【連載】データの隠ぺい、映像に魂を奪われた法廷の人々(梶山天)

第14回 DNA鑑定導入の黒歴史

梶山天

今市事件をテーマに今月13日、初めて映像で流した。一審裁判で唯一犯人特定につながる被害者女児頭部から見つかった布製粘着テープのDNA方鑑定の検証を昨年9月からしてきた法医学者2人の対談だ。栃木県警科捜研による同鑑定で被害者意外に犯人とみられる女性のDNA型が検出されていたことを明らかにした。

2016年の裁判員裁判だった一審法廷では、この鑑定結果は被害者のほかに鑑定従事者2人の汚染(コンタミネーション)で、犯人追及ができないとして審理から外されてしまったのだ。勝又拓哉受刑者のDNA型は全く検出されず、改ざんとも取れるこの隠ぺいがなければ判決内容が変わっていたに違いない。

一連の裁判の中で、警察庁科警研の関係者も検察側証人として出廷し、被告のDNA型が検出されていないことについて「検出されないこともありうる」として、被告が犯人であることには変わりがないことを強調した。しかし、その証言はDNA型が出ても、出なくても結果が同じと言うのであれば、DNA鑑定をする必要はない。

そもそも欧米で証拠価値の主流になっていたDNA型鑑定を国内に導入したのは警察庁だ。「自分たちに都合が悪い鑑定結果の時は、都合のいい解釈に置き換えるのはサイエンスとは言わない」と本田克也、藤田義彦両法医学者はくぎを刺す。この2人は、この前代未聞の隠ぺいは「DNA鑑定独占」が生んだ犯罪だと声をそろえた。

本田克也元教授の著書

 

藤田義彦元教授の名刺

 

また、今の捜査機関の鑑定部門の現状を踏まえて、対策案としては鑑定の中立性、正確性を担保するためには、もう早急に鑑定機関が捜査機関から独立するしかないと断言した。特に、徳島文理大学大学院の藤田元教授は1979年から2010年までの31年間にわたり、徳島県警科捜研で鑑定を携わってきた一人だ。警察の鑑定機関の関係者が鑑定部門の独立を口にするのは、かつてないことだ。それほどまでに鑑定独占による「汚染」は目には見えない形で確実に広がっているのかもしれない。

2人がこぞって口にした「DNA型鑑定独占」は、いつから始まったのだろうか。そうした疑問を解き明かすために国内におけるDNA型鑑定導入までのとんでもない黒歴史を少したどってみようと思う。

80年代後半に警察庁は、科学警察研究所の笠井賢太郎技官を、米国ユタ大学のハワード・ヒューズ医学研究所に派遣。そこで開発したDNA型鑑定方法の運用を1989年から始めた。第1染色体上にあるDNAの反復配列の1部位を鑑定する「MCT118」法だった。この方法と白血球をみる「HLADQα」法も実用化した。そこで「MCT118」法で犯人を逮捕、裁判で初めて有罪判決を得たのが90年5月に発生した冤罪「足利事件」だった。

国内では同時期には東大を筆頭に長野県松本市の信州大、茨城県つくば市の筑波大、新潟大など国立大学の法医学教室でDNA鑑定の研究が進められ、互いに競い合っていたのだ。もちろん捜査機関のDNA型鑑定のチェック機関としても始動していたのだ。警察庁は91年6月、翌年度から全国の警察にDNA型鑑定を本格的に導入すると発表した。

菅家さんをちょうど幼女殺害の容疑で逮捕する半年前のことだった。捜査に限って利用する運用上のガイドラインを作るとして、参議院決算委員会でも取り上げられた。「個人識別には大変有効な手段。21世紀の鑑定作業で大きな地位を占める」と答弁した刑事局長は、後に同庁長官となり、地下鉄サリン事件捜査中に何者かに狙撃された国松孝次氏で、警察庁肝入りの案件だった。

警察庁は同年8月、鑑定機器導入のため、次年度予算の概算要求に1億1600万円を盛り込んだ。大蔵省はそれを退け予算を示さなかった。いわゆる「0」回答だった。そこで警察庁は動いた。同年12月1日だった。

警察庁記者クラブ加盟の毎日、朝日、読売の全国紙3社の朝刊は、足利事件の被害者女児の肌着から検出されたDNA型が足利市内の男性のDNA型と一致した、とこぞって報じた。同日早朝から栃木県警は菅家さんを任意同行し、殺害を認めたとして翌2日に逮捕した。この菅家さんの逮捕が功を奏し、大蔵省の風向きが変わったのか、同月下旬の復活折衝で満額が認められた。

冤罪を生んだ警察庁の科警研がDNA型鑑定した被害女児の半袖下着

 

全国紙だけで、こぞっての菅家さんのDNA型が一致したとする報道だったが、地元紙の下野新聞は苦杯を嘗めた。これを機に過熱した報道合戦では連日、「DNA一致で自供、ミクロの捜査」「DNA鑑定が逮捕の切り札に」「否認を突き崩した科学の力」などとDNA型鑑定の威力を讃えるキャッチフレーズが並んだ。この報道でも分かるように、一連の警察庁の行動は、DNA型鑑定の威力をアピールして導入を急ぐためのアドバルーンだったようにも見える。

実は、栃木県警が菅家さん逮捕に踏み切る切り札にした警察庁科警研のDNA型鑑定「MCT118」法は、大きな欠陥があった。欧米では、この鑑定方法はわずか1部位しか検査できないこともあって、ほとんど使われなかった。実は冤罪の可能性が菅家さん逮捕の1年後に指摘されていたのである。東大で初めて開催された「日本DNA多型研究会」(現日本DNA多型学会)の学術集会で、その欠陥を発表したのが、当時信州大学法医学助手だった本田克也元教授だった。

警察庁や栃木県警はその指摘を無視し続けて菅家さんの無期懲役を確定させたのだ。しかし、東京高裁が2008年12月に国内初となる足利事件での「世紀の再鑑定」を決定し、本田元教授らが自分の鑑定技術を駆使して菅家さんの無罪を裏付けた。被害者女児の下着から検出されたDNA型と一致していたことになっていた菅家さんのDNA型が一致しなかったのだ。

再鑑定を前に千葉刑務所で菅家さんの血液を採る筑波大の本田元教授

 

しかも本田元教授は、足利事件で警察庁の科警研がこの「MCT118」法だけでなく、もう一つの鑑定法である「HLADQα」法も行い、実際には一致しない結果が出たにもかかわらず、抽出したDNA型鑑定が少なかったとして菅家さんの鑑定結果は出していたが、被害者女児の鑑定は「未鑑定」に画策していたたことを見破った。実は再鑑定をする前に裁判所から科警研が菅家さんを逮捕する前に行った鑑定書が送られてきた。本田元教授は自分が鑑定する場合は、他人の鑑定結果を見ないことにしている。鑑定前にそれを見ると、その結果に引きずられることもありうるからだ。

再鑑定の結果を裁判所に送った後、初めて科警研の鑑定書を開いてみると、おかしなことにHADQα型検査も行っていて、驚いたことに菅家さんのは判定されていて、被害女児のDNA型判定は「未鑑定」となっていたのだ。さらにその理由は抽出したDNAが少なかったとある。本田元教授自身が再鑑定出来るほどDNAが抽出していることから科警研の鑑定報告書の内容は不自然なものであった。

警察庁科警研によるHLADQα型鑑定結果は、菅家さんの捨てたティッシュは型は出ているが、被害者の肌着の鑑定は未検査になっていた。実はこの鑑定は不一致だった。

 

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梶山天 梶山天

独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。

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