「知られざる地政学」連載(16) 「米国内への投資」を「ウクライナ支援」と呼ぶバイデン政権:ウクライナの人命よりも大統領選の勝利に賭ける「悪辣さ」を批判せよ(下)
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ブチャ虐殺という物語の真相
こうした文脈のなかで、ブチャ虐殺を考えると、興味深いことがわかる。ここでは、ロシアの有力紙「コメルサント」(2022年4月6日付)の情報に基づいて、ブチャをめぐる「物語」(ナラティブ)を紹介してみよう。
ロシア軍がブチャから完全に撤退したのは3月30日のことだった。その翌日に撮影されたビデオでは、アナトリー・フェドリュク市長は、市奪還を喜びながら宣言している。集団残虐行為、死体、殺害などには一切触れていない。むしろ、明るい表情でいっぱいであることがわかる。
ところが、ロイター電によると、ブチャ市長は、4月3日、ロシア軍が1カ月に及ぶ占領の間、意図的に市民を殺害したと非難したと報じた。なぜ、急に虐殺を非難しはじめたのか。ロシアとの戦争継続のための理由づけとして、ブチャ虐殺がでっち上げられたのではないか。和平交渉を停止して、戦争をつづける理由としてブチャ虐殺は格好の題材となる。少なくともこんな「物語」を想定することができるだろう。
これに対して、2022年4月4日付の「ニューヨーク・タイムズ」は、キーウ近郊のブチャで民間人が殺害されたのは、ロシアの兵士が町を離れた後であったというロシアの主張に反駁するための衛星画像を報じた。これが正しい見方であるとしても、殺害がだれによるものかはわからない。それでも、ロシア軍によるブチャ虐殺という物語が伝播するにつれて、ロシア代表が何を言っても、国連安全保障理事会で彼の主張に耳を傾ける者はほとんどいなくなる。どうやらバイデンおよびゼレンスキーの用意した物語は欧米の人々の心を強く打ち、和平交渉の話どころではなくなってしまった。
余談ながら、こうした情報操作は米国政府もイスラエル政府も大得意だ。前者については、ノルドストリーム爆破事件については拙稿「ノルドストリームを爆破させたのはバイデン大統領!?」を読んでほしい。今回のイスラエル・ガザ紛争におけるイスラエル政府による露骨なディスインフォメーションについてだけ書いておきたい。
2023年11月11日、イスラエル政府はSNSで、アル・シファ病院に勤務する女性看護師が撮影したというビデオを公開した。彼女は聴診器を振り回しながら、ハマスが病院を支配して燃料や薬品を奪い、患者たちが死んでいると泣き声で訴えた。だが、フランス国営テレビは、このビデオの背景で聴こえるいくつもの爆音を解析し、どれも同じだと指摘した。つまりSE(サウンド・エフェクト)だったのだ(『週刊文春』2023年12月7日号, 「町山智浩の言霊USA」を参照)。
こんなイスラエル政府のやり口をみると、ブチャ虐殺を疑うだけの価値は十分にあることになる。
ミリー統合参謀本部議長の和平への想いを無視したバイデン大統領
第二の和平の契機は、2022年11月 停戦交渉の必要性を示唆したマーク・ミリー統合参謀本部議長(当時)をバイデン大統領が無視した出来事に示されている。ウクライナ軍が南部の都市へルソンからロシア軍を追放し終えた直後の11月6日に、ミリーはニューヨークのエコノミック・クラブで講演し、「軍事的にはもう勝ち目のない戦争だ」と語った。さらに、翌週、ミリーは再び交渉の機が熟したことを示唆した。記者会見で彼は、ウクライナがハリコフとヘルソンからロシア軍を追い出すという英雄的な成功を収めたにもかかわらず、ロシアの軍隊を力ずくで全土から追い出すことは「非常に難しい」とまで率直にのべた。それでも、政治的解決の糸口はあるかもしれない。「強者の立場から交渉したい」とミリーは言い、「ロシアは今、背中を向けている」とした。
だが、バイデン大統領はこのミリーの提案をまったく無視したのである。ウクライナの「反攻」に期待した「ウクライナ支援」が継続されたのだ。その結果、2022年のロシア侵攻以来、ウクライナでは1万人以上の市民が殺害され、その約半数が過去3カ月間に前線のはるか後方で発生していると国連が2023年11月に発表するに至る。
もう一度、はっきりといおう。バイデン大統領は「米国内への投資」のために「ウクライナ支援」を継続し、ウクライナ戦争をつづけ、ウクライナの市民の生命を犠牲にすることをいとわなかったし、その姿勢をいまでも堅持している。自分の再選という目的のためには、手段を選ばないというのがバイデン大統領の本質なのだと思えてくる。
