【連載】知られざる地政学(塩原俊彦)

「知られざる地政学」連載(26) 人種をめぐる地政学(上)

塩原俊彦

 

拙著『知られざる地政学』〈上〉の235頁において、つぎのように書いておいた。

「学習の根幹は「分ける」処理にあり、ある事象を「分ける」ことができれば、ものごとの理解や判断につなげることが可能となる。換言すれば、「分ける」作業は「イエスかノーかで答える問題」を提起し、その問題への正解率を上げることが学習することを意味している。」

これほど重要な「分ける」という作業は、人間による作業なのか、それとも人工知能(AI)のようなものによる作業なのかを判別するための「フレーム問題」にも関連している。なぜなら、フレーム問題とは、「ある行為が遂行される際に、関係ある(レリバントな)事項を無関係な(イレリバントな)事項から、効率的に(しかも十分に)区別し選択することは、いかにして可能か、という問いである」(大澤真幸)からである。

つまり、人間の知性の働きは、区別したり分類したりする行為を抜きには成り立たない。ついでに指摘しておくと、フレーム問題以外にも、「記号接地問題」(symbol grounding problem)がある。記号システム内のシンボルがどのようにして実世界の意味と結びつけられるかを問うのである。コンピューターはシンボルの意味を知らない。ゆえに、シンボルをその意味するものを結びつける(グラウンドさせる)ことがどうしても必要になる。それは、人間が「ラベルづけ」を行って、AIにシンボルと意味との関係を覚え込ませるという作業が不可欠であることを意味している。

「分ける性」としての「人種」

「人種」(race)という概念もまた、人間の「分ける性(さが)」によってもたらされた。皮膚の色、目鼻立ちといった外見上の違いがまず「人種」なる概念を広げることになる。それを手助けしたのが「科学」だ。

2022年3月3日付のNYTに、「人種について語る新しい言葉が必要だ」という記事が公開された。記事は重大な論点を語っている。それは、「人種、祖先、表現型に関する混同した理解を啓蒙主義から受け継いでいる」という指摘である。啓蒙主義とは、「人間性の本質である理性の光を全ての人に広げていこうとする思想運動」(田辺明生を参照)と理解できる。皮肉なことに、この啓蒙主義は、いわゆる大航海時代のヨーロッパ人と非ヨーロッパ人の接触のなかで、前者の優位と後者の蔑視を生み、「文明VS野蛮」という二項対立を広めてゆく。しかも、それを「科学」の名において行ったのである。

前述の記事では、1741年、ボルドーの王立科学アカデミーの会員たちが、アフリカ系住民の黒い肌と髪の質感の「原因」についてのエッセイ・コンテストを大陸全土で開催したという話が紹介されている。記事は、「1741年のコンテストは、科学的機関がこの問題を取り上げたほぼ初めてのケースであり、ヨーロッパ最高の思想家たちに、外見に基づくいわゆる人類の亜種に関する起源説を考案するよう呼びかけた」と書いている。

「科学」は信用できない!

日本政府は、いま、東京電力による汚染水・処理水の放出をめぐって「科学的根拠」を理由に放出を正当化している。しかし、歴史的にみれば、科学は政治の産物であり、必ずしも信用できないことを肝に銘じなければならない。

たとえば、前記のコンテストを契機に「科学的人種差別」の新時代が告げられることになる。ヨハン・フリードリヒ・ブルーメンバッハは1775年、論文「人種生来の多様性」のなかで、四つの亜種を区別した。第一亜種はヨーロッパ、ガンジス川以西とアムール川以北のアジア、それにアメリカの最北部、第二亜種は東南アジアと太平洋諸島、第三亜種はアフリカ、第四亜種はアメリカの残りの地域に生息する。

こうして、皮膚の色、髪の質、頭蓋骨の形などによって、ヒトという種をいくつかのいわゆる人種に細分化していったのである。「分ける」という細分化が科学を支えるという構図ができあがるのだ。
これに関連して、竹沢泰子は興味深いことを語っている。「ヨーロッパには『白』が善・清浄を、『黒』が邪悪・汚れを意味する用法が、すでに14世紀にありました。『黄色』には伝統的に、嫉妬深い・臆病・反逆者といったネガティブな意味があります。日本が欧米から受容した人種分類には、白人を最高位に、黒人を最下位に置き、その間に黄色を置くという差別的な序列があったのです」――というのがそれである。

ジョゼフ・アルテュール・ド・ゴビノー伯爵は比較言語学と身体的・人種的な集団を結びつけた『諸人種の不平等に関する試論』(1853-1855)を刊行した。レイモンド・ウィリアムズは『完訳キーワード辞典』のなかで、「事実、racialという語が英語で用いられるようになったのは、19世紀半ばからのことである」と指摘している。

