「知られざる地政学」連載(36)石油をめぐる地政学(上)
国際
2023年12月、友人に為替相場や株式相場の見通しを聞かれたことがある。そのとき、私が強調したのは、ジョー・バイデン大統領が大統領選モードに突入したという大前提で考えなければならないということだった。具体的にいえば、米国内のガソリン価格の安定こそ、彼の最重施策となっていることに気づかなければならない。逆にいえば、アメリカ国内のガソリン価格を急騰させれば、バイデンは100%再選できなくなるだろう。
こう考えると、石油価格の問題は地政学上、きわめて重大であることになる。だからこそ、拙著『知られざる地政学』〈下巻〉の「第一章 エネルギー」「第二節 石油をめぐる覇権争奪」において、石油全般にかかわる地政学を論じた。
石油のドル決済
地政学の研究者アナンド・トプラニが2021年に公表した「炭化水素と覇権主義」という興味深いタイトルの論文では、「アメリカのヘゲモニーは1948年以降にほぼ消滅した、単なる自給自足以上のものに依存していた」と指摘したうえで、アメリカ国内の大規模な産業は、市場と新たな供給源の両方を求めて海外に拡大する余力を生み、それが「アメリカの外交官たちに、ラテンアメリカにおけるアメリカの優位性と、かつてはアメリカにとってわずかな関心しかなかった地域(ペルシャ湾など)の萌芽的な石油生産者に対する影響力を強固なものにする動機を与えた」と記されている。
アメリカ政府は石油資源の重要性に気づき、潜在的なライバルの石油へのアクセスを制限する必要性をよく知っていた。ゆえに、1941年、米政府はアメリカにある日本の口座を凍結し、正式な禁輸措置をとらなくても日本の石油へのアクセスを事実上遮断することができたのだ。
第二次世界大戦以降の世界の貿易体制を、基軸通貨ドルと財・サービスとの交換取引とすることで、石油の国際取引においてもドル決済がなされるようになる。しかも、ドルの価値を維持するために国際通貨基金(IMF)を設けて、ドルの基軸通貨としての役割を保証するための国際協力体制(ブレトンウッズ体制)も構築される。こうして、1971年のドルの兌換停止や、1971年から1973年にかけてのブレトンウッズ体制の崩壊後も、外国の中央銀行や民間銀行は準備金としてドルを保有しつづけた。石油取引にドルが使われることがアメリカの通貨ドルの信用を高める効果を果たしていたのである。
「カーター・ドクトリン」と石油
石油は石炭と異なり、その採掘地は比較的少数の地域に偏在している。このため、アメリカは国内の油田に加えて、海外から安定的に石油を輸入できる体制を築こうとする。アメリカに近い北米とメキシコ湾とカリブ海については比較的問題は少なかったが、中東については、1980年1月にジミー・カーター大統領が発表した一般教書演説のなかで、「アメリカは、ペルシャ湾における国益を守るため、必要であれば軍事力を行使する」とのべた。これがいわゆる「カーター・ドクトリン」であり、ペルシャ湾地域への覇権拡大を模索し、1979年12月にアフガニスタンに軍事介入したソ連への牽制を意味していた。もちろん、それ以前にも、1952年に自由将校団をひきいて王政を倒し、エジプト共和国を樹立するエジプト革命を成功させたガマール・アブドゥル=ナセル、アメリカ資本と結んで石油資源の開発などを進め、その利益を独占する開発独裁の体制をつづけていたパフレヴィー2世を1979年に打倒したイスラム教シーア派の最高指導者ホメイニ師などへの対応といったさまざまな混乱があった。
こうした石油争奪の実態分析は割愛する。もっと新しい事態について説明したいからである。ここでは、ローズマリー・ケラニックがその著書Black Gold and Blackmail: Oil and Great Power Politics(Cornell University Press, 2020)のなかで指摘している、つぎのような理解があれば十分だろう。
「冷戦時代、石油が豊富なアメリカでさえ、ソ連がペルシャ湾を制圧して西側諸国への輸出を遮断し、NATOがヨーロッパでの通常戦争に勝てなくなることを懸念していた。ソ連を抑止するため、アメリカはイランやサウジアラビアのような友好的な中東産油国に安全保障を提供するという、同盟に基づく間接的なアプローチをとった」というのがそれである。
シェール革命
