「知られざる地政学」連載(24) :ロシア崩壊というシナリオをめぐって(下)
国際ロシア連邦の苦悩
米国は依然としてナショナリズムの煽動によるロシア連邦の解体をあきらめているわけではない。現在、ロシア連邦には、ロシア側の主張に基づくと、ドネツク人民共和国、クリミア共和国、ルガンスク人民共和国を含めて24の共和国のほか、9クライ(地方)、48州(へルソン州、ザポリージャ州を含む)、3連邦市(モスクワ、サンクトペテルブルク、セヴァストポリ)、1自治州、4自治地区(オークルグ)がある。まさに、多くの「民族」が包摂されている。とくに、南部や中部にはイスラーム教徒で「ロシア民族」でない人々が多く住んでいることから、ナショナリズムの煽動が連邦解体の「悪夢」を現実のものとする可能性がないわけではない。とりあえず、プーチンは社会の期待や圧力に蓋をするためのプロパガンダ、政治操作、経済的安定、帝国的動員に頼ることができないため、ますます抑圧に頼るようになっていると考えられる。その手となり足となっているのが連邦保安局(FSB)だ。
「サンクトペテルブルク警察は大晦日に数千人の中央アジアからの移民を一網打尽にし、軍事契約へのサインを迫った」と、2024年1月8日付の「ノーヴァヤガゼータ・ヨーロッパ」は伝えている。本格的なウクライナ侵攻の後、ロシアに逃れたウクライナ人がロシアのパスポートを申請することを期待して、ロシア国籍取得手続きを簡略化する法律が制定されたのだが、ロシア国籍を取得しようとするウクライナ人のほとんどは、2014年から2022年の間にすでにロシア国籍を取得していた。代わりに、中央アジアからの移民がこの新しい制度を利用し始めたのだという。そのため、新たにロシア国籍を取得したばかりの中央アジアからの移民がウクライナ戦争向けの兵士に仕立てあげられるようとしている。
こうした暴挙の全国的な広がりを通じて、ウクライナ戦争が少しずつ、ロシア連邦の屋台骨を揺さぶりつつあるといえるかもしれない。プーチンはロシア連邦の中央集権化をはかってきたが、いまではFSBによる「抑圧」によってしか、そのタガを維持できなくなっているようにみえる。その意味で、プーチンの無力化、暗殺、突然の自然死によってロシア連邦の「分断」が起きるかもしれない。
2020年7月に不正な国民投票によって承認された憲法改正により、プーチンは2024年と2030年の2回、6年間の大統領任期を延長することが可能となった。2036年までは、プーチンが大統領職にとどまると考えるのが自然だろう。だが、その後はどうなるか。まったく展望が見出せない。
プーチンによる中央集権化
ワシントン D.C. のジェームスタウン財団の上級研究員、ヤヌシュ・ブガイスキーは、その著書『破綻国家』のなかで、「プーチンの就任以来、ロシアは複雑な非対称構造から、真の連邦制を模倣しただけの中央集権体制に移行した」と書いている。①2004年12月以降、モスクワは違憲の形で地方知事を指名し、その知事は地方議会で日常的に承認されるようになった、②2012年6月、知事に関する新法は、「望ましくない候補者」を排除し、大統領府が承認した候補者だけが含まれるように「自治体フィルター」を設けた上で、選択の余地を提供するために知事直接選挙を再導入した、③ロシアの109の大都市で、選挙によって選ばれる市長の数を激減させた(2008年には73%だったが、2020年にはわずか12%)、④2021年12月、プーチンは地方政府に対する中央統制を強化する新法案に署名した(この法案では、クレムリンによって指名された地域の首長は、連邦の全科目において連続して2期以上務めることができる一方、大統領にはいつでも罷免する権限が与えられると明記されている)、⑤2012年から2020年にかけて、63人の連邦政府首長がクレムリンによって交代させられ、地方議会は彼らの指名や罷免に関与しなくなった――といった事態を知れば、いかにロシア連邦が中央集権的であるかがわかるだろう。
くすぶる独立指向