ヨーロッパのウクライナ支援
ここで、欧州諸国の「ウクライナ支援」についても論じておこう。アントニー・ブリンケン国務長官はブリュッセルで開催されたNATO閣僚会議後の会見で、米国がウクライナに供与した金額は約770億ドルであるのに対し、欧州の同盟国からは同じ期間に1100億ドル以上が供与されているとした。
ウクライナ支援の足跡を調査しているキール研究所によると、2022年1月24日以降、2023年7月31日までのデータをまとめると下図2のようになる。「支援」といっても、実際にウクライナ政府にどれくらいの資金が届けられたかは判然としない。
「軍事援助」だけを国別に示したのが図3だ。これからわかるように、米国の「軍事援助」が421億ユーロと圧倒的に多い。ドイツの171億ユーロ、英国の66億ユーロなどの実態については不明だ。在庫の武器をわたす場合の評価方法はどうなっているのか判然としない。旧式の武器を供与して新型の武器を米国などから購入する場合、ウクライナへの「軍事援助」額の算出方法は不透明だ。
図2 タイプ別ウクライナへの政府支援(単位:10億ユーロ)
(出所)https://www.ifw-kiel.de/topics/war-against-ukraine/ukraine-support-tracker/
図3 ウクライナへの政府別援助(単位:10億ユーロ)
(出所)https://www.ifw-kiel.de/topics/war-against-ukraine/ukraine-support-tracker/
ドイツの困難
ドイツ政府は2023年11月15日、困った事態に直面した。財政赤字を制限する憲法条項である「債務ブレーキ」を回避するために政府がとった、さまざまなオフバランスファンドは違憲であるとの判決を憲法裁判所が下したのである。600億ユーロ(660億ドル)、つまりGDPの1.5%を気候変動対策費に充てるというような策略は違法であるとした。その結果、ウクライナへの資金拠出の一部であったEU予算全体の増額が危ぶまれることになる。
11月28日、社会民主党のオラフ・ショルツ首相は連邦議会で、何らかの対策を講じると約束した。しかし、財政規律の厳しいドイツは米国のような「打ち出の小づち」をふって、カネを捻出するのは困難な状況にある。
米国の「ウクライナ支援」を批判せよ
「ウクライナ支援」という美名に隠された「からくり」を理解してもらえただろうか。バイデン政権の悪辣さがわかるはずだ。もちろん、プーチン政権も悪辣だ。しかし、欧米や日本のマスメディアはプーチンの悪ばかりを喧伝するだけで、バイデン政権のひどさをまったく取り上げない。政治家や官僚、御用学者がそうするのは仕方ないのかもしれない。しかし、不偏不党の権力批判を本当に掲げるのであれば、マスメディアはバイデン政権を徹底的に批判すべきだろう。戦争を材料にしながら、自国への「投資」を、「援助」や「支援」の美名でごまかしているからだ。
残念ながら、欧米や日本のマスメディア報道をみても、ここで私が指摘したような米国批判を展開する記事を見つけ出すことは難しい。それだけ、欧米や日本がいわば「内部化」されてしまっており、その「外部」から、「内部」を叱責することが難しくなっている。
この構図は、ジャニーズ事務所に「内部化」され、ジャニー喜多川を頂点とする「男娼館」の本質を報道できなかった日本のマスメディアにぴったりと符合する。ジャニーズ事務所には、黒柳徹子に代表される取り巻きがいたが、ウクライナ報道では、米国の悪辣さに口を閉ざす似非専門家(たとえば佐藤優、小泉悠、廣瀬陽子、東野篤子、塩川伸明、松里公孝ら)がいる。ついでに池上彰のように、まったく不勉強な人物がテレビ各局に出まくって、その情報操作を通じて、悪辣な米国を隠しつづけている人もいる。
まず米国批判からはじめよ
私の研究の集大成である『知られざる地政学』は、徹底した覇権国アメリカへの批判で成り立っている。覇権国アメリカの傘下にある欧州や日本は、この米国政府の影響力から逃れることができないでいる。それは、そうした国々に住む国民も同じだ。大多数の人々は覇権国アメリカの論理に抱き込まれ、「内部化」されてしまっている。極端にいえば、キリスト教神学に基づく価値観や米国のエスタブリッシュメントの身勝手な論理によって「洗脳」されてしまっているのである(この問題を根本から問ったのが拙著『復讐としてのウクライナ戦争』なのである)。