原油価格の変動はたとえばソ連崩壊の重大な要因になったり、アメリカの覇権の復活の要因になったりしている。ロシアの場合、ソ連崩壊の主因が原油価格の低迷であったことは間違いないだろう。食料品の輸入を賄うために重要な役割を果たしてきた原油輸出による外貨収入が先細りとなったことがソ連の国力を削ぐ結果をもたらしたのである。ソ連の後継国家、ロシア連邦になってからも、原油輸出による外貨収入は石油輸出税などを通じた国家財政の主要な歳入源泉の一つなっていることから、原油価格の動向がロシアに影響はいまでも重大である。天然ガスについても、欧州向けガスの輸出価格が石油製品の価格に連動して決められてきたため、石油価格の下落はガス輸出価格の低下、ひいては税収の減少につながり、ロシア政府の政策決定に影響をおよぼすことになる。
これに対して、いわゆる「シェール革命」(「シェール」[Shale]と呼ばれる種類の岩石層に含まれている石油や天然ガスを水圧破砕と水平掘削の技術開発によって掘削できるようになった)によって、アメリカの原油確認埋蔵量は2017年末で500億バレルにのぼり、2007年末の305億バレルから1.6倍も増えた。その結果、アメリカは2015年12月、原油輸出の禁止を解禁する法案を制定するに至る。こうして、アメリカは原油輸入のために中東産原油への過度の依存からの脱却という課題から解き放たれたことになる。加えて、シェールガスの増加で、これを液化天然ガス(LNG)化して輸出することも可能になった。原油とLNGの輸出によって、エネルギー資源を「武器」に新たな外交を展開することができるようになったのである。
この変化こそ、世界全体の地政学上のバランスに大きな変化をあたえる契機になっている。シェール革命は、アメリカによる原油輸入の急減、原油輸出の逓増という現象を引き起こしている。これは、アメリカの貿易収支の改善をもたらしているのだが、中国にとっては原油輸入先の多様化につながり、しかもより安い原油調達を可能にしている。詳しくみてみると、シェールオイルは軽質低硫の良質原油なため、まず、東南アジアからの軽質低硫原油の輸入が減らされた。シェールオイルが代替したのだ。中質原油も減り、反面、重質高硫黄原油の輸入は増加した。国内製油所は精製プラントの効率を引き上げるため、原油常圧蒸留装置(CDU)の能力改善が必要になる。具体的には、CDUの機器の構成・配置・構造・機能などの調整に迫られる。もちろん、シェールオイルをそのまま輸出することも可能だが、そのためには海外の製油所が精製効率の高いプラントを用意しなければならなくなる。
シェールオイル
2010年以降、いわゆる「アラブの春」の到来が中東や北アフリカに混乱をもたらした際、あるいは、2015年にイエメンで内戦が勃発し、サウジアラビアとイランの介入でアラビア半島の情勢が悪化したし、2019年9月、サウジアラビア国営石油会社、サウジアラムコの石油インフラが攻撃されたときでさえ、シェールオイルの供給は原油市場の安定化に役立った。2023年1月16日付のWSJには、「シェールオイルの急成長は、燃料価格を低く抑えることで世界経済に大きな刺激を与え、自国の有権者への経済的打撃を恐れることなく、イランやベネズエラの石油資源の豊富なライバルに対抗するためにワシントンの手を自由にした」と書かれている。アメリカの石油生産量の増加により、アメリカは原油輸出国となり、石油製品の純輸出国となり、石油輸入を世界の政情不安定な地域に依存しなくなったのは事実だろう。図1はアメリカにおけるシェールオイルの生産増加ぶりをよく示している。
しかし、前述したトプラニは、「「シェール革命」によるアメリカの国内石油生産の復活は、アメリカの地政学的支配の新時代を予感させると考えるかもしれないが、それは未来が過去を模倣すると仮定した近視眼的な視点である」と指摘している。なぜなら、実際にはシェールオイルの採掘コストは比較的高く、安定的なシェールオイルの増産は不可能な状況にあるからだ。
図1 アメリカにおけるシェールオイルとアラスカおよび48州での在来型石油生産量の推移(単位:100万バレル/日)
(出所)https://www.economist.com/special-report/2024/03/11/why-oil-supply-shocks-are-not-like-the-1970s-any-more
