【特集】沖縄の日本復帰50周年を問い直す

50年の時を隔てて思う「5月15日」

白鳥龍也

50年前の1972年5月15日。当日のことはよく覚えている。私は、長野県の片田舎に住む中学2年生。月曜の朝礼で体育館に集まった全校生徒に、校長が言った。「本日、沖縄が本土に復帰しました。授業は半日にしてお祝いしましょう」。

オキナワ…は聞いたことはあるが、日本に近い外国というイメージ。フッキ…の意味はよく分からなかったが、予期せず学校が半休になったことがたまらなく嬉しかった。

それから約30年後、私的旅行で初めて沖縄を訪れた。

当時は政治部の記者。95年の米兵による少女暴行事件、翌年の米軍普天間飛行場返還合意などを経て、沖縄は重要な取材対象となっていたが、現地の空気は分からない。

実際にその地を踏み、米国が深く入り込んだ独特の文化や、街の真ん中に広大な基地がある日米安全保障体制の「現場」を目の当たりにして衝撃を受けた。

亜熱帯の気候風土とうまい酒肴の虜になったのは無論だが、沖縄を「南国のリゾート」としてだけ消化するのは記者として恥ずるのではないか、との思いが強くなった。その後、基地反対運動の関係者や大学の研究者ら、思い付くまま取材を始めて今に至る。

沖縄語(うちなーぐち)に「いちゃりばちょーでー」(一度会えばきょうだい)がある。その精神通り、出会う人はみな温かく接してくれた。沖縄伝統の親友や親戚の内輪の会合、模合(もあい)に入り込ませてもらったこともある。

そして誰もが優しい気持ちの底に多かれ少なかれ、えも言われぬ澱(おり)のようなものを抱えて暮らしていることも知った。在日米軍専用施設の7割に及ぶ基地の押しつけと、派生する環境被害や事件事故への不安や怒りは言うに及ばず。

金城トヨさん轢殺事件(1970年9月)

 

江戸初期に始まった島津藩侵攻、明治政府による事実上の植民地化だった琉球処分、沖縄の伝統文化を徹底的に否定された皇民化教育、本土防衛の捨て石にされた太平洋戦争末期の沖縄戦とその後の苛烈な米軍統治、広大な米軍基地を残したままの日本復帰。

5.15平和行進(1979年5月)

 

400年余にわたりヤマト(本土)が強いてきた従属と差別の歴史が、沖縄と本土との間に、コロナ感染対策で目にする、あの透明アクリル板のような仕切りを築いているように思えるのである。

本土の人たち(ヤマトンチュ)は今も昔も、アクリル板に気付かないか、気付かないふりをしている。沖縄の人たち(ウチナーンチュ)にしてみれば、それがまた透明板の厚さをずっと認識させられる結果になっている。

親しい沖縄の地元紙記者に復帰の日の「学校半休の思い出」を話したことがある。「本土ではそんな(のんきな)感じだったんですねぇ」と、感慨深げに返された。お祝いムードだけのヤマトンチュと、心から喜べないウチナーンチュの思いがすれ違ったまま始まったのが50年前のあの日。それが復帰の実態なのだと、あらためて気付かされた。

私と一緒に無邪気に学校半休を喜んだ郷里の同窓生からは最近、私の書く基地問題の記事を見て「偉そうに政府批判をしているお前は、一体どうしたら解決できると思うのか」と質問を受けることが多くなった。

こう答えることにしている。「自分家(ち)の隣に米軍基地があると想像してみて」。わが故郷は、群馬・長野県境に座す浅間山の南麓の、のどかな田園地帯にある。沖縄からの物理的距離も精神的距離も遠い。とても、米軍基地と共存するなど考えもつかない。そんなの嫌に決まっている。では沖縄ならいいのか。

沖縄に対して「申し訳ない」との気持ちがあったとしよう。しかし、沖縄にいらないものは自分家の裏庭はおろか、日本のどこにもいらない、との考えを持つ人も多い。だとすれば、米軍基地を全部、日本国内からなくすのか。

一つの考えは、米軍の駐留を認めずに安全を保障してもらう「駐留なき安保」だ。だが、その場合は今よりずっと、日本には攻め込まれる「すき」が生まれる。相手国を攻めたら即座に反撃されるからやめておこう、との「抑止力」の低下という事態だ。

日本に駐留する米兵は約5万6000人にすぎないが、日本国内にある米軍基地が攻撃されたら、攻撃した側は米軍全体を相手にすることになる。

自衛隊には約23万人の隊員がいて、陸海空の防衛能力は決して低いとは思わないけれど、核弾頭を搭載できる中距離弾道ミサイルを持つ周辺の軍事大国からみれば、自衛隊のみを打ち負かすのは簡単だ。米軍は国外から駆けつけて援軍することになるが、自国民の血が流れていないのであれば、士気を高めたまま戦うのは難しいのではないか。

日本の政界では今、敵基地攻撃能力の保有だの、米軍との核共有だのと勇ましい論議が出ている。ただ、果たして自衛隊に今以上の重い任務が負えるだろうか。隊員を大幅に増やしたり、重装備化したりすることは歳出面からも簡単ではない。ましてやそれで、相手国の攻撃を抑えることができると考えるのは早計だ。

前置きが長くなったが、要は真に沖縄に「寄り添う」には、日米同盟を堅持しつつ、過度の基地負担を全国で分かち合うしかない、と思う。

本土の11都道府県には、沖縄の基地を引き取ろうという市民の運動体がある。そのグループの代表が5月13日、衆院議員会館で記者会見し、沖縄県を除く全国の46都道府県議会および約1700の市町村議会に対して、国と国会に辺野古新基地建設断念と米軍普天間飛行場の本土引き取り(移設)を行うよう求める意見書の採択を働きかけていく方針を示した。

沖縄発では、普天間飛行場の移設先が辺野古でいいのか、あらためて国民的な議論を起こそうとの「新しい提案」運動が生まれている。いずれも尊い行動だ。

ロシアによる無法なウクライナ侵攻に乗じて、日本国内では今、まことしやかに中国の脅威が喧伝される。ロシアが隣国を攻めたからといって、中国がおいそれと台湾を攻めると考えるのはあまりに短絡的だ。

ただ、絶対ないと言い切れないのも台湾を巡る有事である。そうなれば、地理的にも近く、米軍基地、自衛隊基地が集中する沖縄が無傷でいられるわけがない。基地引き取り運動では、勇気を持ち、リスクを本土で分散して担おうというのだ。分担するのは有事に攻撃対象となることだけではなく、日常の米軍訓練から発生する環境被害や事件事故のリスクも含まれる。

基地の引き取り先は、私が住む東京都内も地方も区別してはならない。国会および地方議会の論議、場合によっては住民投票などの民主的手続きを経て、米軍基地の移転を受け入れると決まったなら、たとえそれが自宅の隣地になろうと、私は反対しない。もっと言えば、霞ヶ関の官庁街や永田町の国会議事堂の隣地で引き受けたらどうか。国民は拍手喝采するのではないか。

口先だけで沖縄の負担軽減を言う日本政府と与党政治家は、基地の本土受け入れなどの抜本的解決に動かない。ならば、基地引き取り運動や「新しい提案」のように、国民一人ひとりが考えることから始めるしかない。

この夏には参院選がある。それぞれの地方では首長や議会議員選挙が絶え間なく巡ってくる。そのときに、沖縄が背負う安全保障の問題も考えて一票を投ずることができる。私もそうしたい。

復帰50年の時を隔てて、私が沖縄に対して抱く思いである。

白鳥龍也 白鳥龍也

東京新聞論説委員

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