岡口基一判事「罷免」はスターリン時代の茶番判決だ 階猛主任裁判員(立民)起案の判決文は駄文(上)
社会・経済政治判決は殺人事件遺族の感情に流された駄文の茶番だった。統一協会=国際勝共連合と半世紀ズブズブの関係にあり、パーティー券裏金作りを20数年続けてきた自由民主党所属の国会議員たちが、30年真面目に働いてきた学究肌の優れた裁判官の法曹資格を奪い、退職金をゼロにする恐怖の判決が4月3日に言い渡された。
衆参両院の国会議員14人で構成される裁判官弾劾裁判所(船田元裁判長=自民党衆院議員)は3日午後4時15分、仙台高裁民事第三部の岡口基一判事(2021年6月の罷免訴追で職務停止中、任期は4月12日まで)を「罷免する」との判決を宣告した。
【写真1 弾劾裁判所の判決公判に臨む船田裁判長らの裁判員ら、3日午後1時50分に冒頭撮影】
【写真2 弾劾裁判所法廷の全景、右側が訴追委員会、左に弁護団】
船田裁判長は「主文は最後にする」と述べ、2時間15分にわたって判決理由を読み上げ、結論で、「評議で罷免には、一定の疑問が残る等の少数意見があった」として、票決で3分の2以上の多数意見により、罷免することとしたと説明した。
しかし、岡口氏の表現行為が、裁判官弾劾法が規定する「裁判官としての威信を著しく失うべき非行」(第2条2項)に当たるという証拠はまったく示されておらず、不当な判決だ。
https://www.dangai.go.jp/index.html
裁判官弾劾裁判所は東京・永田町の参議院第2別館9階にある。統一協会=国際勝共連合と半世紀癒着し、20年前からパーティー券裏金疑獄の巣窟である自民党本部が東隣に建っている。自民党本部からすぐのビルに、二階派と安倍派の事務所もある。
【写真3 弾劾裁判所のある参院第2別館】
【写真4 公判を取材する筆者】
【写真5 西隣にある自民党本部】
私は22年3月から開かれてきた岡口氏を被訴追人とする審理を第2回公判から、司法記者クラブの社員記者19人と共に記者席で取材してきた。キシャクラブメディア以外では、「週刊金曜日」と「弁護士ドットコム」の各記者と私の3人の取材が認められた。通常の事件で、裁判所はフリー記者の記者席での取材を認めない。我々3人は、毎回、裁判長に「取材願」を提出して、裁判長から許可が出るという手続き(クラブ員は免除)が必要だったが、弾劾裁判所がキシャクラブの障壁を取り外したことを評価したい。
1941年4月に今の形になった「記者クラブ」は海外のプレスクラブとは全く異質の、記者が記者を差別、排除する報道界の“アパルトヘイト”制度だ。海外メディアは、press clubとの混同を避けるためkisha club、kisha kurabuと訳しているので、私は「キシャクラブ」と表記している。
http://blog.livedoor.jp/asano_kenichi/archives/35325912.html
【写真6 弾劾裁判所が交付した取材許可証】
【写真7 筆者の記者席の背に貼られた氏名】
【写真8 記者室】
【写真9・10 法廷の傍には記者室がある、写真2枚】
岡口氏を非難し、罷免訴追請求をした殺人事件被害者遺族や東京高裁事務局長らの証言では、全員が取材していたが、弁護側が法学者などを証人に呼んだ段階になってから空席が目立っていた。
3日の判決を報じるテレビ、新聞などキシャクラブメディアのタイトルや見出しは「不適切投稿の判事を罷免」だった。違うと思う。「国会議員が裁判官の表現活動を理由に不当罷免」とすべきだ。特にNHK、TBS、毎日新聞は、岡口氏の「上半身裸」画像アップをことさら強調する偏見に満ちた悪意ある報道だった。朝日新聞、日本経済新聞、東京新聞や有力地方紙の社説は判決が裁判官に委縮を招くなどと的確な主張をしている。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/319197
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK042WI0U4A400C2000000/
https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-2957878.html
【写真11 罷免判決を報じる新聞各紙】