自らを世界の中心(中華)に位置づける中国と異なって、ロシアには、国家を一つに収斂させようとする強いベクトルの力が働いているようには思えない。よく知られているように、ロシア連邦に属する16の共和国のうち14の共和国は、1990年8月のロシア自身の主権宣言の後、自らを主権者と宣言した。これらの宣言は1992年の連邦条約と1993年のロシア憲法で認められたが、実際には尊重されなかった。チェチェンは連邦条約への調印を拒否して独立を宣言し、ロシア軍との全面戦争に発展した。タタールスタンも連邦協定への調印を拒否し、1990年8月30日、共和国最高会議が国家主権宣言を発表した。1992年3月22日に行われた主権に関する住民投票では、タタールスタン住民の80%以上が賛成票を投じた。共和国政府は新憲法を採択し、タタールスタンを「権限の相互委譲に関する条約に基づきロシア連邦と関連する」国際法の主体であると宣言した。1994年2月、モスクワとの間で新たな権力分立条約が調印され、2007年7月には、タタールスタンが真の主権を追求し続けるための条約が締結された。
このように、共和国のなかには、いまでも独立を求める息吹が残っている可能性がある場所がある。「タガ」が緩むだけで、ロシア連邦に大きな亀裂が入る可能性は残されている。
最近になって注目されるのは、バシコルトスタンだ。2024年1月、ウクライナ戦争が始まって以来、ロシアで最大規模の抗議デモがロシア中部のバシコルトスタン共和国で発生したのである。地域の裁判所は1月17日、活動家のフェイル・アルシノフを、人種的憎悪を煽動した罪で有罪とし、2023年4月に行った演説に対して4年の刑を言い渡した。
発端は昨年、ある村の住民にバシキール語で演説したアルシノフが地元の問題とウクライナ戦争について語り、演説の最後に、彼はバシキール語で「kara khalyk」、翻訳すると「黒人」という言葉を使ったことだった。この言葉を聞いたバシコルトスタンのラディ・ハビロフ首長は、人種的憎悪を煽動し、ロシア軍の「信用を失墜させ」、過激主義を呼びかけたとして、反政府活動家とみなしていたアルシノフを起訴するよう自ら地元の検察庁に要請したのである。アルシノフの判決は1月15日に発表される予定だったが、彼の起訴に抗議する大群衆が裁判所の外に集まり、「自由を!」「われわれは黒人だ」と唱えたため、裁判所は17日まで発表を延期した。15日に裁判所から自由に出ることができたアルシノフは、外に出て、連帯を示すために出てきた人々に感謝した。17日には群衆はさらに大きくなり、何千人もの人々が警察に拘束される危険を冒してまで彼のために立ち上がったのだ(下の写真を参照)。
2024年1月17日、民族憎悪煽動罪で有罪判決を受けた活動家フェイル・アルシノフを支持するデモ参加者たち。
(出所)https://edition.cnn.com/2024/01/17/europe/russia-riot-police-protest-bashkortostan-intl/index.html
首都ウファでは1月19日未明から1500人ほどの群衆が集まり、アルシノフへの判決に抗議する活動が起きた(実際の映像)。ロシア当局は21日夕までに4人逮捕した。罪状は、「集団暴動」の組織化と公務員への暴行で、最長15年の刑が科される可能性がある。
このアルシノフには、2022年秋、ウクライナ戦争と動員への反対を公に表明し、後者をバシキール人に対する大量虐殺と呼んだ「前科」がある。数日後に警察に拘束された。こうした人物が現れた事実は今後、地方において同じような動きの広がりを予感させる。とくに、バシコルトスタンとタタールスタンとの間には、民族的な対立ないしわだかまりがある。だからこそ、この地域の今後の展開は注目に値する。
ロシア連邦崩壊の兆し
先に紹介したブガイスキーの著書では、さまざまな地域に連邦崩壊への呼び水となりかねない綻びが潜んでいることが指摘されている。ここで、そのいくつかを紹介してみよう。
【1】シベリア
