〝対米自立〟はなぜ世論の大勢にならないのか(後)
安保・基地問題3.抑止力に替わる戦略への志向が野党にも存在しない
・安全保障分野では対立軸をつくらない立憲民主党
日本の対米従属が、いざという時にはアメリカに守ってもらうという基本思想から生じているものである限り、そこから脱却するには、抑止力依存から決別する新しい安全保障戦略を樹立する以外にはない。それは自明のことではないだろうか。
ところが、この日本では、野党の側からも抑止力を否定する声がほとんど聞こえてこない。国民多数もまた自民党政府の安全保障政策の転換を望んでいないように見える。
「それは認識が間違っている」という人もいるかもしれない。昨年末の総選挙を前に、立憲民主党、日本共産党、社民党、れいわ新撰組が市民連合と結んだ政策協定では、15年に成立した新安保法制の違憲部分を撤回すること、核兵器禁止条約への参加をめざして当面オブザーバー参加すること、辺野古への新基地建設に反対することなどが盛り込まれたからである。
それらが貴重な政策合意であることは疑いない。その方向へ一歩でも二歩でも前進してほしい。しかし、新安保法制の違憲部分が撤回されるということは、集団的自衛権の一部を容認した安倍政権以前の状態に戻ることであって、抑止力にしがみついてきた戦後の自民党の安全保障政策を変えることを意味しない。また、立憲民主党が核兵器禁止条約の批准を約束できないのは、「抑止力を維持」(基本政策2021年3月)するという立場が、この条約と相容れないからである。
安全保障政策が自民党と異ならないというのは、私の評価ではない。立憲民主党自体が、異ならないことが大事だと考えているのである。
枝野幸男氏が党の代表だったとき、『枝野ビジョン』が公表された。その全体は自民党とどこが違うのか、以前の民主党時代とはどこが変わったのかが示されていて、貴重な成果だったと感じる。しかし、最後の安全保障政策に入ると、出だしからトーンが異なっている。こう書かれているのだ。
「私は、短期的な外交・安全保障政策について、政権を競い合う主要政党間における中心的な対立軸にすべきではないと考える」。
経済社会政策とは異なり、自民党との対立軸を提示してはいけないというのだ。枝野代表が辞任し、4人が立候補して代表選挙が実施されたが、安全保障政策で枝野氏の考え方に異論を唱えた人は誰もいなかった。
この4人が、辺野古への新基地建設阻止で一致していたのは大事なことである。この立場が揺らいでほしくはない。けれども、民主党政権の普天間基地の県外移設という公約が撤回されたのは、誰もが知るように「抑止力」を維持するという立場からである。あの時には県外移設と抑止力を両立させられなかったけれど、今回は大丈夫だというなら、国民が納得いくような説明が求められよう。
・安保廃棄・自衛隊解消の共産党が役割を果たす道
日本共産党は、抑止力に反対するという明確な立場を持っている。核兵器禁止条約も無条件で批准するという立場である。
一方、共産党の日米安保条約廃棄、自衛隊解消という基本政策は、国民の支持を得るに至っていない。安保廃棄・自衛隊解消を考える人の志は高く、熱意は燃えたぎっているけれども、国民の中では少数であり、年を追って減り続けているのが現実である。
その現実が乗り越えられないから、共産党は昨年の総選挙にあたって、安保廃棄・自衛隊解消は野党が共闘してめざす政権には持ち込まないと表明した。立憲民主党に対しても、抑止力依存を改めるよう求めてはいない。立憲民主党と共産党の安全保障政策は、かなり異なるという程度にとどまらず真逆なので、調整して一致点を築くようなことができず、他に選択肢がなかったのだろう。
ただし、ものは考えようである。実は、共産党の綱領を読むと、安保廃棄・自衛隊解消は当面の政策になっていない。次のように段階的な実施がめざされている。
「自衛隊については、海外派兵立法をやめ、軍縮の措置をとる。安保条約廃棄後のアジア情勢の新しい展開を踏まえつつ、国民の合意での憲法第9条の完全実施(自衛隊の解消)に向かっての前進をはかる」。
