【特集】沖縄の日本復帰50周年を問い直す

宮古諸島・重層する被支配の歴史 —虐げられし者たちの系譜―(後)

清水早子

▼▼ 「下地島空港」軍事利用の動向と今後の懸念

しかし、この諸島は、「沖縄も、日本も、東アジアも、世界もよく見える」地理的条件にあり、3000メートルの滑走路を持つ空港を抱えたために、これからも軍事的な被支配の危機と向き合いながら暮らしていかねばならない運命にある。

戦後、「米軍の全面占領下、1960年、沖縄県祖国復帰協議会宮古支部が発足し、宮古群島政府を巻き込む島ぐるみの復帰運動が展開された。翌61年には宮古地区原水協、62年にはキビ代値下げ反対闘争の中で全沖農宮古地区協議会、労農共闘会議も結成され、労農共闘の糖業合理化反対闘争は、米軍支配を根底からゆさぶるものであった。

65年7月米軍機で送り込まれた武装警官隊は白昼、カービン銃を発砲し、騒乱罪を適用し農民を弾圧した。10年近い裁判闘争は被告8人全員を二審で無罪とした。

1972年5月15日、沖縄の『施政権』は返還されたが、それは「核も基地もない」平和な沖縄ではなかった。『施政権』返還を前に、東急、ダイエーなど本土資本による土地買占めが始まった。下地島には、政府の強制で島ごと買い上げられ、国内唯一のジェットパイロット訓練飛行場が建設された」(仲宗根将二氏著『宮古風土記』)。

宮古本島の離島の中で最大の離島伊良部島(人口6500人)に隣接する下地島に空港建設計画が持ち上がったのは1968年。島を2分する推進派と反対派の抗争は殺人事件に発展するほどであった。

推進派に雇われたヤクザが、反対運動を担う沖縄県教職員組合の教員の授業中に教室へ殴りこんだという。反対派の人々はまだ本土復帰前の当時から空港の軍事利用を懸念していた。地元の大きな反対運動を背景に、当時の琉球政府の屋良朝苗主席は日本政府との間で「下地島空港は琉球政府が所有し、管理するもので軍事目的には使用しない」という確認書を交わし、民間航空以外は利用できない「非共用飛行場」として建設にこぎつけた。

しかし国は、「それなら管制業務や気象業務の費用は出せない」と脅しをかけ、1979年、3000メートルの滑走路を持つ「公共用飛行場」として開港を余儀なくされ、「軍事利用の懸念」という暗い宿命を背負って下地島空港は誕生した。

2002年自衛隊機訓練誘致や05年自衛隊駐屯誘致の推進派の動向はその都度、反対する島民の結束ではね返すことができた。「給油」名目の米軍軍用ヘリの下地島空港への強行着陸ももう2年以上なく、表面的には平穏な時間が流れているように見えるのだが、今、危機は深く潜行しているようである。

前述の革新系市長が市職員の不祥事で任期満了を待たず引責辞任した後、09年1月25日の市長選挙で、自公推薦保守系候補の市長が15年ぶりに返り咲いた。自衛官募集を市の広報に掲載すると言っている。12年、宮古本島から伊良部島への架橋が完成する予定だ。

今年、国から国営灌漑排水事業という名目で、巨額の523億円という予算が投じられた。既設の地下ダムで現在特に水不足ではないにもかかわらず、さらに地下ダム2基を建設し、完成すれば伊良部大橋を通して伊良部島へ送水するプロジェクトだという。

この大量の水は果たして何に使われるのか。港湾では大型クルーズ船の入港に対応するため耐震バースを整備して、港湾の水深も14㍍にするという話も出ているが、現在の水深8㍍でも大型クルーズは入港できているのだ。港の沖合いに出現している波止めは、艦船でも停泊できそうなほど長い。

Ibaraki, Japan – February 24, 2009:Japan Air Self-Defense Force McDonnell Douglas F-4EJ-kai Phantom II fighter aircraft.

 

こう書いている最中に、我が家の上空を低空で自衛隊の軍用機が旋回した。あまりないことなので空自宮古駐屯基地(通信基地で戦闘部隊の常駐は現状ない)に問い合わせると、「神奈川県入間基地所属の戦術輸送機で、給油のため宮古空港に着陸する」のだと言う。目的は「慣熟のため」だとのこと。軍用機を目にする気持ち悪さに慣れてもらおうということなのか。

危機を示唆する怪しい状況はいくつもあるのだが、市長選挙めぐって分裂した革新系政治勢力と労働組合。15年間続いた革新市政から代わった保守系新市長は、経済危機を背景に「国・県とのパイプ」を強調し、国の2兆円の定額給付金の無益なバラまきを恩恵のように謳う。
島の軍事基地化の危機が次に浮上するとき、私たちはどのように対処し、虐げられし者の連帯を作り出すことができるのだろうか。

【参考文献】
・平良市(現宮古島市)史第一巻通史編Ⅰ、Ⅱ。
・仲宗根将二(宮古島市在住郷土史研究家)『宮古風土記』。
・洪沇伸(「朝鮮人と沖縄戦」「ジェンダー」研究者)『「慰安婦を見た人々」』、季刊戦争責任研究62号。

※「宮古諸島・重層する被支配の歴史 —虐げられし者たちの系譜―(前)」はこちらから

https://isfweb.org/post-3460/

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清水早子 清水早子

1995 年、進学塾講師として関⻄より宮古島教室へ赴任。宮古島の子どもたちと向き合い、反戦活動や持ち上がる基地問題への取り組みを地元の市⺠と共に続けている。ミサイル基地いらない宮古島住⺠連絡会事務局⻑、宮古島ピースアクション実行委員会代表。

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