【連載】知られざる地政学(塩原俊彦)

「知られざる地政学」連載(34)ディスインフォメーションの地政学(上)

塩原俊彦

 

2020年1月に刊行された『現代地政学事典』において、当初予定されていなかった「ディスインフォメーション」の項目を収載してもらい、その内容を執筆したのは私である。こんな私からみると、「ディスインフォメーション」を「偽情報」と訳して済ませている日本のマスメディアを徹底批判したくなる。

今回は、ディスインフォメーションについて、基礎からしっかりと解説し、地政学上の重要な論点として記憶にとどめてほしいと思う。

ディスインフォメーションの基礎

まず、日本におけるディスインフォメーション(disinformation)に対する理解がまったく不十分であるという話からはじめよう。一般社団法人セーファーインターネット協会なる団体が2020年6月にDisinformation対策フォーラムを設立し、2022年3月に報告書を公表している。同フォーラムは、「法律、経済、情報等を専門とする学識経験者やプラットフォーム事業者を構成員とし、また、総務省をはじめとする関係官庁やメディア関係団体にオブザーバーとして参画」していてもらったものだという。いわば、日本政府がいわゆる「専門家」らを恣意的に選定し、まとめたディスインフォメーションへの理解が示されている。予想通り、その内容は皮相で、知的レベルが低い。御用学者らの不勉強が浮き彫りになっている。こんなアホが専門家というのだから、お笑い種だが、事態は深刻だ。
報告書ではまず、定義について書かれている。ディスインフォメーションを「あらゆる形態における虚偽の、不正確な、または誤解を招くような情報で、設計・表示・宣伝される等を通して、公共に危害が与えられた、又は、与える可能性が高いもの」と定義している。そのうえで、つぎのように書いている。

「一般的にDisinformationは「偽情報」と訳され、何らかの利益を得ることや騙す意図を持つことを含んだ概念であり、単に誤った情報=Misinformationからは区別されるのが通常である。これに対して、本フォーラムにおいては、誤った情報による社会的・経済的な被害を抑制・防止・回復することに主眼を置くため、誤った情報を発信する者の悪意や騙す意図の有無は問題とせず、Misinformationについても幅広く議論の対象としている。」
これは、悪意に満ちた歪曲である。あきれてものがいえないほど最悪だ。

「偽情報」は不適切な訳

ここでは、この悪意を理解してもらうために、ディスインフォメーションを「偽情報」と訳す無知について説明するところからはじめたい。日本のマスメディアはdisinformationを偽情報、misinformationを誤情報と訳して頬かむりを決め込んでいる。だが、この翻訳は慎重に熟慮を重ねたうえでの訳語とは到底いえない。

まず、偽情報というときの「偽」は「真」「偽」という対の概念として理解されるだろう。このとき問題になるのは、オリジナルか、それとも偽物かということにすぎない。

ここからは哲学的思考が必要になる。全知全能の神が支配していた時代には、そもそも真偽などまったく問題にされなかったことを思い出す必要がある。古典的な名著とされている、1961年に初版が刊行されたダニエル・ボースティン著『イメージ』のなかでは、「アイディール」(Ideal)から「イメージ」(Image)への思考の変化が強調されている。といっても、これだけでは、彼が何をいっているのか、よくわからないだろう。彼がIdealと呼んでいるのはIdeaから派生した言葉だ。

Idea(イデア)は望ましい何ものか、あるいは完全である何ものかを意味し、人間の心のなかにだけ存在する。プラトンのイデア論では、現前にあるものは真の実在であるイデアの影(コピー)であるとみなされている。したがって、芸術作品はこのコピーのコピーにしかすぎないことになる。こう考えると、普段、実在するものを真実であるかのようにみなしていること自体が虚偽(コピー)にすぎないことになる。したがって、プラトンのように考えると、目に見える世界はすべてコピーないしコピーのコピーにすぎず、目に見えるものに「真実」を見出すことを当然視している近代以降の常識がまったく通用しない世界が広がっていたことなる。

イデアはもともとギリシャ語だが、これがキリスト教と結びつくことで、アイディールはヨーロッパでは、無矛盾のつくりごとではない状態として意識されるようになる。つまり、アイディールは伝統ないし歴史、あるいは神によってつくりだされたものということになる。この時代には、アイディールは完全なものであり、曖昧さをもたないものだった。わかりやすくいえば、人間は自らの見方や考えを神に仮託して、神のつくり出した秩序らしきものに従属させることで、神の命じる秩序を完全であるかのように受けいれていたわけだ。そこでは、信用できるかどうかは問題にされなかった。アイディールは無矛盾の完全な状態としてすでにあるものであり、キリスト教徒にとって受けいれるべきものとしてあったのだ。つまり、事実はまず神のもとにあり、その信憑性は問題にすべきものではなかった。そもそもフェイクかどうかは問うべきものではなかったわけである。