この現象は日本だけでなく、ドイツやフランスなどのマスメディアにもみられる特徴だ。ノルドストリーム爆破を命じたのがバイデン大統領である可能性がきわめて高く、友人ドイツさえ裏切るという高い蓋然性さえドイツのマスメディアは伝えられないでいる。バイデン政権に歯向かえないショルツ政権およびその主要マスメディアは「真実」から目を背けている。米国に「内部化」されてしまっているのだ。
この友人ドイツを裏切った可能性がきわめて高い爆破事件(米国はドイツをロシアから離反させ、自国の液化天然ガス[LNG]を売り込むために裏切った!?)は、米国の友人、日本も米国から裏切られる可能性がきわめて高いという教訓をもたらしている。しかし、日本の政府も主要メディアもこの裏切りの可能性について語らない。日本もまた米国に「内部化」されてしまっているからだ。ジャニーズ事務所を批判できなかったのと同じ構図である。
いま韓国では、北朝鮮との対立が深まるなかで、米国の「核の傘」に対する韓国の保証を強化するためのオプションが問題になっている。
2023年にRAND Corporationが公表した「韓国の核保証強化の選択肢」は日本の知識人必読の報告書である。報告書では、「バイデン大統領は、2023年4月にユン大統領とともにワシントン宣言を発表することで、韓国の懸念(一部はユン大統領によって表明されたもの)に応えた。しかし、ワシントン宣言には、韓国の核保証を真に強化するために必要な実施の詳細が欠けている。とくに、核保証の鍵となる核協議グループの創設に関する詳細が欠けている」と指摘したうえで、「韓国における米国の戦術核兵器貯蔵施設を近代化または新設する」などの政策が提言されている。
それでは、日本はどうするのか。ドイツ政府さえ裏切る米国政府という視角からの議論を日本で展開しなければならないはずなのだ。
残念ながら、キリスト教神学に基づく欧米的価値観が支配する世界の「外部」にまで出て、その「内部」を意図的に批判できる人、すなわち「真の知識人」が日本にはほとんどいない(柄谷行人や大澤真幸くらいか)。この「真の知識人」に近づくには、たぶん『知られざる地政学』が最低限の出発点となるだろう。覇権国アメリカを徹底批判しているからである。『知られざる地政学』は「外部」から「内部」を俯瞰する視角を養う訓練の場となりうると、私は信じている。
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1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士。評論家。一連のウクライナ関連書籍によって2024年度「岡倉天心記念賞」を受賞。 著書:(2024年6月に社会評論社から『帝国主義アメリカの野望:リベラルデモクラシーの仮面を剥ぐ』を刊行) 【ウクライナ】 『ウクライナ戦争をどうみるか』(花伝社、2023)、『復讐としてのウクライナ戦争』(社会評論社、2022)『ウクライナ3.0』(同、2022)、『ウクライナ2.0』(同、2015)、『ウクライナ・ゲート』(同、2014) 【ロシア】 『プーチン3.0』(社会評論社、2022)、『プーチン露大統領とその仲間たち』(同、2016)、『プーチン2.0』(東洋書店、2012)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店、2009)、『ネオ KGB 帝国:ロシアの闇に迫る』(東洋書店、2008)、『ロシア経済の真実』(東洋経済新報社、2005)、『現代ロシアの経済構造』(慶應義塾大学出版会、2004)、『ロシアの軍需産業』(岩波新書、2003)などがある。 【エネルギー】 『核なき世界論』(東洋書店、2010)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局、2007)などがある。 【権力】 『なぜ「官僚」は腐敗するのか』(潮出版社、2018)、『官僚の世界史:腐敗の構造』(社会評論社、2016)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた:官僚支配の民主主義』(ポプラ社、2016)、Anti-Corruption Policies(Maruzen Planet、2013)などがある。 【サイバー空間】 『サイバー空間における覇権争奪:個人・国家・産業・法規制のゆくえ』(社会評論社、2019)がある。 【地政学】 『知られざる地政学』〈上下巻〉(社会評論社、2023)がある。