まず、「ホロドモール」(ウクライナ語Голодомор、英語Holodomor)と呼ばれる「ウクライナの人々のジェノサイド」と知られるこの事件について思い出してほしい。それは、つぎのように説明されている。
「ウクライナが独立すれば、ソ連がユーラシア帝国を目指すという地政学的な目標が制限されることになる。反抗的なウクライナがソ連の傘下に留まるよう、スターリン共産主義政権は1928年から1938年までの10年間、恐怖の中で、ウクライナの教会、ウクライナの国家、文化、政治エリート、そして国家の社会経済基盤であるウクライナの田舎の穀物生産者たちに対して飢餓による攻撃を開始したのである。」
このホロドモールの時代には、ウクライナ人を強制的にシベリアや極東に移住させる政策もとられた。その結果、現在もロシア連邦内にウクライナ人がたくさんいる。シベリアから太平洋岸までの開発のための労働力として利用されたのである。
ブガイスキーの本によると、今日に至るまでウクライナ人コミュニティが集中するいくつかの「楔」(клиня)が認められている。ウクライナの活動家たちは、シベリア南部と太平洋地域の大規模なウクライナ人集団を「緑の楔」、あるいはウクライナの極東植民地と定義した。アムール地方と太平洋沿岸地方では、ウクライナ人が農村部で多数を占め、民族的アイデンティティと伝統を維持していた。1989年のソヴィエト国勢調査では、チュメン州の人口の約3分の1、60万人以上がウクライナ人と記録されている。1991年にソヴィエト連邦が崩壊すると、ウクライナは同州に領事館を開設し、地域社会は民族文化的自治を確立した。
プーチンの支配下で、ロシア国内のウクライナ人人口は、死、移住、同化、抑圧を経て、着実に減少してきた。その数は1989年には430万人を超えていたが、2020年の国勢調査では200万人弱にまで減少した。それでも、今後、ウクライナ戦争においてウクライナ優勢という帰趨になれば、こうした地域において変化が起きるかもしれない。
【2】サハ共和国
北シベリアのサハ共和国(ヤクーチア)は、モスクワに対する地域の反発の拠点となっている。もっとも注目されたのは、2020年6月25~7月1日の憲法改正投票において、全国の賛成票の割合が78%台であったにもかかわらず、サハでは40.65%が反対票を投じた点である。さらに、2021年1月、首都ヤクーツクの人気市長サルダナ・アヴクセンティエワが、モスクワからの圧力によって失脚させられた。彼女は2018年9月に超党派候補として当選し、モスクワに忠誠を誓う統一ロシア候補を9%近い差で破った実績がある。アヴクセンティエワは、プーチンの支配を拡大するためのクレムリンの憲法改正に公然と反対票を投じた。この改正案は、2018年にアヴクセンティエワが勝利した市長の直接選挙も廃止したのである。
こんな土地柄からなのか、2019年3月、ヤクーチア出身の無名のアレクサンドル・ガビシェフは、テントとキャンプ用ストーブを自作の荷車に積み込み、モスクワまで徒歩で出発する。彼は自らを戦士のシャーマンと名乗り、「神が悪魔であるウラジーミル・プーチンを祓えと言った」という。2020年5月、当局は彼を精神病院に収監して黙らせようとした。
こうした話から、いつ不穏な動きが顕在化してもおかしくない状況にある。
【3】「極東共和国」(DVR)
ロシア研究者には知られている事実として、現存した「極東共和国」(DVR)の再来のような可能性がないとはいえない。DVRは、赤軍がヨーロッパ東部でのソヴィエト帝国樹立に夢中になっていた当時、日本の領有権主張から極東を守るための緩衝国家として、ボリシェヴィキの指導者たちによって承認された国である。首都はチタ。DVRは、現在のザバイカルスキー州、アムール州、ユダヤ自治州、ハバロフスク地方、沿海州を含んでいた。DVRは1922年11月にロシア・ソヴィエト連邦社会主義共和国に完全に吸収されるまで存在した。1922年12月に正式に設立されたソ連構成共和国または連邦共和国の一つにはならず、異なる連邦地域に分割された。
