シリーズ日本の冤罪45 波崎事件 「証拠は皆無だが犯人」偏見で下された死刑判決

片岡健

今回紹介する「波崎事件」は、富山常喜さんという男性が一貫して無実を訴えながら死刑判決を受け、冤罪の疑いを根強く指摘されながら40年にわたる獄中生活を強いられた末に獄死した重大な事件だ。
しかし、1963年の事件発生から60年の歳月が過ぎ、主要な事件関係者はほとんど亡くなり、再審請求も行なわれず、事件は風化しつつある。

そんな中でも、「波崎事件対策連絡会議」が「死後再審」により富山さんの雪冤を果たすべく長年活動を続けてきた。しかし、私が先日、中心メンバーの内藤武さんに久しぶりに連絡したところ、悲しい話を聞かされた。

「現在、仲間は私と藤田さんという方の2人だけになりました。こんなことではいけないのですが、私は続けていくエネルギーがありません」

拙編著『絶望の牢獄から無実を叫ぶ』(鹿砦社)のために取材をお願いした8年前には、7人のメンバーが集まってくださった。内藤さんによると、その後に代表の篠原道夫さんが認知症になったほか、ほかの中心メンバーも亡くなったり大病を患ったりして、活動がままならなくなったという。

このように波崎事件を取り巻く現状は厳しいが、だからこそ私が本誌でこの事件について記す意義もあるように思う。
以下、波崎事件がどんな事件で、富山常喜さんがどんな人だったのか、なるべくわかりやすくお伝えしたい。

司法解剖により変更された死因

東京五輪の開催を翌年に控えていた1963年という年は、3月に東京で戦後最大の誘拐事件と呼ばれた「吉展ちゃん事件」、5月に冤罪事件として有名な埼玉県狭山市の女子高生殺害事件(いわゆる「狭山事件」)、さらに12月に「力道山刺殺事件」など重大事件が相次いで起きている。

波崎事件はそんな年の8月、茨城県の最南部にある波崎町(現在は神栖市)で起きた。

同月26日午前0時過ぎ、この町で農業を営んでいた男性、石橋康雄さん(当時36)が自宅で突如苦しみだし、妻の信子さんに病院に連れていかれたものの、ほどなく搬送先の病院で亡くなった。

信子さんによると、石橋さんは苦しみだした時、こう言ったという。

「薬を飲まされた。箱屋だ」

警察は信子さんからこの話を聞かされ、この「箱屋」なる人物に疑いの目を向けた。
それが富山さんだった。

富山さんは当時46歳で、波崎町で石津むめさんという女性と暮らし、魚類や野菜を入れる「木箱」の販売やラジオの修理業により生計を立てていた。
周囲の人たちに「箱屋」と呼ばれていたのはそのためである。
亡くなった石橋さんはむめさんのいとこだったため、富山さんと付き合いがあり、ほかの人と同じように「箱屋」と呼んでいたのだった。

果たして警察が石橋さんの遺体を司法解剖に回した結果、鑑定医は死因を「青酸化合物の経口摂取による中毒死」と判定した。
これにより警察は富山さんに対し、石橋さんを毒殺した疑いをますます強めた。

しかし実際には、石橋さんの死因が本当に青酸化合物による毒殺なのかは疑わしかった。
というのも、青酸化合物は即効性のある毒物で、致死量を超えた量を摂取した場合は長くとも15分以内に死亡するのが普通だ。
しかし石橋さんは自宅で苦しみ始めてから息絶えるまで一時間余り生存していた。

また、青酸化合物にはアーモンドのような特徴的な臭気があるが、救命治療にあたった病院の医師はこの臭いをかいでいなかった。

さらにその後の裁判で明らかになったところでは、この救命治療担当医は死亡診断書に石橋さんの死因を「急性左心室不全のため」と記していた。
一度はそのように確定したはずの死因が司法解剖により「青酸化合物の経口摂取による中毒死」に変わったわけである。

さらに、石橋さんの死因を青酸化合物による毒殺だと判定した解剖医も、自分が下した鑑定結果に疑問を抱いていたふしがある。
それは、鑑定書の以下のような記述に現れている(以下、〈〉内は引用。すべて原文ママ)。

〈この屍の剖検所見は、その大部分が急性心機能不全による急性死の所見を呈し、出血性胃炎及び膵臓の異常なる色調のみが、わずかに中毒死を疑わせる所見である〉

〈この屍の青酸中毒現象はやや非定型的なり〉

解剖医が確たる根拠もなく、「急性左心室不全のため」だったはずの死因を「青酸化合物の経口摂取による中毒死」へと変更したことが窺える。

こうして見ると、石橋さんはそもそも誰かに殺されたわけではなく、病気など何らかの、自身の体調に関わる問題で亡くなった可能性もあるわけだ。

しかし警察は、石橋さんの急死は青酸化合物による毒殺事件であることを大前提に捜査を展開し、富山さんを事件から2カ月後に別件で、その後殺人の容疑で検挙した。

保険金殺人を示す証拠も動機もなかった

翌64年1月から水戸地裁三浦支部で始まった裁判で、検察官は石橋さん急死の真相を次のように主張した。

「被告人の富山は不法に多額の保険金を得るべく、被害者を生命保険に加入させたうえ、青酸化合物を飲ませ、殺害した」

しかし、証拠は明らかに乏しかった。
なにしろ、富山さんが石橋さんに青酸化合物を飲ませたことを直接裏づける証拠は何もなく、そもそも富山さんが青酸化合物を入手したことや、所有していたことを示す証拠すら検察官は一切提示できなかったのだ。

