2024-04-02【第351回】 映画「オッペンハイマー」に視る核兵器廃絶への途
核・原発問題国際映画「オッペンハイマー」を観た(3月31日、二子玉川)。
第96回アカデミー賞で作品賞ほか7部門受賞した話題作だ。
作品ポスター
「原子爆弾の父(開発者)」ということで、これまで「核兵器廃絶と世界の宝九条護憲は一体」と主張してきた筆者(浜地)としてそれなりの知識はあったつもりだが、白状せざるを得ない。
「わからない」と~。
なぜ「九条は世界の宝」と主張するのか? | 憲法研究所 発信記事一覧 | 憲法研究所
アインシュタインはじめ、10指に及ぶ「錚々たる物理学者」など、登場人物が多い。(事後的に調べて、「ああ、成る程」と得心する次第)
それからこれも事後的にわかったのだが、カラーとモノクロの映像があり、それぞれ意味を持つ。
カラー部分はオッペンハイマーの視点。
大学生時代、アメリカの大学の教授時代から原爆開発に関わるようになり、開発を成功させるために全力を注ぐ姿。
そして第二次世界大戦を経て、原爆という破壊兵器を作ってしまったことへの恐怖心が描かれている。
モノクロの部分はストローズStrauss原子量委員会AEC(US Atomic Energy Commision)の創設委員の視点。1949年に核実験に成功したソビエト連邦に対抗するという視点からも強硬派。
だがオッペンハイマーに相手にされず、恨みを募らせるストローズ。
第二次世界大戦後、水爆開発を渋るオッペンハイマーを共産党員でソ連のスパイだと聴聞会で証明しようとする。
この辺りのやり取りはやはり予備知識が無くては中々フォローできない。
そして最大の関心は広島・長崎への原爆投下のシーン:本作がアメリカで公開された際、原爆投下により、その地が破壊されていくシーンが描かれなかったことが日本で話題(非難)になった。
「なぜ描かないのか」と。
逆に、例えば、原爆投下の直後、アメリカ市民が拍手喝采という場面がある。
「パールハーバーへの復讐」で、「さあこれで戦いは勝利した」という思いが世論の中で少なくなかったということは事実なのであろう。
しかし、この映画自体はオッペンハイマーの伝記映画だ。
オッペンハイマーは広島に原爆が投下されたことを事後的に、ラジオ中継で知ったとのこと。
以来、罪悪感に苛まれ焼け焦げていく人々の幻に苦しむシーンが特記される。
さて、そこで、究極の課題として米大統領選挙(11月5日)の行方だ。
即ち、核実験(トリニティー)を賞賛するトランプ氏が返り咲くという可能性への大いなる懸念だ。
【第340回】「月刊グローバル経営」寄稿第100回にあたり~review回顧とprospect展望(2/2) – 浜地道雄の「異目異耳」
拙稿前半: 2020年7月16日、トランプ(当時)大統領はマンハッタン計画の具現、世界で最初の核実験 (1945年「トリニティ核実験」、その1カ月弱後に、広島長崎!) 75周年に向けての公式声明のなかで、”remarkable feat of engineering and scientific ingenuity”(科学技術上の偉業だ) と称賛したことを忘れてはならない。
唯一の被爆国、日本の国民の一人として強く懸念する。
オッペンハイマーの苦渋の胸中を受け、核兵器廃絶を強力に進めるのが我々の使命、義務である。
追記:
・通常、映画鑑賞にあたっては事前情報=ネタばれは避けるわけだが本作品については「事前学習」が無いと理解は難しい。
・本作品の原案は書籍であり、その理解のために序章・試し読みは有効である。
映画『オッペンハイマー』原案の傑作ノンフィクションが文庫化!(本文試し読み公開)|Hayakawa Books & Magazines(β)
・本作品はR15とあり、残酷な原爆シーンかと思っていたら、胸をはだけたベッドシーンがあり、困惑した。
関連拙稿:
【第348回】 1954年3月1日 ~ ブラボーという水爆実験 – 浜地道雄の「異目異耳」
【第246回】ラッセル・ホテルからパグウオッシュへ – 浜地道雄の「異目異耳」
本記事は浜地道雄の「【第351回】 映画「オッペンハイマー」に視る核兵器廃絶への途」からの転載
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国際ビジネスコンサルタント。1965年、慶応義塾大学経済学部卒業。同年、ニチメン(現・双日)入社。石油部員としてテヘラン、リヤド駐在。1988年、帝国データバンクに転職。同社米国社長としてNYCに赴任、2002年ビジネスコンサルタントとして独立。現在、(一財)グローバル人材開発顧問。「月刊グルーバル経営」誌にGlobal Business English Fileを長期連載中。