【連載】知られざる地政学(塩原俊彦)

「知られざる地政学」連載(20) カナダの挑戦をどうみるか:ロシア資産の押収・没収問題を再論する(上)

塩原俊彦

 

 

このサイトの拙稿「オリガルヒへの制裁について考える:「法の支配」の厳格さを求める」において、対ロ制裁にかかわるロシア資産の凍結(freezing)・押収(seizing)・没収(confiscation)といった問題について論じたことがある(凍結は「資金に対する所有者の処分を阻止することができ、一時的なもの」だが、押収や没収は、「元の所有者が押収された資産を使用する[処分する]ことができなくなる」という、占有離脱[dispossession]を意味している)。国家間の係争を調整する法的枠組みにかかわるこの問題は、地政学上も重要な意義をもっている。

2023年12月21日付の「ニューヨーク・タイムズ」は、ジョー・バイデン政権が、西側諸国に保管されている3000億ドル以上のロシア中央銀行資産について、先進7カ国(G7)加盟国と協調して対処する目的で、既存の権限を使えるのか、それとも資金を使うために議会の措置を求めるべきなのか、同加盟国に検討するよう求めていると報じた。具体的には、「イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、カナダ、そして日本に対し、侵攻2周年にあたる2月24日までに戦略を打ち出すよう迫っている」という。これが事実であれば、2024年1月からはじまる日本の通常国会での議論を期待したいところだが、この問題に関する日本での議論はまったく深まっていない。

そこで、今回はこの問題について、先進的な試みを行っているカナダ政府の取り組みに焦点を当てながら考察したい。残念ながら、日本では包括的な議論がほとんどなされていないからである。ここでは、2023年6月に公表された「凍結された資産を差し押さえ、汚職指導者の責任を追及するカナダのアプローチ」という報告書をもとに、この問題の全体像について概説したい。

資産没収をめぐる議論

この問題を議論するに際して、重要なのは、対象が個人資産か国家資産かに分けて、凍結・押収・没収にかかわる法律上の問題を考察するという視角である。この視角からみると、個人資産の凍結・押収・没収については、実は長い議論が歴史的に存在する。それは、「腐敗」をめぐる議論のなかで生じた。

この点については、拙著『プーチン3.0 殺戮と破壊への衝動』の139~141頁に詳述したので、そちらを参考にしてほしい。ここでは、その説明の最初に書いた記述だけを紹介しておこう。

「実は、2003年10月に採択された「国連腐敗防止条約」(United Nations Convention against Corruption, UNCAC)の第三十一条には、「凍結、押収および没収の手続き」が定められている。その対象となるのが「不正利得」(illicit enrichment)だ。この概念は三つの国連の条約(convention)に関連している。第一は国連・麻薬及び向精神薬の不正取引防止条約で、その第五条の没収規定が関係している。第二は国連腐敗防止条約の第二十条にかかわる。不正蓄財(自己の合法的な収入との関係において合理的に説明することのできない公務員の財産の著しい増加)が故意に行われることを犯罪とするため、必要な立法その他の措置をとるよう求めている。第三は越境組織犯罪防止条約の第十二条第七項で、これも没収に関連している。」

いずれの没収も個人資産の没収に焦点をあてている。要するに、「クレプトクラート」(泥棒政治家)と呼ばれる人物らが国家から盗み取った資産のうち、海外に移転されたものを押収・没収して、その人物の国に返還して国家再建などにあてようとするものだ。

ところが、実際には、対象となる人物をどう認定するか、対象資産をどうするか、凍結・押収・没収の手続きをどう制度化するかなどをめぐって、各国の足並みはバラバラで、積極的に没収まで行う制度を整備し、資産返還まで行った実績のある国はまだまだ少ない。

カナダの「特別経済措置法」

興味深いのは、カナダにおいて2022年6月に議会を通過した法改正で、①カナダが加盟する国家または国家連合から要請があった場合、②国際の平和と安全に対する重大な侵害が発生した場合、③外国で重大かつ組織的な人権侵害が行われた場合、または④外国の国民が関与する重大な汚職行為が行われた場合――という四つの場合について、カナダ政府が特定の自然人・法人(外国事業体[「外国国家」]を含む)に対して経済措置を講じることができるようにする「特別経済措置法」が制定されたことである。外国国家を含む個人・法人が「直接的または間接的に保有または支配する」財産や資産の凍結・押収・没収が可能となったのだ。④に加えて、②や③などを加えることで、ウクライナ戦争をはじめたロシアによる侵略を理由に、特定の資産を没収対象とすることが可能になったのである。

他方で、2023年11月7日、米下院外交委員会は「ウクライナ人のための経済的繁栄と機会の再建法(レポ法)」を40対2で可決した。この法案は、ロシア政府資産(ロシアの中央銀行、直接投資基金、財務省の資金やその他の財産を含む)の没収と処分に関連するさまざまな行為を要求または許可するものである。法案では、大統領はアメリカの金融機関に対し、当該金融機関に所在するロシア主権資産を財務省に通知するよう義務づける。大統領は、アメリカの司法権の対象となるそのような資産を没収することができる。没収された資金および清算された財産の収益は、法案によって設立されたウクライナ支援基金に預けられなければならない。

この法案はもっともらしく思えるかもしれない。しかし、カナダで制定された法律に比べて、ロシア政府を狙い撃ちにしただけの場当たり的な法案にすぎない。

なぜ没収までできるのか

カナダの特別経済措置法にある「重大な汚職行為」や「重大かつ組織的な人権侵害」という表現は、犯罪行為が行われていることを示唆している。しかしカナダでは、多くの民主主義国家と同様、「合理的な疑いを超える」立証基準に基づく有罪判決を必要とせず、犯罪行為に関与したことが法的に立証されれば、国家は個人に自由に罰則を課すことができる。
たとえば、カナダの移民・難民保護法では、永住権保持者、外国人、難民申請者はすべて、カナダ国外で犯した「犯罪行為」または「重大な犯罪行為」を理由に、カナダへの「入国不許可」(つまり国外退去)とすることができる。同様に、ある個人が「重大な汚職行為」または「重大かつ組織的な人権侵害」に関与していたとカナダ総督が判断する場合、犯罪が行われたことを証明する必要はない。

