと指摘する(『プーチンvsバイデン』ケイアンドケイプレス)。

 

それが実はいかに恐ろしいものであるかは、バイデン自身が語っている。

「ウクライナがロシアに侵略への大きな代償(遺体袋に入れられて帰国するロシア兵など)を払わせることができれば、プーチンは攻撃の継続について考え直すかもしれない」(『約束してくれないか、父さん』)

このときの「侵略」というのは2014年のクリミア併合を指すが、バイデンは、ロシア兵をどんどん遺体袋に詰め込んででも、自分たちの考える正義を貫こうとしていたのである。ネオコンの本性が、ここに如実に示されているといえよう。

ロシアが主権国家であるウクライナに侵攻したことは国際法を無視した行為で、国際秩序への挑戦といわねばならないかもしれない。しかし、それは無条件で米国を支援することを意味しない。なのに、世間はいつの間にか米国のいう“専制主義か民主主義か”というスローガンに乗せられ、米国支援があたかも民主主義を擁護することであるかのように思い込まされている。

なぜ、こんなことになってしまったのか。1つには、日本人を無批判に米国になびかせる精神的構造として、日米安保条約の存在が大きいことをあらためて指摘しないわけにはいかない。

ジャーナリストの田原総一朗氏は、評論家・佐高信氏との対談(サンデー毎日23年1月1・8日合併号)で、佐高氏が「敵基地攻撃は先制攻撃になってしまうリスクをどう回避するかが曖昧なままだ。かえって危うい」と述べたのに対し、「だからといって米国に『ノー』と言えるのか。日米同盟破棄となる」と返している。

これは一部の識者の間にかなり浸透している考え方と思われる。進歩的と見えるジャーナリストの半田滋氏でさえ、在日米軍への協力を拒否すれば、日米安保条約の形骸化で日本は異次元の軍事力強化に向かうだろう、と述べている(週刊金曜日6月23日号)。筆者自身も、神奈川大学のある教授から、SNSで同様のことを言われた経験がある。

だが、米国への軍事協力を拒否すれば軍事費負担が莫大になるから受け入れよというのは、国民への恫喝ではないのか。現実は、日米安保条約の下にあるにもかかわらず、いや、それによって、日本国民はすでに5年間で43兆円という、まさに異次元の軍事費支出を迫られているのだ。しかも中国などへの抑止戦略をとり続ける限り、軍事費負担がそれでおさまる保証はみじんもない。

元朝日新聞記者で、那覇支局員時代から米軍基地や安全保障問題を追いかけてきた川端俊一氏は、5月から6月にかけ東京都内などで講演し、南西諸島で急ピッチで進む軍事要塞化の現実と、その背景にあるアメリカ軍の作戦構想の危険性を指摘した。

石垣島には3月に初の自衛隊駐屯地が開設され、各種ミサイルが搬入された。計画が明らかになった2010年代に、住民は基地の是非を問う住民投票を行なうため、条例で実施を定めた有権者の3分の1超の署名を集めたが、市議会で否決される。正当性を訴える2度の訴訟も敗訴に終わった。

昨年2月の石垣市長選で基地賛成派に反旗を翻した、元市議会自民党の重鎮だった砥板芳行氏に、つながりのあった中央の著名な保守派論客は「石垣の地方自治より日本の安全保障の方が大切なんだ」と言い放ったという。

米軍艦載機の離着陸訓練用滑走路や自衛隊のための訓練基地建設が始まった鹿児島県西之表市に属する馬毛島。八板俊輔市長は島への基地建設反対を掲げて2度当選したが、いま苦境に追い込まれている。経済活性化を求める市民から「市長が反対しているから(国から)金が下りないし、人口も増えない」と突き上げられているのだ。

川端氏は「米軍再編交付金という税金の札束で自治体の横面を張るようなやり方が自衛隊反対を言いにくくしている」として「沖縄や南西諸島では、地方自治や民主主義が踏み荒らされている」と憤った。

こうした自衛隊配備の背後にあるのが、対中国を想定した米国の作戦構想だという。すでに各種の訓練が実施されており、機動的な小規模の軍隊が“敵”の射程圏内に入ってミサイル攻撃などを行なう「遠征前進基地作戦(EABO)」の訓練が自衛隊と共同で、伊江島で行なわれたときには、米兵が日本語を使っていたという。自衛官とは英語で話すから、民間人との会話が想定されているということだ。それを知ったとき、川端氏は「沖縄戦のような軍民混在の戦闘が想定されているのではと思い、ぎょっとした」という。

川端氏は、いま行なわれようとしている自衛隊や米軍の訓練は決して住民を守るものではない、と言い切った。さらに「日本では安保が特別扱いされ、安保の前では地方自治も民主主義も軽く扱われている」「米軍は日本を守るためにいるわけではない。自分たちが危うくなったら逃げる、と関係者が公言している。国民はそれを聞かないふりをし、彼らが守ってくれると一方的に信じている。日米安保妄信から脱却しなければならない」と述べた。

日本政府が米国との軍事一体化に乗り出した矢先、皮肉にも浮かび上がってきた日米安保条約の欠陥。それを突き詰めてみることは、同じ軍事同盟であるNATOとの付き合い方を考える上でも、きわめて重要なポイントになるに違いない。

(月刊「紙の爆弾」2023年10月号より)

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木下寿国 木下寿国

ライター。AFP(フランス通信社アジア総局)、機関紙連合通信社、業界紙等を経て現職。著書に『あかりの文化論』(つむぎ書房)

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