石橋さんが加入していた死亡保険金額600万円の生命保険契約では、富山さんが石橋さんの妻信子さんとともに受取人になってはいたが、この一見怪しげな保険の契約経緯にも不審な点は見受けられなかった。
というのも、大卒の平均初任給が1万円だった当時、石橋さんは賭博で260万円の借金を抱え、所有していた田畑や山林を売り払っており、富山さんにも25万円の金を借りていた。

一方で石橋さんは、無免許で車を乗り回し、車を転覆させる大事故を起こしても無免許運転をやめず、白タクまでするような破滅的な生き方をしていたため、富山さんは石橋さんに万が一のことがあっても貸した金を回収できるように保険に加入させていたのだ。
それは当然、石橋さんも納得のうえでのことだった。

ちなみに富山さんは事件当時、保険金殺人をしなければならないほど金に困っているような事情もなかった。
事件の前年、むめさんの娘である明美さんが美容院を開業したために借金はあったものの、美容院の経営は順調で、返済計画もしっかりしていた。

加えて、富山さんは事件当時、京成成田駅近くの山林を京成電鉄に売却する仲介をしており、この事件がなければ確実に商談は成功し、約300万円の手数料収入が得られる見込みだった。
これは京成電鉄の社員も裁判で証言していることだ。

一方、石橋さんは事件当時、家や土地の権利証を持参して金策にかけずり回っており、精神的に追い詰められていた。
つまり、先述したように石橋さんは病気など別の問題で亡くなった可能性があるばかりか、自殺した可能性すら否定できないわけである。

被告人を忌み嫌い悪しざまに罵った

裁判官では、石橋さんは亡くなった際、なぜ、「薬を飲まされた。箱屋だ」と言ったのか?

実は石橋さんが本当にそんな発言をしたのかは疑わしかった。
この石橋さんの発言を聞いた「唯一の証人」である信子さんの証言は、詳細に検証すると、以下のように信ぴょう性に疑問符がつく内容だったからだ。

「夫は帰宅して2、3分後に苦しみだしたので、『酒を飲んだのか、父ちゃん』と言うと、苦しそうに、『薬を飲まされた。箱屋だ』と言い、『はな2つ、あと1つ、飲まされた』『俺、箱屋にだまされた』と3、4回言いました」

青酸化合物は、飲むと一瞬で言葉が発せられなくなるのが特徴だ。
石橋さんが本当に青酸化合物を飲み、苦しんでいたなら、普通ここまでは話せない。

ちなみにこの日、石橋さんが金策のために夜遅くまで駆けずり回ったのち、帰宅前に富山さんに会っていたのは事実だ。
信子さんもそのことを知っていたため、先入観から石橋さんの言葉を聞き間違えた可能性も否めない。

結果、富山さんを有罪と認める証拠が絶望的に乏しいことは、裁判官たちも認めざるをえなかった。実際、第1審・水戸地裁三浦支部(田上輝彦裁判長)が富山さんに宣告した死刑判決には、次のように記されている。

〈被告人の自白はなく、毒物を飲ませるところを見聞した証人もなく、又毒物の入手先も、処分方法も不明ではある〉

一読しておわかりの通り、「証拠は皆無」と言っているに等しい内容だ。ところが、判決はここまで認めながら、次のように言うのである。

〈叙上各証拠を綜合検討した結果、犯人は被告人以外の者であるとは、どうしても考えることができない、即ち、被告人が犯人に相違ないとの判断に到達したのである。よって、判示各事実は、証拠十分である。〉

要するに「証拠は皆無だが、被告人が犯人だと判断した。
よって、証拠は十分だ」というわけだ。
まさに支離滅裂というほかないが、裁判官たちが証拠を検討する前から富山さんを犯人と決めつけていたことがわかる。
さらに判決はこう言う。

〈絶対に証拠を残さない、所謂完全犯罪を試みんとしたものとも見るべき〉

つまり、証拠が何もないのは、富山さんが完全犯罪を試みたからだというわけだ。
こんな理屈がまかり通れば、どんなに証拠が乏しくとも被告人は有罪にされてしまう。

では、裁判官たちはなぜ、これほど不当な裁判をしたのか。
その答えは、判決の次の部分に示されている。

〈反対尋問の名の下に執拗に迫った被告人の言動とに徴して被告人が人並外れた程、金銭に対する執着心が強く、そして生活の向上にあせつて居り、而も判示第1摘示のような凶暴破廉恥な行動に出でかねない性格と気性の持主であることが洵(まこと)に明らかに認識されるのである〉