それは、時間の経過とともに生産量が減少する程度を示す油田の逓減率が高いことに原因がある。趙玉亮著「米シェールオイルの現状および今後の注目点」によれば、アメリカのシェールオイルの2大産地の3年後の逓減率はそれぞれ85%と79%であり、「すなわち3年後の生産量は生産開始年の2割程度にしかならない」というのである。在来型油田の逓減率は5~6%にすぎないことを考慮すると、シェールオイルを増産しつづけるためには新規投資を継続することが不可欠となる。だが、そのためには、石油市場での価格が高水準を維持することや低金利が前提となる。こうした前提が崩れると、シェールオイルの生産は急激に減少しかねない。たとえば、2023年6月の国際エネルギー機関(IEA)「石油市場報告」によれば、アメリカのシェール補修の伸びが半減するため、「2024年には増加幅が190万b/dから120万b/dに縮小すると予想される」という。
シェールオイルをめぐる暗闘
国別原油生産量のシェアの推移を示した図2からわかるように、2018年にアメリカの原油生産量はロシアやサウジアラビアを追い越し、世界第一位の産油国となる。シェールオイルが石油市場全体におよぼした影響力の大きさが想像できるだろう。ロシアは2016年の段階でサウジアラビアを中心とする石油輸出国機構(OPEC)と提携し、活況を呈するアメリカのシェール生産量を相殺しようとした。「OPECプラス」の誕生だ。その戦略は原油価格を低く抑えることで、生産コストの割高なシェールオイルの生産が採算に合わないように誘導することで、シェールオイル産業を叩き潰そうというものだった。
図3の原油価格の推移が示すように、シェールオイルの供給増加は原油価格の下落を引き起こしていた。ロシアはこの下落をさらに加速させることで、シェールオイルを窮地に追い込もうとしたわけだ(シェールオイルの場合、その生産量を増減することが難しい)。だが、原油価格の低迷は原油輸出国の収入減少を招くから、サウジアラビアを中心とするOPECの利害と、ロシア主導のOPECプラス(アゼルバイジャン、バーレーン、カザフスタン、マレーシア、メキシコ、オマーンなどが参加)の利害、あるいはOPEC内部やOPECプラス内部の利害は必ずしも一致しない。
サウジアラビアの場合、2015年に父サルマンが第七代国王に即位し、首相を兼ねると、サルマンが発した勅令により、ムハンマド・ビン・サルマンは国防大臣などのポストに就き、さらに、廃止された最高経済評議会の後継機関となる経済開発評議会の議長に就任し、軍事に加えて経済政策でも実権を得ていた。彼は皇太子としての実権を固め、2016年4月には「サウジ・ビジョン2030」を発表する。経済の非炭化水素部門の発展を前提とするこのビジョンの実現には、莫大な財政資金が必要となるため、採掘コストの低いサウジとしても、あまりに低価格の原油価格には耐えられない事情があった。
図2 各国別原油生産量の世界全体に占める割合(%)の推移
(出所)https://www.economist.com/briefing/2020/04/08/an-unprecedented-plunge-in-oil-demand-will-turn-the-industry-upside-down
図3 原油価格の推移($/b)
(出所)https://www.economist.com/briefing/2020/04/08/an-unprecedented-plunge-in-oil-demand-will-turn-the-industry-upside-down
こうしたなかで、2020年にCOVID-19によるパンデミックで世界経済が縮小に向かうと、大きな混乱が起きる。すでに、2019年のシェールオイルの倒産件数は、2018年に比べて50%も急増しているなかで、2020年に入って、さらなる原油価格の下落が起きたのだ。
シェールオイルの脆弱性は2020年の石油価格の大暴落で顕在化した。年初、北米の原油指標、WTI先物価格は60ドル弱ではじまったが、COVID-19によるパンデミックが世界経済に与えた打撃から、3月から4月にかけて大暴落した。6月以降は40ドル前後となったが、シェールオイル関連会社の倒産が相次いだのである。
2020年4月、大統領選を控えていたトランプ大統領は3月の暴落後、サウジアラビアとロシアに原油価格を引き上げ、アメリカの石油部門を救済するように懇願せざるをえなくなる。実は、2020年春には、OPECプラスに加盟していないカナダ、ブラジル、ノルウェーなどの石油大国は、アメリカとともに減産をつづける姿勢を示していた。しかし、3月、ロシアがサウジアラビアや他のOPEC生産国が推進する削減を拒否したことから価格暴落がはじまる。これに対し、サウジアラビアは日量300万バレルの増産を行い、市場に溢れさせるとのべ、「捨て身」の行動に出る。需要が減少するなかで、こんなことをすれば、当然、原油価格は急落し、世界の株式市場も暴落した。だからこそ、トランプの説得工作が必要となったのである。
