【連載】ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会 メールマガジン
ノーモア沖縄戦

メールマガジン第102号:荒唐無稽な「敵基地攻撃」論(2)

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“荒唐無稽”の背景
岸田政権の敵基地攻撃方針に“お墨付き”を与えるための「有識者会議」が11月下旬に報告書を提出したが、肝心の敵基地攻撃論については「反撃能力の保有と増強が抑止力の維持・向上のために不可欠だ」とわずか1行書かれているだけで、なぜ「不可欠」なのかという論証は皆無である。戦後の防衛政策を大きく転換させ巨額の税金を投じる以上は、国民の理解を得るためにも丁寧で説得的な説明がそれこそ「不可欠」のはずにもかかわらず、余りにも杜撰と言う以外にない。あるいは論証不能ということであろうか。

この報告書で興味深いのは、米国による拡大抑止の信頼性の向上に加え、日米間の「共同対処能力」の強化が謳われていることである。つまり、敵基地攻撃論は日米「共同対処」の枠組において構想されているのである。この前提にあるのは、バイデン政権のように関係諸国との同盟関係を固め中国包囲網の構築に余念がない政権が米国において継続する、という認識であろう。しかし、仮に2年後にトランプ元大統領が、あるいは彼のような人物が大統領に選出されるならば、いかなる事態が生じるであろうか。人権や民主主義といった価値観とは無縁で、同盟関係を重視せず、ひたすら「米国第一主義」を掲げる政権が再び米国に誕生するならば、敵基地攻撃をめぐる議論の前提が崩れ去るであろう。何より、台湾や日本のために米軍人の血を流すといった選択肢はあり得ないはずである。とすれば、台湾と日本の二国で中国と戦うという構図になるのであろうか。

以上のように見てくるならば、敵基地攻撃論は余りにも組み立てが粗雑で荒唐無稽と言わざるを得ない。それでは、なぜこうした事態に陥ったのであろうか。それは、そもそもの議論の展開が2020年6月のイージス・アショアの破綻から始まっているからである。この破綻は、早い段階から関係者において性能への根本的な疑問が広く認識されていたにもかかわらず、トランプによる高額の米国製兵器の購入拡大を求められた安倍元首相が現場の声を無視して政治主導で購入を決めたという、無責任外交の当然の結果であった。ところが、この破綻を受けて20年9月に安倍氏が打ち出したのが、ミサイルを阻止するための「新たな方向性」としての敵基地攻撃論であった。つまり、自らの大失態をタカ派の言説で覆い隠そうとしたのである。これまた、究極の無責任と言わざるを得ないが、こうした無責任さによって日本の安全保障の今後が大きく歪められることは、まさに悲劇そのものである。

ところで先述の自民党の「提言」はイージス・アショアの破綻を受けて、「ミサイル技術の急速な変化・進化により迎撃は困難となってきており、迎撃のみではわが国を防衛しきれない恐れがある」との認識を披瀝している。それでは、日本の防衛力の“脆弱性”を政権党が内外に公言しているときに、なぜ相手側は攻撃してこないのであろうか。なぜ、この絶好の機会を活かそうとしないのであろうか。そもそも相手側に攻撃する意図がないのであろうか。このように問い詰めていくと、今日の軍事論の深刻な陥穽が明らかとなってくる。

「軍民分離」の原則
「台湾有事」が喧伝されるなかで、南西諸島の軍事強化が急激に進みつつある。11月中旬には、沖縄本島から与那国島までを実戦場とする初の日米共同統合演習「キーン・ソード23」が展開されたが、こうした演習は明らかに南西諸島全域が戦場となることを想定したものである。

沖縄をめぐる深刻な情勢展開を踏まえつつ、筆者は本年2月1日付けの『琉球新報』に小文「崩壊した「普天間問題」の構図」を掲載した。そこで強調したことは、普天間の危険性とは何か、という問題である。つまり普天間問題とは、米軍の低空飛行や機体の墜落などの危険性を除去するために辺野古に新たな基地を建設しそこに普天間を移すという工事をめぐる問題であり、こうした危険性がなお深刻であることは間違いがない。しかし、直面するより大きな危険性とは、普天間が攻撃目標に設定されミサイル攻撃を受けるという危険性に他ならない。とすれば、切迫するこの危険性を除去する上で、辺野古の工事等はいかなる意味も有しない。「危険性除去」を名目に十数年もかけて辺野古の工事を進め、それから普天間を移転させるという政権側の構図が、自ら喧伝する「台湾有事」の危機を前に崩壊したのであり、すべてはここから再構築されねばならない。

このように情勢が緊迫の度を深めていくほどに、正面から論じられるべきは国民保護の問題である。南西諸島にあっては、いかに島民の避難を確保するか、その体制作りが喫緊の課題のはずである。しかし、軍事化が急ピッチで進められているにもかかわらず、島民保護の具体策は何ら取り組まれていない。なぜなら、2004年に国民保護法が定められたが、安倍政権のもとで2013年にまとめられた現行の国家安全保障戦略には、そもそも国民保護の視点は皆無だからである。

筆者は昨年6月21日の「オキロン」(沖縄問題をめぐる論考サイト)に「沖縄の戦場化と国民保護法」を上梓したが、そこで着目したのが、自衛隊の研究本部総合研究部に属する横尾和久の研究である。彼は、太平洋戦争史において日本人住民を抱えたまま離島防衛作戦が初めて行われたマリアナ戦史を分析対象に据えるのであるが、それはサイパン、テニアン、グアム島で約3万6千人が「日本近代史上初の、地上戦下の島内避難」を余儀なくされ、残留邦人のおよそ4割から5割の人々が戦闘の巻き添えで犠牲となったからである。この悲惨な歴史から横尾が引き出した教訓は、「軍と民の混在防止」「部隊と住民の分離の徹底」に他ならない。(「マリアナ戦史に見る離島住民の安全確保についての考察」『陸戦研究』2015年12月号)つまり、「軍民分離の原則」の徹底こそが、島民保護の大前提に据えられねばならないのである。

言うまでもなく、この原則とは真逆の選択がなされた沖縄戦ではさらに悲劇的な結果が招来されたのであったが、恐るべきは、今日の政権が同じ歴史的な過ちを繰り返して南西諸島の住民に犠牲を負わせようとしていることである。今の段階になって政権側は先島諸島などでシェルターの構築に乗りだそうとしているが、「軍民分離の原則」に照らすならば、まさに論外と言う以外にない。

豊下楢彦(元関西学院大)

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