これは、真偽の問題が神に任されていた時代を意味している。別言すると、神の意志である自然法が全面化していた時代のことだ。ところが、人間はImageというものをつかって、伝統・歴史・神から徐々に離れてゆく。このImageという英語は、ラテン語のimagoから派生した。このラテン語の動詞形はimitariで、英語にすればimitateを意味している。つまり、イメージは模倣するとか、模写するといったことに関連している。いわば、イメージはあらゆる対象の外部形態の人為の模倣ないし代理物であるのだ。模倣や代理物である以上、その真偽が問題にされるようになるわけだ。

そして、何よりも大切なことは、イメージは人間が主体として生み出すものである点だ。神から距離を置いて、人間自身で考えることを重視するようになるのである。ただし、その際、人間の目で見えるものは現前するそのものではなく、光を介して網膜に映し出される像を脳が認知するだけだから、模倣・偽物にすぎないことがよく意識されていた。それでも、各人がそのイメージをもつことで、神の手から離れて、人間同士のイメージをもとに共通の感覚で理解を深められるようになったわけである(NYTの読者であれば、imageという言葉の後に、画像写真などが掲載されていることに気づくはずだ。まさに、イメージとはそうしたものを意味しているのである)。

ボースティンは「アイディール思考」から「イメージ思考」への変化が「グラフィック革命」によって促進されたと主張している。グラフィックというのは、書かれたものや図や絵に示されたものを意味している。この革命がはじまる前までの絵画は天地創造における神の仕業に帰せられる宗教色の強いもので、教会でしか目にしないようなものだった。しかし、グラフィック革命によってさまざまな絵画や情報が人々に入手可能となる。それを可能にしたのが製紙の技術であり、活版印刷術であったわけだ。本を通じて、模写・模倣されたものが人気を集めるようになると、それが真実であるかのように擬制する事態になる。ここに、真偽や信憑性を問う時代がはじまるのである。

こう考えると、真偽の問題が比較的狭い範囲の問題でしかないことがわかるだろう。情報が「オリジナルか、それとも偽物か」だけを問うというのでは、問題の射程が限定されすぎており、適当ではないと考えるべきなのだ。したがって、ディスインフォメーションを偽情報というのはディスインフォメーションという概念を表す言葉としてはまったく不適切である(ディスインフォメーションについては後述する)。

誤情報をめぐって

ついでに、misinformationの翻訳についても脱線しておこう。これを誤情報と訳すこと自体には問題はない。問題は、「正」「誤」を判断する基準にある。白川静著『字統』によれば、「正」は「一」(城郭で囲まれた邑)と「止」(足跡の形)を組み合わせた言葉であり、「都邑に向かって進撃する」という意味をもち、都邑を征服することにつながっている。「正」が多義化するにおよんで「征」がつくられるのだ。「正」はもと征服を意味し、その征服した人々から貢納を徴収することを「征」と表すようになる。ついでに忘れてならないのは、重圧を加えてその義務負担を強制することを「政」ということである。そして、そのような行為を「正当」とし、「正義」とするに至るのだ。ゆえに、本来、征服支配こそ、強者の正義であったと考えることができる。

このような経緯を知っていれば、「正しさ」なるものが強者の押しつけでしかないことがわかるだろう。「神」がいればまだしも、「神」が遠ざかると、あるいはいなくなると、「神」たらんとする「国家」が勝手な「正しさ」を押しつけ、事態がますます悪くなる。そして、その国家の横暴を「法の支配」(rule of law)を名目にして官僚がやってのけるようになり、総務省の無知な官僚がバックで操るかたちで、ディスインフォメーションの歪んで一知半解な概念を国民に押しつけるようになるのだ。それが、最初に紹介した報告書ということになる。

何がいいたいかというと、誤情報という訳は問題ないが、その正誤を決める基準についてはきわめて慎重な配慮が必要だということなのである。

ディスインフォメーションとは何か

『現代地政学事典』にも書いておいたように、『オックスフォード新英英辞典』によれば、ディスインフォメーションという英語は「1950年代にロシア語のдезинформацияに基づいて形成された」という。そもそもロシア語である「デズインフォルマーツィヤ」から生まれた言葉だからこそ、ロシア地域を専攻してきた私は一家言を弄したくなるわけだ。