同月、トランプは、アメリカの石油会社の原油を買い取り、政府の戦略備蓄に保管することで、さらに石油会社を支援しようと、7700万バレルの買い取りを議会に提案する。しかし、民主党が支配する下院は30億ドルの拠出を否決した。こうしてトランプは自ら積極的に懇願せざるをえなくなる。
2020年4月12日付のNYTによれば、OPEC、ロシア、OPECプラスとして知られる他の連合生産者による計画として、同年5月と6月に日量970万バレル、世界の生産量の10%近くを削減することが合意された。この合意は、トランプ大統領、サウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマン皇太子、ロシアのプーチン大統領が「1週間以上にわたって電話で話し合った結果だった」とNYTは書いている。交渉が複雑化したのは、4月9日に合意された暫定協定をメキシコが拒否したときことによる。結局、最終合意された削減量は、このときの削減量よりも若干少なくなった。ともかく、この合意の成立で、「中東やアフリカの苦境にある経済や、1000万人の労働者を直接・間接的に雇用しているアメリカ企業を含む世界の石油企業に、いくらかの救済をもたらすだろう」とNYTは指摘した。
The Economistの報道によれば、2020年4月の時点では、ロシアは「1バレル42ドルの原油で財政を均衡させることができる」とみられていた。この合意後、原油価格は40$/b前後に回復したから、ロシアは一息つけたし、アメリカ内のシェールオイル投資を支えることもできた。問題はサウジアラビアだった。サウジアラビアの操業コストは1バレル3.20ドルと低く、アメリカの約3分の1であるとみられている。しかし、サウジアラビア経済を石油から多角化するための経済改革、「ビジョン2030」は進行中であり、予算調達のために1バレル84ドルの価格を必要としていた。サウジアラビアはこれ以後、自国生産量の抑制によって財政を圧迫されることになる。
「知られざる地政学」連載(36)石油をめぐる地政学(下)に続く
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1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士。評論家。 著書:(2024年6月に社会評論社から『帝国主義アメリカの野望:リベラルデモクラシーの仮面を剥ぐ』を刊行) 【ウクライナ】 『ウクライナ戦争をどうみるか』(花伝社、2023)、『復讐としてのウクライナ戦争』(社会評論社、2022)『ウクライナ3.0』(同、2022)、『ウクライナ2.0』(同、2015)、『ウクライナ・ゲート』(同、2014) 【ロシア】 『プーチン3.0』(社会評論社、2022)、『プーチン露大統領とその仲間たち』(同、2016)、『プーチン2.0』(東洋書店、2012)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店、2009)、『ネオ KGB 帝国:ロシアの闇に迫る』(東洋書店、2008)、『ロシア経済の真実』(東洋経済新報社、2005)、『現代ロシアの経済構造』(慶應義塾大学出版会、2004)、『ロシアの軍需産業』(岩波新書、2003)などがある。 【エネルギー】 『核なき世界論』(東洋書店、2010)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局、2007)などがある。 【権力】 『なぜ「官僚」は腐敗するのか』(潮出版社、2018)、『官僚の世界史:腐敗の構造』(社会評論社、2016)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた:官僚支配の民主主義』(ポプラ社、2016)、Anti-Corruption Policies(Maruzen Planet、2013)などがある。 【サイバー空間】 『サイバー空間における覇権争奪:個人・国家・産業・法規制のゆくえ』(社会評論社、2019)がある。 【地政学】 『知られざる地政学』〈上下巻〉(社会評論社、2023)がある。