第4回 福島原発事故の未来
核・原発問題1986年4月に旧ソ連チェルノブイリ原発でやはり破局的な事故が起きた。その時ソ連は、60万人とも80万人ともいわれる軍人、退役軍人、労働者を招集し、その年の暮れまでに「石棺」と呼ばれる鋼鉄とコンクリートの壁を作って破壊された原子炉を閉じ込めた。その石棺は30年経ってボロボロになったため、「石棺」全体を覆うさらに巨大な「第2石棺」を作って原子炉を封印した。「第2石棺」の設計寿命は100年という。では、その「第2石棺」の寿命が来た時にどうするのだろう…?
いずれにせよ、福島原発も当面はデブリに手を付けることはできない。放射性核種がそれぞれの半減期に従って減って行ってくれることを当面は待つしかない。その間は、「石棺」のような構造物を造って原子炉建屋全体を覆うしかない。しかし、それを作る前に、今はまだ原子炉建屋内のプールの底にある使用済み燃料を外部に取り出さなければならない。3号機と4号機の燃料の取り出しはようやくに終えたが、1号機、2号機の燃料をいつまでに取り出すことができるのか、それすらも明らかでない。
・始末に負えない膨大な核のゴミ
原発を使ってしまえば、1年ごとに広島原爆1000発分以上の核分裂生成物を生む。それはすべて核のゴミとなる。そのゴミの安全な始末のつけ方はいまだに分からない。それでも、生み出した核分裂生成物の大部分は燃料棒被覆管の中に閉じ込められている。
フクシマ事故の場合には燃料棒被覆管も熔け、むき出しになったそれが原子炉建屋の中に広く散らばってしまっているし、さらには建屋から飛び出して広大な環境を汚染している。すでに福島第一原発の敷地の中は、デブリ、汚染水、汚染水中から捕捉した放射性核種、大量の放射性のゴミであふれている。もちろん巨大な原子炉建屋もまた核のゴミとなる。それらを今後どのように始末できるか、全く分からない。
そしてそれだけではない、原発の敷地外にも大量の放射性物質がまき散らされ、東北地方、関東地方の広大な大地を汚染している。国は「除染」と称して、汚れた土地の表土をはぎ取ってきたが、それは放射能を消したわけではなく、ただフレコンバッグに詰めただけで、放射能はフレコンバッグの中に残っている。
国が「除染」したのは、家の周囲20mの範囲とか、学校、道路とかだけで、山林などの汚染は全く手つかずのままである。それでも膨大なフレコンバッグが溜まってしまい、国は福島第一原発周辺に、中間貯蔵施設なるものを作って、そこで保管しようとしてきた。
しかし、そこも「中間」という名が示す通り、30年後には地権者に返還する約束になっている。そんなことはできるはずもないが、少しでもごみを減らそうとした国は、セシウム137を基準として1kg当たり8000ベクレルを下回っている土などは全国の公共事業にばらまくことにした。例えば、堤防を作る時の基礎に埋め、その上に盛り土をしてしまえばいいというのが国の判断である。
これまでの法令では、1kg当たり100ベクレルを超えてセシウム137で汚れている物はすべて放射性廃棄物として管理することになっていた。何と80倍である。国は、汚染物を野放しにするのではなく、管理するのでいいと言っている。しかし、セシウム137の半減期は30年で、もともとの法令の基準に達するまでには190年かかる。そんな長期にわたっていったいどのように管理するのかすら分からない。
・この事故の責任は誰にあるのか?
フクシマ事故は事実として起きた。10万人を超える人たちがある日突然、生活を根こそぎ破壊されて流浪化した。11年近くたつ今でも数万人の人は故郷に戻ることができない。原発関連死はすでに2300人を超え、自死した人も100人を超える。
法治国家を標榜していた国は被ばくに関する法令を反故にし、数百万人の人々を放射線管理区域に指定しなければならないほどの汚染地に棄てた。事故の収束にかかる費用は国の試算で22兆円、民間のシンクタンクの試算では70兆円から80兆円に上る。それも法令を反故にして人々に被曝を我慢させるという前提の下であって、ちゃんと法令を守ろうとするなら一体いくらの費用が掛かるのか気が遠くなる。
こんな事故を起こした責任者、加害者は誰なのか? 日本では、国が「原子力平和利用」の夢をばらまき、原子力損害賠償法、電気事業法などを作って、電力会社を原子力発電に引き込んだ。その周囲には、三菱、日立、東芝など巨大原子力産業が利益を求めて群がり、さらにゼネコン、中小零細企業、労働組合、マスコミ、裁判所、学界など、すべてが一体となって「原子力ムラ」と呼ばれる巨大な権力組織を作り、原子力を進めた。
「原子炉立地審査指針」で考慮する「重大事故」「仮想事故」では、いついかなる時も、格納容器は絶対に壊れない。格納容器が壊れる事故は想定不適当として無視した。そのうえ、東京電力は政府の地震調査研究推進本部による津波の予測さえ無視し、破局的事故を招いた。
さらに、事故が起きてからは、その事故は「想定外」だったとして、「原子力ムラ」の「高学歴エリート」たちの誰一人として責任を取ろうともしないし、処罰もされていない。彼らは無傷で生き延び、マスコミと教育を支配し、被曝しても安全だと「被曝安全神話」を振りまき始めた。彼らは、放射線業務従事者に対してようやくに許した1年間に20ミリシーベルトの被ばくを被曝感受性の高い子どもにも許容するという。私は、彼らは犯罪者だと思うので、彼らを「原子力マフィア」と呼ぶようになった。可能なら、彼ら全員を刑務所に入れたい。
しかし、残念ながら、東京電力幹部の裁判では、無罪が言い渡された。判決には「事故の結果の重大性を強調するあまり、自然現象で想定し得るあらゆる可能性を考慮した対策を義務づければ、原発の運転を行う事業者に不可能を強いる結果となる」と判示された。原発の巨大な毒物を内包していることを考えれば、自然現象を含め、物理的に起きる事象については考慮すべきであり、それによって運転ができなくなるというのであれば、原発を棄てればいいのである。裁判所も「原子力マフィア」の一員であるから、このような判決が出ることも当然というべきであろう。
1949年生まれで、京都大学原子炉実験所助教を2015年に定年退職。その後、信州松本市に移住。主著書は、『原発のウソ』(扶桑社新書)、『原発はいらない』『この国は原発事故から何を学んだのか』『原発ゼロ』(いずれも幻冬舎ルネッサンス新書)、『騙されたあなたにも責任がある』『脱原発の真実』(幻冬舎)、『原発と戦争を推し進める愚かな国、日本』(毎日新聞出版)、『原発事故は終わっていない』(毎日新聞出版)など多数。