今度は、有名なセルゲイ・オジェゴフの『ロシア語辞典』(1972年)を繙くと、「嘘の情報の外国への導入」と書かれている。注目すべきは「嘘の情報」という表現だ。嘘である以上、ディスインフォメーションには受信者を騙そうという意図があることになる。ただし、相手をだますために発信する情報は必ずしも偽情報である必要もないし、誤情報である必要もない。あくまで外国をだます目的で外国に発せられる嘘の情報がディスインフォメーションだというのだ。ついでに、冗談のような本当の話として、ヨシフ・スターリンは「ディスインフォメーションの語源がフランス語のdésinformationであるかのようにみせかけよ」と決定し、ルーマニアの諜報機関の幹部、イオン・パセパはそうした噂をたてるように命じられたという話まである(Pacepa, Ion Mihai & Rychlak, Ronald J. [2013] Disinformation: Former Spy Chief Reveals Secret Strategies for Undermining Freedom, Attacking Religion, and Promoting Terrorism, WND Books=Пачепа, Ион Михай & Рычлак, Рональд [2016] Дезинформация. Тайная стратегия абсолютной власти, Мовчан А.Б., перевод на русский язык, ООО «Издательство «Э»)。

大切なのは、前述した「誤った情報による社会的・経済的な被害を抑制・防止・回復することに主眼を置くため、誤った情報を発信する者の悪意や騙す意図の有無は問題とせず、Misinformationについても幅広く議論の対象としている」というDisinformation対策フォーラムの説明がまったく理解しがたいことだ。「悪意や騙す意図の有無」こそ、ディスインフォメーションかどうかの大前提だからである。この問題を無視したうえで、ミスインフォメーションについても議論するというのは、権力を握っている当局たる総務省が正誤の判断基準を押しつけようとしているだけの話ということになる。つまり、この報告書自体が何も知らない人々にディスインフォメーションを垂れ流すことで、自分たちの情報操作(マニピュレーション)の範囲内に留め置こうとしているようにみえる。「悪意に満ちている」と書いたのはそのためだ。

本家本元がいうディスインフォメーションの典型例

最近、ロシア外務省のマリア・ザハロワ報道官が「ディスインフォメーションのクラシックな例」と呼んだものがある。それは、2024年4月12日、ウクライナに関する国連安全保障理事会の会合での国連日本政府代表部副代表の志野光子大使の発言だ。

「米国の広島・長崎への核攻撃という犯罪を黙殺し、この話題をロシアと偽って結びつけることは、「フェイクニュース」とディスインフォメーションのクラシックな例である。日本政府は国民を欺き、アメリカによる核攻撃の犠牲者の記憶を軽視している」とザハロワはのべたと「イズベスチヤ」は報じている。

どうやら、志野が安保理で、「戦時中に核爆撃を受けた唯一の国として、日本はロシアの核の脅威を決して受け入れないし、核兵器の使用は言うに及ばずである」とのべたことに対して、ザハロワはディスインフォメーションの典型例であると批判したようだ。

本家本元の「デズインフォルマーツィヤ」(ディスインフォメーション)の使い方からみると、志野は広島と長崎の惨事を二度と起こしてはならないと強調しながら、広島と長崎へのアメリカの核攻撃という犯罪を黙殺し、ロシアの脅威にのみ言及するのは、ロシアだけを意図的に傷つける情報操作ということになるというわけだ。つまり、典型的なディスインフォメーションは情報の正誤や真偽よりも、重大な事実についてあえてふれないことで、情報を受け取る側に誤解を招くように仕組む情報ということになる。

もう少しわかりやすい例を紹介しよう。ウクライナ戦争がロシアの全面侵攻によってはじまったという情報だけに終始する場合に対して、2013年から2014年にかけてアメリカ政府はウクライナの親米勢力を支援し、当時の親ロシア派のヤヌコヴィッチ大統領を武力で追い出したという事実を知っている場合とでは、ウクライナ戦争に対する見方が180度異なるのではなかろうか。日本や欧米の主要マスメディアは前者に属している。ミアシャイマーや私のように後者の立場から、2014年からずっと米国の「悪」について指摘しつづけている人はきわめて少ない。つまり、主要マスメディアが実は、ディスインフォメーションを流しており、そうした地域に住む多くの人々はだまされているということになる。

ディスインフォメーション概念の整理

ここで、もともとの「デズインフォルマーツィヤ」というロシア語の概念をいかしつつ、ディスインフォメーションについて整理しておきたい。

まず、発信者と受信者に分けて考える必要がある。発信者が受信者を騙そうとするために発する情報こそ、いわば広義のディスインフォメーションとみなすことができる。外国ないし外国人を騙そうとする情報を、狭義のディスインフォメーションと定義することもできる。このとき、情報自体の真偽や正誤の判断は難しい。そもそも情報の真偽や正誤の判断をだれが決めるのかという大問題がある。受信者を騙そうとして発信者が発する情報は発信者からみて、偽情報や誤情報かもしれないが、大切な情報を抜きにした不正確な情報であっても、受信者を騙すことは可能だ。