3つの段階が想定されている。第1は海外派兵禁止と軍縮の段階である。この段階では日米安保条約も自衛隊も維持することが想定されている。そして第2段階になって、日米安保条約が廃棄される。その後にようやく自衛隊解消に取り組むのだが、それもアジア情勢の変化に伴って醸成される国民世論の合意があっての実施ということだ。
現在、共産党も将来の課題だとみなしている安保廃棄と自衛隊解消を、現時点において基本政策だと位置づけるから、立憲民主党とは政策が180度異なるということになる。
しかし、この第1段階の政策もまた現在の基本政策だということにすれば(客観的に見ればこの段階は少なくとも何十年かは続く段階で維持される政策なのだから基本政策と呼ぶにふさわしいのである)、日米安保と自衛隊の存在が前提になるのだから、立憲民主党をはじめとした野党間で共通の土俵において議論することが可能になるはずだ。
安保を維持しつつ核兵器禁止条約に参加する道はあるのか、抑止力を全否定できないにしても、核兵器による抑止だけは唯一の戦争被爆国として支持してはならないのではないのか等々、議論を尽くせばいい。そうしてこそ安全保障政策で自民党との対立軸を示すことができると思うのである。
・オール沖縄の事例に学んで
日米安保に対する立場の違いにもかかわらず、前向きな共闘が成立している事例がある。沖縄である。
沖縄では、復帰後長らく、安保を容認する保守勢力と、安保を否定する革新勢力が対峙してきた。革新勢力が県政を担っている時期も少なくなかったが、普天間基地の移設問題が浮上して以降、自民党の攻勢が強まったことも反映し、保守県政の時代が続くことになる。そして、保守県政のもとで、辺野古への新基地建設が迫られてくるわけだ。
この状況のなかで、新しい対立軸が生まれた。安保を容認する保守勢力と否定する革新勢力が、安保への意見の違いを超えて団結し、辺野古への新基地建設阻止をかかげて「オール沖縄」をつくったのだ(玉城現知事も翁長前知事も安保を容認する立場だから、国政における野党共闘と同様、革新勢力が安保廃棄という立場を留保しているとも言える)。そして建設を進める勢力と対峙したのである。
オール沖縄の経験が、辺野古基地問題での希望を生み出したことは、誰も否定できない。しかも、オール沖縄は、一つの自治体における共闘であって、安全保障政策での議論が内部で進んでいるわけではないけれども、抑止力の強化を口実に辺野古への新基地建設が進められているわけだから、客観的には抑止力の思想とも対峙していることになる。つまり、安保条約を否定することがなくても、抑止力から抜け出す可能性を秘めているのが、沖縄における経験なのだ。
現在、オール沖縄は大きな困難に直面している。ずっと手を組んだきた保守勢力の中で、オール沖縄離れが進んでいる。その結果が県内の地方自治体の選挙での敗北にもつながっているようだ。
日本全体を見渡すと、沖縄問題への世論の関心は低く、基地負担は沖縄に任せたというような状況が続く。その現状を打開し、辺野古への基地移設反対を日本全国の世論にする上でも、抑止力に替わる新しい安全保障政策が求められる。辺野古への基地移設は必要ではないし、しかし同時に、日本の安全は保たれるという安心を国民にもたらすような政策だ。それは一地方である沖縄の課題ではなく、全国的な課題であり、野党が率先して示すべきものだろう。
今後、野党共闘がどのような道筋を辿るのか、現時点ではあまり見えてこない。しかし、野党が自民党政権に取って代わろうとするなら、共闘を成立させる以外の選択肢はないことははっきりしている。
それならば、安全保障政策が違うからといって腫れ物にさわるように議論を避ける道ではなく、堂々と新しい安全保障政策を提示していくことが求められるのではないだろうか。
それだけが、自民党などによる野合批判を前にたじろぐのではなく、前向きに攻めていくことになると感じる。また、その安全保障政策が、アメリカの抑止力頼みのものでなければ、対米自立の可能性も生まれてくるのである。
「自衛隊を活かす会(代表=柳澤協二)」事務局長、編集者・ジャーナリスト、日本平和学会会員。近著に『〈全条項分析〉日米地位協定の真実』(集英社新書)、『対米従属の謎─どうしたら自立できるか』(平凡社新書)など。