【連載】知られざる地政学(塩原俊彦)

「知られざる地政学」連載(7)ドラックをめぐる地政学:世界のサプライチェーンに注目せよ(下)

塩原俊彦

 

 

「知られざる地政学」連載(7)ドラックをめぐる地政学:世界のサプライチェーンに注目せよ(上)からの続き

中国の関与と取締りをめぐって
最初に紹介したアーンスト上院議員は、フェンタニルの原料である前駆化学物質のメキシコへの流入は、中国共産党の黙認のもとに行われているとの見方を示している。中国企業が中国共産党の支配下ないし指導下にあることを考慮すると、彼女の主張が無根拠であると片づけるわけにはゆかない。関心のある者は、「中国系アメリカ人ギャングが麻薬カルテルのマネーロンダリングをどう変えたか」といった長文の分析があるから読んでみてほしい。すでに、中国共産党の息のかかった中国系アメリカ人が意図的にドラッグ取引で大儲けをしている可能性がある。

中国共産党の支配が強まる中国が米国に毒をもっていることを否定したいのなら、中国政府はフェンタニルの前駆体化学物質の国内製造と海外輸出を厳しく取り締まればいいだけの話だ。中国は、2006年3月1日から施行されている現行の「公安行政処罰法」の改正案を示し、2023年9月からパブリック・コメントを求めるようになった。新たに設けられる第34条には、「以下の行為を行った者は、5日以上10日以下の拘留または1000人民元以上3000人民元以下の罰金、さらに状況が深刻な場合は、10日以上15日以下の拘留および5000人民元以下の罰金を併科される」とあり、①公共の場所で、中国人の精神を損ない、中国人の感情を傷つけるような服装やシンボルマークを身につけること、または他人にそれを強要すること、②中華民族の精神を傷つけ、中華民族の感情を傷つける物品、言論を製作、伝達、宣伝、流布すること――といった曖昧な罪状が含まれている(資料を参照)。まさに、「警察国家中国」をめざしているのであれば、フェンタニルの前駆体化学物質の国内製造を取り締まることなど簡単だろう。

しかし、こうした最低限の米中協力ができないほど、中国と米国との関係は悪化している。たとえそうであっても、世界全体の問題として、「反ドラッグ」闘争を展開できないのか。おそらくマスメディアが真正面から報道しないために、問題の本質に多くの人々が気づいていないことが一因だろう。日本の国会議員はいったい何をしているのだろうか。

別ルートの問題
ドラッグには別ルートがある。有名なのはアフガニスタン・ルートだろう。下図に示したように、アフガニスタンはいわゆる覚醒剤を構成する物質メタンフェタミンの製造元となっている。

少しだけ補助線を引きたい。藤村学著「破綻国家へ逆戻りで薬物経済拡大か:アフガニスタン編」によれば、アフガニスタンでは、ソ連(当時)による侵攻後の1980年代にムジャヒディン(ジハード戦士)グループらの武器調達のための資金源としてケシ栽培、それを乾燥したアヘン生産がさかんになる。ソ連撤退後に登場したタリバン勢力も,アヘン密輸を大目に見る代わりにザカート(喜捨)を科して資金源にした。ケシの実からはアルカロイドが採取され、それから前述したオピオイドが合成される。さらに、ケシ栽培からアヘン生産、ヘロイン精製、密輸・流通、小売りと川下に近づくにつれて犯罪組織の利益マージンが大きくなる構造が生まれた。

メタンフェタミンの製造は、隣国イランでの製造への取締り強化を機に、アフガニスタンに拠点が移転したものである。興味深いには、メタンフェタミンの製造プロセスでは,前駆体であるプソイドエフェドリンを含有する風邪薬などを密輸入で調達するのが通常だが,アフガニスタンの高度2500メートル超の高地帯で自然生育するエフェドラ植物(麻黄属)で前駆体を代替することで,生産コストが半減するという「技術革新」が起こったことである。こうして、いまやアフガニスタンがメタンフェタミンの製造元となっているのだ。

 

図 アフガニスタン産メタンフェタミンの輸出先(2019~2022年)
(出所)World Drug Report 2023, United Nations Office on Drugs and Crime, 20023, p. 35, https://www.unodc.org/res/WDR-2023/WDR23_Exsum_fin_SP.pdf

警察庁の『警察白書』の情報では、覚醒剤とは、一般的には、眠気を覚まし、疲労感を除去する目的で用いられる中枢神経興奮剤の総称で、そのうち覚醒剤取締法第2条に定められているのは、フエニルアミノプロパン(一般名アンフェタミン)とフエニルメチルアミノプロパン(一般名メタンフェタミン)である。アンフェタミンとメタンフェタミンは、非常に類似した化学構造を有し、同様の薬理効果を発現する。

