【連載】知られざる地政学(塩原俊彦)

「知られざる地政学」連載(34)ディスインフォメーションの地政学(下)

塩原俊彦

 

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ヘイトスピーチ規制

2016年、欧州委員会は米国のテクノロジー企業4社(フェイスブック、ツイッター、ユーチューブ、マイクロソフト)と「オンライン上の違法なヘイトスピーチへの対処に関する行動規範」(ヘイトスピーチ・コード)に署名した。その後、2018年にインスタグラムとスナップチャット、2020年にTikTokが加入した。これらの署名企業は、「プラットフォーム上での暴力扇動や憎悪に満ちた行為の促進を禁止する」ことに同意し、そのようなコンテンツをプラットフォームから削除する要請があれば、24時間以内に検討することを約束している。すでに「連載31 「デジタル帝国」をめぐる地政学」()で紹介したDigital Empiresによると、「2021年のデータによると、署名企業は現在、通告を受けた違法なヘイトスピーチの平均63%を削除している」という。

さらに、「大手ハイテク企業の利用規約を調べてみると、EUのヘイトスピーチ・コードに署名した後、世界的に同じ定義を採用する傾向があることがわかる」と指摘されている。メタとグーグルは早くから世界共通のルールを採用おり、ツイッターは、以前は国別の規則に従っていたが、EUのヘイトスピーチ・コードに署名した半年後には、世界共通の基準を採用する方向に進み、グローバルな利用規約で「憎悪を抱かせる行為」を禁止したという。

2019年10月、欧州司法裁判所(CJEU)は、メタ社のプラットフォーム上のヘイトスピーチの投稿を削除する責任に関する訴訟の判決を下した。この事件は、オーストリア緑の党の元党首であるエヴァ・グラウィシュニッヒが、フェイスブック上の自分を中傷する投稿の削除をメタ社に要求したことに端を発する。CJEUは、メタ社が当該コンテンツへのアクセスをローカルだけでなくグローバルに削除しなければならないかどうか、またこの義務が同一人物に対する類似の(しかし同一ではない)ヘイトスピーチ投稿にも及ぶかどうかについての裁定を求めた。判決のなかでCJEUは、メタ社は違法とされた中傷的コメントと同一または同等の投稿をすべて特定するよう命じられる可能性があると判断した。CJEUは、EU法には地域的制限がないことを指摘した。こうして、欧州のヘイトスピーチ規範は法域を超えて広がりをみせるようになったのだ。

なお、拙著『サイバー空間における覇権争奪』で紹介したように、ドイツでは、2018年1月1日から、「ネットワーク強制法」(NetzDG)が施行された。少なくとも200万人以上の登録ユーザーをもつソーシャル・ネットワーク・プロバイダーに対して、通告を受けてから24時間以内に「明白に不法な」内容へのアクセスを排除ないし遮断しなければ、5000万ユーロ(約5600万ドル)の罰金が科せられることになった。日本では、ドイツから6年を経てもなお、こうした厳しい規制が構築されているわけではない。いかに日本の政治家や官僚や御用学者が怠惰で不勉強であるかがわかるだろう。

ディスインフォメーション規制

拙著『サイバー空間における覇権争奪』のなかで部分的に紹介したように、EUは2015年3月、欧州理事会の命令で外部行動局のなかに、 East StratCom Task Forceを設置した。EUと「東方パートナーシップ」を結んでいる国にEUの政策を説明し、そのジャーナリズムを支援し、ディスインフォメーションを人目にさらすことを目的としたものだ。それは「EU VS Disinfo」というかたちに発展した。この動きは、2015年3月の欧州理事会で、ロシアが継続しているディスインフォメーション・キャンペーンに異議を申し立てる必要性があることで合意したことを出発点としている。

ほかにも、2015年7月に、欧州民主主義基金がロシア語でのメディア空間上のディスインフォメーションに対抗する実行可能性評価報告を公表したり、欧州政策分析センターが「情報軍事イニシアティブ」を開始して、中・東欧で広がっているロシアによるディスインフォメーションを収集・分析・論駁したりする活動をはじめた。

