ウクライナ 忘れられている死者たちは誰か(下)
国際・ロシア軍事行動開始後:ウクライナ人権監視団の報告では、5月10日時点で民間人死者3496人
国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)のサイトで発表された先述のウクライナ人権監視団(HRMMU)による「ウクライナ:民間人の死傷者 2022年5月11日更新」によると、2月24日の軍事行動開始以来5月10日までの時点で、確認できた死者は3496人、負傷者は3760人であるということだ。
ドネツクとルガンスク両地区(ドンバス)では死者は1865人(政府支配地域で1750人、ロシア系武装集団が支配する地域で115人)、負傷者は1928人(政府支配地域では1466人、ロシア系武装集団が支配する地域では462人)ということだ。
死傷事件が起こった時点で政府の支配下だったウクライナの他の地域(キエフ市、およびチェルカシー、チェルニヒフ、ハリコフ、ケルソン、キエフ、ミコライフ、オデッサ、スミ、ザポリジヤ、ドニプロペトロフスク、ポルタヴァ、リヴネ、ヴィニツィア、ズィトミール各地方)では、死者1631人、負傷者1832人だったということだ。これをどう解釈するか。
政府支配地域での民間人死傷者のほうがロシア系武装集団支配地域に比べ圧倒的に多い(3381対115)と解することもできるし、ロシア系武装集団の支配する地域ではより調査が難しいから数が少なく出るのかもしれないと予想することもできる。HRMMUも付記しているが実際はもっと多い可能性があるし、戦争が進行中は調査団も死傷者を確認するのが困難である。
HRMMUは14年以来その調査において、「被害者とその親族、目撃者とのインタビュー、HRMMUと秘密裏に共有した裏付け資料の分析、公式記録、オープンソース文書、写真・映像資料、法医学記録・報告、犯罪捜査資料、裁判資料、国際・国内非政府組織の報告、法執行・軍事関係者による公開報告、医療施設や地方当局のデータを通じて収集した情報」に基づき、「すべての情報源と情報は、その関連性と信憑性を評価され、他の情報と照合」した上で死傷者を確認している。
2月24日以降については、現地に行って被害者や目撃者に取材するのは難しく「民間人の犠牲者が出た場所のHRMMUのコンタクトパーソンやパートナーなど、他のすべての情報源を広く利用」し、発表する統計は、「『信じるに足る妥当な根拠』の証明基準を満たした個々の民間人犠牲者の記録に基づいている。すなわち、検証された一連の情報に基づいて、通常の思慮深い観察者が、犠牲者が説明どおりに行われたと信じるに足る妥当な根拠を持つ場合」とある。
刻一刻と状況が変わる中、現地調査は困難な中でできるかぎりの確認をしながら統計を取っているということだ。既述のようにHRMMU自体が西側諸国、諸機関の主導で設立されており、調査において西側のバイアスが入る傾向があるかもしれないと想像するが、それでもできるだけの確認作業をしている。ここで大事なのは、この報告においては「加害者がどちら側か」という情報はないことだ。
「民間人を殺しているのは100%ロシアだ」という色眼鏡で数を見るとこれらの数が全部ロシア側の仕業と自動的に思ってしまう人もいるかもしれないが、この国連機関の数字では「誰がやった」という情報はないことを強調しておきたい。立ち止まって、目を閉じたい。今回の戦争を含むこの8年の戦争で、命を奪われた人々の無念に思いを馳せたい。
・マリウポリで死者2万人超?