裁判員は14人で、全員が衆参の国会議員。自民、公明、立憲、維新の議員で占められ、共産、れいわ、社民に所属する議員は一人もいない。出廷をさぼる裁判員が目立ち、10人前後しかいないことがほとんどだった。
裁判員のうち6人を占める自民党議員は全員罷免に賛成したと思われる。政治家の裁判員によって、岡口氏は裁判官の身分と法曹資格を剥奪され、5年間は弁護士や検察官になれなくなった。その上、退職金が出ず、年金が減額される過酷な制裁を受けた。ところが、弾劾裁判法の規定では、判決に不服を申し立てられない。
岡口氏は1994年に任官し、水戸地裁、大阪高裁などで主に民事訴訟を担当し、トランスジェンダー当事者の名前変更を認めた審判、脳脊髄液減少症と交通事故の因果関係を初めて認めた判決、新潟水俣病の被害を認定した判決などで知られる。社会的弱者、被抑圧者に寄り添った訴訟指揮で、『要件事実マニュアル』(ぎょうせい)など著書も多い。
【写真12 弾劾裁判所に入る岡口基一判事と弁護団、3日午後1時40分】
罷免宣告で無職になった岡口氏は4日、資格受験の予備校、伊藤塾(塾長・伊藤真弁護士)の専任講師として赴任した。資格試験予備校「伊藤塾」は4日朝、Xを更新し、「岡口元裁判官は今日から伊藤塾専任講師として、民事実務、要件事実等の講義や書籍執筆で活躍します」と発表した。伊藤塾塾長の伊藤弁護士は岡口氏の弁護団の一人で、弁護側の最終弁論を行った。
https://twitter.com/itojuku…/status/1775659037935407259
伊藤氏は5日、伊藤塾チャンネルで「弾劾裁判判決を受けて」と題して報告している。
https://www.youtube.com/watch?v=znWlGDloPWc
【写真13 記者会見で「判決は駄文」と批判する伊藤真弁護士】
岡口氏のソーシャルネットワークサービス(SNS)での表現活動が問題にされた経緯を簡単に振り返りたい。
岡口氏は16年6月、上半身裸の男性の画像などをツイッターに投稿したとして、東京高裁長官から口頭で厳重注意を受けた。17年12月、東京都の高校生殺害事件の東京高裁判決が掲載された裁判所ウェブサイトのURLに、「そんな男に、無惨にも殺されてしまった17歳の女性」などという判決要旨を見出しに付けて投稿。18年3月、東京高裁長官が厳重注意した。
同年5月には、犬の所有権を巡る訴訟に関するネット記事にリンクを貼り、「え?あなた?この犬を捨てたんでしょ?」などと投稿。10月に最高裁大法廷が戒告とする決定。19年4月に仙台高裁に異動した。
19年11月、フェイスブックに「遺族は俺を非難するよう東京高裁事務局に洗脳された」と書き込んだ。岡口氏は、「遺族のみなさまへ」として、「洗脳」という言葉を使ったことを謝罪した。20年8月、最高裁大法廷が戒告とする決定を行った。
遺族が弾劾裁判所に訴追を請求。弾劾裁判の検事役である弾劾裁判所訴追委員会(委員長・新藤義孝衆院議員=安倍派、20人)が21年6月、岡口氏が担当外の事件の関係者を傷つける投稿をSNSなどで計13回にわたって行ったことは非行に当たるとして訴追した。現在、経済安全保障担当相の新藤氏は、母方の祖父が硫黄島戦闘の最高指揮官だった栗林忠道陸軍大将。安倍晋三前首相の側近だった。
【写真14 訴追席の新藤委員長(左)、隣は柴山訴追委員、23年6月14日の公判で】
裁判官の訴追は過去9件(8人)あり、盗撮事件で略式命令を受けた大阪地裁の判事補(罷免)以来、約9年ぶりで、裁判官の職務外の表現行為が問題となるのは初めてだった。公判は22年3月に始まり、今回の判決含め第16回開かれた。岡口氏の弁護団(団長・西村正治弁護士ら10人)はSNSの投稿を理由にした罷免は不当だと主張した。
判決言渡しは、本当は1週間前の3月27日のはずだったが、1週間延びて4月3日になっていた。
https://www.dangai.go.jp/info/info4.html
私はこの弾劾裁判について、「救援」21年7月号に、「罷免訴追の犯罪」と題して書いた。
http://blog.livedoor.jp/asano_kenichi/archives/27155431.html
また、「紙の爆弾」(鹿砦社)24年1月号に「『もの言う裁判官』を罷免訴追した『弾劾裁判』の異常」という見出しで寄稿している。
私の記事や見解は「弾劾裁判及び分限裁判の記録 岡口基一」にも載っている。