西洋キリスト教文明が生み出した「人間動物園」

啓蒙主義の理性尊重はたしかに科学の発展を促した。「分ける」という視線が「機能分化」に着目することにもつながる。しかも、そうした科学は現実をよりよく説明できたから、ますます信頼を勝ち得て行く。だが、その科学のもとで、西洋キリスト教文明は「人間動物園」を生み出すまでになる。

2021年にベルギーで、1800年代初頭から1900年代半ばにかけて世界中で開催された数多くの「人間博覧会」について、綿密に記録された調査結果が公表された。この展示を紹介するNYTの記事「「人間動物園」の人種差別の歴史を思い起こす」によれば、世界中で15億人が訪れたと推定される、こうした「人間動物園」と呼べる人間の展示は、小さなサーカスや見世物小屋から、主要都市で開催された巨大な万国博覧会まで、多岐にわたった。「これらの見世物は、今日までつづく白人優越論や人種差別的信念を永続させた」のである。この永続性ゆえに、現在の地政学にも人種問題が影を落としているということになる。

人種という「神話」

『文化人類学事典』(文化人類学会編, 2009)では、「人種とは、遺伝的に異なった身体的特質をもつと社会的に信じられてきた集団である」が、「人種は生物学的に有効な概念ではなく、社会的につくられた概念にすぎないというのが、国際的な通説となっている」と説明されている。

1942年に初版が出版され、改訂版として1997年に刊行された、人類学者アシュレー・モンタギュー著『人間のもっとも危険な神話:人種という誤謬』の第1章「人種概念の起源」の冒頭、「「人種」という概念は、現代におけるもっとも危険な神話のひとつであり、もっとも悲劇的なものの一つである」と書かれている。彼の本からいくつかを引用すると、つぎのようになる。

「現代に生きる私たちは、人種神話が政府によって都合のよい作り話として公然と採用されるのを目の当たりにしている。神話は、文化的態度や行動のモデルとして、またその模範として、二重の役割を果たしている。こうして神話は、社会の信念を反映し、その行動に制裁を与えると同時に、信念や行動の手本となる形式を提供するのである。」

「人々の感情を虜にし、心を束縛してきた怪物的な神話は、いわゆる文明社会ではいまだに何百万人もの人々の心を苦しめている。私たちの言語のあいまいさと無批判な使用は、それ自体の曖昧さを生み出し、神話が増殖し、維持されるための土台を構成している。あらゆる社会が自らのために作り上げる神話の現実のなかで、非現実は現実以上に現実となり、儀式はそれらを神聖なものとする重要性を与える。そうして神話は、その構成要素の非現実性を示すいかなる試みにも屈しない完全性、妥当性、力を獲得する。」

「人種神話とは、物理的に区別可能な人間の集団が存在するという事実のことではなく、むしろ人種とは、身体的差異が精神的能力における重大な差異と生得的に結びついている集団(populations)または人々(peoples)であり、このような生得的な階層差は、標準化された知能だけでなく、そのような集団の文化的業績によっても測定可能であるという信念のことである。」

こうした見方は遺伝子学の発展によって確信にまで変化している。ただし、それは科学という神話に支えられているだけのことだ。

 

「知られざる地政学」連載(26) 人種をめぐる地政学(下)に続く

 

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塩原俊彦 塩原俊彦

1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士。評論家。 著書:(2023年9~10月に社会評論社から『知られざる地政学』(上下巻)を刊行する) 【ウクライナ】 『ウクライナ戦争をどうみるか』(花伝社、2023)、『復讐としてのウクライナ戦争』(社会評論社、2022)『ウクライナ3.0』(同、2022)、『ウクライナ2.0』(同、2015)、『ウクライナ・ゲート』(同、2014) 【ロシア】 『プーチン3.0』(社会評論社、2022)、『プーチン露大統領とその仲間たち』(同、2016)、『プーチン2.0』(東洋書店、2012)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店、2009)、『ネオ KGB 帝国:ロシアの闇に迫る』(東洋書店、2008)、『ロシア経済の真実』(東洋経済新報社、2005)、『現代ロシアの経済構造』(慶應義塾大学出版会、2004)、『ロシアの軍需産業』(岩波新書、2003)などがある。 【エネルギー】 『核なき世界論』(東洋書店、2010)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局、2007)などがある。 【権力】 『なぜ「官僚」は腐敗するのか』(潮出版社、2018)、『官僚の世界史:腐敗の構造』(社会評論社、2016)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた:官僚支配の民主主義』(ポプラ社、2016)、Anti-Corruption Policies(Maruzen Planet、2013)などがある。 【サイバー空間】 『サイバー空間における覇権争奪:個人・国家・産業・法規制のゆくえ』(社会評論社、2019)がある。

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