アンフェタミンをみると、シリアが製造元となり、アンフェタミンの代用物であったフェネチリンも出回るようになる。「シリアはヨーロッパからのアンフェタミン・カクテルのおかげで麻薬カルテル国家になった」というロシア語情報によると、1961年、西ドイツの化学会社デグサ社の子会社がフェネチリンを合成した。フェネチリンは、人体内でアンフェタミンとテオフィリンに分解され、中枢神経系に強力な興奮作用をもたらす化合物である。フェネチリンは緊張と集中力を高め、自信を与え、多幸感を誘発した。デグサはこの物質を「カプタゴン」という商標で注意欠陥多動性障害などの治療薬として宣伝したのである。

1986年、国連は、パニック発作、幻覚、うつ病などの副作用を持つフェネチリンを、国家許可によってのみ製造され、処方箋がなければ販売できない向精神薬のリストに加えた。しかし、社会主義ブルガリアの国家保安委員会(KGB)がカプタゴンを違法に製造し、中東に輸出するようになる。こうして、フェネチリン(カプタゴン)は中東諸国に急速に拡大し、いまでも人気を得ている。その供給源として、レバノンを拠点に活動するシーア派組織ヒズボラやシリア軍などがいる。

ウクライナをめぐって
このように、ドラッグは国際情勢と密接に関係している。あるいは、戦争のたびにその利用が拡大し、人類を死へと導いているといえるかもしれない。

いま戦争がつづいているウクライナについてみてみよう。2022年4月に公表された国連薬物犯罪事務所(UNODC)の報告によると、「ウクライナはすでに、薬物を注射し、HIVと共存する人々の有病率が世界で最も高い国のひとつである」と書かれている。ウクライナ戦争勃発前の2018年から2020年にかけて、薬物(主にオピオイド)を注射する成人人口は35万人、成人人口の1.7%と推定されていた。注射されるオピオイドのほとんどは、違法市場で販売されるヘロインやメタドンだ。薬物を注射する人の22.6%がHIV感染者であり、半数以上(55%)がC型肝炎患者であると推定されていた。

ウクライナはヘロインの通過国として有名だ。それ以外にも、報告には、「アンフェタミンラボの数が2019年の5室から2020年の67室に増加した」ことが指摘されている。ただ、戦争開始後、ウクライナのドラッグ汚染には変化がみられる。UNODCのWorld Drug Report 2023には、「ウクライナでは、現在の武力紛争によって、ヘロインやコカインの既存・新興の密売ルートが途絶えたようにみえる」と記されている。そのうえで、紛争前にウクライナに存在したノウハウや、この地域で発展している合成麻薬の大規模な市場を考えると、戦争が合成麻薬の製造や密売の拡大の引き金になる兆候もあると懸念を表明している。

いずれにしても、地政学は人々がよく知る表の顔からだけでなく、裏側からも考察しなければならない。日本における地政学研究は表も裏もまったく低水準にすぎないから、せめてここでの記述を参考にしてほしい。そして、マスコミ関係者はここに書かれている程度は理解していてほしい。もちろん、学者も政治家ももっと勉強してほしい。その出発点となるのが拙著『知られざる地政学』〈上下巻〉であると書いておこう。

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塩原俊彦 塩原俊彦

1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士。評論家。 著書:(2023年9~10月に社会評論社から『知られざる地政学』(上下巻)を刊行する) 【ウクライナ】 『ウクライナ戦争をどうみるか』(花伝社、2023)、『復讐としてのウクライナ戦争』(社会評論社、2022)『ウクライナ3.0』(同、2022)、『ウクライナ2.0』(同、2015)、『ウクライナ・ゲート』(同、2014) 【ロシア】 『プーチン3.0』(社会評論社、2022)、『プーチン露大統領とその仲間たち』(同、2016)、『プーチン2.0』(東洋書店、2012)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店、2009)、『ネオ KGB 帝国:ロシアの闇に迫る』(東洋書店、2008)、『ロシア経済の真実』(東洋経済新報社、2005)、『現代ロシアの経済構造』(慶應義塾大学出版会、2004)、『ロシアの軍需産業』(岩波新書、2003)などがある。 【エネルギー】 『核なき世界論』(東洋書店、2010)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局、2007)などがある。 【権力】 『なぜ「官僚」は腐敗するのか』(潮出版社、2018)、『官僚の世界史:腐敗の構造』(社会評論社、2016)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた:官僚支配の民主主義』(ポプラ社、2016)、Anti-Corruption Policies(Maruzen Planet、2013)などがある。 【サイバー空間】 『サイバー空間における覇権争奪:個人・国家・産業・法規制のゆくえ』(社会評論社、2019)がある。

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