書評:島根発ベンチャー 小松昭夫・小松電機産業社長の「魔法の経営」とは?  シートシャッター「門番」 水道管理システム「水神」から平和の事業家へ

早川和宏

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22年目の『魔法の経営』
時折、島根県松江市に本社のある「小松電機産業株式会社」の小松昭夫社長から電話がかかってくる。用件は様々だが、要は小松社長を主人公にした2冊の本を書いているためだ。
2001年1月に出版された早川和宏著『魔法の経営』(三和書籍)と、2015年8月に出版された、同『天略』である。
「天略」は別の機会に譲るとして、経営を語る上での「魔法」は、ごく当たり前に考えれば、経営のユニークさを強調するためとはいえ「大ボラ」、「大風呂敷」といった類いのイメージにつながると言えそうである。
あるいは「経営」の極意を「魔法」とすることは、誤解されやすいと同時に、あえて使用することは、単純に「図々しい」と言えそうでもある。
とはいえ、2001年に出版された本が、いまだ売れ続け、時に話題になること自体、「魔法」がいまだ効いている証明のようにも思えてくる。

事実、いまも新入社員には『魔法の経営』を読ませるという小松社長は、改めて同書が「いま読んでも、十分に通用する。古さを感じさせない」と語っているように、時代環境の変化はあっても、本質的な問題・指摘などはいまなお有効というわけである。
22年後の今日、改めて同書の持つ意味を考えてみようと思ったのも、小松社長並びに小松電機産業周辺で、いまだに『魔法の経営』、『天略』が話題になり、その度に、連絡があるためだ。

大ボラ・大風呂敷としての「魔法」
「魔法」は古来、常に話題になり、脚光を浴びてきた。いつの時代にも通用する魅力的なキーワードとして、知られる。
その「魔法」とは「不思議な力。不思議なことを起こす術」を意味する。一般的には捉えどころのない「魔法」の原点は、マンガやアニメなどに登場するアラジンの「魔法のランプ」あたりにある。神話や童話、フィクションの世界となじみが深い。
そんな「魔法」だけに、工業製品などで用いられることは稀だが、一世を風靡した保温用ポットの「魔法ビン」など、応用範囲は広い。

魔法は老若男女、時代と世代を超えて愛用されてきたキーワードなのである。
とはいえ、通常は大人の世界ではほとんど社会的な場面では使わない。政治にしろ、学術分野にしろ、特に科学面で「魔法」という言葉を用いることは、自ら「インチキ」と言っているようなもので、魔法はマイナスのイメージでしかない。
その「魔法」を一ベンチャー企業の経営者並びに経営の特徴を表す言葉にした同書の帯には「7つの教え」が紹介されている。

魔法の経営・7つの教え
参考までに、以下に紹介すると。

1.入社試験をセールスの場所にする。
小松電機産業ではあらゆることが教育の材料であり、学習の場になっている。セールスも同様で教育であり、教育かそのままセールスになっている。要は出会う人、すべて縁があれば、ビジネスにつなげるということだ。

2.商品の前面に商品の「ロゴ」を入れる。
デザイン面では、商品の前面にロゴを入れたり、社名・商品などをやたら強調することは、一般には「ダサイ」印象がある。実際にはシートシャッター「門番」「ハッピーゲイト」あるいは、水管理制御システム「やくも水神」は、ブランド自体が安心・安全とともに信頼の象徴になっている。

3.カタログを有料にする。
今日では展示会等、紙ベースの資料の時代ではないが、無料で大量に配られるカタログはムダが多い以上に、自ら価値を貶めている面もある。有料であれば、少しは大事にすると同時に、ビジネスに直結する可能性が高い。

4.輸送のムダをなくす。
トラック運送業界では、輸送のムダをなくすための様々な取り組みがなされているが、シートシャッターは4メートルを超えるモノもあり、通常の輸送ルート、路線便が使えない。そのため、独自の物流システムを構築する必要から、地域ごとにトラック一台で運べるシステムを実現した。無駄の排除は、もちろん輸送に限らない。