2018年10月になると、フェイスブック、グーグル、ツイッター、モジラのほか、広告主や広告業界の代表は、オンライン上のディスインフォメーションの拡散に対処するための自主規制的な行動規範、「ディスインフォメーションに関する2018年実践コード」に合意する。これは、2018年4月に発表された欧州委員会のコミュニケーションで示された目標を達成することを目的としており、政治広告の透明性からディスインフォメーションの提供者のデミネーションに至るまで、さまざまな領域で21のコミットメントを定めている。さらに、マイクロソフトは2019年5月に、TikTokは2020年6月に署名した。

ただし、このコードにおけるディスインフォメーションの定義は満足のゆくものではない。「明らかに虚偽または誤解を招く情報」というのがその定義であり、その情報は、「累積的に、(a)「経済的利益を得るため、または意図的に公衆を欺くために作成、提示、流布される」、(b)「公衆に害をおよぼす可能性がある」、「民主的な政治・政策決定プロセスや、EU市民の健康、環境、安全保障の保護などの公共財を脅かす」ことを意図している」と記されている。意図的に騙したり欺いたりする情報に注目している点で、先に紹介したDisinformation対策フォーラムの報告書の定義よりは格段に優れている。

マスメディアが流すディスインフォメーションに気をつけて

だが、「「ディスインフォメーション」という概念には、誤解を招くような広告、報道の誤り、風刺やパロディ、明確に特定された党派的なニュースや論評は含まれず、拘束力のある法的義務、自主規制の広告規約、誤解を招くような広告に関する基準を損なうものではない」という記述は笑止千万だ。「報道の誤り」(reporting errors)を除外しているからである。先の例からわかるように、主要マスメディア自体がディスインフォメーションを流しているのであり、この事実に蓋をするというEUの定義は決して受け入れられない。どこにでも、不誠実な政治家、官僚、学者がうようよいる。こうした連中が「嘘」を広め、自分たちの都合のいいディスインフォメーションを流し、騙していることに気づいてほしい。

既存の主要マスメディアは「当局」と結託してディスインフォメーションを頻繁に流してきたし、いまも流している。この問題を除外しては、既存の権力執行機関による情報操作から国民を守ることはできない。それにもかかわらず、政治的問題を切り離したいEUは不都合な部分はちゃっかり除外してしまっているのだ。

ディスインフォメーションに関する2022年実践コード」では、「偽情報とは、本規定では、ミスインフォメーション、ディスインフォメーション、情報影響工作、情報空間における外国からの干渉を含むものとする」と書かれている。このとき、ディスインフォメーションの注として、「欧州委員会の欧州民主化行動計画に関するコミュニケーション」における定義として、「偽情報とは、人を欺いたり、経済的・政治的利益を確保したりする意図で流布され、公衆に損害を与える可能性のある、虚偽または誤解を招くような内容のことである」と説明されている。「2022年実践コード」における定義は放棄してしまったのかどうかは判然としないが、ここでも「意図的」であることが重要なメルクマールになっている点に留意しなければならない。

2022年6月16日には、強化された「ディスインフォメーションに関する実施コード」が前記の「22年実践コード」作成プロセスに参加した34の署名者によって署名され、発表された。署名者は、ディスインフォメーションの拡散を防止すること、政治広告の透明性を確保すること、利用者に権限を与えること、ファクトチェッカーとの協力を強化すること、研究者がデータにアクセスしやすくすることなど、いくつかの領域で行動を起こすことを約束した。

重要なのは、ここで紹介したヘイトスピーチやディスインフォメーションへの規制が「デジタルサービス法」(DSA)へと収斂したことである。DSAは、EUのディスインフォメーション規制やヘイトスピーチ規制に取って代わるものではなく、どのような言論を排除しなければならないかという実質的な基準を提供し続けるものだが、プラットフォームに対して、禁止されているコンテンツへのアクセスを迅速に削除または無効化することを求める、拘束力のある手続き上の義務を提供している。