このような状況において、もっとも関連性の高い法律は、犯罪収益の民事没収制度である。民事没収の本質は、政府がその資産が犯罪行為に由来するものであることを、蓋然性の見合いで証明できれば、あらゆる種類の資産(金銭や金融商品だけでなく、不動産や車両も含む)を凍結・押 収・処分する権利を有するということだ。2009年、カナダ最高裁判所はこの制度の合憲性を支持している。実際、カナダにおけるマネー・ロンダリングと金融犯罪に関する最近の調査委員会は、カナダ当局による民事没収をより積極的に活用するよう勧告している。

なお、没収した資産を処分して得た資金(没収された財産の処分による正味収入を超えない金額)は、①国際の平和と安全の重大な侵害により悪影響を受けた外国の復興、②国際の平和と安全の回復、③国際の平和と安全の重大な侵害、重大かつ組織的な人権侵害、または重大な腐敗行為の被害者の補償――に支払うことができると規定されている。

「投資」資金の没収と資産の没収

もう少し詳しい話をすると、「投資」については、カナダが他国との二国間外国投資促進・保護協定(foreign investment promotion and protection agreements, FIPA)に基づき、あるいは世界貿易機関(WTO)体制下の特定の規則に違反して、外国人の資産を不法に収用したとして、カナダが責任を問われる可能性があるかどうかが問題になる。ロシアの場合、1989年のカナダ・ソビエト連邦二国間投資条約が両国間で有効である。仮にカナダがロシアに脱退の意向を通知したとしても、同条約の仲裁条項はさらに20年間存続する。さらに、FIPAには国家安全保障免除条項がなく、1989年の条約にその種の条項がなかったという法的結論が補強されている。制裁を受けたオリガルヒがカナダの金融機関に保有する資金は、ほとんどすべての金融資産や実物資産と同様に「投資」に該当し、それを押収・没収したとしても、免除条項がないから不法行為とはならないと考えられる。

他方で、カナダが差し押さえたヨットや別荘は「投資」に分類されないため、カナダとロシアのFIPAに反することなく差し押さえることができる。ただし、資産没収に関しては、ロシアの投資家はUNCITRAL仲裁規則(商業関係から生じる仲裁手続の実施について当事者が合意できる包括的な手続規則)に基づく仲裁を求めることができる。

国家資産の押収・没収をめぐって

特別経済措置法に基づくカナダのスキームには、前述したように、外国事業体(「外国国家」を含む)によって「直接的または間接的に保有または支配されている」財産や資産の差し押さえ・押収・没収がその範囲に含まれている。その際、もっとも問題となっているのがロシア中央銀行の所有する資産についてである。

よく知られているのは、2004年12月2日、国連総会で採択された「国家およびその財産の裁判権免除に関する国際連合条約」によって、外国に保有される国家資産が当初から保護されていると考えるのが自然だろう。その第一条では、「この条約は、国家およびその財産が他国の裁判所の管轄権から免除されることに適用される」と規定されており、第三条は、「国は、自国およびその財産に関し、この条約の規定の適用を受ける他の国の裁判所の管轄権からの免除を享有する」としている。

ただ、主権免責は本来、国家が互いに裁きを下さないようにするためのものであり、他の形態の(とくに行政に基づく)行為を妨げるものではないという主張がある。これは、ウクライナへのロシアによる侵略に伴う賠償にロシア中央銀行の国際準備をあてようとする見解の広がりに対応している。

「知られざる地政学」連載(20)
カナダの挑戦をどうみるか:ロシア資産の押収・没収問題を再論する(下)に続く

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塩原俊彦 塩原俊彦

1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士。評論家。一連のウクライナ関連書籍によって2024年度「岡倉天心記念賞」を受賞。 著書:(2024年6月に社会評論社から『帝国主義アメリカの野望:リベラルデモクラシーの仮面を剥ぐ』を刊行) 【ウクライナ】 『ウクライナ戦争をどうみるか』(花伝社、2023)、『復讐としてのウクライナ戦争』(社会評論社、2022)『ウクライナ3.0』(同、2022)、『ウクライナ2.0』(同、2015)、『ウクライナ・ゲート』(同、2014) 【ロシア】 『プーチン3.0』(社会評論社、2022)、『プーチン露大統領とその仲間たち』(同、2016)、『プーチン2.0』(東洋書店、2012)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店、2009)、『ネオ KGB 帝国:ロシアの闇に迫る』(東洋書店、2008)、『ロシア経済の真実』(東洋経済新報社、2005)、『現代ロシアの経済構造』(慶應義塾大学出版会、2004)、『ロシアの軍需産業』(岩波新書、2003)などがある。 【エネルギー】 『核なき世界論』(東洋書店、2010)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局、2007)などがある。 【権力】 『なぜ「官僚」は腐敗するのか』(潮出版社、2018)、『官僚の世界史:腐敗の構造』(社会評論社、2016)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた:官僚支配の民主主義』(ポプラ社、2016)、Anti-Corruption Policies(Maruzen Planet、2013)などがある。 【サイバー空間】 『サイバー空間における覇権争奪:個人・国家・産業・法規制のゆくえ』(社会評論社、2019)がある。 【地政学】 『知られざる地政学』〈上下巻〉(社会評論社、2023)がある。

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