5.「お願い」という言葉を使わない。
「お願い」という言葉を禁句にして、通常の営業手法ではなく「説明」に行くことで、納得してユーザーになってもらう。その前提として、ベースには「使えば相手のためになる」という、絶対の自信があるためである。

6.使えるものは何でも使う。
向こうから近づいてくる政治家等は使わないが、基本的に役に立つものは何でも味方にする。本社・工場のある工業団地「松江湖南テクノパーク」への進出に関しては、行政を利用。進出の条件として、長江地区の農業集落排水事業を実現している。

7.社会の悩みごとをシーズにする。
社会の悩みごと、不便は発明の条件であり、便利屋ビジネス、コンサルティング業の基本である。多くの社会の悩みごとの中から「社業を通じて社会に喜びの輪を広げよう」を社是にする小松電機産業の場合は「社会のエントロピーを事業化する」ことこそが、究極の魔法の経営ということになる。小松社長が1994年10月「人間・自然・科学研究所」(小松昭夫理事長)を設立し、平和の事業家としての歩みを続けるのも、そのためであ
る。

小松昭夫に学ぶ21世紀のビジネス
『魔法の経営』は、第1章「21世紀最大のビジネス」から始まる。
バブル崩壊後の日本社会に充満する不安と不満について考察。その一方で見逃されている消費者ニーズと夢のない現実に触れつつ、そこに21世紀最大のビジネス・シーズがあることから、ベンチャーの雄・小松社長は、そうしたいわば社会のエントロピーを解消するビジネスにこそ、21世紀の企業が取り組むべきテーマがあると指摘する。
ところが、現実はそうではないことから、一人勝ちの経済学が脚光を浴びる中、強欲資本主義の弊害が問題になる。よく言われてきた「茹でガエルの悲劇」と「人類の自己家畜化」が進む日本社会の現実に警鐘を鳴らしつつ、21世紀のビジネス社会の変革を掲げて、世直しを志す小松電機産業の存在をクローズアップされる理由である。

第2章「2つの“創業”」では小松社長が弟の光雄専務と、小松電機産業を創業するまでの歩みを紹介している。

第3章「魔法の経営」では小松電機産業・小松社長の経営におけるの「魔法」の秘密に迫っている。

第4章「事業家の誕生」ではベンチャー企業の考察と、企業と事業のちがいから、事業家としての小松社長に迫っている。

第5章「マーケット創造の時代」では、ベンチャー企業にとって、最大の栄誉である「ニュービジネス大賞」の受賞等、シートシャッター及び水管理制御システムによる新しいマーケット創造についてレポートしている。

第6章「犀は投げられた」では、当時から「太陽の國IZUMO」プロジェクトを展開。日本の縁結びから世界の縁結びへを旗印に「地球ユートピアモデル」事業へのチャレンジと、その青写真を紹介している。構想自体は、いまなお地域創生とともに、教育システム、循環型社会、環境・観光産業づくりなど「心のインフラ基盤を創る」取り組みとして、その有効性は変わらない。それこそが、平和の事業化である。

ベンチャーの雄・小松昭夫社長の戦い
島根県の空の玄関口・出雲空港に降りると、荷物受け取り口と出口に降りる階段のところ、つまりは誰でも目にする目立つところに「小松電機産業」の企業広告が掲げられている。JR松江駅にも同社の広告が設置されている。
いまや小松電機産業は、島根県を代表する企業の一つということの証明である。

その原動力となったのが、シートシャッターである。もともとは、ある農機具メーカーから「特殊なシャッターを製作してほしい」と依頼があったものだが、当時はビルなどに設置する配電盤や水道の自動計装システムの製造で、それどころではなかった。事実、一度は断っていたのだが、他社ではできなかっため、改めて取り組んだものだ。
それが後の大ヒット商品・シートシャッターだが、何にしろ世の中にないものを開発するだから、苦労がつきものである。多忙な中、5年間かけて何とか30台を納入した。つくってはみたものの満足はできない。ユーザーのニーズに応えるにはスチール式のシャッターが採用している巻き上げ型式しかない。