このような、国連機関による完璧ではないが一定の誠実さを見せる調査の上での数字が出ているが、メディアを見ていると国連の数字とはかけ離れた数字が語られている。
たとえば、4月12日のNHK報道では、ゼレンスキー大統領が「マリウポリでは何万人もが命を落とした」といい、マリウポリ市長のヴァディム・ボイチェンコ氏はNHKの取材に応えて「市内の犠牲者は2万人超か」と言ったという。この時点でのHRMMUの民間死者数の予測はウクライナ全体で2000人ほどであったが、その10倍以上の数がマリウポリだけで殺されていたとこの二人は主張していたのである。
NHKはその根拠に疑問をもつ風も全くなく「市内の犠牲者は2万人を超えるとみられるという深刻な被害の実態を明らかにしました」と、「実態を明らかにした」とまで言い切っている。ウクライナ側がなにか言えば「明らか」になるのか。ロシア側は、たとえ確認された事実を言っても「プロパガンダ」とされてしまうのとはえらい落差がある。
一方、ウクライナのメディア「ウニアン」は3月23日、マリウポリ市長は「ロシア人に囲まれ、市を離れた」と報じている。「ドネツク州行政機関のパヴェル・キリレンコ議長が述べたもので、マリウポリ市議会のプレスサービスが報じた」とのことである。ウクライナ寄りのメディアがこれについて嘘をつく動機は考えにくい。
NHKが取材したときにはボイチェンコ市長はマリウポリにいなかった可能性が高い(5月初頭にはメディアはボイチェンコ市長が「すでにキーウに避難している」と書いている)。いずれにせよ、「2万人超」をどうやって確認したのか不思議である。
もう一つ例を挙げれば、3月16日にマリウポリの劇場が砲撃を受けたとの報道があった。
3月18日のAFPは「同市当局は18日、1人が重傷を負ったが、死者は出なかったと発表した。」と報じたし、キエフ寄りの媒体もツイッターで「マリウポリの劇場の地下室に隠れていた民間人たちは奇跡的に助かった」と発信している。
それなのに一週間以上経って3月25日突然「マリウポリで砲撃の劇場、『300人死亡』と地元当局」という記事が出た(例:日経)。BBCやCNNも同様の報道をした。情報源はいずれもマリウポリ市長顧問のペトル・アンドリュシチェンコ氏である。
これについても新たな発見に結びつくような調査が行われた形跡もないが、世界中を駆け巡ったこのニュースは見る人の頭の中にまた一つ「大量市民虐殺をするロシア」の印象を作り、真相はわからないまま、考える間もなく、メディアは次のセンセーショナルなニュースに飛びつく。一貫する報道のパターンである。
・「ブチャの虐殺」の加害者はまだ解明されず
4月初頭に「ブチャの虐殺」という疑いもあった。米国の代替メディア『コンソーシアム・ニュース』のジョー・ローリア氏など西側でも、ロシアがやったにしては不自然すぎる展開に疑問を投げかける人はいた。しかし西側メインストリームメディアは、疑問を投げかけたり、検証の必要性を訴えただけの人をただちにロシアや中国の代弁者とのレッテルを貼ったり黙らせたりした。
4月5日、CNNは元駐ソ米国大使のジャック・マトロック氏にインタビューした。「ブチャ」を受けて西側メディアや世論は義憤の絶頂にいたかに見えたときで、キャスターもマトロック氏から強硬な意見を期待していたのだろうが、マトロック氏は「私の考えでは、今の最大の目標はウクライナの紛争を終わらせることであり、それは外交によってのみ達成可能である」と言った。
その発言が気に入らなかったのか画面に映っている女性キャスターは敵対的なトーンで「ちょっと待ってください・・・ブチャで起こった大虐殺を受けても、外交で解決???」と、信じがたいといった表情をした。NATO軍を出せとか、ノーフライゾーンを設けよといった好戦的な言葉が聞きたかったのであろう。
マトロック氏は「第一に、ブチャで実際に何が起こったのかは正確にはわからないし、第二に、モスクワが悪いという証拠もないのです。」と続け、ロシアとの交渉の必要性を説いた。このマトロック発言はよほどCNNの気に障ったのであろう。CNNのウェブサイトに載ることはなかった。なかったことにされたのである。
このような調子でいま西側では、ロシアメディアのほぼ全面的な検閲はおろか、西側メインストリームメディアでも異論が出ることはまずないし、異論を唱える独立系の調査報道ジャーナリストたちはシリコンバレー大手のプラットフォーム(YouTube, Facebook, Twitter 等)から軒並み排除されている。
米国の調査報道家として最も尊敬された一人であるロバート・ペリー氏が設立した『コンソーシアム・ニュース』は上記のジョー・ローリア氏らが積極的に政府やマスメディアに批判的な記事を載せていたが、5月に入って、ペイパルのアカウントを凍結され使用禁止にされた。言論を封殺するだけでなく、独立ジャーナリズムの生きる糧さえ奪おうとする信じがたい行為だ。
ブチャについては、ジョー・ローリア氏が言うように、比較的客観的な調査ができるのは国連だけであろう。ミシェル・バチェレ国連人権高等弁務官は4月4日、「・・・被害者の家族に情報を提供し、正確な死因を特定できるように、すべての遺体を発掘し、身元を確認することが不可欠である。証拠を保全するためにあらゆる手段を講じるべきである。」と言った。4月9日に国連の人権担当官たちがブチャを訪れ、「約50人の民間人が即決処刑を含み、不法に殺害されたことを記録した」そうだが、加害者への言及はなかった。
東京出身、1997年以来カナダ・バンクーバー在住。戦争記憶・歴史的正義・脱植 民地化・反レイシズム等の分野で執筆・講演・教育活動をする「ピース・フィロ ソフィーセンター」(peacephilosophy.com)主宰。「アジア太平洋ジャーナル :ジャパンフォーカス」(apjjf.com)エディター、「平和のための博物館国際ネッ トワーク」(museumsforpeace.org)共同代表。編著書は『沖縄は孤立していない 世界から沖縄への声、声、声』(金曜日、2018年)、Resistant Islands: Okinawa Confronts Japan and the United States (Rowman & Littlefield, 2012/2018)など。