DSAはまた、プラットフォームの透明性と説明責任義務を強化し、たとえば、ユーザーが特定の広告を見る理由や広告の背後にいる人物をユーザーに開示することを義務づけ、未成年者や、人種、民族、宗教、政治的信条、性的指向などの保護カテゴリーに基づく個人を対象とした広告など、特定の慣行も禁止される。非常に大規模なオンライン・プラットフォームは、年1回のリスク評価と外部監査に関する追加的な義務を遵守するほか、コンテンツ・モデレーション(適正化)の決定に関するデータを研究者や当局と共有する必要がある。このようにプラットフォームのデータへのアクセスが強化されることで、規制当局は、アルゴリズムがどのように機能し、オンラインコンテンツをどのようにモデレートしているかに関するプラットフォームの主張をよりよく検証できるようになる。

こうしたEUの規制に対して、アメリカでは、2022年4月、バイデン大統領は米国務省にサイバースペース・デジタル政策局を設置することを発表した。ただし、これは、世界中で台頭するデジタル権威主義と闘うための国務省民主主義・人権・労働局の既存の取り組みを補完するものにすぎない。要するに、EU規制に比べて、アメリカは及び腰なのだ。これに対して、オーストラリアはEUのディスインフォメーション規範を忠実に模倣し、2021年2月に「ディスインフォメーションとミスインフォメーションに関するオーストラリア・コード」を発表した。その結果、アドビ、アップル、グーグル、メタ、マイクロソフト、Redbubble、TikTok、ツイッターなどの企業は、同コードに署名しており、オーストラリアでもEUに触発されたコンテンツ・モデレーション(適正化)を実践することを約束している。

『内部からの攻撃』

2024年に刊行されたバーバラ・マクウェイド著『内部からの攻撃:ディスインフォメーションはいかにアメリカを妨害しているのか』(Attack from Within: How Disinformation is Sabotaging Amerika)という本を最近読んだ。ミシンガン大学法科大学院の教授が書いたものだが、お勧めはしない。アメリカの知識人の頭脳程度を知るために読んだだけだが、日本よりはまともなものの、やはりディスインフォメーションに対する本質的な理解ができていない。
最後に、この本の記述のいくつかを紹介しながら、ディスインフォメーションをより深いところで理解してもらいたいと思う。

「ディスインフォメーションの力」という見出しのもとに、彼女は、「ディスインフォメーションとは、利益を引き出すためであれ、政治的アジェンダを推進するためであれ、意図的に嘘を用いて人々を操ることである」と書いている。この部分の定義を批判するつもりはない。Disinformation対策フォーラムの報告書の定義に比べると、何倍も優れている。

私がこの本で落胆したのは、ディスインフォメーションを流すドナルド・トランプなどへの批判に終始している点だ。返す刀で、既存の主要マスメディアが流しているディスインフォメーションへの厳しい批判がほとんどみられないのである。

つまり、既得権益を握っているエスタブリッシュメントに対する批判に欠ける。そのため、彼らが100年近くつづけてきたリベラルデモクラシーに基づく民主主義の海外への輸出という介入主義への反省もない。

つまり、ディスインフォメーション工作でもっとも重要な、既存の権力者による主要マスメディアの利用という問題点が無視されている。これでは、相変わらず、マスメディアによるディスインフォメーションによって多くの国民が騙されるつづけることになるだろう。もっとも注意すべきなのは、政府や政府と結託したマスメディアが自らのディスインフォメーションを棚に置いて、自分たちにとって不都合な情報をディスインフォメーションと決めつけて排除しようとしている事態なのだ。

日本は、森永卓郎が『書いてはいけない日本経済墜落の真相』のなかで指摘しているように、政府が平然と嘘をつきつづけている。それは、日航機墜落事件について、「自衛隊機が民間機をミサイルで撃墜した」という記述を読めばわかるはずだ。