だが、それをいかに高速で巻き上げることができるかは、当時の技術では不可能であった。それを、あるヒラメキから小松社長は可能にした。そして、クレームの問題をクリアーするため、本格的な発売前の1年間は、試験販売という形をとった。

不具合があれば、それに対応する形で、いわばユーザーからのクレームを味方にして対応できるわけである。
小松社長はシートシャッターについて「クルマのワイパーと同じようなもの」と言ったことがある。最先端技術が次々と開発されていく中で、ジェット機の窓にもワイパーが付いている。シートシャッターも似たようなもの。一度、導入して、その存在に慣れると、それに代わるものがないことに気がつく。

シートシャッターといえば「門番」という圧倒的なブランド力で、同社は日本シートシャッター協会という業界団体をつくるなど、業界をリードしてきた。総合メーカーではなく、シートシャッターに集中して取り組んできたという専業の強みがあり、中小企業特有の小回りの効く、相手企業の要望に沿った形での対応ができるなど、業界トップはダテではない。

同社が、いかにトップメーカーに上り詰めたのか。シートシャッターの開発一つとっても、興味深いエピソードとピンチをチャンスに変えるビジネスストーリーがあるが、それは水管理制御システム「やくも水神」も似たようなものだ。
ベンチャーならではの小回りの効く研究並びに技術・開発力以外に、小松電機産業の政治力とでも言える話が、談合破りの話であろう。

1983年、太田市で新しい貯水槽建設プロジェクトが持ち上がった。予算額が大きかったことから、今回は東京のT社が手掛けるという流れができていた。しかも、太田市の仕事をしてきた小松電機産業が入札から外されたことを知った小松社長は、策略を巡らして、いわば談合業界を手玉にとる形で、表向き小松電機産業が元請けになったのである。

そのとき生まれたのが「出雲に小松電機産業あり」との武勇伝であった。
同書には、同様のエピソードがいくつも登場する。

ワンマン小松昭夫の後継者?
1944年4月に生まれた小松社長は、今年79歳。来年は傘寿である。
1973年の創業から50年、1979年のワンマン社長宣言から44年が経過した。
島根県を代表する企業の一つになった今日、ビジネス面ではシートシャッターも水管理制御システム「水神」事業も、すでにやるべきことはやったと言えるのかもしれない。

途中、大病も経験し、ガンの手術も乗り越えてきた小松社長だが、先日、主力のシートシャッターと水神という2つの事業から、自分は手を引いたと話していた。そして、いよいよ地球そして時代がおかしくなってきた中で、平和の事業家として「小松社長の出番が来た」との内外からの声に応える形で、第3の事業に専念するとの決意を固めたようである。

ワンマン小松昭夫の後継者が誰になるかは聞いてはいないが、小松電機産業をよく知る人間が共通して感じることの一つは、小松社長のワンマン体制の下、ポスト小松昭夫となる後継者は、まずいないということだ。
これまでも、何人かの社長候補が中途入社してきた。有能な人物ではあっても、小松社長にとっては、帯に短しタスキに長しということだろう。彼の眼鏡に叶う人物はいなかったようだ。

そんな小松電機産業だが、50年の歴史ともなれば、次期社長が決まれば、案外「地位が人をつくる」という世の中の法則が機能するはずである。あるいは、強力なビジネスパートナーである大手企業グループの力を借りる形で、企業並びにビジネスは継承されていくと思う。
同時に、小松社長が専念する「平和の事業化」の行方が気になる。

その進展に関する動きは、もう一つの著書『天略』について語る中で、改めてレポートしたいと思う。

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