つまり、富山さんが自ら検察側証人に対して反対尋問を行なっただけで、裁判官たちは「金銭に対する執着が強い」とか「生活の向上にあせつて居り」とか「凶暴破廉恥な行動に出かねない性格と気性の持ち主」などと言っているわけだ。

裁判官がここまで富山さんを悪しざまに罵るのは、何らかの事情から富山さんを忌み嫌い、偏見を抱いていたからにほかならない。それゆえに有罪認定も極めて理不尽なものになったのだ。

獄中で病に苦しみながら最期まで訴え続けた無実

私は、前出の篠原さんが認知症に陥る前、生前の富山さんのことを色々聞かせてもらった。
その話から富山さんが裁判官に嫌われた事情も察せられた。

「富山さんはシベリア抑留で左翼思想を注入されていて、理屈っぽいところがある人でした。
事件前は何かあると、すぐに交番や市役所に文句を言いに行っていて、警察にもいやがられていたみたいです。そんな経緯もあり、この事件の捜査では警察に犯人と決めつけられてしまったようです」

警察・検察の厳しい取り調べに対しても一貫して容疑を否認した富山さんは、法廷でも時には自ら検察側証人に反対尋問を行なうなど、自分の言葉で堂々と無実を訴えた。
裁判官たちはそんな富山さんの態度が癇に障ったのではないかと思われる。

富山さんは1966年12月、水戸地裁三浦支部の1審で死刑判決を受けると控訴、上告も退けられて、1976年に死刑が確定したが、この間も懸命に無実を訴え続けた。
控訴審では、約8万字に及ぶ自筆の控訴趣意書を提出したほどだ。

もっとも、気丈だった富山さんも死刑確定後、東京拘置所内での獄中生活は苦しんだようだ。
ある時、こんな苦悩を篠原さんに手紙で打ち明けている。

〈土、日曜、祝祭日の外は来る日来る日の毎日が、ガチャガチャと扉を開けられる度びに、心臓が破裂するのではないかと思へるほどの恐怖心を味わわされる地獄の連続であり、若しも寿命を計る機械がありましたなら、恐らくは確実に毎日毎日相当の寿命を擦り減らされているのではないかと思います〉(87年12月29日消印)

日本では、死刑の執行は死刑囚本人に予告なく不意打ち的に行なわれる。富山さんは気持ちの強い人だったが、死刑と背中合わせで過ごした日々の恐怖感はやはり尋常ではなかった。富山さんは再審請求を2度行なっているが、いずれも棄却された。そして獄中で70歳を迎えた頃から健康を悪化させた。

2000年に83歳になった頃からは、死期を強く意識するようになった。
以下はいずれも篠原さんに宛てた手紙からの引用だ。

〈2000年を期に新たに仕切り直しということになりそうですが、私の残り時間は益々心細くなるばかりで焦燥は隠せません〉(1月16日消印)

〈毎日のように襲って来る吐き気に鬱陶しい思いをしております。出来るだけ長生きすることが皆様の御尽力に対する私の至上命題ですので、この度びお差入れの中から取り敢えず8月と9月分の牛乳を購入させて頂きました〉(2001年9月1日消印)

〈毎日の呼吸不全状態、胃部の異状な膨満感など尋常ではありませんので、何かもっと精密な器械での検査が欲しいところです〉(2002年7月8日消印)

生きるだけで精一杯だった様子が伝わってくる。

富山さんは02年頃から人工透析治療も受けるように。そして次の235通目のはがきは、生前、篠原さんに送った最後の書簡となった。

〈いつも心づかいありがとうございます。面会、差入と感謝しております。弁護士さんについては、後日元に戻ったときに連絡等する予定です〉(2002年8月27日消印)

富山さんはこの時期からいよいよ生命が危ぶまれる状態となり、「恩赦」の出願をした。
それとともに弁護団や支援者たちは、東京の弁護士会や「死刑廃止を推進する議員連盟」事務局長の保坂展人衆議院議員に協力を仰ぎ、拘置所長や法務大臣に対して、富山さんに対する救済措置をとってもらえるようにはたらきかけを続けた。
しかし、それらはすべて当局に無視され、富山さんは医療体制が不十分な拘置所内で苦しみ続けた末に2003年9月3日午前1時48分、86歳で永眠したのだ。

それから20年。現在、この悲惨な冤罪事件は社会から忘れ去られつつある。
その流れに抗うことは困難だが、本記事で事件を知った人には、このような酷い冤罪に見舞われながら、生命尽きるまで無実を訴え続けた富山常喜さんという冤罪被害者が存在したことを記憶にとどめていただけたら幸いだ。

【謝辞】本記事の執筆に際しては、「波崎事件対策連絡会議」から様々な資料を提供いただきました。タイトルの富山さんの写真もそのうちの1つです。
この場を借りて感謝申し上げます。

(月刊「紙の爆弾」2024年1月号より。最新号の情報はこちら→https://kaminobakudan.com/

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片岡健 片岡健

ジャーナリスト、出版社リミアンドテッド代表。主な著書に『平成監獄面会記』(笠倉出版社)、『絶望の牢獄から無実を叫ぶ』(鹿砦社)など。

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