【特集】ウクライナ危機の本質と背景

ウクライナ 忘れられている死者たちは誰か(中)

乗松聡子

・今回の戦争は2月16日に始まっていた-スイスのインテリジェンス専門家

テレビや新聞の報道に惑わされたくないと思っている世界中の人たちが注目している分析が、ジャック・ボー氏というスイスの諜報の専門家がフランスのシンクタンク「CF2R」に3月22日に掲載した論文「ウクライナの軍事的状況」である。

この人の略歴は「元参謀本部大佐、元スイス戦略情報部員、東欧専門家。アメリカやイギリスの諜報機関で訓練を受けた。国際連合平和維持活動の政策チーフを務める。法の支配と治安制度の国連専門家として、スーダンで初めて多次元的な国連情報部を設計し、指揮を執った。アフリカ連合に勤務した後、NATOで5年間、小型武器の拡散防止を担当した。ソ連崩壊直後のロシア軍や情報機関の最高幹部との話し合いに参加した。NATO内では、2014年のウクライナ危機をフォローし、その後、ウクライナへの支援プログラムに参加した。情報、戦争、テロに関する著書があり・・・」とある。

NATO側のインテリジェンス専門家で14年以降のウクライナの戦争について熟知しているこの人がロシアに肩入れして嘘をつく動機があるとは思えず、この人の発信している内容は誠実で信頼できると思う。これについてもKfarfasさんというアカウントがNOTEで日本語訳をアップしている。東日本大震災時の原発事故のときと同様、政府や主要メディアの言説で事実を知ることができないときに、海外の信用に足る情報を日本語に訳し発信する存在は大いなる社会貢献だと思う。

ドンバスでの暴力は後述するように最初の2年間(2014-16)ぐらいに集中しており、その後も続いてはいたものの規模的には小さくなっていた。ボー氏の論考の抜粋を一部スライドで紹介したので読んでいただきたいが、21年3月からウクライナのゼレンスキー政権はクリミア奪還の政令を発し、南方への軍備配備を開始していた。つまりロシアとの戦争準備に取り掛かっていたというのだ。

欧州安全保障協力機構(OSCE)がドンバスでの停戦合意(ミンスク合意)の遵守状況をモニタリングしてきているが、2月16日からドンバスに対する攻撃が激増しており、ボー氏は実質今回の戦争はこの日に始まっていると見る。ジョー・バイデン大統領が2月17日に「ロシアが数日内にウクライナを攻撃する」と言ったのはそれを知っていたからではないかとボー氏は示唆している。

ドンバスで新たに始まった戦争を受けてプーチン大統領はドネツクとルガンスクの独立を承認し、国連憲章第51条を適用してウクライナに侵攻したのではないかと。もちろんこれはロシア側の論理であり、ここの合法性について私は支持してはいない。が、プーチン大統領が、セルビアからのコソボの独立を国際司法裁判所が10年に認めた前例に従ってドネツク、ルガンスク両共和国を認めたという主張をしていることは考慮に値する。西側のメディアは報じていないが、4月26日のプーチン大統領とアントニオ・グテレス国連事務総長の会談ではコソボの前例が二人の間で争点になっている。

4月17日のオンライン講演を一緒に行った笹本潤弁護士が紹介した国際民主法律家協会(IADL)の声明では、「国連憲章第51条の下でロシアがウクライナに対して行った軍事行動を法的に正当化することはできない」と非難した上で、NATO自体を「国連憲章に違反する違法な組織」としている。

誰が何をやったのか-数々の戦争犯罪のレポート-

それではこの8年戦争の間にドンバスで何があったのか、誰がどんな犯罪を犯し誰がどれぐらい犠牲になったのか。インターネット上で手に入る資料をいくつか紹介したい。順番は不同であり、先に紹介するからより重要視しているということはない。私は事実に近づくことにしか関心がない。まずは、アムネスティー・インターナショナルによる2014年9月8日付の「北ルガンスクでのアイダー大隊の戦争犯罪」を見る。

用語については注意して扱わなければいけない。ジャック・ボー氏が先述の論文で、

“紛争の根源を探ってみよう。この8年間、ドンバスからの「分離主義者」や「独立主義者」について話してきた人たちから始まる。これは事実ではない。14年5月にドネツクとルガンスクの二つの自称共和国が行った住民投票は、一部の不謹慎なジャーナリストが主張しているように「独立」(независимость)の住民投票ではなく、「自決」または「自治」(самостоятельность)の住民投票であった。「親ロシア」という言葉は、ロシアが紛争の当事者であることを示唆しているが、そうではなく、「ロシア語圏」の方がより正直であっただろう。しかも、これらの住民投票は、プーチンの助言に反して行われたものである。”

と言うように、ドンバスでウクライナ軍と戦った、もしくは抵抗したウクライナ人たちを「分離主義者」「独立主義者」「親ロシア」ひいては「テロリスト」と呼ぶのはウクライナ・米国側に立っている見方である。少なくとも今回ロシアが侵攻するまでは、ウクライナ当局による自国のロシア語圏に対する戦争という理解が公正であろう。それを留意した上で、私は報告書にあるままの表現を使う。

