日航123便墜落事故と時事通信、共同通信、NHK(市民記者記事)

市民記者:小幡瞭介(おばた りょうすけ)

1985年8月12日、日航123便墜落事故が発生した。123便がレーダーから消えたとき、羽田空港にはNHK記者と時事通信記者がおり、情報を受けた彼らはそれぞれNHK社会部、時事編集局社会部に一報を伝え[1][2]、その事実は間もなく全国に知れ渡った。

テレビ、ラジオでは事故当夜から事故のニュースが報道され、新聞各社も事故を報じた。読売新聞大阪本社と信濃毎日新聞株式会社は事故当夜に号外を出し[3][4]、翌日には各紙が事故を報じた。事故翌日の全国紙や地方紙は、123便からの連絡内容や地上からの目撃情報など、事故を詳しく報じた。墜落前・墜落後に起きた出来事を時系列でまとめた新聞もあった。

当然ながら海外の新聞も事故を報じた。ところが奇妙なことに、「日本国内発行の日本語の新聞」では報じられていないことが海外の新聞では報じられている。
その例を以下に列挙する。

①1985年8月13日付『パウリスタ新聞』(ブラジルの日本語新聞)
≪ 世界第二の大事故 “故障、緊急降下”告げ消息断つ
【時事至急電】(中略)
運輸省によると、墜落したボーイング747機は、同日午後六時三十一分頃、後部のドアがこわれたため近くの横田米軍基地(東京)へ緊急着陸するとの通信を送ってきたあと同六時五十九分にレーダーの視界からきえた。(後略)≫[5]

②1985年8月12日付『Manchester Herald』(アメリカ・コネチカット州マンチェスターの新聞)
http://www.manchesterhistory.org/News/Manchester%20Evening%20Hearld_1985-08-12.pdf
≪Japanese airliner crashes in mountains
TOKYO (UPI)(中略)
The Kyodo news service said the cockpit crew radioed at 6:39 p.m. reporting trouble with a left rear door and said they would attempt to make an emergeney landing at the U.S. Air Force base at Yokota.(後略)≫[6]
以下、筆者による翻訳
≪日本の旅客機が山中に墜落
東京(UPI通信社)(中略)
共同通信によると、午後6時39分、コックピットの乗組員は左後部ドアに問題があり、米空軍横田基地への緊急着陸を試みると無線連絡した。(後略)≫

③1985年8月13日付『The Christian Science Monitor』(アメリカ・マサチューセッツ州ボストンの新聞)
≪A Japan Air Lines jumbo jet with 524 people aboard crashed Monday in rugged mountains of central Japan after reporting it had a broken door and would try for an emergency landing at a US air base, the Japan Broadcasting Corporation reported(後略)≫[7]
以下、筆者による翻訳
≪NHKによると、月曜日、524人を乗せた日航ジャンボ機は、ドアが壊れたことと、米空軍基地への緊急着陸を試みることを報告したあと、日本中部の険しい山中に墜落した。(後略)≫

上記の通り、海外の新聞では「123便から『米軍基地に緊急着陸する』との連絡があった」という旨が報じられている。
ところが、事故翌日にその旨を報じた「日本国内発行の日本語の新聞」は1紙も存在しない。

「123便から『米軍基地に緊急着陸する』との連絡があった」という旨を時事通信、共同通信、NHKが発信し、海外の新聞にはその旨が掲載されたのにもかかわらず、なぜ「日本国内発行の日本語の新聞」には、その旨が掲載されなかったのだろうか。非常に不可解だ。

また、時事通信、共同通信、NHKはいずれも、自社がその旨の情報を発信したことについて、現在に至るまで一切語っていない。報道機関である時事通信、共同通信、NHKには、その理由を市民に説明する責任がある。また、その旨の情報を入手・発信した経緯も説明すべきだ。

大事なのは「123便から『米軍基地に緊急着陸する』との連絡があった」という旨が「事実なのか」「誤報なのか」ということではなく、「その旨を自社が発信したことについて、なぜ今まで一切語ってこなかったのか」である。

なお、1987年6月19日に公表された事故調査報告書の「別添6 CVR記録」には、「米軍基地に緊急着陸する」旨の乗組員の発言は記載されていない。[8]

ところで、事故当時、文化放送報道部に所属していた大村公夫氏が『放送人の会』に寄稿した回顧録によると、事故当夜、大村氏は北相木村役場に行き、その後、当時NHK記者だった柳澤秀夫氏も北相木村役場に来たとのことである。また、柳澤氏は取材やオンエアに忙殺されていたとのことだ。[9]北相木村は墜落現場の近くにある村である。

柳澤氏はNHK記者として、事故に関するあらゆる情報を徹夜でNHK社会部に伝えたものと思われる。

その柳澤氏は2020年に『記者失格』という書籍を出版した。柳澤氏は同書籍の中で事故当時の自分の行動について語っている。ところが、「事故当夜、北相木村に行ったこと」についてはなぜか一切語っていない。その一方で柳澤氏は≪実は私が初めて墜落現場の御巣鷹の尾根に登ったのは、「あさイチ」が始まった年。事故から二五年たっていた。昔、一緒に事故取材にあたった当時の航空取材班の仲間たちと登った。≫と述べている。[10]

柳澤氏はなぜ事故当日の自分の行動を伏せているのだろうか。柳澤氏には、事故当日に何があったのかを公表していただきたい。

私は、事故の真相はまだ明らかになっていないと考えている。真相を知る人は一刻も早く真実を告白すべきだ。

参考文献
[1] 池上彰. ニュースの現場で考える. 岩崎書店, 2004, p.135-136.

[2]天野岩男. リレーエッセー 日航ジャンボ機墜落① 「レーダーから消えた」 特ダネと知らずにフラッシュ. 日本記者クラブ会報. 2005, 426, p.9.
https://s3-us-west-2.amazonaws.com/jnpc-prd-public-oregon/files/2005/08/jnpc-b-200508.pdf
(参照 2024-01-18).

[3]特別号外 日航ジャンボ機墜落. 読売新聞. 1985-08-12, 号外, p.1.

[4]日航ジャンボ機墜落. 信濃毎日新聞. 1985-08-12, 号外, p.1.

[5]世界第二の事故 “緊急降下”告げ消息絶つ. パウリスタ新聞. 1985-08-13, p.1.

[6] UPI. “Japanese airliner crashes in mountains”. Manchester Herald, August 12, 1985. p.1. http://www.manchesterhistory.org/News/Manchester%20Evening%20Hearld_1985-08-12.pdf
(参照 2024-01-18)

[7] “Japanese team tries to reach jetliner that crashed with 524”. The Christian Science Monitor. 1985-08-13, ProQuest, (参照 2023-11-02)

[8]運輸省航空事故調査委員会. 航空事故調査報告書 日本航空株式会社所属 ボーイング式747SR-100型JA8119 群馬県多野郡上野村山中 昭和60年8月12日. 1987. p.309-343. https://www.mlit.go.jp/jtsb/aircraft/download/62-2-JA8119-11.pdf
(参照 2024-01-18)

[9]大村公夫. 85・8・12 休暇先で. 放送人の会. 2004. 18. p.11.
http://www.hosojin.jp/kaihou/18.pdf
(参照 2024-01-18)

[10]柳澤秀夫. 記者失格. 朝日新聞出版. 2020.

 

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