こんな歴史があるために、極東共和国の地方分権と再創造を求める要求は、1990年前半に復活し、その後も定期的に沸騰している。ウラジオストクでは2008年12月、モスクワがロシアの自動車産業を保護するために中古日本車の輸入関税を引き上げることを決定したことを受け、大規模な抗議行動が発生した。また、新たな政治運動「ロシア積極市民の会(TIGR)」を生み出し、当時の大統領ドミトリー・メドヴェージェフとその政府の辞任を要求した。
中国の野望
もちろん、プーチンによる厳しい「抑圧」がつづくかぎり、新たな「極東共和国」の創設運動はそう簡単には芽吹きそうもない。だが、中国の動きに変化があれば、事態は一変するかもしれない。
ロシア帝国時代からのロシアと中国との関係について概観してみよう。中国政府が調印を義務づけられた1858年のアイグン条約は、アムール川以北の領土をすべてロシア帝国に割譲するものだった。その後、1860年の北京条約は、ロシアがウスリー川と日本海の間の領土(ロシアでは沿海州として知られている)を併合したことを承認した。2001年にロシアと中国が調印した善隣友好協力条約は、未解決の国境紛争を完全に解決することはできなかった。その後、プーチン大統領と胡錦涛国家主席による政治決着によって、2004年10月、最終的な中ロ国境協定が締結された。
今後、ロシア連邦の国家としての力が弱体化すれば、中国が北に領土を拡張し、もともとの領土を回復しようとする可能性を捨てきることはできないだろう。とくに、北極圏開発や北方海洋ルートと呼ばれる北極圏を経由した欧州などとの貿易ルートの重要性が高まると、中国の北方への関心もより強まるかもしれない。
このように、ロシア連邦は決して安泰ではない。だからこそ、さまざまな観点からの地政学的分析が求められているのだ。
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1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士。評論家。 著書:(2024年6月に社会評論社から『帝国主義アメリカの野望:リベラルデモクラシーの仮面を剥ぐ』を刊行) 【ウクライナ】 『ウクライナ戦争をどうみるか』(花伝社、2023)、『復讐としてのウクライナ戦争』(社会評論社、2022)『ウクライナ3.0』(同、2022)、『ウクライナ2.0』(同、2015)、『ウクライナ・ゲート』(同、2014) 【ロシア】 『プーチン3.0』(社会評論社、2022)、『プーチン露大統領とその仲間たち』(同、2016)、『プーチン2.0』(東洋書店、2012)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店、2009)、『ネオ KGB 帝国:ロシアの闇に迫る』(東洋書店、2008)、『ロシア経済の真実』(東洋経済新報社、2005)、『現代ロシアの経済構造』(慶應義塾大学出版会、2004)、『ロシアの軍需産業』(岩波新書、2003)などがある。 【エネルギー】 『核なき世界論』(東洋書店、2010)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局、2007)などがある。 【権力】 『なぜ「官僚」は腐敗するのか』(潮出版社、2018)、『官僚の世界史:腐敗の構造』(社会評論社、2016)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた:官僚支配の民主主義』(ポプラ社、2016)、Anti-Corruption Policies(Maruzen Planet、2013)などがある。 【サイバー空間】 『サイバー空間における覇権争奪:個人・国家・産業・法規制のゆくえ』(社会評論社、2019)がある。 【地政学】 『知られざる地政学』〈上下巻〉(社会評論社、2023)がある。