財務官僚だった佐川元理財局長の命令による公文書改竄事件を思い起こせば、だれでも日本の絶望的は状況に気づくに違いない。ほぼすべてのマスメディアが政府によるディスインフォメーション工作に加担している事態は、戦争への道を転げ落ちつつある日本にとって最悪の状況にあるといえよう。

リテラシーに名を借りた恐ろしい教育の実際

能天気な日本国民の99%は、ディスインフォメーションへの対策と称して、恐ろしい言論統制の方向に向かいつつあるいまの日本の現状を知らないだろう。ディスインフォメーション対策として情報リテラシーを向上する必要があるとして、「上」からの言論統制が教育を通じてなされているのである。

2022年6月、「総務省 メディア情報リテラシー向上施策の現状と課題等に関する調査結果報告」が公表された。みずほリサーチ&テクノロジーズなる、わけのわからない会社に委託して作成されたものだが、その内容は先に紹介したDisinformation対策フォーラムの報告書と同じように悪意に満ちている。そして、低レベルだ。

そこでは、ディスインフォメーションを「個人、社会集団、組織または国に危害を与えるため、虚偽、かつ故意に作成された情報」と定義している。すでに説明したように、本来のディスインフォメーションは、情報受信者をだますことを目的にした情報であり、その情報の真偽や正誤は二義的な問題にすぎない。

さらに、情報受信者として、「国」を加えるという発想自体が認められない。この場合の「国」とは何を意味しているのだろうか。はっきりいえば、こんな国家を絶対視するような考え方自体がまったくおかしい。国家は人間ではないのだから、ディスインフォメーションとは無関係だろう。問題は、国家権力を行使する政治家、官僚、御用学者、そして彼らと結託するマスメディア関係者にあるはずだ。

私が恐れるのは、ここで紹介したように、ディスインフォメーションをまったく理解していない者によってディスインフォメーション対策を名目とする教育が行われ、その結果、国家によるディスインフォメーションがより深刻化する事態なのである。

読者のみなさんは、どうか、ここで解説した内容を、より多くの人に伝えてほしい。何とかしないと、日本は「国」なるものを構成する「悪人」によるディスインフォメーション工作のために、戦争に巻き込まれてしまうのではないか。そう心から危惧している。

 

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塩原俊彦 塩原俊彦

1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士。評論家。 著書:(2024年6月に社会評論社から『帝国主義アメリカの野望:リベラルデモクラシーの仮面を剥ぐ』を刊行) 【ウクライナ】 『ウクライナ戦争をどうみるか』(花伝社、2023)、『復讐としてのウクライナ戦争』(社会評論社、2022)『ウクライナ3.0』(同、2022)、『ウクライナ2.0』(同、2015)、『ウクライナ・ゲート』(同、2014) 【ロシア】 『プーチン3.0』(社会評論社、2022)、『プーチン露大統領とその仲間たち』(同、2016)、『プーチン2.0』(東洋書店、2012)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店、2009)、『ネオ KGB 帝国:ロシアの闇に迫る』(東洋書店、2008)、『ロシア経済の真実』(東洋経済新報社、2005)、『現代ロシアの経済構造』(慶應義塾大学出版会、2004)、『ロシアの軍需産業』(岩波新書、2003)などがある。 【エネルギー】 『核なき世界論』(東洋書店、2010)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局、2007)などがある。 【権力】 『なぜ「官僚」は腐敗するのか』(潮出版社、2018)、『官僚の世界史:腐敗の構造』(社会評論社、2016)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた:官僚支配の民主主義』(ポプラ社、2016)、Anti-Corruption Policies(Maruzen Planet、2013)などがある。 【サイバー空間】 『サイバー空間における覇権争奪:個人・国家・産業・法規制のゆくえ』(社会評論社、2019)がある。 【地政学】 『知られざる地政学』〈上下巻〉(社会評論社、2023)がある。

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