先の本家本元のロシアの例からわかるように、偽情報や誤情報ではなくても、不正確な情報を流すだけでも、多くの人々を騙したり欺いたりすることが可能であることが肝なのである。
ここまでの記述を受信者の立場からみると、受信者が騙されそうになる不正確な不十分な情報がディスインフォメーションということになる。そもそも、受信者は多くの場合、自分が受け取った情報の真偽や正誤などできるはずもない。

ところが、日本でも、欧米でも、情報の真偽や正誤ばかりにスポットが当てられがちだ。そうなると、真偽や正誤を決める判断者やその基準が問題になるはずだが、この問題に対する対応がどうにも曖昧で、既得権をもった権力者が真偽や正誤自体に影響力を発揮できる仕組みをとろうとしているようにみえる。はっきりいえば、既得権者が自己利益を温存する目的で、自らに不都合な情報をディスインフォメーションと称して抑圧するのではないかと大いに危惧されるのである。

私は、ここまで考えたうえで、拙著では、ディスインフォメーションを「意図的で不正確な情報」と説明するようにしてきた。少なくとも、「偽情報」という狭義のわけのわからない定義より、ずっと本来の概念に近い定義になっていると、私には思われる。

なお、日本語の「ウィキペディア」では、ディスインフォメーションを「偽情報」と解釈して、「偽情報」の解説を紹介している。ところが、英語のdisinformationをみると、しっかりと「これはロシア語のдезинформацияの借用訳であり、音訳するとdezinformatsiyaとなり、どうやらKGBのブラック・プロパガンダ部門のタイトルに由来すると考える者もいる」と書かれている。わかってほしいのは、日本語の説明はまったく不十分であり、こんなものを読んでも、ディスインフォメーションの本質にまったく近づけないどころか、誤解を深めるだけであるということだ。日本の知的程度の低さがよくわかる残念な実情を知ってほしい。日本では、「バカによるバカの再生産」が着実に広がっているのである。もっといえば、私はウィキペディアの情報を信じていない。公務員らがよからぬ思惑から、ディスインフォメーション工作の一環として、安易に流されるアホを情報操作しているのではないかと疑っている。

ディスインフォメーションへの規制をめぐって

このディスインフォメーションが地政学上、世界中で注目されるようになったのは、インターネットの普及によって、安価で簡単に情報が国境を越えて多数の人々に伝播できるようになったからである。とくに、近年、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)を利用したディスインフォメーション工作が可能になったことで、特定の分野において特定のターゲットに対してのみディスインフォメーションを仕組むことも可能となり、外国だけなく国内向けにもディスインフォメーションをばら撒いて騙すことが簡単にできるようになっている。

注目すべきは、ヨーロッパにおいてディスインフォメーション規制が素早く進んだことである。ディスインフォメーションが注目されるようになる前の段階で、欧州ではヘイトスピーチが問題化した。

「知られざる地政学」連載(34)ディスインフォメーションの地政学(下)に続く

 

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塩原俊彦 塩原俊彦

1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士。評論家。 著書:(2024年6月に社会評論社から『帝国主義アメリカの野望:リベラルデモクラシーの仮面を剥ぐ』を刊行) 【ウクライナ】 『ウクライナ戦争をどうみるか』(花伝社、2023)、『復讐としてのウクライナ戦争』(社会評論社、2022)『ウクライナ3.0』(同、2022)、『ウクライナ2.0』(同、2015)、『ウクライナ・ゲート』(同、2014) 【ロシア】 『プーチン3.0』(社会評論社、2022)、『プーチン露大統領とその仲間たち』(同、2016)、『プーチン2.0』(東洋書店、2012)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店、2009)、『ネオ KGB 帝国:ロシアの闇に迫る』(東洋書店、2008)、『ロシア経済の真実』(東洋経済新報社、2005)、『現代ロシアの経済構造』(慶應義塾大学出版会、2004)、『ロシアの軍需産業』(岩波新書、2003)などがある。 【エネルギー】 『核なき世界論』(東洋書店、2010)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局、2007)などがある。 【権力】 『なぜ「官僚」は腐敗するのか』(潮出版社、2018)、『官僚の世界史:腐敗の構造』(社会評論社、2016)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた:官僚支配の民主主義』(ポプラ社、2016)、Anti-Corruption Policies(Maruzen Planet、2013)などがある。 【サイバー空間】 『サイバー空間における覇権争奪:個人・国家・産業・法規制のゆくえ』(社会評論社、2019)がある。 【地政学】 『知られざる地政学』〈上下巻〉(社会評論社、2023)がある。

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