アムネスティーは、2週間調査団を派遣し関係者や被害者に話を聞いた結果としてこのレポートをまとめている。「アイダー大隊」は「紛争後に生まれた30以上のいわゆるボランティア大隊の一つで、分離主義者の支配地域を奪還するために、ウクライナの治安組織に緩やかに統合されている」とあるが、これらの組織は、マイダンクーデター以降、ビクトリア・ヌランド氏やポロシェンコ政権に近いウクライナのオリガルヒ、イーホル・コロモイスキーが私財を投じて作った、ネオナチのならず者集団の一つである。

「ゼレンスキー大統領がユダヤ人だからウクライナがネオナチのはずがない」などと言う人が多いが、このウクライナの現在のネオナチ部隊の父ともいえるコロモイスキー氏もユダヤ人だ。指導的立場にいる人間がユダヤ人だからといってその国のネオナチがネオナチでなくなるということはない。

一つここで確認しておきたいが「ナチス」「ネオナチ」というとユダヤ人嫌悪がすぐ連想されるし、もちろんその要素はあるのだがウクライナのネオナチの主目的はロシア人嫌悪である。ダイアナ・ジョンストン氏は「西側諸国、ドイツやアメリカでは、『ナチ』は主に反ユダヤ主義を意味するようになった。ナチスの人種差別は、ユダヤ人、ロマ人、そしておそらく同性愛者にも適用される。

しかし、ウクライナのナチスにとって、人種差別はロシア人に適用される。ウクライナの治安部隊に組み込まれ、アメリカ人とイギリス人によって武装・訓練されたアゾフ大隊の人種差別は、ナチスのそれを反映している」とまとめている。

アムネスティー・インターナショナル/ヒューマン・ライツ・ウォッチ

アイダー大隊の戦争犯罪については下のスライドのまとめを見てほしいが、広範囲で「拉致、不法拘束、虐待、窃盗、強奪」が行われ、処刑が行われた可能性もあるという。典型的なのは地元のビジネスマンや農家など、普通の人たちに分離主義者の協力者だという嫌疑をかけて即席の収容所に収容し、その後は釈放するか、あるいはSBU(ウクライナ治安庁)に引き渡す。SBUとはソビエト時代のKGBを継承した組織だが、マイダンクーデターで事実上米国に乗っ取られている[i]。

マイダン以来現在まで、政府が危険視する人物が次々とSBUに逮捕され拷問、行方不明、暗殺、処刑事件が起きている(これが、現在西側から「民主主義」ともてはやされているゼレンスキー政権の実態だ[ii])。

アムネスティーの報告に戻るが、アイダーは逮捕時や拘束中は殴る蹴るの暴力を振るい、釈放と引き換えにお金や車、電話など財産を奪い取る。被害者や目撃者は報復を恐れてなかなか証言もできないということが書かれている。中には、アイダーからSBU所属組織の「アルファ」に引き渡されたと聞いたが実際は同じ構成員だったという証言もある。報告書はおもにアイダーによる犯罪についてであるが、分離主義者側も拉致、窃盗、殺人といった行為を各地で行っているという記述もあった。

ヒューマン・ライツ・ウォッチはアムネスティー・インターナショナルと協力して2016年2月から5月にかけてドンバスの政府、分離主義者それぞれの支配地域を調査した結果として同年7月21日に「『お前は存在しない』-ウクライナ東部における恣意的抑留、強制的失踪、拷問について」という報告書を出している。

14年末から16年初頭にかけ、ウクライナ当局(SBU)側とドネツク共和国(DNR)・ルガンスク共和国(LNR)の当局側(MGB)によりそれぞれ敵方との関係を問われ、恣意的な逮捕、長期間にわたる拘束や拷問をされたあと解放された民間人9人ずつの聞き取りを詳しく記録している。このような逮捕や拘束は相手方との捕虜交換によって解かれるケースが18件のうち半数の9件に上った。SBU側は逮捕や拷問に、アゾフ大隊、エイダー大隊、ライト・セクターといった極右准軍事組織を使っている。

アゾフとエイダーは15年春までには正式に国防省や内務省の国家警備隊に編入されたようだが、ライト・セクターや他の組織は民兵組織のままだった。いくつかのケースで、SBUは被拘束者に、「自白しないと妻と子のもとにライト・セクターを送るぞ」といった脅迫に使っていた。それだけ「ライト・セクター」は恐れられていた暴力組織だということだ。

 

1 2
乗松聡子 乗松聡子

東京出身、1997年以来カナダ・バンクーバー在住。戦争記憶・歴史的正義・脱植 民地化・反レイシズム等の分野で執筆・講演・教育活動をする「ピース・フィロ ソフィーセンター」(peacephilosophy.com)主宰。「アジア太平洋ジャーナル :ジャパンフォーカス」(apjjf.com)エディター、「平和のための博物館国際ネッ トワーク」(museumsforpeace.org)共同代表。編著書は『沖縄は孤立していない  世界から沖縄への声、声、声』(金曜日、2018年)、Resistant Islands: Okinawa Confronts Japan and the United States (Rowman & Littlefield, 2012/2018)など。

ご支援ください。

ISFは市民による独立メディアです。広告に頼らずにすべて市民からの寄付金によって運営されています。皆さまからのご支援をよろしくお願いします!

Most Popular

Recommend

Recommend Movie

columnist

執筆者

一覧へ