【連載】福島第一原発事故とは何であったのか(小出裕章)

第3回 福島原発事故による汚染

小出裕章

・大気中に放出された放射能は広島原爆の168発分

福島第一原発事故が起きた時、すべての電源が失われたため、放射線監視機器の多くが機能しなかった。そのため、いったいどれだけの放射能が放出されたのか、信頼に値する数値はいまだに得られていない。それでも乏しいデータを頼りに多くの研究者や組織が放出された放射能の量を推定してきた。日本政府も様々な仮定の上に、放出された放射能の量を推定している。

ウランが核分裂してできる核分裂生成物は、およそ200種類に及ぶ放射性核種の集合体である。そのうち、人間に対して最大の危害を加えると私が考えるのはセシウム137である。そこで、日本政府が国際原子力機関(IAEA) に対して提出した報告書から、大気中に放出されたセシウム137の量を示す(図5参照)。

広島原爆1発分のセシウム137だって猛烈に恐ろしいものだが、フクシマ事故ではその168発分を大気中に放出したと、日本政府が報告している。日本政府は事故をできるだけ小さく見せたいと願っていたであろうから、この数値すら過小評価と考えた方がよい。

・汚染された広大な大地

放射性物質が大気中に放出されれば、それは風に乗って流れる。福島第一原子力発電所は福島県の太平洋岸にあった。西側はほぼ陸地、東側はほぼ海である。日本というこの国は、北半球温帯に属している。そこでは大気上層に行くと偏西風という強い西風が流れている。

そのため、日本という国にとってはありがたいことに、放出された放射能の大部分は偏西風に乗って流れ、太平洋に向かって流れた。日本の国土に落ちたセシウム137の量は全体の16%、2.4×1015ベクレルであった。それによって引き起こされた国土の汚染についても日本政府が公表した地図がある(図6参照)。

放射線に被曝することは危険を伴う。そのため、日本でも法令で被曝についての制限を付けている。一般の人々には1年間に1ミリシーベルト以上の被曝をさせてはいけないし、被曝業務に携わって給料をもらう大人(放射線業務従事者)に対しても被曝の上限を5年間で100ミリシーベルト、1年間に換算すれば、20ミリシーベルトとしている。

また、放射線や放射能を取り扱う場所は、「放射線管理区域」に指定しなければならない。そして、放射線管理区域から物を持ち出す場合には4万ベクレル/㎡が上限とされている。つまり、放射線管理区域外には4万ベクレル/㎡を超える汚染物を存在させてはならないというのが日本の法令である。あるいは「あった」と言うべきかもしれない。

福島県の東半分を中心にして、栃木県、群馬県の北部、さらに、宮城県と茨城県の南部・北部、千葉県の北部、岩手県、新潟県、埼玉県と東京都の一部地域など、面積で言うと約1万4000平方キロメートルの大地が、放射線管理区域にしなければならない汚染を受けた。事故当日、政府は「原子力緊急事態宣言」を発令し、60万ベクレル/㎡以上の猛烈な汚染地から住民を強制避難させたが、それ以下の汚染地には、人々を棄てた。

・破壊された生活

猛烈な放射能汚染地からは、もちろん住民を避難させなければいけない。しかし避難は、過酷である。ある日突然、手荷物だけをもってバスに乗せられ、避難所に行くのである。犬や猫を飼っていた人は、犬も猫も置いたままバスに乗った。

福島県には酪農や畜産に従事する人たちがたくさんいたが、その人たちは牛も馬も捨てて逃げた。着いた避難所は体育館のような建物で、床にシートを敷いてそこで寝た。しばらくして仮設住宅に移され、さらにしばらくして災害復興住宅やみなし仮設住宅に移された。

福島では大家族で生活していた人がたくさんいたが、転々と避難させられるごとに家族はバラバラにされ、地域の繋がりも破壊され、もちろん生業も失った。余りの辛さに死んでいく人もいたし、自ら命を絶つ人もたくさんいた。

法令を守るなら放射線管理区域にしなければならない汚染地に棄てられた人も悲惨である。放射線管理区域では物を食べることも水を飲むことも禁じられる。もちろん寝てはいけない。放射線管理区域にはトイレすらない。人が生活できる場所では到底ない。

でも、そこに数百万人もの人が棄てられ、通常の生活を続けることを強いられた。ものを食べ、水を飲み、トイレで排泄もし、大人は仕事をし、子どもは学校に通った。

子どもは被ばくに敏感であり、子どもを抱えた親は苦悩した。仕事を失うことを覚悟して一家で逃げた人もいた。父親は汚染地に残り、母親と子どもだけが逃げた家庭もあった。放射能汚染地に残れば被曝して身体が傷つく。国が被曝に関する法令を反故にし、そこで普通に生活しろと指示している中、自力で逃げれば、生活や家庭を破壊されて心が潰れる。

・子どもたちの被曝

放射線に被曝することは危険を伴う。科学的な知見が蓄積すればするほど、被曝は多種多様な病気をもたらすことが分かって来たし、被ばく量が少ない場合でも危険があることが分かってきた。特に、被曝によって癌が引き起こされることは、広島・長崎原爆被爆者の調査から立証されてきた。特に子どもは危険である。何故なら、子どもは細胞分裂が活発で日々成長する存在だからである。年齢ごとに被曝の危険度がどのように変わるかを図に示す(図7参照)。

被曝の危険度は年齢が高くなるにしたがってどんどん低下するが、見ていて面白いように成長していく5歳、10歳、15歳という年齢の子どもたちは特に感受性が高い。そのため、18歳以下の子どもについては放射線を取り扱う職業に就くことを法令で禁じている。

18歳以上になると、放射線を取り扱う職業に就くことができるようになり、実際にその職業に就けば「放射線業務従事者」となる。「放射線業務従事者」は「放射線管理区域」への立ち入りが認められるが、常に被曝量を測定するための線量計を持つことが義務づけられる。そして、被曝手帳を持ち、毎年健康診断を受けることになる。

一般人の年間の被曝許容量は1ミリシーベルトであるのに対して、「放射線業務従事者」の被曝許容量は5年間で100ミリシーベルト、1年にすれば20ミリシーベルトである。

ところが、フクシマ事故では、法令を守るなら放射線管理区域に指定して一般の人々の立ち入りを禁じなければならない放射能汚染地に、子どもを含めた一般の人たちが棄てられた。彼らは被ばくの管理もされなければ、被曝手帳も待たされず、健康診断もされない。

「放射線業務従事者」は「放射線管理区域」での飲食を禁じられるが、フクシマ事故被害者の住民は、何の制限もないまま日常生活を送っている。子どもたちには、日本の原子力の暴走に責任がないし、フクシマ事故を許したことについても責任がない。しかし、被曝による被害は、被曝感受性が高い子どもたちが一手に負わされる。

小出裕章 小出裕章

1949年生まれで、京都大学原子炉実験所助教を2015年に定年退職。その後、信州松本市に移住。主著書は、『原発のウソ』(扶桑社新書)、『原発はいらない』『この国は原発事故から何を学んだのか』『原発ゼロ』(いずれも幻冬舎ルネッサンス新書)、『騙されたあなたにも責任がある』『脱原発の真実』(幻冬舎)、『原発と戦争を推し進める愚かな国、日本』(毎日新聞出版)、『原発事故は終わっていない』(毎日新聞出版)など多数。

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