https://okaguchik.hatenablog.com/entry/2021/08/20/000554
https://okaguchi.net/
岡口氏は、判決の結果に関わらず、2度目の任官(10年ごとに更新)を求めず、3月末で裁判官を辞めると最高裁に通知しており、裁判官の身分は4月12日になくなる予定だった。これ以上の制裁を求めるのは酷だと思う。しかし、弾劾裁判所は、何としてもそれまでに判決を出して、岡口氏の法曹資格を奪おうという魂胆で、判決日が設定された。
過去の弾劾裁判はすべて1年以内で結論を出したが、今回は初公判から2年余もかかり、判決は罷免訴追から約3年後だった。野間啓弁護士(東京山手法律事務所))は結審後の記者会見で「訴追委員会側はほとんど準備せず訴追を決めたのではないか。証拠整理ができず、訴追から証拠提出まで約1年5カ月かかった」と批判した。
「弁護士ドットコムニュース」の園田昌也記者は判決を前にした3月28日、裁判員の出席率が低く、大学なら単位をもらえないなどと指摘する記事を配信した。<岡口判事の弾劾裁判にみる「制度の欠陥」 裁判員の国会議員、欠席や交代だらけ 出欠状況を総まとめ>
https://www.bengo4.com/c_18/n_17387/
元熊本日日新聞記者の園田氏はリードで、<公判全15回を「皆勤」したのは3人のみ。出席率が7割を下回る裁判員が6人いるなど、欠席や途中交代が目立つ>などと指摘した。
3日の判決公判は午後2時に開廷した。記者の冒頭撮影が2分あり、岡口氏が入廷した。船田裁判長が岡口氏に対し、陳述席へ座るよう求め、「判決を言い渡す。主文は最後に」との発言があった。通常の刑事裁判で、主文の後回しは、死刑など被告人に不利な場合が多く、弁護団の野間啓弁護士は「嫌な予感がした」と振り返った。
判決内容については、前述の園田記者が「弁護士ドットコム」に書いた<弾劾裁判詳報>(3日)が詳しい。
https://www.bengo4.com/c_18/n_17419/
裁判長は、事実認定上の最大の論点である、投稿などの13行為の経緯、動機については、訴追委員会の「フォロワーの性的好奇心に訴えかけ、興味本位で判決を読ませようとする意図があった」などの主張をことごとく排斥し、岡口氏の悪意性を否定した。
判決を聞いていて、「罷免せず」の決定が出るのではと期待した。訴追委員会(田村憲久委員長=参・自民)は4人出廷したが、渋い表情を隠さなかった。青リボンを付けて訴追委員会メンバーの後ろに控える樫野一穂訴追委員会参事(事務局次長、前東京地検検事)も終始硬い表情だった。
【写真15 訴追委の後ろに控える樫野一穂訴追委員会参事ら】
新藤氏が23年9月に入閣したため委員長を辞した後、訴追委員会を引っ張ってきた柴山昌彦訴追委員(安倍派)は約30分後からほぼ1時間爆睡状態だった。田村氏も眠気が何度も襲い、古川俊治委員も目を閉じることが多かった。越智隆雄委員(衆・自民)だけは起きていた。それにしても、傍聴席や記者席から、熟睡状態が続くのが丸見えなのに、隣のメンバーが起こそうともしないのは、国会では普通のことだからなのだろうか。
その後も、13個の行為が1個の行為と括った訴追委員会の主張を排斥するなど、事実認定の内容は概ね弁護側の主張通りだった。判決は「時効」の問題はないとした。その上で、判決はこれらの認定された行為が「非行」に当たるか、さらにはそれが「裁判官としての威信を著しく失うべき非行」に該当するか、という枠組みで検討に移った。
(下)に続く
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1948年、香川県高松市に生まれる。1972年、慶應義塾大学経済学部を卒業、共同通信社入社。1984年『犯罪報道の犯罪』を出版。89~92年、ジャカルタ支局長、スハルト政権を批判したため国外追放された。94年退社し、同年から同志社大学大学院メディア学専攻博士課程教授。2014年3月に定年退職。「人権と報道・連絡会」代表世話人。主著として、『犯罪報道の犯罪』(学陽書房、講談社文庫)、『客観報道』(筑摩書房)、『出国命令』(日本評論社)、『天皇の記者たち』、『戦争報道の犯罪』、『記者クラブ解体新書』、『冤罪とジャーナリズムの危機 浅野健一ゼミin西宮』、『安倍政権・言論弾圧の犯罪』がある。